第6話 女の子の部屋は緊張します

 それからも俺は頻繁に魔物を退治した。


 サイクロプス級の魔物こそ現れなかったが、第七にはちょくちょく小型の魔物が出没していた。衛兵隊や、場合によってはギルドの依頼を受けた狩猟者などが退治に当たることもあったが、どちらも手続きに時間がかかり、いまこの瞬間、被害を受けている人びとを救うことが難しい。


 だから代わりに俺が退治する。顔を隠し、服装も変えるようにしているから、正体はばれていないはずだ。


 しかし、食堂の雑用係との兼務は大変にきつい。体力的にだけでなく、時間的にも、経済的にもだ。


 魔物は勤務中にも現れる。そのたびなにかしらの理由をつけて現場に向かう。おかげで俺はすっかり『お腹の弱い奴』のレッテルを貼られてしまった。


 魔物と戦うためには装備も必要だ。武器はもちろんだが、仕事着のまま戦って汚したりぼろぼろにしたりするとまずいので防具もいる。だから金がかかる。仕送りも送らねばならない。生活もしなければならない。


 つまるところ、じり貧なのである。


 お昼の繁忙時が過ぎ、俺はバックヤードで休憩をとっていた。テーブルに突っ伏し、目をつむる。


 昨日も夜中に魔物が現れた。すばしっこく捕らえるのに時間がかかり、結局退治したのは明け方だった。なのでほとんど眠れていない。


 ふとギルドで聞いた言葉を思い出す。


『おひとりで? 誰かを雇ったほうが』


 ――そんな金はねえ……。


 第一、ギルドを出し抜いて魔物を退治している俺が、どうしてギルドで仲間を募集できるだろう。それに俺の正体は秘密だ。信頼できる人物でなければ共には戦えない。


 じり貧で、八方塞がりだ。


 ――せめて……、体力を回復しよう……。


「オグマァ!」


 先輩の声がして俺は弾かれるように身体を起こした。バックヤードに先輩が駆けこんでくる。


「お前、あんな、あんな、あんな美人と! なあ! おい!」

「な、なんですか、落ち着いて」

「あんな美人と知りあいなのか!!」

「ええと……?」

「髪が銀色のすげえ美人がお前を訪ねてきてんだよ!」

「ああ、リュエットさん。――というか、第七へ配達に行ったことがあるのに知らないんですか?」

「だ、だって、第七、なんか怖くて即行で帰るから……」


 先輩は頭を抱えてうめいていた。


 それにしてもリュエットさんが俺になんの用だろう。以前、俺から炊き出しの手伝いを申しでたから、そのことかもしれない。


 うずくまる先輩を置いて、俺は店へもどった。


 出入り口付近で所在なさげにしていたリュエットさんは、俺に気がついて笑顔で手を挙げた。


「先日はありがとうございました」


 小麦粉を運んだときのことだろうか。


「いえ、仕事ですので」

「し、仕事!? 仕事なんですか……?」

「ええ、まあ。雑用ですけど」

「ざ雑用!? 雑用であんな大変なことを」


 リュエットさんは興奮気味だ。小鼻がふくらんでいて、とてもかわいらしい。しかしなにをそんなに興奮しているのだろうか。


「今日はどのようなご用件で」

「あ、はい。まさにで」

「ああ、やっぱり」

「やはりお見通しというわけですか」

「ええ、まあ」


 俺たちはほぼ同時に言葉を発した。


「炊き出しの件ですよね」「サイクロプス退治の件で」


 ふたりは顔を見合わせた。


「え? いまなんて?」

「いえ、ですから、オグマさんがサイクロプスを退治――」

「ゲ、ゲフンゲフン!」


 俺はせき払いでリュエットさんの言葉をかき消した。


「サイクロ――」

「ゲフンゲフン!」

「ですからサイクロ――」

「ゲフン! ゲフンゲフン!」

「サイクロプ――」

「ゲフン! ゲェフン!」

「サイ――」

「察してください!」


 のどが千切れそうだ。


 リュエットさんは真剣な表情でこくこくと頷き、


「なるほど。いまのオグマさんは世を忍ぶ仮の姿というわけですね?」


 などと、なんだかよくわからないことを言う。


「いや、食堂で血なまぐさい話はしてほしくないだけです」


 リュエットさんはあごに指を当ててちょっと考えたあと、意味ありげに微笑んだ。


「なるほど。たしかに、ここでする話ではありませんね。では今日の夜、第六区画のわたしの家でお話しませんか?」

「い、いや、あの……」


 彼女ほどの美しい女性から家に誘われたら喜んで訪れたいところだが、あのサイクロプス退治の件がからんでいるとなれば躊躇せざるを得ない。


