30 社畜は友人に指摘される…

 それから大智は高田に、葉豆とのことを語った。


 顔見知りの期間が3ヶ月ほどあったこと。過労がたたって彼女の前で倒れてしまったこと。そこから週に1回彼女に整体してもらうようになったこと。整体のお礼に手料理を振る舞うようになったこと。整体後に公園で過ごすようになったこと。やたらと来るようになったLINE。恋愛と進路に関する相談。それに対するオトナとして普通の対応。にも関わらず、金曜に呼び出され、告白されてしまったこと……。


 最初こそ食事に箸をつけていた高田だったが、大智の話が進むにつれ手が止まった。覗き込むようにして、焼きはまぐりの皿がなかなか減らないことを確認している店員のお兄さんの存在にも気づいていない感じで、ただ黙って真面目な顔で聞いていた。


 高田の焼きはまぐりは、すっかりカピカピになっており、役目を失った横のレモンも、すでに少ししおれかけている。もちろん、話す側の大智に食事をとる余裕もない。


 そして、詳細に話すことおよそ30分。


「なるほど……大方理解した」


 大智がすべてを話し終えると、高田はイスにもたれかかりつつ、後頭部をワシワシ掻き始めた。


「ってことは大智は、彼女に手を出してないってことだな?」

「当たり前だ。神に誓ってもいい。俺と彼女はそんな変な関係じゃない」

「いや、JKに週イチマッサージしてもらってるって時点で十分変な関係だと思うぞ?」

「……」

「言葉に詰まるなよ……まあ、大智のことだからさすがにそれはないと思ってたけどさ」

「よく言うわ。店員さんに警察注文しようとしてたくせに」


 大智がそう言うと、高田はふふっと笑う。葉豆とのことを話し始めてから、久しぶりに見せた笑顔で、思わず大智の胸の中にも安堵が広がる。


 入社して仲良くなってから、お調子者の彼がここまで長時間真面目な表情をしていたのは初めてだったかもしれないな……と大智は思う。と言っても、せいぜい30~40分くらいなんだけど。


「それでだ、まとめると、だけど」


 水滴だらけになったハイボールのグラスをおしぼりで拭いつつ、高田が言う。


「つまり、だいだいは相談のとき、葉豆ちゃんに対して『背中を押す』という対応をした。それはだいだい的にはオトナとしてごくごく普通の対応をしたつもりだったし、特別なことをしたつもりもなかった。むしろ、だいだい的には一種の逃げにも思えてしまう行動だった……そういう理解で合ってる?」

「ん、合ってる」


 高田によって繰り返されることで、大智の心の中にはまた違った苦い感情が広がる。同じ言葉であっても他者の口から出ることで、自分のことをより客観的に語られている気がしたのだ。


「結局、俺はあの子にとって他人に過ぎないワケで、そこでぶつからないことを選んだというかさ」

「ふむ」

「もし彼女と本気で向き合ってたなら、背中を押すなんて無責任なことはしなかったと思うんだよ」

「ふーむ」

「でも、なにを勘違いしたのか、あの子はそんな俺のことを『オトナの男性』と思った……あんなこと、誰だって言えるのに」

「んー、そうかー??」


 高田が首をかしげた。いぶかしげな表情だ。


「いや、言えるだろ。それなりに年齢重ねた人間なら」

「お前の上司は言えないと思うぞ」

「……あの人は例外中の例外と言うか」

「否定はしないんだな?」

「一瞬言葉に詰まったのが優しさだ」


 高田に指摘され、大智はそう言い返す。


「葉豆ちゃん、彼氏いたことないらしいんだ」

「ほう。ってことは、しょ……」

「たぶん、そういうのもあって俺のことをすげえいいように勘違いしてるんだと思う。ひよこが最初に見た物を親と勘違いする的な話あるだろ?」

「あるな」


 高田の言葉を遮るように、大智は若干大きな声になりつつ言う。

 

「あれと同じなんだろうなって。初めてちゃんと接した、”ちょうどいい年上の男”が俺だっただけというか。だから、まともなオトナなら誰でも持ってるような性質を過大評価してる的な……つまり、結局、あの子は勘違いしてるだけなんだよ」

