第5話 再会

 水路にかかる橋を渡ると、急に景色が変わった。石畳の道は土がむき出しになり、建物の壁はひび割れ、なかには半壊しているものもある。


 ここが第七区画、通称『第七』だった。


 ――やっぱり王都で災害があったのか?


 しかしそれにしてはほかの区画がきれいすぎる。どうして第七だけ復興が遅れているのだろう。


 ――それに……。


 俺は斜め上を見あげた。偉容いようを誇る王宮の姿が目に入る。


 ――日当たりが悪いな。


 王宮の北側に位置するこの区画は、昼だというのにお日様が届かない。埃っぽく、乾燥しているし、王都の一区画とは思えないすさみようだった。


 くわえて、急に獣人――耳や角、尻尾などがある種族――の姿を多く見るようになった。いや、第七に入ってからはほとんど獣人の姿しか見ていないと言っても過言ではない。


 いろいろな疑問点はあるが、ひとまずは仕事だ。俺は目的地の広場を目指した。


 第七を奥に進むにつれて、ひとの数が多くなっていく。彼らも俺と同じ場所へ向かっているようだった。


 やがてオーナーから目印と聞いてきた石の台座が見えてきた。ランドールにあった水竜の像の台座と同じような形だが、像は載っていない。


「あそこか?」


 台座のあたりを先頭に行列ができている。そこでは頭巾とエプロンをまとった数名の人びとが調理や配給に精を出している。


 鉄板でなにかを焼いていた女性が俺に気がついたように顔をあげ、隣の女性にヘラを手渡してこちらへ走ってきた。


「お待ちしてました。ルーカスさんの使いの方ですね?」

「はい、小麦粉をお持ちしました」


 女性はなにも言わず、じっと俺の顔を見る。


「な、なんですか……?」

「オグマさんですよね?」

「そうですけど、なんで……」

「覚えてませんか?」


 彼女は頭巾をとった。銀色の髪が流れ落ちるように現れる。


「あ、ええと、……リュエットさん!」

「はい!」


 あのときと同じ人懐っこい笑みを浮かべる。


「ルーカスさんのところで働いてらっしゃるんですね」

「はい。――あのときは助かりました」

「いえ、わたしのほうこそパンを食べてもらって助かりました」


 口元を押さえてころころと笑う。


「頑張ってらっしゃるんですね」


 胸がじんとする。リュエットさんのその一言で、この二ヶ月間の出来事がすべて報われた気がした。


 俺はずっと疑問に感じていたことを尋ねた。


「なにか災害でもあったんですか?」

「災害? いえ」

「この区画だけずいぶんと荒れているようですけど」


 リュエットさんの笑顔が少しだけかげった。


「魔物が現れたんです」

「魔物が? 王都のなかに?」


 彼女はこくりと頷いた。この荒れようは魔物が暴れたせいだったらしい。


 しかし王都は高く分厚い壁で囲まれている。ふつうに考えればその内側に魔物が入りこむことなどあり得ない。


「いったいどこから?」

「わかりません。ですから、その……」


 眉がつらそうに歪む。


「この区画の誰かが招き入れたのではないかという、根も葉もない噂もあって……」

「そんな馬鹿な。自分の住む場所を誰が好きこのんで破壊するんですか」

「そうなんです!」


 リュエットさんが急に大声を出し、俺はびくりとなった。


「ほかの区画のようにきらびやかな場所ではありませんが、ここにだって多くの人びとの生活があるんです。それを、心ない中傷で……」


 言葉を詰まらせる。彼女は悔しそうにくちびるを引き結んだ。朗らかなリュエットさんの、静かな怒りを感じる。


「あの、俺に手伝えることがあったら言ってください」

「ありがとう。優しいんですね」


 と、目尻を拭う。


 俺は調理場の近くに荷物を下ろし、第七をあとにした。


 改めてあたりを見回す。崩れた家々、石畳のげた地面、ボロ布のような服をまとうひと、生気のない顔でうずくまる子供――。


『ささやかで、慎ましやかで、ありふれた生活さえできれば俺は幸せだ』


 そう考えていた自分の認識の浅さを痛感した。


 ありふれた生活は、全然ありふれてなどいないのだ。


 荷車は軽くなったのに、俺の心はべつの荷物が積みこまれたように重く苦しくなった。





 それから数日がたった。俺はあいかわらずルーカスさんの店で雑用をこなし、まかないを作り、夜は暖かい布団で眠る。


 そんな平穏な生活を送っていると、ふと第七のことを思い出す。そのたび自分がいかに恵まれているかを身にしみて感じる。


 俺は閉店作業を終わらせ、生ゴミの入った容器を店の裏へ運んだ。首にかけたタオルで額を拭う。


 静かな夜だった。空を見あげても、雲が覆っているのか星ひとつ見えない。


 ――雨が降らなきゃいいけど。


 第七の住人たちが、せめていい夢を見られるように祈りながら俺は店のなかへもどる――いや、もどろうとした。


 そのとき、静寂を切り裂く叫び声が頭を揺すった。


 ――っ!?


