第9話 リュエットさんは不機嫌

 俺は第六区画の繁華街で食材の買い出しをしていた。


 英雄を始めた俺は、同時にリュエットの執事にもなった。黒のベストに黒のズボン、首元にはクロスタイといかにも執事然とした服装だが、やっていることはランドールにいたころと変わりない雑用だ。掃除や皿洗い、犬の散歩もする。


 しかしあのころよりもずっと休日が多いし給金も多くて、なんだか申し訳ないような気がする――と思ってしまうのは、まだあのころの刷りこみが残っているからだろうか。


 目当てのタマネギとニンジンを購入して屋敷に引き返そうとしたところ、すっかり仲よくなった野菜売りの婦人が言った。


「オグマ、あんた、『タリズマン』って知ってるかい?」

「へぇあ、へ、へい?」


 俺は思わず間抜けな声を出してしまった。


「知らないのかい? いま王都は彼の噂で持ちきりだよ。全身黒ずくめで、どこからともなく現れて、見たこともないような細い剣で魔物をばっさばっさと斬り伏せてるらしい。いやあ、見あげたもんだね」

「は、はは、そうですね」


 ――あいたたたたたたたたた!


 顔が熱くなり汗が噴きだす。初めて出撃したあの夜は一種の興奮状態にあり、


(かっこよく振り向いて)『タリズマン』(キラーン)


 とか名乗ってしまったが、うちに帰ってから恥ずかしさのあまり寝床でのたうち回った。慣れないのにかっこつけるものではない。


 あれ以降の出撃では名乗っていないのに、タリズマンの名は伝播しつづけている。いくら後悔してもしきれない。


 ――時間を巻き戻したい……!


