第12話 とにかく速い

 この子と会ったのはサイクロプスと戦ったときだ。獣人の女性を救った、あの勇敢な少女。


「あのときの……」

「思いだしたか!」


 俺の腰に抱きついてくる。頭を撫でてやると、獣の耳が嬉しそうにぴくぴくと動いた。


「怪我はもういいのか?」

「知らんうちに治ってた! ママが治してくれた!」


 怪我を治したのはリュエットだ。この子は助けてくれた男性をパパ、女性をママと呼ぶのだろうか。


「でももうあんな無謀なことはするなよ?」

「むぼー? むぼーってなんだ?」

「危ないことだ」

「あのときはぬかった」

「ぬかった」


 俺はオウム返しをした。この子の語彙はどうなってるんだろう。


 子供はちょっと悔しそうな顔をした。


「いつもは大丈夫だから、また大丈夫だと思った」

「いつもは、って……。まさか、魔物を退治してたのか? ひとりで?」

「だゾ」


 子供はこくりと頷いた。


 ――こんな子供が? いやしかし、短時間とはいえサイクロプスといい勝負をしていたし……。


 ――『分析』。


 俺は【理解】を発動して彼女のステータスを確認した。



【名 前】シルバ

【レベル】24

【種 族】獣人族(トラ)

【職 業】無職

【体 力】123

【筋 力】25

【魔 力】3

【耐久力】18

【素早さ】48

【知 力】2

【 運 】1

【スキル】獣化1



 ――強いな。


 この能力値であれば、ひとりで魔物退治をしていたといっても説得力がある。


「こんなところに小さな英雄がいたなんてな」


 頭をわしわしと撫でてやる。シルバは気持ちよさそうに目を細めた。


「えへへへへ」

”うれしい! 気持ちいい!”


 心の声が表情から読みとれる感情そのままだ。


「でも、これからは無理をする必要はないからな? 家族も心配するだろ」


 シルバの表情が陰った。


「家族は、いるけどいないゾ」

「……え?」

「ふたごのお姉ちゃんだけ。でもお姉ちゃんはもらわれてった。わたしはおばあちゃんのとこに残った」

「ならおばあちゃんがいるんじゃないか?」

「おばあちゃんはおばあちゃんだけどおばあちゃんじゃない」

「哲学?」

「てつがく、ってなんだ?」

「哲学は……、てつがくするやつだよ」

「???」

「すごく難しいってことだ。というか、いまそれはいい。そのおばあちゃんっていうのは、つまり」

「『よーごいん』のおばあちゃんだ」


 ――そうか。


 両親は死んだか行方をくらましたかで、この姉妹は養護院に預けられ、おばあちゃんと呼ばれるおそらくは院長に育てられた。そういうことだろう。


「じゃあ、そのおばあちゃんが心配するだろ」

「おばあちゃんは死んだゾ」

「あ……、す、すまん」


 シルバはいぶかしげな顔をした。


「なんであやまる? 竜の神様の背中に乗って天国へ行っただけだ」

「……そうだな」


 おばあちゃんはシルバが悲しまないようにそう言い含めたのだろう。きっと優しくて強いひとだったはずだ。なんだか胸がつまる。


「おばあちゃんが話してくれた。むかしむかし、べつの世界から悪いお化けがやってきて、このせかいをめちゃくちゃにしたけど、竜たちが力を合わせて閉じこめたんだって。だから悪いお化けを倒せば竜の神様におばあちゃんのところに連れていってもらえるんだ」


 にいっと牙を見せて満面の笑みを浮かべる。


「んぐふぅ」


 そのけなげさにこみあげるものがあり、思わず変な声と涙が出た。目元を手で覆って隠す。


「パパ、大丈夫か? お腹いたいのか?」

「大丈夫。お前は優しいな」


「へへへ」

”褒められた! 嬉しい! 嬉しい!”


 心の声は、やはり素直そのものだった。【理解】の力を得てからというもの表面上の言葉とは裏腹の声ばかりを聞いていたせいか、シルバとの対話に俺は癒やされていた。どこまでもまっすぐな子だ。


 おばあちゃんが話してくれたという物語は図書館で仕入れた神話とも符合する。しかしひとつだけ文献には書いていなかった文言があった。


「『べつの世界』って言ったよな? それってどこのことだ?」

「どこ……?」


 シルバはしばらく考えるような表情をしていたが、やがて目をぐるぐるさせはじめた。


「わからん……。こ、これが哲を学するってことか」

「おばあちゃんはなにか言ってなかったか?」

「『お前はこの話をするとすぐ寝てくれるから楽だね』って言ってた」

「うん、そういうんじゃなく。べつの世界について」

「べつの世界はべつの世界だゾ。出口が開いてお化けが出てくる」


 ――出口が開く……。


 転移の魔法みたいなものだろうか。しかし『べつの世界』とは……?


 王都内に魔物が現れる理由についての答えになりそうな気がしたが、シルバからこれ以上の有益な情報を得ることはできなかった。


 ――寝かしつけの童話じゃしょうがないか。


「いろいろ教えてくれてありがとうな。じゃあ」

「じゃー!」


 俺はシルバに背を向けて歩きだした。


 しばらく歩き、顔を振り向ける。


 シルバがあとをついてきていた。俺ににかっと笑顔を向ける。


 顔を正面にもどし、歩く。足音がついてくる。


「じゃあって言ったよな!?」

「『じゃあこれからなにして遊ぶ?』の、じゃあだろ?」

「そんな文脈じゃなかっただろっ」

「遊ばないのか?」

「帰って仕事がある」

「……そうか」


 しゅんと肩を落とし、しゃがみこんでしまった。ちくりと胸が痛む。


「じゃあな」

「うん、じゃー」


 俺は振りきるように顔をそむけ、歩きだす。


 ちらっと顔だけ振り向けた。シルバはがっくりとうなだれるように地面を見つめている。


 ――くっ。


 俺はぶんぶんと首を振って歩みを早める。


 またちらりと後方を見る。シルバは崩れた家の壁に石で絵を描いていた。小さな獣人と人間が手をつないでいる絵だ。


 ――ああもう!


 罪悪感とか切なさとかやりきれなさがごちゃ混ぜになって爆発した。


「来い! 追いかけっこだ!」


 シルバは耳をぴんとさせてこちらを見た。目がまん丸だ。


「パパ!」


 ぐっとしゃがみこむと飛ぶように駆けだし、矢のような猛烈な速さで距離をつめてくる。


 ――速い!?


 いままで戦ったどの魔物よりも速かった。


 俺は慌てて逃げだした。

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