31 社畜は告白の返事をする…

 葉豆との話が一段落すると、大智と高田は自分たちがまだほとんど何も食べていないことに気づいた。真剣な話をしたせいかお腹も空いており、空腹感が目前に迫っているような感覚すらあった。


 そこから20分程度、黙々と一品メニューと焼きはまぐりをたいらげた。店員のお兄さんもさぞかしその変化に驚いただろうが、店を出る頃にはふたりでかなりの量をたいらげていたので、まあ結果オーライだろう。


「じゃあな。また月曜日」

「おう」

「でもなんかあったら連絡してくれ」

「わかった」


 そんな言葉を残し、高田は地下鉄へと降りていった。大智はと言うと、ここから渋谷駅まで歩くことにしていた。


 夜風を頬に受けながら、外苑前方向に向かって歩いていく。そこを越えて表参道まで向かい、青山通りを経由して宮益坂をくだる……というコースだ。


 都会の夜は散歩に向いている。行き交う人々の表情、鳴り響く有名アーティストの新譜、あちこちにある看板、けたたましく通る宣伝トラック……そういった、昼だと鬱陶しくすら感じられるアレコレが、夜になると暗がりに紛れる。もちろん完全に消えるワケでもないのだが、程よく情報が遮断されるので、背景としてちょうど良くなるのだ。


 大智は、そんな都会の夜が好きだった。音楽を聞きながら歩いてもいいし、イヤホンだけして音楽は流さないのもまたいい。歩くときは少し肩を怒り肩にして、風を切りすぎない感じで歩くのがポイントだ。上も前も見る必要はないが、下はきちんと見る。


 コツコツコツコツ……。


 靴がアスファルトと奏でる音が、次第に規則的になっていく。繰り返すリズムは大智の感性を刺激していく。


「だいだいだからこそ、俺はその子とのこと、真面目に考えてみてほしい」


 脳内で、高田の声が反芻していた。


 高田に言われるまで正直、葉豆のことをそういう対象としては見ていなかった。彼女とは年齢が離れすぎているし、出会いも出会いだったし、まさか相手のほうが自分に好意を持つとは思わなかった。


(真面目に考えると……か)


 大智は、改めて葉豆のことを考えてみた。


 性格は正直変わっていると思う。普通にズレてるし、時々、天然がキツいと感じることもある。整体とか筋肉に対しても前のめりすぎて、熱意にちょっと引いてしまったこともある。


 でも、同時に真っ直ぐな性格に、好感を抱いていることもたしかだった。夢に向かって頑張っているのも素敵だと思うし、少し悩みすぎたり、思い込みが強い傾向もあるかもしれないが、それも真面目さの裏返しだと思う。


 話していても、正直楽しい。週に1回の整体が今はとても楽しみだし、その後に手料理を笑顔で食べてくれるのも嬉しいし、公園で過ごす時間も楽しい。なにより、葉豆がいつも明るく笑顔なのは自分にとってかなり楽だ。社会人になってから、より一層周囲の人の顔色を伺うようになったから。


 そんなふうに、中身については正直現状文句のつけようがない感じだが……正直、容姿についてはもっと文句のつけようがない。


 顔立ちは整っているし、長い黒髪も美しい。細身ながらも女性らしい膨らみもあって……とかまで言い始めると、年齢差や彼女がまだ高校生である手前、どうしても危うい雰囲気が出てしまうので自重せざるを得ないが、ともかく、見た目についても、大智はなんの不満もなかった。


 夜風が大智の思考をクリアに、シンプルにしていく。


(となると……そっか、ホントに俺が気になってたのは年齢差なんだな)


 そんなことを思っていると。


「ギャハハハ! それマジ!?」

「マジマジ! めっちゃウケるよねー!!」


 制服を着た女子高生らしき一団とすれ違った。大きな声で喋っており、すれ違うときに幾重にも重なった香水のニオイが、急に鼻腔へと流れ込んでくる。彼女たちが遠く離れていっても、その背徳めいた香りは鼻の奥に残ったままだった。


 そして、大智はふとこんなことを思う。


(なんていうか……葉豆ちゃんとは全然違う感じだな)


