第4話 やりすぎました
王都エデュセリアの北東には三つの山がある。その真ん中の山の山道にヘルハウンドは出没するらしい。そのせいで北東からやってくる旅人、あるいは北東へ向かう旅人は山を大きく迂回しなければならない。
日もすっかり暮れたころ、俺はその山道へやってきた。夜空に浮かぶ満月があたりを青白く照らしている。風はなく、聞こえてくるのは虫の鳴く声と俺の足音だけだ。
山道を進んでいくと道が二手に分かれる。左は中腹を進む道、右は山頂へ向かう道だ。右の道は木々が鬱蒼と生い茂っており、洞窟のように暗い。
その暗闇のなかに小さな赤い光がふたつ浮かんでいる。
――あれは……。
赤い光がゆらりと動く。暗闇の一部がちぎれたかのように、真っ黒な身体をしたなにかが月の光の下に現れた。
――もしかして……。
それは赤い目、真っ黒な体毛の巨大な犬だった。
――やっぱり!
「野犬じゃん」
俺は拍子抜けした。
依頼書には『犠牲者数は十一名。それも身体の一部しか見つかっていない。実際の数はもっと多いものと思われる』と書かれていただけでなく、『獰猛』『邪悪』『人食い』などというおどろおどろしい言葉で装飾されていたためどんな化け物が出てくるのかと思いきや、現れたのはただの野犬だった。
まだランドールにいたころ、薪割りをしていると裏の林からこいつがちょくちょく顔を出して邪魔してくるので、たびたび
たしかに見た目は怖いが、けっこう憶病な性格だと思う。人食いとか、噂が広まるうちに話に尾ひれがついただけなのではないか。
しかし、いま目の前にいる野犬はよだれを牙のあいだからぽたぽたと垂らしており、俺を獲物と認識しているのはまちがいない様子だ。
「仕方ない、やるか」
俺は骨董品の銅剣を抜き、二、三回振ってみた。
――う~ん……。
しっくりこない。いっそ鉈を買えばよかった。冒険者だからと剣にしたのは失敗だった。
「グルァ!」
野犬が焦れたように飛びかかってきた。
「うわっ」
とっさに銅剣を振る。
「ギャン!!」
野犬の上半身と下半身が別々になって地面に落ちた。
「びっくりした……」
思わず真っ二つにしてしまった。
――ん?
地面にきらりと輝くものが落ちている。
それは銀の指輪だった。切断した野犬の身体からまろび出たもののようだ。
「ほんとにひとを食ってやがるのか……」
しかし、こいつ一匹で十を超える人数を食っただなんてちょっと信じられない。
――まだいるんじゃないか?
俺は額の奥にある石に集中した。意識が
なにか聞こえる。おそらく心の声だ。仲間の野犬のものだろう。動物の言語はわからないから内容は知れないが、近くにはいるようだ。
それも、あと二匹。
――ということは……。
俺は指を折った。
――三十万ミラが三頭で……。
「九十万ミラ……!?」
単純に頭数でかけ算ではないかもしれないが、手間が増えるのだから上乗せくらいはしてもらえるかもしれない。
俺は銅剣を握りなおし、野犬探索を開始した。
翌朝、俺はギルドへ赴いた。
受付の女性は無表情のまま言う。
「賢い選択だと思います」
「ん? なにが?」
「山へは行かなかったんでしょう? 命あっての物種ですからね」
ロビーの冒険者が忍び笑いをする。
「幸い、まだ時間も早いですから、難度の低い依頼もいくつか残っています。そちらを紹介しましょう」
「それは助かるけど、まず報酬をもらいたい」
彼女は眉間にしわを寄せた。
「前払いはしませんが」
「そうじゃなくて」
俺は革袋を開いた。なかには退治した野犬の尻尾が三本入っている。
「昨日受けた依頼の報酬だよ」
女性は革袋のなかを覗きこむ。尻尾を持ちあげて、ためつすがめつする。
「た、たしかに、ヘルハウンドの尻尾ですね……。それも三頭分」
ロビーがざわっとした。
「……あなたがやったんですか?」
「もちろん。ひとを雇う金はないと言ったろ。というか雇うまでもなかったけど。――それより、三頭も倒したんだし少し報酬が上がったりする? いや、上がんなくても文句はないけど」
「ちょ、ちょっと上司と相談させてください」
女性が離席しようとしたところ、
「んなわけねえ!」
と、ロビーのほうで大音声が響いた。声の主は、昨日、言葉を交わしたあごに傷のある冒険者だった。
「ヘルハウンドをそんな粗末な剣で倒した? ひとりで? しかも三頭! そんな馬鹿な話があるか!!」
「まあたしかに野犬とはいえ油断したら危ないけど、俺は慣れてるし」
「ヘルハウンド退治に慣れてる!?」
傷の冒険者はたじろぐような素振りを見せたが、すぐに立ちなおって不敵に笑った。
「ホラがばれたな。話を盛りすぎだ」
「盛りすぎ……?」
俺はなにを盛ってしまったのだろう。
「どこからかヘルハウンドの尻尾を用意して持ってきたってところだろう」
「どこからだよ」
「知らねえよ! 博物館? とか? じゃねえの!」
「そんなふわっとした感じでひとを盗人呼ばわりするなよ」
「だったらやってないことを証明してみろよ!」
「アホか。ないことの証明なんかできるわけないだろ。ないんだから。疑うならそっちがやったことを証明しろよ」
「正論言うんじゃねえ!」