 大勢の叫び声だ。俺は声のするほう――表通りへ飛びだした。


「え……?」


 誰もいない。こんなに叫び声が響き渡っているのに、声の主どころか窓から顔を出す者すらいない。


「もしかして、これ……」


 ――心の声か?


 ここしばらく【理解】の感度は下げている。なのにこんなに大きく聞こえるなんて……。


 俺は頭の石に集中し、【理解】の感度を上げた。


 そのとたん、心の叫びが一気に流れこんでくる。


『助けて!』『化け物!』『家が……!』『血が止まらないよう……!』『死にたくない……!』『もういやだ……!』


 ――どこかで化け物が暴れてる……!?


「ぐっ……!」


 頭が割れそうに痛む。


 ――この方向は、もしかして……。


「第七か!?」


 俺は走りだした。


 人気ひとけのない道を飛ぶように駆ける。途中、ギルドや自警団の施設が目に入ったが、すでに灯は落とされていて頼ることはできなさそうだった。


 水路にかかった橋を渡り、第七に入る。


 ――広場か?


 俺は足を止めることなく走りつづける。


「きゃあああああ!」

”嫌、あっち行って! 死にたくない!”


 ふたつの声が重なった。近い。


 広場で巨大な影が動き、ずずん、と地面が揺れる。


 二階建ての建物に頭が届くほどの巨人。丸太のような腕が持ちあがる。その足元には、逃げ遅れたらしい獣人の女がうずくまっている。


 腕が振りおろされる。


 ――間にあわない……!


 そのとき、小さな影が巨人の足元を走り抜けた。その影は獣人の女を抱えて跳躍する。少し遅れて巨人の拳が地面にめりこんだ。


 獣人の女を救った影は、すぐに翻って巨人へと向かっていく。巨人の腹に、脚に打撃を加える。巨人は片膝を地面についた。あんなに小さいのに、すごい力だ。


 しかし。


 巨人が腕を薙ぐように振った。


「ぎゃ!」


 直撃し、短い叫び声をあげて吹っ飛ばされる。建物の壁にぶつかり、地面に落ちた。すぐに身体を起こしたものの、立ちあがることはできないようだった。


「うるるるるるる……!」


 一つ目の巨人に向かい、牙をむき出しにしてうなり声をあげる小さな影――青みがかった深い灰色の尻尾を持った十歳にも満たないような少女。額からは血が流れ、身体のあちこちにも裂傷が見られる。


 俺は彼女のかたわらに立った。凄絶な表情でにらみつけてくる獣人の少女の頭に俺はぽんと手を載せ、微笑みかけた。


「よく頑張った。あとは任せろ」


 すると尻尾と同じ色をした目が虚ろになり、力尽きたかのように俺のほうへ倒れこんできた。


 彼女の身体を支える。


 ――息はしてる。気絶しただけみたいだ。


 俺は上着を敷いて、その上に小さな身体を横たえた。


 そして首にかけてあったタオルを顔にぐるぐると巻きつける。


 ――目立つとろくなことにならないからな。


 俺は周囲を見渡した。ただでさえ荒れていた広場周辺は、巨人が暴れたせいでさらに荒れ果て、廃墟の様相だった。


「てめえ……」


 第七ではささやかで慎ましい幸福を得ることすら難しい。それでも皆、必死で生きている。なのにこいつは――それすらも破壊しようというのか。


 俺は生まれて初めて憎悪に近い感情を覚えた。


 スキル【理解】を発動する。



【名 前】サイクロプス

【レベル】30

【種 族】魔族

【職 業】――

【体 力】233

【筋 力】53

【魔 力】10

【耐久力】27

【素早さ】5

【知 力】0

【 運 】2

【スキル】――



 ――サイクロプス……。


 魔物に疎い俺でも耳にしたことがある。単眼の破壊者。


 俺は首を傾げた。体力と筋力のステータスが俺とほぼ同じだ。ほかに至っては俺のほうが高い。


 ――人間と魔物のステータスは基準が違うのか……?


