第3話 ギルドが見つからない
王都エデュセリアはひとでごった返していた。
本通りはランドールの道幅の三倍はある。にもかかわらず、ランドールとは比べものにならないほど密に人びとが行き交っている。
田舎の村とランドールしか知らなかった俺は、あまりのひとの多さに頭がくらくらした。
エデュセリアに着いたばかりでまだ疲労感はあったが休むわけにはいかなかった。給料の八万ミラの大半をすでに田舎の家族へ送り、残りの金は旅支度に消えた。当座をしのぐ金が必要なのだ。
手っとり早く稼げるのはギルドだ。しかしそのギルドがどこにあるのか皆目見当もつかない。
「あ、あの……」
道行くひとに声をかけるが、みんな知らぬ顔で通りすぎていく。なかには俺を見て露骨に舌打ちをする者もいた。
――都会
俺はなんだか息が詰まってしまい、せまい路地に逃げこんだ。壁にもたれてしゃがみこみ、ため息をつく。
山河亭の主人は王都に行けば報われると言ったが、本当だろうか? しかし疑ったところでいまさらランドールにはもどれないし、田舎に帰っても仕事はない。
やはり俺はここでやっていくしかないのだ。
服の上からペンダントのタリズマンをつかむ。
「大丈夫、やれる。なんとかなるさ」
脚に力を入れて立ちあがると同時に腹がぐううっと鳴った。
「ふふっ」
笑い声。俺の声ではない。女性の笑い声だ。
俺のほうへ歩み寄ってくるほっそりとした影。その姿が陽光に照らされた。
光を発しているのかと見まごうような見事な銀髪と、それに負けない輝くような笑顔に、俺は思わず目を奪われた。
身なりのよい女だった。白を基調にしたワンピースは大きく肩が出ている。コルセットのせいで豊かな胸がさらに強調されて見えた。
「お腹、減ってるんですか?」
高くもなく低くもない、おそらくメゾソプラノくらいの、さらりとした心地のよい声。まるで木綿のような声だと俺は思った。安心する響きだ。
「ちょうどよかった。これを差しあげます」
と、俺のかたわらにしゃがみこみ、腕にかけたカゴからパンをとりだして俺に差しだした。
「ココおじさんのパンです。すごくおいしいんですよ。外はカリッ、中はフワッとしていて。わたしこのパンが大好きで、三日食べないと夢に見ちゃうんです」
ちょっと照れくさそうに笑う。
都会の洗礼を浴びて参っていた俺にとって、彼女の優しさはまるで日だまりのようだった。
――やばい、ちょっと泣きそうだ。
俺は立ちあがり、声が震えないように腹に力を入れた。
「いや、そんなに大好きならあなたが食べてくれ。それよりギルドを知らないか?」
「知っています。エデュセリアのひとではないのですか?」
「今日、ここに来た。当座の金が必要なんだ」
「ふむふむ」
彼女はこくこくと頷いた。
「なら、まずパンを召しあがってください」
――なにがどう『なら』なんだ……?
疑問が顔に出たのか、彼女は説明した。
「ギルドにいらっしゃるということは、これから一仕事なさるのでしょう? 腹ぺこではよい仕事はできません。ですからこのパンをどうぞ」
なるほど、理屈はわかった。しかし、再出発の一歩目から他人に施しを受けるのは幸先が悪い。
「もらう理由がない」
「わたしがあげたいからです」
「でもそのパン、好きなんだろう?」
「好きですよ。だからお裾分けしたいんです」
「じゃあ金を払う」
「到着してすぐギルドに向かわねばならないようなひとからお金はとれません」
「パン一個分くらいの金はある」
「いりません」
「しかし」
「どうぞ」
――押しが強え……!
にこにこと柔らかな笑みを浮かべているが、その意志は岩のように頑強だ。
「もらえないと言ってるだろ」
「そうですか……」
彼女はようやく身を引いてくれた。
と、思ったら。
「なら、ギルドへは案内できません」
朗らかな笑顔のまま言った。
「そ、それとこれとは話がべつじゃないかっ」
「もはやそういう話ではないんです」
「いやそういう話だろ……!」
「パンを食べてギルドへ行くか、パンを食べずに一生王都をさまようか……。ふたつにひとつです」
――脅迫……!?