 今まで自分は葉豆ちゃんのことを、どこかステレオタイプに見ていた。女子高校生という響きや、普段着ている制服、17歳という年齢などがその理由だ。


 でも、先程すれ違った少女たちが身にまとうオーラは、葉豆ちゃんから出ているモノとは全然違って……でも、そんなのは当たり前のことなのだ。女子高生とか17歳とか、そういったモノで人間を形容できるはずがないのだ。それより、彼女と過ごした時間の中で感じたことのほうが大事なのだ。


 女子高生たちが遠ざかり、さすがに香水の残り香もなくなってきた頃、大智はすえた生ゴミのようなニオイが鼻先をちらついていることに気づく。いつの間にか、渋谷に近づいてきていたようだ。


「……よし。さっさと帰るか」


 大智はそうつぶやくと、いつもなら歩幅を狭くして下っていく宮益坂を、普段の倍以上の勢いで、人混みを器用にかき分けながら走ってくだっていった。



   ○○○



 そして、翌日朝。


 9時40分頃になんとか目を覚ますと、大智は疲労から回復しきっていない目でスマホを確認する。葉豆からLINEが来ていた。金曜日の夜に呼び出されてから初めてのLINEで(一日以上こないのは思えば久しぶりである)、文面はこうだった。


『今日もよろしくお願いします!!』


 いつも通りの、業務報告的なLINEだったが、平常運転っぽいからこそ金曜日に送られてきたLINEとのギャップが目立つ。


『うん、こちらこそよろしく』


 ギャップについてはさておき、大智が返信。すると、葉豆からすぐに返ってきた。


『はい!』

『あの……例の件なんですけど』

『返事はべつに焦ってないので』

『なので、大智さんは変に気を遣わないでくださいね!!』

『私もいつも通りなので!!』


 細切れの、間隔の短いLINEだ。葉豆としては、いつも通りのLINEと言っていい。大智もこう返信する。


『わかった。俺も普通にしてるね』


 そして、10時になった。待ち構えていたように、10時になって数秒後にインターフォンが鳴る。


「葉豆ちゃん、おはよ……」

「だだだだいちさん、お、おひゃようございまっ!!」


 いつも通りと宣言していた葉豆だったが、ドアを開けた瞬間に噛み噛みだった。結果、自分で自分が恥ずかしくなったのか、両頬を隠すように手を添えてしまう。その勢いも良すぎて、ペチン! といい音が鳴っていた。


「おはよう、葉豆ちゃん」

「お、おはようございます、大智さん」

「その……大丈夫?」

「す、すみません……なんか声がうまく出なくて……」


 そこまで言うと、今日初めて葉豆はしっかりと大智の目を見た。そして、動きを止めたまま、首筋が赤くなっていく。頬を隠しているはずの手も、もともと色白なのもあって真っ赤に染まっており、隠すという役割を果たせていなかった。


「ははは……葉豆ちゃんってホントに面白いね」


 そんな彼女の姿を見ていると、正直彼女が家に来るまで若干あった大智の緊張も、ほんの少しだが軽くなった。


「面白いって、大智さん」

「だってさっきのLINE、完全にフリになっちゃったから」

「フリもなにも、私、笑い取りに行ったワケじゃ……」

「あー、そうだよね。ごめんごめ……はははっ」


 葉豆が珍しく、なじるような口調だったので大智は反射的に謝る。が、笑い終えていなかったせいか、途中で笑ってしまった。


 ……と、そこで葉豆が思わぬ反応を見せる。


「……大智さんのいけず」


 口でつぶやくというより、心から小さくこぼれた感じの声だった。


 大智としては、葉豆のことを、ただ純粋に愛しいと思った。自分のことをそれだけ本気で思ってくれているのが嬉しくて、だからこそ葉豆のことをかわいいと思った……そういう色んな気持ちの発露として、自然に笑いがこぼれた感じだった。


 が、葉豆としては、どうやら自分の気持ちを軽んじられたと勘違いしてしまったようで、「んー……っ!!」と唇を噛みしめると、大智の手首を掴む。


「はい、整体始めます!! 大智さん今日もどうせ身体ゴチゴチなんでしょ!?」

「そうだけど、っておい! 鍵閉めてない!!」

「盗られるモノなんてないじゃないですか!!」

「いやそんなこと! ……あるか」


 葉豆になかば無理やり自室から連れ出される形で、大智は隣室へと引っ張り込まれた。手首を掴んで引っ張っていく形なので、大智から葉豆の顔は見えず、手を解くタイミングも誤解を解くタイミングもない。


