第8話 王都に現れた英雄
水路の出口から顔を出すと、下方に川が流れていた。どうやらこの地下水路は第六と第七の境に流れる川の護岸につながっていたらしい。
月の明るい夜だった。川面に半月がゆらゆらと揺れている。
そのとき、びょお、と風を切る音がした。同時に頭上を通りすぎていく黒い影。
俺は護岸を駆けあがり、滑空する影を追う。
――鳥の魔物か?
「きゃああああ!!」
女性の叫び声。逃げ遅れたらしい彼女に、魔物は狙いをつけて向かっていく。
「待てコラ……!」
俺は手頃な瓦礫をつかみあげて、走る勢いを乗せて投擲した。
ゴツ、と硬いもの同士がぶつかる音。ダメージを与えられたような気はしないが、魔物は
「いまだ、逃げろ!」
女性はこくりと頷き建物のなかに逃げこんだ。
俺はその建物の上を見あげた。月を背負って、コウモリのような翼を持った魔物がうずくまるようにしてこちらを見おろしている。
俺は意識を集中した。
【名 前】ガーゴイル
【レベル】30
【種 族】魔族
【職 業】――
【体 力】112
【筋 力】30
【魔 力】33
【耐久力】108
【素早さ】37
【知 力】5
【 運 】5
【スキル】石化3
視界の端にステータスが現れる。
翼の生えたゴブリンのような姿。なにより特徴的なのは、その石のような肌だった。
――耐久力が高い……!
自らを石化するスキルを持っているようだ。
ガーゴイルは「ケ、ケ、ケ」と笑うような鳴き声をあげ、俺に向かって滑空する。
「速いっ!?」
鋭い爪が振りおろされる。俺は両腕をクロスしてそれを防ぐ。
キン、と高い音がした。
腕を見る。ガントレットには傷一つついていない。
「すごい……!」
着けているのも忘れるほど軽いのに、すばらしく硬い。
ガーゴイルは翼を羽ばたかせ、空中で静止している。俺は腰を低くして、腰に帯びた刀を抜いた。
月光を照りかえし、ぎらりと輝く刀身。なぜだろう、ステータスを見るまでもなく、
『斬れる』
という確信が俺のなかにあった。
ガーゴイルがふわりと上昇したかと思うと、再び滑空して襲いかかってくる。大きな牙と鋭い爪、凶悪に歪んだ顔が猛烈な勢いで近づいてくる。
しかし俺の心は水を打ったように静かだった。刀を上段に構える。
ガーゴイルの全身がぼんやりと光って見えた。つまり――。
――斬れないところなど存在しない。
ガーゴイルが腕を伸ばす。爪は確実に俺の首元を狙っている。もしも届いたら、簡単に切り裂かれてしまうことだろう。
しかしそれでも俺は恐怖を感じることはなかった。胸のなかにあったもの、それは理不尽な破壊者への激しい怒りだけだった。
――俺は、みんなのささやかな生活を……。
柄を握る手に力がこもる。
――守る……!
爪を半身になってかわし、俺は刀を振りおろした。
「ゲ」
その短い声がガーゴイルの断末魔の叫びだった。
背後でゴゴン、と重いものが落ちる音がした。
顔を振り向けると、左右に両断されたガーゴイルの身体が横たわっていた。刀身はどこも欠けることなく、あいかわらず鳥肌がたつような冷たい輝きを放っている。
刀を鞘に納める。ちん、と小気味よい音がした。
【理解】の感度を上げて周囲の声を確認する。魔物に襲われているような心の声は聞こえてこなかった。現れたのはこのガーゴイル一体だけだったらしい。
――よし。
長居はできない。俺は身を翻し、走りだした。
「待ってください!」
さきほど襲われていた女性が建物から出てきて俺を呼びとめた。反射的に立ちどまってしまう。
「あなたは……?」
俺の名を尋ねているらしい。目だけで周囲を見ると、建物や柱の陰から住人たちがこちらの様子をうかがっている。
正直に自己紹介などできるわけがない。正体など明かしたら、ギルドや衛兵隊に恨みを買って王都にいられなくなるだろう。
俺は女性から顔をそむけて歩きだした。
しかし、すぐに立ちどまる。
リュエットの言葉を思いだしていた。
『英雄の仕事は魔物を倒すことだけではありません。人びとに夢と希望を与えるのも大事な仕事なんです』
守り、救い、夢や勇気、希望を与える。
それはまるで――。
胸当てに触れた。ちょうどこの下にペンダントがある。
――なら、名前は決まってる。
女性に顔を向け、俺は名乗った。
「タリズマン」
俺は返事を待たず、飛ぶように駆けて第七をあとにした。
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