第7話 部屋がえらいことになってる
リュエットさんの提案はまったくの予想外で、俺はぽかんとしてしまった。
「英……雄……?」
「そうです! 英雄――ヒーロー!」
リュエットの小鼻がまたふくらんでいる。
「どこからともなく現れて、王都のピンチをズバッと解決する正義のひと!」
うっとりとした表情で、胸の前で祈るように手を合わせる。
――大変に興奮してらっしゃる……。
本棚をよく見ると、差しこまれている本はほとんどが英雄譚だった。
「英雄なんて、あくまでフィクションだ」
「わたしもそう思います。――いえ、
「……」
「魔物退治はギルドに依頼するか、自警団または衛兵隊に通報するしかありません。しかし、いまこの瞬間、襲われているひとを助けるのに、そんな悠長なことをしていられるでしょうか?」
その考えは俺とまったく一緒だった。
「王都にはもっと自由に、そしてもっと素早く行使できる
リュエットさんは俺を指さした。
「オグマ、あなたです」
「買い被りすぎだ」
「小隊で当たることが常であるサイクロプス級をひとりでねじ伏せておいて、それは謙遜が過ぎるというものです」
たしかに倒しはしたが、自分でもまだなぜ倒せたのかが釈然としないのだ。だからべつに謙遜したつもりはない。しかしどういうわけか、またサイクロプス級――いや、もっと強暴な魔物が現れたとしても、決して負けないだろうという自信はあった。その自信がどこから湧いてくるのかは、あいかわらずわからないわけだが。
「わたしがなぜ『お願い』ではなく『提案』という言葉を選択したかわかりますか?」
「いや」
「わたしも協力するつもりだからです」
「協力……?」
リュエットは本棚の前に移動して、下段、右端から四番目の本を半分だけ引きだした。そしてつぎに上段、左から七冊目の本を同じように引きだす。最後に上から三段目の、ちょうど真ん中の本を引きだした。
ゴ、ゴン、と部屋を揺するような低い音が響いた。
そして、どういう仕掛けになっているのか、ゴゴゴと音をたてながら本棚が横へひとりでにずれていく。
やがて本棚が静止した。本棚のあった場所には、ぽっかりと黒い口が開いている。
「こちらへ」
リュエットは俺にそう言うと、黒い口へ入っていった。
「え、ちょ……!」
慌ててあとを追う。
黒い口の奥は階段になっていた。リュエットの姿はすでに闇に飲まれて見えない。俺は壁を手で触りながら一段ずつ慎重に降りていく。
やがてぼんやりとした光が見えてきた。あれが出口のようだ。
「リュエット……?」
最後の一段を降り、出口を出た。
「……」
俺は言葉を失った。
そこは人間が百人は優に入れそうな広い空間だった。しかし、そんなことに驚いたわけではもちろんない。
壁におびただしい数の武器が隙間なく並べられていたのだ。スピア、ポールアックス、ハルベルト、グレイブ、ショートソード、ツーハンデッドソード、奇妙に湾曲した剣や、棍棒や鎌、モーニングスターまである。
部屋の中心にはリュエットと、その隣にはまるで魔人のような禍々しい雰囲気を醸す甲冑が立っていた。
色は漆黒。パーツは肩と胴、前腕、膝から下のみで構成されている。
しかしなにより目を引くのは兜だった。いや、フェイスガードと形容したほうが正確かもしれない。顔の上半分を覆うプレート、その両端にはまるで竜の角のような意匠が凝らしてある。
「ここの装備、全部リュエットが……?」
「ええ、ちょっとした
『アーデルト家はその昔、巨人族に武器や防具を売って財を成したと言われています』
俺はメイドの言葉を思い出していた。
「こちらの甲冑は特注ですけどね。闇の竜『ウォルフスヴァレス』をイメージしています」
「ウォルフスヴァレスを……?」
「王都エデュセリアの七つの区画は、それぞれ太古に世界を守った伝説の竜たちになぞらえられています。この第六区画は木の竜『ヴィルフレール』、そして第七区画は闇の竜・ウォルフスヴァレス。――広場にあった台座は覚えてらっしゃいますか? 破壊されてしまいましたが、本来はあの上にウォルフスヴァレスの像が建っていました」
「これを着て戦うのか? 英雄にしてはちょっと禍々しすぎると思うが……」
「伊達や酔狂でこのデザインにしたわけではありません」
「じゃあ、どんな意味が?」
リュエットは真剣な顔になって言った。
「ダークヒーローのほうがかっこいいと思って」
「伊達や酔狂じゃねえか」
「で、でも! 強くて優しいけど、ちょっと陰があるヒーローのほうがかっこいいですよね?」
「まあ、わかるけど」
すると彼女はしたり顔で「ふふっ」と笑った。
「やっぱり男の子ってそういうのが好きなんですね」
「甲冑まで作っちゃったひとに言われてもな」