「あの、なんか勘違いしてません? 俺、サイクロプス云々についてはなにも知りませんよ?」


 リュエットさんは自分の額を指さした。


「顔は隠せていても、おでこの傷までは隠せていませんでしたよ?」


 俺は思わず自分の額を手で覆った。リュエットさんは「ふふっ」と笑った。


「では、夜に」


 そう言い残して店を出ていった。


 ――ばれて、た……。


 俺は先輩がそうしていたみたいに頭を抱えてうずくまった。





『第六区画にあるわたしの家』


 そんな少ない情報で果たしてたどり着けるのかと危惧していたが、道行くひとに尋ねるとすぐに場所を教えてもらうことができた。リュエットさんはちょっとした有名人らしい。


 教えてもらった道を行く。


「わお……」


 リュエットさんの邸宅を目の当たりにした俺は間抜けな声を出した。


 屋敷だ。とてつもなくでかい。ランドールにあった一番大きな学校――たしか三百人くらいの生徒が通っている――と遜色がない。


 もともと身なりのよいひとだとは思っていたが、これほどまでの大金持ちとは考えもしなかった。


「すいませーん!」


 門から屋敷の玄関までがすごく遠い。俺は声を張って来訪を報せる。


 すると、放し飼いになっていた大型犬がウォンウォンと吠えながら駆け寄ってきて、門扉の向こうをぐるぐる回った。その声を聞きつけたのか、玄関のドアが開いてひとりの女性が出てきた。


 黒髪で、すらりとしたメイドだった。背が高い。俺よりも頭ひとつ分は優に高かった。


「どちらさまですか」

「オグマです。リュエットさんに呼ばれて」


 メイドは俺を凝視する。


”聞いたとおり額に傷はあるが……”


 心の声が聞こえてくる。疑われているらしい。


”傷は本物のようだが用心はしておこう。いざとなればすり潰す”


 ――すり潰す!?


 下手なことをするとすり潰されるらしい。物騒を通り越してもはや残虐である。


 メイドがエプロンのポケットに手を入れると、犬が待ってましたとばかりにお座りをする。彼女がとりだしたのは細く切った干し肉だった。犬はそれをぱくりとくわえ、腹ばいになってあぐあぐと噛む。


 そうしてからメイドは門扉を開け、俺を招き入れた。


「こちらへ」


 あとにならって屋敷へ足を踏みいれる。


「おお……」


 思わず感嘆が漏れる。天井の高さやぴかぴかに磨かれた階段の手すり、高級そうな調度品が一気に目に飛びこんでくる。しかしなにより目を引いたのは、正面階段を上りきったところにある壁に掛けられた巨大なレリーフだった。鉄製の七角形で、中央には雄々しい竜の姿が浮き彫りにされている。


「あちらは当家――アーデルト家の象徴である盾です」

「盾? ――にしては大きすぎませんか?」


 大きさもそうだが、重量もかなりのものだろう。成人男性ふたりでも持ちあげることすら難しそうだ。


「巨人族の盾ですので」

「巨人族って、おとぎ話に出てくる、あの?」

「ええ。アーデルト家はその昔、巨人族に武器や防具を売って財を成したと言われています。ですので屋敷には必ず大きな盾が飾られているのです」

「へえ……。って、え? じゃあこんな屋敷がまだほかにあるんですか?」

「こちらはリュエット様の屋敷です。旦那様やご兄弟のお屋敷はもっと大きいですよ」


 メイドは当然のことのように言った。


「はあ……」


 想像を絶する金持ちぶりに、ため息ばかりが出る。


 一歩前に進むと足が深く沈みこんだ。足元を見るとふかふかした絨毯が敷かれていた。


 ――この上で寝たら熟睡できるだろうなあ……。


「絨毯がどうかしましたか?」


 足踏みをして感触を楽しんでいた俺にメイドが尋ねた。


「いつか俺もこんなのが欲しいなあと思って」

「そのサイズですと三百万ミラほどですね」

「三びゃ……!?」


 俺は飛びのいた。


「す、すいません! 踏んですいません!」

「いえ、踏むものですので」


 俺は屋敷に対して畏怖に近い感情を覚えた。入口からしてこうなのだ。あの奥に置いてある壷など割ろうものなら、一生奴隷のように働いても弁償できないのではないか。


 俺はびくびくしながらメイドの後ろについていく。彼女の歩いたあとを正確に追従すればトラブルは起こるまい。


 ――それにしても……。


 俺はメイドの後ろ姿をじっと見た。


 所作がとてもきれいだ。リュエットさんの仕草からは気品が感じられるが、メイドの仕草は研ぎ澄まされている印象だ。背筋がぴんと伸び、歩いているのにまるで床の上を滑っているかのごとく身体がぶれない。


