今夜だけは寝なければならないのに
史澤 志久馬(ふみさわ しくま)
どうしても眠れない。
20XX年冬、僕は人生初の重大な局面に立たされていた。
明日は、大学の二次試験の当日でなのである。
正直な話、大学入試が人生において本当に重大になるのかと言われるとよくわからない。僕も最初は、受験勉強なんかを一生懸命するつもりは無かった。この大学を受けるのを決めたのだって、親と教師に勧められたのがきっかけだ。
それでも、大学について調べを進めるにつれて、不思議なことにその大学への熱意は高まっていった。小さい頃から漠然と「かっこいい」と思っていた薬剤師に、実際になれる道が開ける。
だから僕は受験を決めた。今まで大した選択もハードルも乗り越えてこなかった僕にとって、最大の決断であり覚悟だった。
受験期を回想するのはやめにして、現在の話に戻る。僕はこれまでの一年間、自分にしては真面目に努力してきたつもりだ。当日、万全のコンディションで臨めば、十分にほかの受験生と勝負できる自信もあった。
受験のために一人で泊まるホテル。夕食を食べるとほどよい眠気が訪れ、僕は今日もいつもと同じように安眠することができると確信した。
参考書をベッド脇のテーブルに置き、床についたのが午後11時過ぎ。まぶたは重く、僕は復習をするのはやめにして電気を消すことにした。
しかしここで、僕に一つの大きな問題が生じることになる。
さあ僕、眠たいのだろう。さっさと眠りにつくが良い。さもないと明日寝不足の状態で入試を迎えることになる。
ほら、眠たい、眠たい。眠たいな。ほら、寝なければ、寝なければ。
……どうした、僕。眠たいんじゃ無かったのか。いや、確かに眠たい。慣れない移動で疲れ、体も脳も睡眠を求めている。
しかしようやく眠れると思ったそのとき、突然心臓の鼓動が速まった。せっかく睡眠方向に向かっていた体がこちらへ戻ってくる。
なぜだ?もしかして自分は、柄にも無く緊張しているのか?……いや、そんなことは関係ない。寝なければ、寝なければ。
僕はこうして、眠りかければ目が覚めて、また眠くなれば呼び戻されるというスパンを何度も繰り返した。ようやく眠りについた時、時計は……残念ながら何時を指していたか分からない。
いやそれにしても、今夜ばかりは本当に眠れないかと思った。次の日目が覚めた僕は、そうホッと胸を撫で下ろした。外はまだ暗いが、結構長い時間寝た気がする。まあ、4時か5時くらいなら起きて復習すれば良いしね。
僕はいつもの癖で、枕元のスマホのボタンを押し、時計を見た。
午前1時。
……はい?
だって、確かベッドに入ったのが11時で、そこから寝られなかったからきっと眠りに落ちたのはもっと遅い時間だろう。
ということは、僕がこれまで寝たのは2時間以内、いや、下手したら1時間も無いかもしれない。あんなに寝たつもりなのに、なんてことだ。まだ起きるわけにはいかないだろう。ほら、もう一眠りするんだ僕。
っつうか、なんでこんな時間に外から車の音が聞こえるんだよ、うるせえな。都会の宿命だってか?関係ねえ。ああ、耳栓でも持ってくればよかったな。そうしたら目覚ましが聞こえないか?いや、この状況で目覚ましも何も無いだろう。
いっそのこと諦めて参考書でも見るか。いや、でも明かりなんてつけたら余計に目が冴えそうだ。
30分くらい経ったかな?今何時だろう。……まだ1時10分かよ。時計壊れてるんじゃねえのか?