 そのとき、風を感じた。はっと我に返ると、サイクロプスがまさにいま俺に拳を振りおろそうとしていた。


「うおっ――」


 俺は横っ飛びした。


「――とお!」


 たったいま俺がいた場所に巨人の拳が打ちつけられて、石畳が弾け飛んだ。


 俺はごろごろと転がり受け身をとる。そこに巨人の薙ぐような一撃。上を飛び越え難なくかわす。


 巨大なわりには動きが速い。避けるのは訳ないが、避けつづけるだけというわけにもいかない。


 ――武器、なにか武器……。


 サイクロプスの攻撃をひらりひらりと回避しながら周囲に目を走らせる。


「あれは……!」


 サイクロプスの踏みつけを跳躍でかわしざま、地面に落ちていたそれを手にとった。


 それは鉈だった。この魔物が現れたとき、誰かが護身用に持ちだしたものだろう。


 二、三回、振ってみた。やはりしっくりくる。


 ――ん?


 視界に映ったステータスが書きかわった。



【名 前】鉈

【射 程】1

【物 理】1

【魔 法】0

【命 中】3

【会 心】1

【属 性】なし



 ――武器のステータスまで確認できるのか。


 これを見るかぎり特筆すべきところは命中率くらいだ。サイクロプスの耐久力を考えれば、歯が立たないのは自明だろう。


 ――どうすれば……、どうすればいい……?


 攻撃を回避しながら必死に考える。


 ――どうすれば……!


 サイクロプスの身体の一部がぼんやりと光っている。目やのど、関節のあたりだ。


「ぐぅ……!」


 頭が締めつけられるように痛む。ということはもしや、これも【理解】の一部なのだろうか。ならば、光っているのは――。


 ――弱点か?


 踏みつけを避けると同時に裏へ回りこみ、膝の裏側に鉈で薙いだ。


「――――――!」


 身体がびりびりと震えるような低い咆哮ほうこう


「効いてる! なら……!」


 身体を支えるように地面についた腕を駆けあがり、横に飛ぶ。


 狙うは、のど。鉈の柄を両手でつかみ、力を込めて一閃する。意外なほど抵抗なく、サイクロプスののどは切り裂かれた。


「――――!?」


 豚のような声をあげる。やがてその声も細くなり、ついに地面に倒れ伏す。


 うつぶせに倒れたサイクロプスは痙攣するように震えたあと、ぴくりとも動かなくなった。


「やった……」


 倒してしまった。しかし俺の胸に去来するのは魔物を退治した高揚感よりも、疑念ばかりだった。


 ――なんで倒せたんだ?


 スキル【理解】でステータスや弱点がわかったから。しかしそれだけで、サイクロプスほどの名のある魔物を倒せるだろうか。なぜあんなにも攻撃をかわせたのか。腕を駆けあがるなどという曲芸のような真似ができたのか。


 いや、それよりも、俺のなかにあった、


『このていどの魔物なら容易に倒せる』


 という謎の自信はどこから湧いたものなのか。


 ――これも頭のなかの石のせいなのか……?


 しかしそれだと時期が合わない。ランドールでヘルハウンドを追い払うことができていたのだから。


 事故にあってからわからないことだらけだ。


 建物の陰から獣人たちが顔を出す。そろそろ退避しなければ正体がばれるかもしれない。


 きびすを返そうとしたとき、広場の入口にひとが立っているのが見えた。


 白いガウンを羽織った、銀色の髪をした女性。


「リュ……!」


 俺は口を押さえた。顔見知りに俺がサイクロプスを退治したことを知られるのはまずい。


 リュエットさんはこちらに歩み寄ってきた。横たわるサイクロプスに目をやる。


「もう、死んでいるんですか?」


 俺はこくこくと頷く。


 彼女はむくろのかたわらにしゃがみこみ、そっと手で触れた。悲しそうな、哀れむような表情だ。


 彼女はまた俺に尋ねた。


「怪我人がいると」


 俺はさきほど救った銀の尻尾の少女を指さした。リュエットさんは彼女のそばに膝をつき、髪を撫でてから身体に手を置いた。


 ふわっとリュエットさんの髪が揺れ、周囲が光に包まれた。そこにだけ朝がやってきたかのような柔らかく温かな光だ。


 と、同時に、少女の裂けた皮膚がみるみるうちに塞がっていく。


 ――治癒魔法……。


 ステータスを見ることができないからはっきりとは言えないが彼女はヒーラーらしい。


「リュエット様!」


 獣人の男が駆け寄ってくる。


「うちのやつも看てやってくれ! 意識がねえんだ!」


 こくりと頷き、男のあとを追う。一度立ち止まってこちらを見たが、俺は顔をそらし、そのまま第七をあとにした。

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