しかも脅迫する側にメリットがひとつもなく、脅迫を受ける側がメリットを拒むという訳のわからない構図だ。
あと、いくら俺が田舎者でも一生はさまよわない。
「さあ、覚悟を決めてください」
――なんの?
なぜそんなに必死なんだ。頑固が過ぎる。いや、俺が頑固なのだろうか。よくわからなくなってきた。
「頑固な方ですね……」
「そっちこそ……」
無言のまま向かいあう。双方、一歩も譲らず膠着状態だ。
沈黙を破ったのは彼女のほうだった。
「わたし、小食なんです」
「……」
「だからいつもパンを半分残してしまって。ふだんならお付きの者に食べてもらうんですが、今日はあいにくと不在で。――ああ、このままだと、パンが無駄になってしまいますね」
演技がかった仕草で天を仰ぐ。
「そ、そんな、もったいない。夜にまた食べればいいだろ」
「ココおじさんのパンは焼きたてが一番おいしいんです。ほら、こうしているあいだにもどんどんおいしさが逃げていく」
「くっ、卑怯な……!」
俺自身にもなにが卑怯なのかはさっぱりわからない。空気に飲まれてしまっている。
彼女はパンを半分に割った。
「わたしはここでパンを半分食べます。――この残ってしまう半分を、誰かが食べてくれたら助かるのですが……」
食べ物を粗末にすることはできない。
「……仕方ない。いただこう」
俺は折れた。すると彼女は笑顔をさらに華やかにした。
パンを口に運ぶ。外側は香ばしく、なかはふんわりとして甘い。田舎のパンも素朴でうまかったが、このパンは非常に洗練された味がした。
俺の隣でパンを食べていた彼女も満足そうな表情を浮かべていた。
――このひとは、どんなことを考えているんだろう。
優しくて、朗らかに見える彼女は、心のなかもそうなのだろうか。
俺は彼女を横目で見ながら、頭のなかにある石に意識を集中する。
彼女は俺の視線に気がついてこちらを見た。
「どうかしましたか?」
”■■■■■■”
――……ん?
心の声が聞こえない。
「いや、うまそうに食べるなと思って」
彼女は気恥ずかしそうな顔をする。
「え、いやだ、わたし食いしん坊ではありませんよ? 小食って言ったじゃないですか」
”■■■■■■■■■”
やはり聞こえない。なにか言っている気配はある。しかし厚い壁を隔てているかのようにくぐもって聞きとることができない。
それなら。
俺はさらに意識を集中する。視界の左側に文字列が浮かびあがる。
【名 前】■■■■■
【レベル】■■
【職 業】■■■■
【体 力】■■
【筋 力】■
【魔 力】■
【耐久力】■
【素早さ】■
【知 力】■
【 運 】■
【スキル】■■■
ほとんどなにも表示されなかった。
こんなことは初めてだった。王都に到着するまでのあいだ、【理解】のスキルはずいぶんと役立った。法外な料金を要求しようとする辻馬車は事前に排除できたし、山道を行くときも山賊を避けることができた。【理解】の感度を上げ下げすることもうまくなり、スキル自体もかなり習熟したと思う。
なのに聞こえない、見えない。
「大丈夫ですか、ぼうっとして」
彼女が俺の顔を心配そうに覗きこんでいた。
「そういえば、よくしてもらったのに名前を聞いてなかったなと思って」
「すみません、名乗りもせずに。――わたしはリュエット。リュエット・アーデルトと申します」
「俺はオグマ」
「素敵なお名前ですね」
「そっちも」
「また心にもないことを」
などと笑う。
そのあとリュエットさんにギルドまで案内してもらった。
「では、またいつか」
彼女は俺に手を振って、人混みへまぎれていった。
リュエットさんの姿が見えなくなってからも、俺はそちらの方向をじっと見つめつづけた。