話にならないとはこのことだ。俺は彼の相手をやめて、受付の女性に言った。
「で、報酬は」
「すみませんが払えません」
「はい?」
「こちらもにわかには信じられません。そんな粗末な装備でヘルハウンドを三頭も。しかも怪我ひとつ負わずに」
「いや、ほ、本当だって! そ、そうだ」
俺はポケットから指輪をとりだして見せた。野犬の腹から出てきたものだ。
「これが腹から出てきた。多分、犠牲者のものだ。調べてもらえればわかる」
「指輪まで盗んでやがったのか」
傷の冒険者が言った。
「ち、違っ……!」
敵意と懐疑の視線が四方八方から突きささる。
俺はじりっと後ずさり、ギルドを飛びだした。
ひととひととのあいだを走り抜ける。これでは窃盗を認めてしまったかのようだが、いずれにしろあの場所にとどまったら取り押さえられて自警団に突きだされたことだろう。ならば逃げたほうがましだ。
――どうしてこんなことに……。
当座の金を稼げれば十分だったのに、欲張ったのが悪かったのだろうか。冒険者や狩猟者の真似事なんて慣れないことをやったからだろうか。
やっぱり俺は目立たず慎ましく暮らすべき人間のようだ。
◇◇◇
王都に来てから二ヶ月がたった。
ギルドの一件で出鼻をくじかれてしまったが、あのあと俺は小さな食堂の雑用係の仕事に就くことができた。俺が犯罪に手を染めたという噂や手配書が出回ることもなく、平穏無事に過ごしている。
もともと雑用係のようなことをやっていた俺はすぐに仕事に慣れ、いまでは従業員へのまかないを任されるまでになった。
「オグマの料理ってさ、なんかお袋の味を思い出すんだよなあ」
と、先輩のコックがしみじみと言う。
「そうですか? どっちかって言うといま
エプロン姿のウエイトレスが言う。
意見が割れるのも無理はない。提供する相手によって味を変えているからだ。
故郷を離れて寂しい思いをしている先輩には故郷の味で、おしゃれで流行に敏感なウエイトレスの女性には王都で話題になっているレストランを参考にした味つけで提供してる。
彼らの好みは【理解】を使って探った。このスキルは誰かに喜んでもらうために使うほうがいいようだ。相手は喜び、喜んでもらえれば俺も嬉しい。自分の欲望のために使うとろくなことにならないのは証明済みだ。
スキルは王都民として溶けこむのにも役立った。
田舎者の俺は服装や仕草などが明らかに洗練されておらず、それが、理由もなくにらまれたり
コミュニケーションで失敗するたびに【理解】を使い、なにが相手を不快にさせたのかを探って自分を磨いていった。
髪型を整え、服のしわを伸ばす。ひげは剃り、爪はきれいに切る。しゃべるときははっきりと笑顔で丁寧に。
その結果、いまでは以前のように舐められることは滅多になくなった。ようやく王都になじむことができ、悪目立ちすることなく、ふつうの生活が送れるようになった。
――ささやかで、慎ましやかで、ありふれた生活さえできれば俺は幸せだ。
うまそうに俺の料理を食べるふたりを見る。
そうだ、金を貯めて王都で食堂を開くのもいいかもしれない。母さんと弟妹たちを呼び寄せてみんなで暮らすのだ。
俺がコックをやって、母さんに補助をしてもらい、妹はウエイトレスを、弟は……まだ小さいが、皿洗いくらいはできるだろう。
家族四人では経済的にぎりぎりかもしれないが、それでもきっと幸せに違いない。
コック見習いになったばかりだから、まだまだ先の話になるだろうが。
「そういやオグマ、ランドールから来たって言ってたよな?」
先輩が言った。
「ええ。それが?」
「魔物が出て、住人が全員避難したらしい」
「え!?」
「なんつったかなあ。――ヘル……なんとか」
「ヘルハウンドですか?」
「それそれ。辺境だからって油断してたのかねえ。お前は運がよかったな、こっちに来てて」
「……」
俺の運がよかった? いや、俺がいなくなったことこそが原因なのだ。
――あの野犬、やっぱりヘルハウンドだったのか……。
「なんか領主の屋敷がめちゃめちゃにされたらしい」
「ガルダ……、領主は無事だったんですか?」
「怪我人が出たって話は聞いてないな」
「そうですか……」
俺はほっとした。いくら俺をいけ好かない人物でも怪我などされたらさすがに気の毒だ。
そのとき、オーナーのルーカスさんが入ってきて先輩に声をかけた。
「おい、ちょっと『第七』に小麦粉を届けにいってくれないか」
「え、俺ですか? ええと、あの……」
「なんだ、嫌なのか?」
「嫌ではないんですけど。――そうだ! オグマが行けよ。まだ行ったことないよな」
俺は皿洗いの手を止めた。
「はい、俺でよければ。でも第七って……?」
「王宮の北側にある……まあ、町だよ」
オーナーはちょっと言いにくそうに言った。
「そこで定期的に炊き出しをしてる方がいてな。うちからもたまに食材を提供してるんだ」
「炊き出し、ですか」
俺が王都にやってくる前に、なにか災害でもあったのだろうか。
倉庫に保管されていた小麦粉の袋を荷車に積み、俺は第七と呼ばれる町へ向かった。
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