「ギルドも衛兵隊もお冠らしいよ。ギルドは『仕事が奪われた』、衛兵隊は『プライドが傷つけられた』ってさ。お前らがもたもたしてるからだろって。ねえ?」


 やっぱりそうなってしまったか。これはますます正体がばれるわけにはいかなくなった。


「じゃ、じゃあ、また来るから」


 俺は逃げるように屋敷へ帰った。


 食材を保存庫に仕舞い、犬――以前、俺を出迎えてくれた大型犬で名をタロスという――の散歩に行こうと庭へ出ると、リュエットがテラスでひとりお茶をしているのが見えた。


 昼とも夕方とも言えないこの時間、リュエットはどんなに忙しくてもこの場所で必ず休憩をとっている。


「リュエット、いまから散――」


 俺は言葉を飲みこんだ。彼女は明らかに不機嫌だった。眉を寄せ、むうっと頬をふくらませてむくれている。


 ――一難去ってまた一難……。


「ど、どうした」


 改めて声をかけると、リュエットは目だけちらりとこちらに向けた。


「コードネーム」

「はい?」

「オグマだけ、かっこいいコードネームをつけてずるいです」


 俺はずるいらしい。しかしなにがずるいのかさっぱり理解できない。


「お出かけしたら、皆さん二言目にはタリズマン、タリズマンと。いつの間にそんなかっこいいコードネームを考えてらっしゃったんですか」

「や、やめて。もうタリズマンって言わないで……」


 耳が熱くなって焼け落ちそうだ。


「それに、戦いに出るのはいつもオグマだけ」

「だって危ないし」

「わたしは初期メンバーなのに……!」


 ぎゅっと握った拳がぷるぷる震えている。どんだけ悔しいんだ。


「わかった。じゃあ、リュエットのコードネームを考えよう」

「本当ですか!?」


 ぱっと表情が明るくなる。


 ――とは言ったものの……。


 どんなコードネームをつければいいのか皆目見当もつかない。特徴や特技をモチーフにするのが王道だろうが……。


 思案する俺に期待の目を向け、そわそわするリュエット。散歩前のタロスも同じような仕草をする。やはり飼い主と似るのだろうか。


 ――特徴、特徴……。


「うん、思いついた」


 リュエットは身を乗りだす。俺は彼女のコードネームを口にした。


「銀髪」

「…………はい?」

「だから、銀髪」

「……ふ、ふふ、うふふふふふ」


 リュエットは引きつったように笑った。


「面白い冗談ですね」

「冗談? 真剣だけど……」

「……ご冗談でしょう?」

「だから、真面目だって」

「銀髪はおかしいでしょう! ……おかしいでしょう!」

「なんで二回言う」

「コードネームは暗号名ですよ? 銀髪って見たまんまじゃないですか! どこが暗号なんですか! 丸出しです!」

「淑女があんまり丸出しとか言わんほうが」

「もっとちゃんと考えていただきたいです!」

「わ、わかったって」


 注文が多い。


 ――見たままではない特徴……。


「思いついた」

「なんですか?」

「富豪」

「はい?」

「だから、富豪」

「…………オグマ」

「なんだ」

「いいかげんにしてください」

「駄目か?」

「駄目も駄目! 駄目界の王様ですよ!」

「じゃあ、資産家」

「言い方を変えただけじゃありませんか!」


 リュエットはもどかしそうに手をわきわきさせる。


「もっとこう、スマートな響きの」

「じゃあ、マニア」

「なぜ!?」

英雄ヒーローマニアだから」

「そうですけどもっ。でもかっこよくはないでしょう」

「じゃあ、天然」

「どこがですか! わたし天然じゃありません!」

「強情」

「もはやただの悪口じゃないですか!」


 声を張りつづけたリュエットははあはあ息を荒げている。


「オグマ、絶望的にセンスがありませんね……」

「え、そ、そうかな……?」


 悪くないと思ったんだけど……。


「そのセンスで、どうやったらタリズマンが出てくるんですか?」

「身につけてたから」

「身につけてたから……」


 リュエットは絶望したような声でオウム返しした。


「もう、けっこうです……」


 力ない足どりで屋敷へもどっていった。


 ――……なにが駄目だったんだ?


 俺は首を傾げた。





 リュエットがかしこまった格好で出かけていった。しばらくして帰ってくると書斎にこもり、今度は少し気楽な服装で出かけていく。いつもながら忙しそうだ。


 貿易で財を成したアーデルト家の末っ子であるリュエットは、自身もまた優れた商才を持っていた。織物や装身具を輸入し、王都の貴婦人たちに珍重されているのだとか。


 リュエットを送ってきたラナさん――黒髪のメイド――に声をかける。


「もう日も落ちたのにリュエットはどこへ行ったんです?」


 するとラナさんはじろりと俺を見た。


「リュエット、ですか……」

「い、いや、リュエットが呼び捨てにしろと」

「ええ、知っています。だからやめろとは言いません。しかし、あなたがお嬢様を呼び捨てにするたびにわたしは頭のなかであなたをすり潰しています」


 ――怖い怖い怖い……!


 敵視されているわけではない、と思う。会話には応じてくれるし、丁寧に仕事を教えてくれる。多分、リュエットへの忠誠心が強すぎるのだろう。


「お嬢様は自治会の集まりへいらっしゃいました」

「自治会?」

「祭の打ち合わせで、第七へ」

「祭?」

「なにも知らないんですね。毎年初夏に開催される『竜巡祭りゅうじゅんさい』です」

「へえ、祭の運営にまで手を出してるんですか」

「いえ、そんな単純なものではありません。竜巡祭は竜のオブジェを乗せた山車を引いて王都の全区画を練り歩く一日がかりの催しでしたが、四年前から規模が縮小され、正門から王宮までの本通りのみでパレードが行われるようになりました。お嬢様は第七に活気をとりもどすために、第七独自の祭を立ちあげようとしてらっしゃるのです」


 思わず感嘆のため息が漏れる。なんという行動力だろう。


「すごいですね」

「ふ」


 なぜかラナさんが得意顔をした。


 ――そうだ、ラナさんなら。


「あの、ひとつ聞きたいんですが」

「なんです?」

「リュエットの――」


 ラナさんの片眉がひくりと動く。


「リュエット……」

「あ、いえ、お嬢様の――」


 ラナさんの頬がぴくりと動く。


「呼び捨てにしろと指示されているのでは?」

「あ、はい。リュエットの――」

「リュエット……」


 ラナさんはぎゅっと眉間にしわを寄せた。


 ――どうすりゃいいのよ……。


 いまのやりとりだけで多分、三回すり潰されている。


「ともかく、彼女のコードネ――あだ名、を考えなきゃいけなくて」

「あだ名ですか」

「過ごした時間の長いラナさんなら、なにかいい案を思いつくのではないかと」


 するとラナさんは満足げな表情で「んふー」と鼻から息を漏らした。


「まあたしかに、わたしはお嬢様歴が長いですけども」


 ――お嬢様歴……?


 なんだか気持ちの悪い言い回しだなと思ったが、余計なことを言うとまた想像上の俺がすり潰されるのでやめておいた。


「彼女の特徴をうまく捉えた、スマートでかっこいいあだ名がいいんですが」

「でしたら簡単です」


 ラナさんは天を仰ぎ、腕を広げた。


「神」

「神……」

「次点で奇跡でしょうか」


 腕を組み、うんうんと頷いている。


 正直さっぱり理解できないのだが、俺はどうやらセンスが絶望的らしいので、もしかするとリュエットは喜ぶかもしれない。


「なるほど、参考にしてみます」


 俺は礼を言って仕事にもどった。





 仕事と遅い夕食を終え、そろそろ寝ようかと使用人室に行こうとしたところ、薄く開いた書斎のドアの隙間からランプの明かりが漏れているのが見えた。


 ――リュエット、こんな時間まで仕事してるのか?