 そして、奥の施術部屋に到着すると、葉豆はパッと大智の後ろに回り込むと、


「はい、寝転んでくださいー」

「ぶへっ」


 ベッドに押し倒した。決して卑猥な意味合いではなく、普通に押し倒した。大智は顔からつんのめる形になり、変な声が出た。

 

「葉豆ちゃん、ちょっと今日乱暴じゃない??」

「そんなことないですよー。いつも通りですいつも通り」

「あの、もしかしてさっきの誤解した?」

「なんですかー、さっきのって? 誤解なんかなにもしてないですけど」


 彼女にしては珍しい刺々しい口調から、バッチリ誤解しているのがわかった。


 これはまずい……と大智は思う。


 なぜなら、怒りとか拗ねるといった感情は、今日これから起こそうとしているイベントとは無関係のはずだからだ。そのイベントには招待されてない客のはずだからだ。


(……しまったな。ちょっと調子乗っちゃったな俺……)


 葉豆に背中の筋肉をさすられ、チェックを受けながら、大智は自分を戒める。と同時に、この先のことを思うと、額に冷や汗が流れるのを感じた。


(葉豆ちゃんにちゃんと謝らないと……じゃないと、返事なんかできるはずない)


 と、そこで葉豆の手が止まる。


「大智さん、もしかして昨日寝てない感じですか?」


 ドキリとした。実際、そうだったからだ。


「うん。まあに言えば2時間くらいは寝たけど」

「2時間って、そんな……疲れてますよね? 大丈夫ですか?」


 そう尋ねる声にはもう、拗ねた感じはなかった。ただ純粋に、大智の身体を心配しているのがわかる声で、だからこそ、自分の一時的な感情より、大智のことを大事に思っていることが伝わってきた。


 大智がこの日、睡眠不足だった理由……それは手紙だ。


 じつは大智、昨日夜遅くに帰宅したあと、葉豆への手紙をずっと書いていたのだ。彼女の気持ちに真剣に向き合うにはどうすればいいか、どうすれば真剣に向き合っていると伝わるか……を考えた結果の行動だった。なお、書く前に葉豆の手紙も読んだのは言うまでもない。


 そして。


 そして、である。


 手はず通りにいけば。


 整体が終わり、食事を振る舞っているときか、それか公園で、大智は返事をするつもりだった。大事な気持ちは相手の顔をしっかり見て、目を見て、きちんと思いを告げる……人間としてそうあるべきだと思ったし、葉豆も実際そうしてくれた。イマドキらしいLINE告白ではなかった。自分もそうしたい。手紙もあるときっとなお良いだろう。


 そう思ったのだ。


「痛かったり、押してほしいところあれば言ってくださいねー」

「……」

「大智さん?」

「あ、うんなんだっけ」

「ふふっ。きっとすごく疲れてるんですね。いいですよ、寝てもらっても。疲れがまだ取れなさそうなら、今日は2時間コースとかでもいいので!」


 だけど、葉豆がそんなふうに優しいせいで……大智は自分の感情が高ぶっていくのを感じた。彼女の好意や善意、思いやりといった感情が素直に嬉しくて、ありがたくて、背中に触れている手が優しくて、温かくて……。


 結果的に、オトナらしからぬ行動を取った。


「……あのさ、葉豆ちゃん」

「あ、すいません大智さん。今の痛かったですか? ごめんなさいそうですよね」

「いや、そうじゃなくて」

「え、もっとキツくても良かったですか?」

「そういう意味でもなくて……」


 葉豆から言葉は聞こえてこない。が、床のきしむ音と息遣いで、彼女がこちらに身体を近づけているのがわかる。きっと、いぶかしげな表情をしているだろう。自分が何を言おうとしているのか、さっぱり予想できずに。


 沈黙と形容すべき静けさがふたりを包んでいく。大智は勇気を振り絞った。


「あの……例の返事の件、なんだけど」

「返事……あ……」

「その……えっと……」


 声がかすれるのは、うつ伏せになっているからだろうか。マッサージ台に空いた穴に顔をはめて声を発しているからだろうか。それとも、自分が想定していた以上に緊張しているからだろうか。彼女の顔が見えないからだろうか。


