1-2.end

「キシャーッ!」

 時雨がランタンで照らすと、そいつはひときわ大きく威嚇の咆哮をあげた。

 その姿はまさに大きくなったカマキリ! 体高は見上げるほど、二メートルはある。ギラリと光る鎌も刃渡りは一メートルはくだらない。

 そんな化け物が今にもこちらに食いかからんと鎌首をもたげているのだから、時雨はビビった。

「な、なんなんスか、これ」

「おお~。出たね。それが今回の駆除対象。カマキリ君です」

「カマキリ!? 僕の知ってるカマキリはもっと可愛らしいサイズですよ! それにカマキリは肉食。害虫じゃない……!」

 疑問を並べ立てている間に、カマキリの鎌が一閃。時雨はそれをジャンプでかわす。

「これだけ大きければ害虫でしょ。今だって現に死にかけてるし」

「ま、まあ、それはいいとして、なんで虫がこんな怪獣みたいに巨大になってるんですか」

 物と言うのはそのまま大きくはできない。それが生物であればなおさらだ。

 子供用の図鑑などで、ノミは自分の体長の何倍も跳べる、とか、蟻は自分の重さの何倍の物を持ち上げられる、とか。そんな説明の後に、これは人間の大きさに換算すると何百メートルで……、何百キロで……。などと幾分大仰に書かれているが、実際にはそうはならない。

 体を比率をそのままに大きくすると、体積(≒体重)が三乗で増えるのに対し、体の強度を司る断面積は二乗でしか増えない。大きくすればするほどこの差が大きくなる。差が大きくなればなるほど、増える体重を支えることが難しくなり、当然運動能力も低下する。

 そして、虫の体は他の生物のように内部の骨ではなく、硬い殻の外骨格によって支えられている。体が重くなればより筋肉が多く必要になり、その筋肉の重さを支えるためには外骨格を厚くする必要がある。しかし、殻が厚くなれば、その分筋肉を搭載しにくくなる。

 理由はそれだけではないのだが、ともかく、虫がその体の仕組みのまま巨大化するのは難しいのである。

 しかし、時雨の目の前に立っているのはその常識をはるかに超えた大きさのカマキリ。

 なぜ、そんな物が存在してるかと言えば。

「ここが宇宙だからでしょ」

 ここが宇宙だからである。

 宇宙は広い。もしかしたら他の星には地球の常識では考えられないような生物が存在していてもおかしくないのである。いや、おかしいかもしれないけど、そういうものなのである。

 思えば時雨がレニに依頼の詳細を告げられずに仕事に駆り出されるときは大抵こうだ。

 この前は庭木の剪定だ、などと言われて連れられたが、そこに植わっていたのは意志を持った巨木で、巨大で鋭い枝を振り回して切られまいと抵抗してきた。その時は通信販売で買った何でも切れる高枝切り鋏のおかげで事なきを得た。

 が、今度はどうするべきか。いつものようにレニが便利アイテムを投げ込んでくれるのを待つか。

 などと考えている間にも、カマキリは攻撃の手を休めない。今度は鎌を時雨の頭上から振り下ろす。時雨がそれを逆にカマキリに突進することでかわし、スライディングで胴体の下を通り抜け、後ろを取った。そして、まずは動きを封じる。カマキリの脚にローキック一閃! これは完璧に入った。

 が……。

「痛い! めっちゃ硬いぞこいつ!」

 胴体に比べるとずいぶん細いカマキリの脚だが、まるで鉄パイプのように硬い。うっかり足をぶつけた時のようにすねが痛む。

「そりゃそうよ。巨大化して重くなった体を支えているのだもの。外骨格もおそらく、炭素繊維のように強固なものに違いないよ」

 レニの口から驚愕の言葉が放たれる。このカマキリの体は、いわばカーボンシールドによって守られているようなものだ。

 そんなことがありえるのだろうか? だが、現実の生物であっても、蜘蛛の糸は束ねれば同じ太さの鋼よりも強固だと言われるし、深海には金属を用いて殻を作る貝がいるというから驚きだ。

 であれば、炭素繊維製の外殻をもつカマキリがいてもおかしくはない。おかしくはないのだ。

「じゃ、じゃあ、どうしろって言うんですか。素手じゃ無理ですよ」

 時雨は縦横に振り回される鎌を紙一重で避け続けながら叫ぶ。いつもこんな役回りだ。

「取り合えずそのまま避け続けておいて。指示は追って伝えるから。じゃあね」

 レニはそれだけ言うと頭をひっこめて下に降りてしまった。

 なんて人だ。こっちは生きるか死ぬかの瀬戸際だというのに。どうせ出された茶菓子を時雨の分まで無作法に食い荒らしているに違いない。

 降りた時に残っているといいが。もし残っていなかったら帰りにコンビニで何か買ってもらおう。そうしよう。そう言えば、この前も……。

 ……。……?

