第10話 なんかたくさんいる

「かえって目立たない? それ」


 人気ひとけのない第七の路地を歩きながら、俺は小声でリュエットに尋ねた。


 彼女は仮面舞踏会でかぶるようなラメ入りのマスクを着けていた。


「手頃なマスクがこれしかなくて」

「そんなマスクが家に転がってるのはさすがだなって思う」


 警戒しながら夜道を進む。


「あの、気になっていることがあるのですが」

「なんだ?」

「ガーゴイルが現れたことをいち早く察知しましたよね? あれは」


 俺はびくりとなった。あのときは色々あって余裕がなかったからぽろっと暴露するようなことを言ってしまったが、冷静に考えてみれば『心の声を聞くことができるスキル』なんて気味悪い以外のなにものでもない。


「……そんなことあったっけ?」

「ありました。まるで助けを呼ぶ声でも聞こえたみたいな」


 ――当たらずも遠からず……!


 というかほとんど正解だ。背中に冷や汗がにじんできた。


「な、なんとなく、虫の知らせというか……」

「確信があるような言い方でしたのに」

「お、俺、昔からそういう奴だから。根拠はないけど強気、みたいな」

「はあ」


 まるで納得していないような声だ。


 俺はくちびるに人差し指をたてる。


「こ、ここからは静かに」


 パトロールにかこつけて俺はリュエットを黙らせた。彼女は口をつぐむ。大人しく従ってくれて助かった。


 路地から顔を出して様子をうかがう。誰もいないことを確認してから、リュエットを手招きして、道を渡った先にある路地に入った。


【理解】の感度を上げる。切羽詰まったような心の声は聞こえてこない。


 そのときだ。


「ふふふ、うふふふふふ……」


 押し殺すような女の笑い声が聞こえ、背筋がぞわりとした。


「うふふふふふ……」


 まだ聞こえる。


 ――女性型の魔物?


 唯一、俺が知っているのはバンシーだ。その叫び声を聞いた者には近く死が訪れるという。


 ――でも笑い声だしな……。


 俺はさらに【理解】の感度を上げる。


「うふふふふ……」


 ――これ……。


「ふふふ……」


 ――違う、これ。


「ふふっ、うふふっ」


 ――リュエットの声だ……!


 俺は弾かれたように振り向いた。


 リュエットは手で口を押さえ、くつくつと笑う。


「静かにって言っただろ……」

「ご、ごめんなさい。なんか、ふふっ、楽しくて」

「楽しいのはなによりだが、いまは静かに」

「はい、静かに。ぶふっ」


 手で顔を覆ってしゃがみこんでしまった。


「ほ、ほんとごめんなさい……! ふすす、真面目にしなきゃって思えば思うほど、ぷふぅ、笑えてきて……!」


 身体が痙攣でもするように震えている。


 ――駄目だ、隠密に向いてない。


 いったん屋敷にもどろうかと考えた、まさにそのときだった。


 路地を誰かが歩いてくるのが見えた。


 小さな、子供くらいの影。


 しかし俺は声をかけることができなかった。


 その影はひとつではない。ふたり、三人――いや、もっと大勢がぞろぞろと集まってきて、やがてひとつの巨大な影となって、こちらに近づいてくる。


 ざっと見たかぎり、十や二十ではない。


 俺は頭のなかで唱える。


 ――『分析』。


 相手のステータスを視界の端に映しだす【理解】レベル2を起動するためのキーワードだ。こうすることで徐々に感度を上げていくことなく、一足飛びに任意の効果を使用することができる。ちなみに【理解】レベル3の、相手の急所を見つけだす効果は『弱点』というキーワードで発動できる。



【名 前】ゴブリン

【レベル】30

【種 族】魔族

【職 業】――

【体 力】2

【筋 力】2

【魔 力】0

【耐久力】2

【素早さ】2

【知 力】1

【 運 】1

【スキル】――



 パラメーターは低い。しかし、数が多い。


 俺はリュエットの手をつかんだ。


「いったん広い道に出るぞ!」

「は、はい。ぷふふっ!」


 まだ笑っている。腰が砕けてまともに走れない彼女の手を引いて、俺は路地を飛びだした。


 しかしすぐに囲まれてしまう。統制のとれた動きだった。


 リュエットと背中合わせになり、俺は刀を抜いて構える。一匹のゴブリンが飛びかかってきた――と思ったら左右からも少し遅れて襲いかかってくる。


「きゃっ」


 リュエットの悲鳴。背後からもゴブリンが飛びかかってきたらしい。俺は正面のゴブリンを斬り伏せたと同時に、左腕でリュエットをかばうようにして身体を入れかえ、刀を振る。


 もう一匹を斬ることはできたが、そこまでだった。左右のゴブリンが俺の腕や脚に噛みつく。


「ぐ、うっ!」


 脚のゴブリンに刀を突き立てる。持ち替えて腕のゴブリンも刺そうとしたが、そいつはぱっと飛びすさり、俺たちを囲む輪にもどった。


 そしてまた四方向からの攻撃。一匹を斬り、リュエットをかばってもう一匹を斬る。そして残りの二匹に攻撃を食らう。


「くそっ」


 一度に倒せるのは二匹。しかしそのたびどこかしらに怪我を負ってしまう。ゴブリンの数はまだ三十匹以上。物量で敵わない俺たちはこのままではじりじりと体力を奪われ、やられてしまうことだろう。