 冷静に考えなくとも、こんなシチュエーションで返事をするのは、オトナとしておかしいだろう。でも、今は、今だけは、どうしても冷静ではいられなかった。


 結果、声にならない、か細い声がふたりの間の空気を揺らした。




「俺で……良ければ……ぜひ」




 永遠に思えそうなほど長い、数秒間の沈黙。


 その沈黙ののち、バタンと床が音を立てた。


「えっ」


 大智が慌てて上体を起こすと、葉豆が後ろに手をつき、力なく倒れていた。ポカンと口が開き、大智をボーッと見上げている。


「あの、葉豆ちゃん」

「あ……わ、わ、わーっ!!!」


 大智が声をかけ、手を差し出そうとすると、葉豆は絶叫。そして、立ち上がって玄関のほうへと走って行き、そのまま出て行ってしまった。


「葉豆ちゃん、待って!!」


 慌てて大智も追いかける。階段を下っていく音がドア越しに聞こえたのでくだると、通りとは反対側、庭のような場所に葉豆がこちらに背中を向けた状況で、うずくまっていた。


「葉豆ちゃん」


 大智は安堵し、優しく呼びかける。近づいていき、すぐ後ろで立ち止まるが、葉豆はしゃがんだまま振り返らない。


「大智さん……ダメです」

「ダメ……って、え、もしかして告白の返事の話……?」

「そ、そうじゃなくて……私、今絶対酷い顔してるんでって意味で……」


 ここにきて断られたワケではなかったことに、大智は内心安堵した。これで焦る必要はない。動揺する必要もない。


 そして、葉豆はゆっくりと立ち上がる。が、まだ背を向けたままだった。


「葉豆ちゃん」

「ブスです、ボロボロです……なので見ないでください……」


 そんな彼女の言葉を聞き……大智は一歩、二歩と歩み寄る。そして、そっと葉豆の肩に手を添えた。瞬間、葉豆の肩がビクッと動くが、すぐに落ち着きを取り戻す。


 そして、葉豆がつぶやいた。


「大智さんの手って、意外とおっきいんですね」

「そうかな」

「あと、なんか落ち着きます……」

「人に触られると、って感じなのかな?」

「人に?」

「美容院とかで髪の毛触られるとリラックスできるって人いるでしょ?」

「ああ。でも、わかります。私も美容室好きです。シャンプーとか、いいですよね」

「葉豆ちゃんと接してて、整体も同じかなって……俺、葉豆ちゃんと接してて、すごく落ち着いてたし、その、癒やされてたから……」

「大智さん……そう言ってもらえるのは、整体師冥利に尽きます」


 お互いに照れながらそんなことを言い合ったところで、葉豆が一呼吸置く。


「……でも、私の場合少し違うかもです」

「違う?」

「人に触れられると、じゃなくて……きっと、今はきっと、好きな人に触れられると、なんだろうなって」


 そう言うと、葉豆は大智のほうを振り向く。その顔は面白いくらい真っ赤で、そしてその瞳から、綺麗な涙が流れていた。鼻の頭も赤くなっており、たしかにボロボロではある。


 が、その顔を、大智はこのうえなくかわいいと思った。愛おしいと感じた。自分を見つめる瞳を大切にしたいと思った。泣かせたとしても、嬉し泣きじゃないとダメだと思った。悲しませたくないと思った。


 つまり、『好き』だと思った。大智は葉豆の肩から手をおろし、そっと両の手を握る。葉豆が優しく握り返してきた。葉豆の涙と体温が、大智の指に移るのを感じた。


「葉豆ちゃん」

「はい」

「これから……よろしくね」

「私のほうこそ、よろしくお願いします……大智さんのこと、これからもたくさん癒やしますね??」


 葉豆はそう言うと、いたずらっぽく笑った。それが、『彼女』になってから初めて大智に見せた笑顔だった。





   ○○○





 そうやって大智が、葉豆と彼氏彼女の関係になった翌週のこと。


「もしかして……大智?」

「え……もしかして、紗英?」


 新宿の中心部から5分ほど歩いた場所にあるクライミングジム――葉豆と相談した結果、体験講座を申し込んでいたところだ――で、大智は思わぬ再会を果たすことになる。


 相手は大学時代に付き合っていた、大智にとって唯一の元カノの、神楽紗英だ。


 でもこれは、まだもう少し先のお話。

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