34 社畜は初デートで反省する…2

 そんな会話をしつつ、ふたりは駅の改札前を通り過ぎ、反対側の北方向へと出た。


 高島屋がある他は低層の建物が多いエリアで、居酒屋やこじんまりとした個人営業の飲食店はあるものの、二子玉川ライズや蔦屋家電などでハイソに発展している南側とはまた雰囲気が違っている。


(葉豆ちゃんはマックでもいいって言ったけど、さすがにそうはいかないもんな……)


 大智は胸のなかでそう思う。葉豆の言葉には、たしかに肩の力を抜かせてくれる面もあったが、とは言え26歳のオトナとしてプライドはある。記念すべき初回のデートとしてふさわしいところに連れていってあげるべきだと思った。


 実は、大智には一軒、目星をつけているお店があった。多摩川方面にある『タイムアンドスペース』というカフェで、近くに用事があるときに時間を潰すためにふらりと寄ったことがあった。大通りには面しておらず、タワーマンションの一階に居を構えていることもあり、休日はどこもかしこも混んでいるこの辺りでは珍しい、待たずに入ることができるお店である。


 パンやサンドイッチなど軽食はもちろんのこと、パスタやハンバーグのランチセット、フルーツがたくさん乗ったオシャレなパンケーキなどもあって、軽くでもお腹いっぱいでもイケるお店なのだ。もちろん、店内が清潔なのは言うまでもなく、テーブルとテーブルの間が広いのも大事なポイントだった。


「え、この辺なんかめっちゃ雰囲気いいですね!」

「でしょ。意外とこっちにもいいお店あるんだよ」

「私、世田谷っ子なのにこの辺初めてで……」

「なら良かった」

「わー、なんかいいなあ……」


 雰囲気の良い、緑に囲まれた並木道を歩いていると葉豆が興奮したように言う。普段は健康優良児という感じで、オシャレ感皆無のジャージ姿な彼女だが、雰囲気の良い場所は好きなようだ。その笑顔を見ていると、大智は早くも「連れて来てあげてよかったな」と嬉しくなる。


 そして、程なくしてお店に到着。葉豆も歓声をあげる。


「大智さん、さすがです。めっちゃいい感じのお店……あれ」


 ……と思いきや、あげなかった。お店が閉まっていたからだ。壁には『臨時休業』とデカデカと書かれた張り紙があり、詳細な説明はない、ただ今日だけ急遽休むとの文章が下に書かれていた。


「え、臨時休業……マジで……??」

「あー、お休みみたいですね。残念」

「まさか休みだなんて……電話で予約しといたら良かったな……ってこの手の店は予約できないか」

「見た目的にそうかもですね」

「しまった……」


 先程述べたとおり、営業マンの大智は普段、取引先の会社の人達と食事に行くとき、基本的に自分が店を予約している。が、今日はなぜかそういうのをしていなかったのだ。


「せめて、開いてるかだけでも電話で聞いてれば……」


 普段していることをしなかったという意味で、大智的には痛恨のミスだった。が、普段仕事でそういうことをしているとまでは知らない(先程も話さなかった)葉豆は、まったく気にしない様子で、大智に優しくこう告げる。


「仕方ないですよ、大智さん。別のところ行きません?」

「そうだね……」


 葉豆にフォローされ、大智はなんとか気持ちを取り戻した。



   ○○○



 しかし、そこからはさらに苦しい感じだった。


 二子玉川は基本的に休日はどこも混んでいる街で、この日もその例に漏れず、どこのカフェやレストランを覗いても10組以上待っていたのだ。待つとなると必然的に1時間はかかることになり、ふたりは別の店を探すのだが、どこもかしこもそんな感じだった。


 結果、やっとのことで一軒のカフェに入ることが出来たのだが、そこは造りが特徴的な感じで、コーヒースタンドに簡易的な飲食スペースを併設した感じの店内だった。その簡易的な飲食スペースには、長イスと膝くらいの高さのローテーブルがあるのだが、配置が入り口から見て『コ』の字なのである。


 待ち時間がなかったこと、この店の名物であるコッペパン・あんバターサンドが歩き疲れた身体にちょうど良さそうと思って入った大智と葉豆だったが、『コ』の字に長椅子が配置されていることで問題が発生した。


 『コ』の字に配置されているせいで、普通にしているだけで他の客と目が合ってしまうこと。狭い店内なので各グループの会話が普通に聞こえてしまうこと。席が空くのを待っている待機列が見えてしまうこと。この3点である。


 結果、どのグループも視線を天井や足元に不自然に逸し、小声で喋っていた。


「なんか……声小さくなりますね」

「距離も近いからね。普通のボリュームだと聞こえちゃうから」

「どこを見ても他のお客さんと目があって気まずいです……」

「こりゃ回転率良くなるワケだ。このお店だけすぐ入れた理由も納得だな……」


 無論、大智と葉豆もそうなる。記念すべき初デートで小声……というのは、冷静に考えてシュールな光景だし、気軽に発言ができなくなるので空気も少しずつ変な感じになっていく。


 ……きっと、回転率を上げるためにこの店はこんな感じにしたんだろうな……と大智は思う。


 打ちっぱなしの壁とシックな長椅子、ローテーブルという組み合わせはシンプルかつオシャレでとてもインスタ映えしそうな感じであり、きっとそういうのを見て来る一見客が多いと予想された。