彼女が言うように、またいつか会うことはあるだろうか。もしまた会うことがあるのならそのときは、何者でもない腹ぺこ野郎ではなくて、もう少し立派になって再会したい。そして恩返しができればと思う。
――目標ができた。
大金持ちになるとか名を上げるとか、大それた目標じゃない。でも俺にはちょうどいいサイズの目標に思えた。
――頑張ろう。
俺はギルドの扉を開いた。
◇
ギルドはこざっぱりとしていた。
――銀行みたいだな。
正面の木製カウンターが窓口になっていて、制服の女性が座っている。手前のロビーにはベンチが設置されており、冒険者や狩猟者らしき者たちが腰かけていた。
俺はまっすぐ窓口に向かう。
「すみません、あの」
受付の女性は顔をしかめる。
「番号札をとってお待ちください」
窓口の脇に数字の書かれた木札が置いてある。俺は言われたとおり、十四番と書かれた札をとってロビーのほうへもどる。
俺を見てベンチの冒険者たちが眉をひそめたり、せせら笑ったりしている。
――ちょっとミスっただけだろ。
受付の女性もそうだったが、そんなに嫌な顔をしなくてもと思う。
ベンチの端に腰をかけようとしたとき、受付の女性が声をあげた。
「番号札十四番でお待ちの方」
――すぐ呼ぶのかよ!?
じゃあなんで札をとらせた。なんだこの無駄な一手間は。杓子定規すぎるだろ。
しかし金が必要な俺にとってギルドは命綱みたいなもの。トラブルを起こして仕事を振ってもらえなくなってはまずい。
俺は満面に笑みを形作って窓口へ行く。
受付の女性は抑揚のない硬質の声で言った。
「当ギルドに登録をご希望ですか?」
「それと手っとり早く金がもらえる仕事を」
「皆さんそうおっしゃるので、割のよい依頼は残っておりません」
「なんでもいい」
「……ヘルハウンドの退治でしたら」
「なるほど、ヘルハウンド」
とは言ってみたものの、モンスターに詳しくないのでよくわからない。ちょっと見栄を張っただけだ。
「じゃあそれで」
受付の女性が目を丸くした。彼女が表情を見せたのはこれが初めてのことだった。
「いいんですか?」
「いいけど……。金はもらえるんだろ?」
「退治すれば」
「なら問題ない。ちなみにいくら?」
「三十万ミラです」
「本当に!? やるやる!」
ランドールのギルドでは考えられないくらいの高額だ。懐が一気に暖かくなるどころか三ヶ月は食うに困らないし、家族への仕送りも多めにできる。
女性は俺の腰のあたりをじろりと見た。
「見たところ装備が心許ないようですが」
俺が装備している武器は、ランドールの質屋で買った古い銅剣だ。
「剣は剣だし、大丈夫だろ」
「お連れの方は?」
「いないけど」
「おひとりで? 誰かを雇ったほうが」
「そんな金はない」
「本当にやるんですか」
「やる」
彼女はゆるゆると首を振った。
「忠告はしました」
「それはどうも」
「恨まないでくださいね」
意味がわからず、俺は肩をすくめた。
登録を済ませ、依頼の詳細が書かれた用紙を受けとり、出口へ向かう。
「かわいそうによ」
通りすぎる瞬間、あごに大きな傷のある冒険者がぼそっとつぶやくように言った。しかし言葉とは裏腹に彼は嘲笑を浮かべていた。ほかの冒険者たちも似たり寄ったりの顔だ。
いい仕事をとられたものだから悔しがっているのだろうか。俺は手を挙げて声をかけた。
「すまんな、お先だ」
冒険者は眉をひそめたあと「はんっ」と笑った。
「ああ、先に
「どうも」
挨拶を返してくれるとは思いもしなかった。意外といい奴かもしれない。
俺は意気揚々とヘルハウンドが出るという山道へ向かった。
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