しまった、眠れないストレスで言葉遣いが荒くなっている。さあ、落ち着いて。よく考えろ、ただ眠れば良いだけだ。普段の授業中なんか、寝ようなんて思わなくても自然と眠りにつけば良いではないか。ほら、あの子守歌先生の声でも思い浮かべながら……。
はっ、寝ていた。いいぞいいぞ。さすが子守歌先生。やはり生徒を寝かせるのに関して才能をお持ちでいらっしゃる。さて、時刻は……1時40分。はあ。やっぱりまだまだ日が昇るには時間がありすぎる。一体どうすれば……。
そうだ、ここには最強兵器、スマートフォンがある。これで調べれば良い。「眠れない時」検索っと。
はいはい?「眠れないからと言ってスマホの画面などを見ていると、ブルーライトの影響で余計に目が覚めてしまいます。」ってうるさいな。先に教えてくれよ。もう遅いよ。
えっと、「睡眠の環境を整える。湿度、温度などが睡眠には関わってきます。」でも、別に暑くも寒くもないしな。乾燥も特に感じない。「ホットタオル」「リラックスする香り」そんなもん受験会場に持ってきているはず無いだろう。
おっ、使えそうなことが書いてあるじゃないか。「1日くらい寝ていなくてもパフォーマンスは変わりません。試験や試合などの大事なときには、緊張によりアドレナリンが分泌されるのでむしろ目が冴える場合がほとんどです。」ほう。それなら明日試験中に寝ることは無いかな?確かに、模試の時は寝不足でも寝なかったもんな。「どうしても眠れない場合は、寝なければと自分を追い込むのでは無く、目を閉じて横になるだけでいい、と思っておきましょう。実際に目を閉じて横になるだけでも多くの情報が遮断され、睡眠に近い効果が得られます。しかも、目を閉じているだけで良いと思っていると、不思議と眠りにつけるものです。」マジで?本当か嘘かわからないが、その話には乗ろうじゃないか。
よし、では改めて目を閉じて。これで大丈夫なんだ。目さえ閉じていれば休めるんだ。大丈夫、大丈夫。
……目を閉じているだけで良いと思っていても寝られないじゃないか。ああ、いや、そんなことを考えてはいけない。目を閉じていたら良いのだからね、うん。
……おっ、寝られた。よしよし、今の時刻は……3時か。結構時間進んでいるじゃないか。いいぞいいぞ。もうちょっと目をつむろう。
よし、僕偉い。ちゃんと睡眠に近い効果を得ているぞ。うん、寝ている寝ている。
うーん、でももう寝られないかな。よし、じゃあ目をつむったままでちょっと復習をしよう。サイン、コサイン、タンジェント。なんか、しょうもないことしか出てこないな。何か良い復習は……。復習はreviewだな。いや、こんな当たり前のことばかり考えてどうする。僕はこの一晩の間にパッパラパーになってしまったのか?
ところで、いろいろなことを考えたが今は何時だろう。……4時前か。もう許容範囲だろう。よし、起きよう。
僕はこうして、3時間も寝ていない状態で試験本番を迎えた。4時にサービスのコーヒーを飲んだ後行った英語と生物の復習では、先ほどの心配に反して普段通りのスペックを保てていた。まあ、きっと大丈夫だろう。
入試では、睡眠不足を特に感じることは無かった。正直訳のわからない問題は大量にあったが、これらはたとえ8時間くらい寝ていたとしても結果は変わらなかっただろう。しかし、解答用紙もこじつけでやっと八割埋めた程度なので、合格しているかと言われるとその自信は無いに等しい……いや、周りの受験生たちも難しい難しいと言っていたので、3割くらいは自信があるかな。
まあ、合格していてもしていなくても、この睡眠不足問題は後にネタになるだろう。もし合格とかしていたら、このことについてエッセイでも書いてみても良いかもしれない。……いや、まあ需要は無いな。10年くらい経って自分で読み返したときに懐かしくなる程度か。気が向いたら書いてみよう。
よし、せっかく都会まで出てきたことだし何かおいしいものでも食べて帰るか。
僕はインターネットを駆使して美味かつ安価な店を探し、ひとときの夕餉を楽しんで帰宅していった。
その後、まさか本当に自分がエッセイで睡眠不足をネタにするとは、このときの僕は知るよしも無かった。
今夜だけは寝なければならないのに 史澤 志久馬(ふみさわ しくま) @shikuma_303
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