 常連客を切り捨て、一見客に特化した構造と言え、ビジネスパーソン的には正直関心すらしてしまう店の構造だった……が、デート中の大智には、もちろんそんな心の余裕はなかった。


「あのふたり兄妹かな?」

「私も思った。でも顔似てないし」

「だよね。それに兄妹でこんな店来る?」

「えでもじゃあ彼氏彼女? 年齢結構離れてない?」


 そして、大智たちが他の客のことを自然と見てしまうということは、他の客たちも大智たちのことを自然と見てしまうということでもあった。誰がどう見ても年齢差のある大智と葉豆は自然と視線を集めたし、運悪く遠慮の概念を知らない女子大生2人組がいて、こちらをチラチラ見ながら、小声で話していた。


 大智は必死に素知らぬ顔をするが、狭い店内なので十分声は聞こえており、顔が引きつりそうになってくる。


「……」

「……」


 いつもはお喋りなはずの葉豆も、この店に入ってからは口数が少なかった。


「葉豆ちゃん、出ようか」

「そう、ですね……」


 そして、ふたりは周囲の視線を背に受けながら、店を出ていく。店の人たちの、どこか乾いた感じの「またお願いしまーす!」という声が、「すぐに出てくれてあざっす!」とか「次もちゃっちゃか出てってね!」的な感じで聞こえてしまうくらいには、沈んだ気持ちになっていた。


「居心地……あんまりだったね」

「はい……正直」


 大智の正直な言葉に、葉豆が正直に返す。この子は正直な子だな、と大智は思う。


 なので、こう続けてみる。


「店の人たち、絶対『あ、あいつら10分で出て行った。作戦通り作戦通り』って思ってたよね」

「思ってましたよ、絶対。じゃないと、あんな店作らないです。流れてる音楽も小さかったですし」

「あ、それ俺も思った」

「せめてBGMがもう少し大きければ他の人たちの話し声も聞こえなかったじゃないですか。普通に丸聞こえでしたもんね」

「オシャレで綺麗な感じのお店なのになあ。喋りにくくてコッペパン1分で食べたもん」

「まあ自営業者の娘としては、効率的にお客さんを入れたい気持ちはわかりますけどね」

「俺も社会人としてはわかるけどさあ……東京って怖いなあ」

「東京て怖いですねえ」


 そこまで一気に言い合うと、大智と葉豆はどちらともなく笑った。どことなくぎこちなくなっていたふたりの間の空気も、いつの間にか少し緩んでいる感じだった。


 ため息を吐くかのように、大智がふっと述べる。


「……ごめんね、今日はなんか散々で」

「大智さん、気にしないでください。お店がどこも混んでるのは大智さんのせいじゃないですから」


 葉豆は明るくそう言う。本心でそう思っているのがわかる言い方だった。


 正直、コッペパンを爆速で食べていたとき、大智は情けなさで死にそうになっていた。


 葉豆に「オトナの男性」とか言われるようになった結果、勘違いしていたのかもしれないが、よくよく考えれば社会人としての経験が多少あるだけで、自分は決して恋愛経験が多いワケではない。


 とくに彼女がいたのは大学時代の約半年間であり、家が近かったこともあってお泊りデート的な感じになることも多かった。つまりどういうことかと言うと、おいしい飲食店に一緒に行くという経験は、じつはあんまりしていなかったのだ。


 『公』の面では多少オトナかもしれないが、『私』の面では経験に乏しい。にも関わらず、褒め言葉で自分は慢心し、気遣いを忘れてしまった……そんなふうに、大智には思えたし、そんなふうだったからこそ、葉豆の言葉には胸を軽くさせられた。


 そして、葉豆は少しうつむきがちにこう続ける。


「私のほうこそ、すみません……変に静かになったりして」

「いや、あの店は仕方ないよ」

「いえ、あの……そうじゃなくて」


 大智がフォローし返すと、葉豆は首を横に振る。


「朝からずっと、なんか自分的に自分らしくない感じで」


 たしかに、正直、若干そんな感じはしていた。いつものように語尾にやたらと「!」がつく感じの喋り方ではなかったし、いつも以上に掴みどころのない感じもあった気がする。が、大智的にはそれも、映画の一件があったせいだと思っていた。


「なんか、彼氏の隣にいる……って思うと、変に緊張しちゃって……」


 しかし、葉豆はそう語る。2時間前まで青白くなっていた頬は、今ではすっかり赤く染まっており、彼女がウソをついているワケじゃないのが大智にもわかった。


「大智さん!!」

「は、はい!」


 そして、葉豆は明らかに距離感を間違えた感じのボリュームで大智の名を呼ぶと、こう続けた。


「今日入れなかったお店、また今度連れて行ってくださいねっ!! 今日はお散歩がてら下見したってことにして!!」

「……わかった。そうしよう」

「はい!! 約束ですからねっ??」


 ここにきて、やっと、葉豆は自然な笑顔を見せた気がした。



   ○○○



 そんなふうにして、初回のデートはなんとか及第点で終わった感じだった。


 しかし、終わり良ければ全て良しだったということは、終わり以外は色々まずかったということでもあり、自分の恋愛スキルが想像以上にしょぼかったことを含め、大智の心に少なくないダメージと反省を与えたのだった。


 だからこそ、この日の夜。大智は高田にこんな電話をすることになる。

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