 あれこれ考えながらカマキリの攻撃を避け続けているうちに、初めの頃より随分と楽に躱せている自分に気付く。だんだん目が慣れてきたのか。それとも、眠っていた力が死の瀬戸際で解放されたのか。カマキリの動きがゆっくりに感じてきた。

「もしかして僕、強くなってる……!?」

「何言ってんの。そのまんま向こうの動きが遅くなったに決まってるでしょ」

 時雨が自惚れている良いタイミングで、レニが今度は天井裏に上がってきた。

「作戦通り、向こうのスタミナ切れね」

 巨大な虫がいないもう一つの理由。それは呼吸の効率の悪さにある。

 虫には他の生物の肺に当たる器官が無く、血液に酸素を溶かして全身に送ることはしない。全身に張り巡らされた中空の気管によって、直接全身に酸素を届けている。しかも、それも一部の種を除き、拡散、つまり空気の濃度が自然に一定に混ざるに任せて酸素を運んでいるのである。これは小型の生物であれば効率の良い方法なのだが、大型になると非常に効率の悪いことになってしまう。

 つまり、この巨大カマキリは長い戦闘の末に息切れを起こしてしまったのだ。

「人間の身体能力で特に優れているのは持久力。短距離走だと速い方ではないけれど、マラソンなら上位クラス間違いなし。他の生き物と戦うのなら相手のスタミナ切れを狙うのが定石よ」

「なるほど~」

 もうカマキリは息も絶え絶え。……、レニの解説によればその息さえしていないという事だが。動きも緩慢を通り越してもうほとんど止まりそう。

 かと言って、あの硬い装甲を貫く手段はあるのだろうか。

「大丈夫大丈夫。これを見なさい。ちょっと組み立てるのに時間かかっちゃったけど」

 自信満々のレニの手に握られているのは、大きな……、バズーカ?

「弾薬は一発しかないから、動きが止まるこの瞬間を待ってたってわけ」

 そして、レニはすっかり動かなくなったカマキリにその砲口を向ける。

「そおれ、発射!」

 ポンッ、と間の抜けた音と共に砲口から弾が飛び出し、カマキリに直撃した。軽い破裂音と共にその体中になにやら粘度の高い液体がまとわりつく。

 カマキリは少し藻掻いたものの、すぐにその勢いを失くし、遂にはその体を地に伏した。もう、ピクリとも動かない。

「し、死んでる。レニさん、これは?」

「通販で買った『UMAキラー』! 水風船に入ったねばねばのスライムを体にまとわりつかせることで、気門を封じ、窒息させる巨大昆虫用殺虫剤よ」

 レニはドヤ顔でバズーカを構えなおす。

 そんな便利なものがあったとは。巨大昆虫ってそんなにあちこちにいるのだろうか。

「ま、とにかく一件落着ね。こいつは後で業者に引き取ってもらうとして、依頼者に報告して帰りましょう」

「おいっす。……、ああ、疲れた」

 やっと緊張がほぐれた。大きく深呼吸をして、気持ちを整える。


 時雨達は次の仕事場へ向かうべく、船を走らせる。

「今回はお手柄だったね。時雨君」

「いやあ、あんな虫けらごとき物の数じゃありませんよ」

 そう言う時雨の肩に、なにやら小さく動く影。

「あら、時雨君。肩にカマキリがとまってるよ」

「ひえ!」

 時雨は短く悲鳴をあげて、体を石化したかのように硬直させた。

「地上からついてきちゃったのかしら。って、どうしたの」

 さっきまでの勇ましさはどこへやら。すっかり怯えた顔を張り付けている。

「い、いや。家とか車の中とかで虫を見るとすごく気持ち悪くないですか」

「ああ。分かるかも。外で見るとゴキブリとかでもどうってことないのに、家の中だとちょうちょさんでもちょっとウッとなるわね」

「そ、それです。早く取って……」

 すっかり声が震えている時雨。その肩に乗ったカマキリを、レニがひょいと摘まみ上げてエアシュートぶち込んだ。慈悲はない。

「た、助かった」

 あの巨大カマキリと戦っている時以上に冷や汗を流す時雨だった。

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