 部屋のなかを見た。こちらに背の向いたソファがぎしっと軋む。肘かけに乗った白い素足だけ見えた。すうすうと聞こえるのは寝息だろう。


 こんなところで寝ては疲れがとれない。かわいそうだがいったん起きてもらって寝室に移動してもらおう。


 俺は部屋に入り、ソファを覗きこんだ。


「リュエ――、っ!?」


 思わず言葉を飲みこんだ。


 リュエットがソファに横たわっていた。フリルとレースで飾られたコットンのワンピースを着ている。彼女がいつも着用している寝間着だ。


 そのスカートの裾がずり上がり、脚が付け根まで露わになっていた。けっして太くはないのに妙に肉感的で、透きとおるような白さと美しいフォルムはまるで彫像のようだ。


 ランプの明かりが揺れると、スカートの影になっている奥のほうまで見えそうになり、俺の心も揺れる。


 床にブランケットが落ちていた。かけ直してやろうとブランケットに手を伸ばす。


「んん……」


 リュエットが寝返りを打った。


「っっ!!!!」


 声が出そうになって俺は口を押さえた。どどど、と心臓が激しく踊っている。


 震える手でブランケットを拾いあげ、そっとリュエットの身体にかけた。


 俺はほっと息をつく。リュエットはブランケットをかき抱いた。


「パ……」


 ――うん?


 夢を見ているのだろうか。悲しそうな顔で、くちびるを薄く開く。


「……パ」


 なんと言っているのだろう。俺は口元に耳を寄せる。


 するとリュエットの腕が伸び、俺の頭が抱き寄せられた。


 ――っ!?


 顔の右半分がリュエットの豊かな胸に埋まった。温かくて、柔らかい。まるで羽毛の枕のようだ。しかしこの枕は眠気を誘うどころか、俺の心臓をさらに早く鼓動させる。


 ――こ、これは……、不可抗力。そう、不可抗力だ。


 俺が寝込みに悪戯をしたわけじゃなく、彼女のほうが俺を抱いて離さないんだ。だからもうちょっと、もうちょっとだけ、いいよな……?


 俺は首から力を抜いて、さらに深く顔を埋めようとした。


 そのとき、ちらりとリュエットの顔が目に入った。


 頬が濡れていた。


 しゅ~ん、と興奮がしぼんだ。


 ――なんだよ……。


 そんな顔を見せられてもなお己の欲望を満たすために行動できるほど俺は図太くない。


 リュエットに頭を抱かれた生殺し状態のまま、俺はじっと耐える。


 しばらくして腕がゆるみ、俺はようやく拘束から抜けだすことができた。立ちくらみのように頭がふらふらする。今日一日分の疲れより、いまのわずかな時間で蓄積した疲れのほうが大きいように感じた。


 ソファが短く軋み、俺はびくりとなった。リュエットがまぶたを開き、こちらを見ていた。


「なにをしてるんですか?」

「俺はなにもしてない」


 リュエットは身体を起こす。


「少し仮眠をとろうと思ったら、長く眠ってしまったようです」

「働きすぎじゃないか?」

「仕事のほとんどは信頼できる方に任せていますし、休憩もちゃんととっていますから身体のほうはべつに。今日はたくさんのひととお話したので、どちらかというと気疲れですね」


 ふふ、と笑ってみせる。しかし泣き顔を見てしまった俺はかえっていたたまれない気持ちになってしまう。


 この小さな身体で驚くほどの行動力と活力を見せるリュエットは、胸のなかにどんな気持ちを抱えているのだろう。【理解】のスキルを使ってもそれを知ることは叶わない。


 ――でも……。


 彼女が英雄について語るとき、その表情はとても活き活きしていて、それはきっと彼女の素なんじゃないかと思う。


 リュエットの本棚を思い出す。英雄譚ばかりが目立つ本棚だ。あれが多分、彼女の心の栄養や支えなのだろう。


 ブランケットを畳んで腕にかけ、書斎を出ようとしたリュエットを俺は呼びとめた。


「リュエット」


 彼女は振り向いて小首を傾げる。


「体力はまだ残ってるか?」

「? 残ってますが……」

「上等だ。行くぞ」


 俺は書斎を出る。リュエットは慌てた様子で追ってくる。


「どこへ」

「なに言ってるんだ、初期メンバーだろ? パトロールに決まってるじゃないか」

「パトロール……」


 一瞬きょとんとして、すぐにぱあっと顔を明るくした。


「パトロール! 行きます!」


 子供のようにはしゃぐリュエットを見て、俺は思わず吹きだしてしまった。


 ――誘ってよかった。


 俺たちは連れだって、地下の隠し部屋へ向かった。

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