5-4.

 皆が触手を引き付けてくれているおかげで、時雨に向かってくる本数はそう多くない。彗星棲獣の知能はそう高くない。あくまで本能、食欲に従って触手を振るっているだけだ。時雨の操縦技術であれば余裕をもって振り切れる。

 しかし、彼女らが逃げ回っていられるのも時間の問題だ。ネージュも今も少しづつではあるが引きずられているのだ。急がねば。

 猛スピードで突っ走り、触手が前から来ればドリフトで切り抜け、横から来ればシャトルループで切り返し、後ろから来ればきりもみ回転で突き抜けた。

 なんとか再びネージュの下にたどり着いた。彼女の機体に絡まる触手を引っ張ったり叩いたりしてみるが、解けも緩みもしない。

「ネージュ。大丈夫か?」

「んん。機体はまだ大丈夫そう。でも、このままスラスター吹かしっぱなしだとオーバーヒートが怖いかも」

 ネージュの声は努めて平静を装ってはいるが、ほんの少しの震えを隠せていない。なんの足掛かりもない宇宙空間。目の前にはイソギンチャクのお化け。怖くないわけがない。

 取り合えず触手ごとネージュを抱えて引っ張ってみるが、引きずられる速度を更に抑える程度。根本的な解決にはならない。

 ならば……。こいつを倒すしかない。

「ソレイユ! 聞こえる!?」

「はい。聞こえています」

 ソレイユはいつもと変わらない調子で通信に応える。それのなんと頼もしいことか。

「今すぐ出られそう?」

「いつでも。御指示を」

「よし、頼むよ」

「イエス、時雨」


 時雨がネージュの下にたどり着いたと思ったら、今度は二人揃って動けなくなっている。他のメンバーからもそろそろキツイの声。ああ、本当に何もできないのだろうか。磯の事ミサイルでもぶっ放してやろうか。いやいや、ダメだ。ビーコンもなしに撃ったらスターローダーに当たるに決まってる。

 悶々と悩むユウサの後ろに、ソレイユが静かに歩み寄った。

「お忙しいところ申し訳ありません。キャプテン・ユウサ。出撃の許可を頂きたいのですが」

「出撃? スターローダーはもう出払ってるよ。大体、一人二人出て行ったところでどうにかなる物じゃないでしょ」

「いえ。エアロックを使わせていただきたいのです」

 目の前のソレイユは全く表情を変えずに口だけを動かす。

 エアロックって。まさか生身であいつに立ち向かうつもりだろうか。スターローダーでも歯が立たないというのに。不思議な雰囲気の子だとは思っていたが、まさか本物の不思議ちゃんなのだろうか。どちらにしろ、妄言もいいところ。この緊急事態に構っていられる言動ではない。

「ユウサさん!」

 スピーカーから切羽詰まった時雨の声。

「ソレイユを出してください!」

「いや、そんなこと言ったって……」

「僕が言うのだから間違いありません。早く!」

 時雨までおかしなことを言いだした。いや、彼の事だからちょっとやそっとの事で自棄になったり前後不覚になったりはしないはず。

 はっきり言って、ユウサ自身もこの状況に相当参っている。艦長として指揮にあたり始めてまだ数年。それでも、この艦ではもっとも立場が上。頼れる人などいない。だからこそ、未だに覇気のこもる口調を保つ彼に寄りかかりたくなった。

「……。ソレイユちゃん。任せてもいいのかい?」

「はい。お任せを」

「だったら、頼む。あの子達を無事に連れ帰ってくれ」

 ユウサは大きく頭を下げた。

「イエス、キャプテン・ユウサ。必ず」

 ソレイユは淡々と述べると、恭しく頭を下げ返してブリッジを後にした。




 ソレイユは一目散に外部への出入り口、エアロックに向かう。既にそこには技術者が待機しており、直ぐに外に出られる準備が整っていた。

「本当に宇宙服はいらないんスか?」

 技術者は不安を通り過ぎて不審感すら覚えていた。声からもそれがにじみ出ている。

「はい。このままでお願いします」

「ええい! それじゃあ行ってらっしゃいっス!」

 技術者は思いきり振りかぶってエアロック内の空気を抜くボタンを押し込んだ。

 大きな音を立ててエアロック内が真空になっていく。真空状態、息を止めていれば我慢できるなどという生易しいものではない。酸素がない。気圧がない。宇宙線の問題もある。

 しかし、彼女はすっかり空気の抜けたエアロック内で、こちらへの窓に向かって恭しく頭を下げると、靴の裏から炎を吹いて、ウルトラマンのように両腕を伸ばした格好で飛び立ってしまった。

 あまりの光景に技術者はあんぐりと口を開けたまま、取り合えず現実逃避をすることにした。




 時雨は未だ触手をどうにかできないかと格闘していたが、いじろうとすると更に締め付けが強くなっているようで、あまり手出しできない。スターローダーが動かなくなるならまだしも、気密性が損なわれたら事だ。

「時にネージュ」

「なんだい時雨君」

「ちゃんと宇宙服は着てるよね」

 宇宙に出るとき、特にこういった小型の機体で出るときは必ず宇宙服を着用する。時雨もペンダント型の簡易宇宙服を身に着けている。気圧の急激な変化を感知すると自動で膨らむ優れものだ。

「ああ……。それが……」

 怖がりながらも、むしろ饒舌だったネージュの語尾がだんだんすぼまっていく。

「着てこなかったんだよね」

「ええ!? なんで」

 普段なら大して危険のない彗星獲りだからと言って、、少々不用心が過ぎる。

「いやあ。なんかキツくなっちゃってさあ。新しいの買おうと思ってたんだけど……」

「それって、太っ……」

「成長したんだよ! きっと!」

 時雨の失礼な物言いは、ネージュのすごい剣幕で遮られた。

 いや、問題はそこではない。宇宙服を着ていないという事は、スターローダーを壊されたら一巻の終わりだ。緊急脱出もできない。こうなってしまったらあまりに無理にほどきにかかるというのも難しいか。

 その時、ネージュに絡みつく触手が大きく振り払われる。

「しまった!」

 油断していた時雨は、しがみつくのが遅れて吹き飛ばされてしまった。今までは既に捕まっているネージュと一緒にいたので追撃の手は来なかったが、このままではそれがすぐに来かねない。すぐにネージュの下に戻らねば。

 しかし、機体が無軌道に回転してしまい、操作もままならない。まずは、姿勢制御スラスターを……。

 不意に視界に影が走る。顔を上げると、そこには眼前に迫る巨大な触手が。ここまで来て万事休すか。

「フィンガーショット」

 そうスピーカーからの声が聞こえた瞬間。触手の先端が弾け飛ぶ。複数の穴が同時に開いた。それに怯んだか、その触手はふらふらと根本へ引っ込んでいった。

「時雨。御無事ですか」

「ソレイユ! 間に合ったんだね」

「遅れて申し訳ございません」

 宇宙空間にいつもと変わらないメイド服のソレイユが浮かぶ光景はなかなかシュール。そのソレイユは口を動かしていないが、こちらに声は聞こえる。宇宙空間にいるときは通常の発生方法が使えないし、そもそも真空状態では音が伝わらないので、直接通信機に合成音声で声を伝える。まるでテレパシーのように。

「いや、十分だ。とにかく、ネージュを助けよう」

「イエス、時雨」

 漸く姿勢を立て直すことができたが、ネージュの居る場所からかなり離れてしまった。急いで向かわねば。

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