 メイドが急に振りかえった。


「なにか?」

「い、いえ」


「そうですか」

”やはりすり潰すか?”


 背筋が冷たくなる。メイドのなかでは七対三くらいですり潰す方向性が優勢らしい。


 メイドが扉をノックして声をかける。


「お嬢様、オグマ様をお連れしました」


 扉の向こうから「どうぞ」とくぐもった声が聞こえた。


 メイドは扉を開き、目顔で入室をうながす。


 俺はリュエットさんの部屋に入った。


 本がぎっしりと詰まった背の高い本棚、天蓋のついたベッド、床に敷きつめられた毛足の長い絨毯が目に入る。しかしそれらよりも、「ようこそ」と柔らかく微笑むリュエットさんに俺は目を奪われてしまった。


 ゆったりとしたワンピースを身につけ、美しい銀色の髪をサイドでまとめている。外で会うときより少し気を抜いたファッションだった。


 ここから先はリュエットさんのプライベートな領域だと思うと、俺は急に緊張してきた。


”童貞だな”


 メイドの心の声に俺はぎょっとして振りかえった。


 ――なぜばれた!?


 メイドが怪訝そうに眉をひそめる。


「オグマさん? 遠慮せずに入ってください」


 リュエットさんの声が聞こえて俺は我に返った。


「は、はいっ」


 いまのリアクションも童貞臭かっただろうか。


”やはり童貞”


 ――やっぱり……!


「お茶はいらないからね」


 リュエットさんはメイドに声をかける。


「かしこまりました。なにかありましたらお呼びください」


 メイドは頭を下げ、俺を一瞥したあと去っていた。


「オグマさん、どうぞこちらへ」


 リュエットさんは窓際のイスを手で示した。促されるまま座ると、テーブルをはさんだ正面に彼女も腰かけた。


「リュエットさん、お話というのは」


 なにがおかしいのか、彼女はくすくすと笑った。


「そんなにかしこまらないでください。初めて会ったときみたいに砕けた言葉遣いでいいんですよ?」

「あのときは……、失礼しました」

「ほら、また。王都に来ていろいろおありだったんでしょうが、わたしの前ではどうぞ無理をなさらずに。名前もリュエットと呼び捨てにしていただいて結構ですので」

「いや、それは」


 心遣いは嬉しい。しかし、いまさら、照れる。


「ではわたしのほうから」


 リュエットさんは「ん、ん」とせき払いをしてから、柔らかく微笑んで言った。


「オグマ」


 きゅっと、胸を砂糖の矢で打ち抜かれたかのように甘い痛みが走った。


「さあ、そちらの番ですよ?」


 俺は頬を掻いたり髪を触ったり鼻の頭をこすったりしてさんざん躊躇したあと、ようやく口にする。


「りゅ、リュエット」


 すると彼女は満面に笑みを浮かべ、


「はい」


 と返事した。


「これからもぜひ呼び捨てでお呼びください」

「はい」

「ほらまた」

「あ、すいませ――じゃなくて。悪い」

「それで結構です」


 ふふ、と口元に手を当てて可憐に笑った。俺も釣られて笑う。


「はははっ」

「――腹を割って話したいこともありますしね」

「はは――。……は?」


 リュエットが発した不穏な一言に、俺は思わず間抜けな声をあげた。


「腹を割って……って?」


 彼女は不敵に口元を歪めた。


 ――まさか、脅迫?


 いや、リュエットはそんなことをするひとではない――と思う。


 ――心の声が聞こえれば……。


【理解】の感度を上げてみるが、やはり彼女の声は聞こえない。


「オグマに提案があります」

「提案?」

「ええ」


 彼女は俺の目をまっすぐ見つめた。


「どうか王都の英雄になってくださいませんか?」

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