リュエットに初めて会ったときは日だまりのように温かい女性だと思った。そのあと第七の現状を憂う行動力のある女性になり、とてつもない資産家になり、最後はヒーローマニアになった。変遷がダイナミックすぎて頭が追いつかない。
しかし、そんな彼女だからこそこのアイデアを思いつき、実際に形にしてしまえたのだろう。
そして俺はその考え方に共感している。
「でも、仕送りをするために仕事を辞めるわけにはいかない」
「でしたらこの屋敷で働くといいですよ。お部屋も用意しますし」
「そこまでしてもらうのは、ちょっと悪い気がするな……」
「仕事にはそれに見合った報酬が必要です。それに、英雄の仕事は魔物を倒すことだけではありません。人びとに夢と希望を与えるのも大事な仕事なんです。英雄が爪に火をともすような生活をしていて、人びとに希望を与えられるでしょうか?」
「たしかに」
「だから気に病むことはありません。報酬に見合う仕事をしていると胸を張ればいいんです」
俺は感動していた。その言葉は、ランドールで搾取されていた俺にとっては神の啓示よりも価値があるものだった。
「わかった。俺、やってみるよ」
するとリュエットは花のつぼみのように顔をほころばせ、俺の手をぎゅっと包みこむように握った。
「オグマならきっと受けてくださると信じていました!」
「あ、う、うん」
――近い近い近い……!
間近にリュエットの顔がある。きめ細かい肌、ガラス細工のような瞳、柔らかそうなくちびる。これほど近くで見ても一分の隙もなく美しい。それに、彼女の身体からなのだろうか、柑橘類のようなさわやかで甘い匂いまで漂ってくる。
俺はいっぱいいっぱいになって顔をそらした。あのメイドがいたらまた心の声で、
”童貞め”
と罵られるところだろう。
「そ、それで、その……」
リュエットが急にもじもじしはじめた。
「ひとつ、お願いが……」
頬を染め、上目遣いでちらちらと俺を見る。その表情にどきっとしてしまう。
「わ、わたしを、ただの協力者ではなく……」
「きょ、協力者ではなく?」
「お、オグマの……、オグマの……」
その表情、仕草、言葉、すべてが、まるで――。
――告白みたいな……。
鼓動が早くなる。呼吸が苦しくなり、口のなかが渇く。
俺はごくりとつばを飲みこむ。
「オグマの……!」
リュエットはなかば叫ぶように言った。
「仲間にしてください!」
「………………ん? 仲、間……?」
「そう、仲間! 最初の仲間です! いわゆる初期メンバー!」
「………………」
無言でいると、リュエットは泣きそうな顔になる。
「だ、駄目ですか……?」
「ん、いや、いいよ……」
「ありがとうございます!」
彼女は胸に手を当てて目をつむり、喜びを噛みしめている。
――……うん。
よかった。なにがいいのかわからないが、とにかくリュエットさんが嬉しそうでよかった。
そのときだ。
「ぐっ!?」
頭が揺すられるような感覚。同時に流れこんでくる心の声。
『また魔物が!』『いいかげんにしてくれ!』『逃げなきゃ!』『助けて!』
「大丈夫ですか?」
頭を抱えてうずくまる俺の肩に手を載せ、心配そうに覗きこむリュエット。
「ま、魔物が出た……。多分、また第七だ」
「魔物が? どうしてわかるんですか?」
「わかるんだ」
俺は立ちあがり、漆黒の甲冑を身につける。
「借りる」
「いえ、それはもうオグマのものですから」
最後にフェイスガードをつける。傷も隠れるし具合がいい。全面が覆われているのに視界も悪くない。ついでにフックにかけてあった黒いローブを羽織った。フードをかぶれば正体がばれる可能性はさらに減るだろう。
「あと、武器が欲しい。鉈はないか?」
「鉈はさすがに……。でもそれより扱いやすい武器がよりどりみどりです」
壁際を歩きながら武器を見定める。そのなかにひとつ、目を奪われるものがあった。
レイピアのようにほっそりとした剣だった。鞘から抜いてみると、片刃の刀身が顔を覗かせる。背筋がぞくりとするような輝きだ。
「これは?」
「
「こんなに細くて折れないのか?」
「質のよい素材を特殊な技術で鍛えているので、ちょっとやそっとでは折れません」
柄を握った感触もしっくりくる。
「これを持っていく」
「そちらの扉から第七区画のそばに出られます。いまは使われていない地下水路です」
俺は重い扉を開いた。するとどういう仕組みなのか、ランプが奥に向かって走っていくように点灯し、干からびた水路を照らしだした。
「いってらっしゃいませ」
俺はこくりと頷き、駆けだした。
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