「オグマ、怪我が……!」


 リュエットが切迫した声を出す。これ以上、彼女を怯えさせないよう俺は努めて落ち着いた声で言った。


「問題ない。それより、俺が包囲を破るからリュエットは衛兵隊に助けを――」

「嫌です」


 リュエットは俺を上目遣いでにらむ。


「は?」

「逃げません」


 ぷいっとそっぽを向いた。


「意地を張ってる場合か!? ほんとに強情だな」

「意地でも強情でもありません! ――わたしは英雄譚が好きです。でもひとつだけ、どうしても好きになれないところがあります」

「好きになれないところ?」

「自己犠牲が過ぎるんです。やれ『御身にこの命を捧げます』だの『ここは俺に任せて先に行け』だの」

「それはそういうものだからだろ」

「わかっています。わたしも嫌いではありません」

「どっちなんだよ……」

「かっこいいなって思います。でも同時にやりきれない気持ちになるんです。これがわたしの大事なひとだったらと思うと」


 俺はちょっとどきっとしてしまった。その言い方だと、まるで俺が大事なひとのようだ。


「オグマ、あなたは英雄ヒーローです。しかし、過去の英雄を踏襲する必要はありません。人びとを助け、自らも幸せになる、完全無欠の英雄を目指しましょう」

「でも、この状況では」

「オグマは正面から来る一匹を倒してください。それ以外の三匹はわたしにお任せを」

「お任せってお前」


 ヒーラーになにができるっていうんだ。


 そう言おうとした俺のくちびるに、リュエットは人差し指を立てた。


「大丈夫、信用してください。わたしは初期メンバーですよ?」


 じゃり、とゴブリンが地面を蹴る音がした。思案する暇は与えてくれないようだ。再びリュエットと背中合わせになり、正面から襲いかかってくるゴブリンを両断する。


 残りは左右と背後――リュエットの正面のゴブリンだ。


 ――どうするつもりだ。


 武器も持っていないヒーラーのリュエットが、いくら弱いとはいえゴブリンを同時に三匹も倒せるとは思えない。


 やはり俺がもう一匹を斬り、彼女をかばおうと刀を構えなおした――そのとき。


 夜道が一瞬、昼のように明るくなった。じゅう、と肉でも焼いたような音と、どしゃ、と地面になにかが落ちる音。


「……は?」


 俺は左右に目をやった。真っ黒なかたまりが落ちている。それはほんの少し前、ゴブリンだったものだ。


「な、なにを」

「つぎ! 来ますよ!」


 有無を言わさぬ声色で俺の問いを制する。


 正面のゴブリンを斬り、俺はちらと顔を振り向けた。リュエットの捧げるように伸ばした手がまぶしく輝き、三方向から飛びかかってきたゴブリンを一瞬で焼き尽くした。


 ――範囲攻撃……!


 一匹一匹に対する攻撃力はさほど高くない。しかし複数の、とりわけ低級の魔物にはこのうえなく効果的だ。


 ――行ける!


 俺たちはつぎつぎとゴブリンたちを斬り、焼いた。余裕の笑みを浮かべていたゴブリンの顔が焦りの表情に変わる。やがて残り二匹になったところで、ゴブリンは逃げだした。


「逃がすと思うか!」


 俺は疾駆して一匹を斬り、壁を蹴って跳躍して最後の一匹を斬り伏せた。


 刀を鞘に納め、リュエットのもとへもどる。彼女はどういうわけか緊張――というよりは怯えたような様子で身体を縮めていた。俺に怒られるとでも思ったかのように。


「よくやった。さすが初期メンバー」


 そう声をかけるとリュエットは安堵したように息をつき、口元に微笑みを浮かべた。


「しかしお前、ヒーラーじゃなかったのか?」

「わたしもよくわかりません。この光は弱い力で使うと対象の身体能力を上げることができ、中くらいだと回復を、強い力だとさきほどのように攻撃として使うことができます」


 強度によって効果が変わるのは、少し俺の【理解】に似ていた。


「……思いついた」

「なにがです?」

「リュエットのコードネームだよ。いまのを聞いて閃いた」

「ど、どんな名前ですか?」


 対象を温める優しさと、ときに焼いてしまう激しさ。その両方を兼ね備えた、リュエットにぴったりのコードネーム。


「それは――」

「それは?」


 リュエットが目を輝かせる。俺は満を持して命名した。


「炭火」

「炭火」


 リュエットはオウム返しをした。


「期待したわたしが馬鹿でした」


 呆れたような顔をして、すたすたと歩いていってしまった。俺は彼女を追いながら言う。


「いや、でもぴったりだろ、温度的に!」

「でしたらオグマは今日から『冷水』とでも名乗ればよろしいのでは?」

「なんでだよ」

「わたしの気持ちを鎮火させるのがとてもお上手なので」


 鋭い皮肉。いっそコードネームは『皮肉』でいいんじゃないか――などと言ったら余計にこじれるので言わないが。


 俺は戦場を顧みた。多くの骸が横たわっている。


 ふたつの疑問点があった。ひとつは、ゴブリンは悪知恵に働く魔物だが、あそこまで統制のとれた動きができるものだろうかということ。


 ふたつめは、群で襲ってきたのは偶然だろうかという疑問。最初はサイクロプス、つぎにガーゴイル、そのあと何回かの戦闘を経てゴブリンの群れ。その順番に、なにかしら意図的なものを俺は感じた。


 ――調べてみるべきかもな。


 そう心に決めて、俺はリュエットの背中を追った。

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