「ふーん、そうか……」


 高田は肯定するでも否定するでもなく、静かに相槌を打つ。大智がしっかり見ると、心の奥を見透かすかのような目をしていた。


「な、なんだよ」

「……だいだい。聞くけど、これって相談なんだよね?」

「ああ」

「じゃあさ、俺の意見も言っていいってこと?」

「……まあ、話の流れ的にはそうなるわな。背中を押すっての、こんだけ否定したんだから」

「だよね。仮に俺とだいだいの意見が違ってても」

「意見が違……え?」


 思わず聞き返しそうになる。が、声にして発する前に、高田が続ける。


「だいだいはさ、この先どうしたいワケ?」

「どうしたい……そりゃ、あれだろ。傷つけないように断る……的な?」

「うん、それは無理だ」

「無理かな……?」

「無理だよ。断られるってすっげー悲しいでしょ? しかも9個も年上の男に、ラブレターまで書いて告ったんだから」


 そう言われると、たしかに……と思わざるを得ない。告白の際、あれだけ震えていたのだ。


 ……が、そこで高田がつぶやくようにして付け加える。


「まあでも傷つけないで済む方法もあるか」

「え、なにそれ。教えて」

「簡単だよ。付き合って幸せにする。そうすれば傷つけないで済む」

「付き合って幸せに……え」


 高田の言うことが理解できず、大智の脳みそは完全に一時停止。数秒の沈黙ののち、やっとのことで次の言葉が出てくる。


「……いやいやいや! おいおい高田、冗談言うのもいい加減に」

「いや、冗談じゃないけど? マジで思ってる」

「……俺、26歳だぞ? 葉豆ちゃんは17歳。9個下。現役女子高生。な、冷静に考えて付き合っていいワケないだろ?」

「なんで? 法律的にはもう結婚できる年齢でしょ?」

「そ、それはそうだが」

「ん、もしかしてだいだいは東京都青少年なんちゃら条例を気にしてるのか?」

「いや、それはない。それは考えてない、断じて」


 そんなふうに言い合ううちに、大智は高田がすっかり落ち着いたモードになっていることに気づく。自分ばかりが声を大きくしていたような気がしてきて、肩から意識的に力を抜いた。


「だいだいの話聞いてて思ったけどさ。まあ、確かにお前のこと過大評価してるんだろうなとは思う」

「……まあそれは」

「じゃなきゃこんなどこにでもいる、冴えない……冴えない……26歳男のこと好きにはならんだろ」

「そんだけタメて俺を表す形容詞出て来なかったのかよ……それならいっそのこと徹底的にdisられたほうがまだマシだったわ」

「でもさ。お前のことすっげえ真面目に見てくれてるってのは事実だろ?」

「それは……」


 思いも寄らない高田の返しに、大智は言葉に詰まる。


「話を聞いてる限り、1ヶ月半の間、毎週末かかさず会って、毎回何時間もお互いのこと話してる。ゴルフのこととかさ、俺も知らなかったから」

「……」


 そうなのだ。高校生の頃までプロゴルファーを目指していたことは、高田にも話していなかった。元カノの件と違い、父親への愛憎混じりのこのエピソードは、笑い話にするのも難しいと思ったからだ。それを、葉豆とのことを話すなかで、高田にも初めて明かした。


「俺が聞く限り、彼女はお前とちゃんと向き合ってると思う。最初はお前のカラダ……筋肉目当てだったのかもだけど」

「言い直してくれてありがとう」


 周りの客や店員のお兄さんをチラッと見つつ、大智は述べる。


「でも話すなかで、だいだいの誠実な人柄を知ったんじゃないかな? じゃないと恋愛相談も進路の相談もしないだろ」

「誠実なって、そんな買いかぶり過ぎと言うか……」

「逆に聞くけど、お前が高校生だった頃、オトナなら誰でも相談相手になったか?」

「そんなことはない……けど」


 大智は言葉に窮する。たしかにそうだった。むしろ、信用できないと思えば、相手が教師であっても本音を出さなかった。


 高田は静かに続ける。

「そういう意味では、だ。むしろ、相手にちゃんと向き合ってないのはお前のほうじゃないか?」

「俺? なんで俺が」

「だって、17歳ってだけでその子のこと判断してんだぜ? めちゃくちゃ考えて、悩んだ末に告白したのかもしれないのに、『まだ若いから勘違いしてるんだ。絶対そうだ』って言ってるワケだし。いやいや、実年齢と精神年齢って違うだろ」

「……」


 大智は返すことができず、ただ黙る。高田はさらに続ける。


「さっきだいだい、自分のことを”ちょうどいい年上の男”って言ってたよな?」

「言った、けど……」

「それはまあ、相手が年上ってだけですぐ加点しちゃう女の子特有のあの感しがよくわかんねーって皮肉ってるんだろうし、俺もそこは結構同意だよ……でも、だいだいだって、その子のこと”世間知らずな女子高生”って決めつけてないかな? それってやってること同じじゃない?」

「……」

「俺、その子とちゃんと話したことないけど、女子高生ってそんなに子供かな? むしろ、女の子って俺ら男より全然色んなこと見えてるってイメージなんだけど」

「……」

「あと、その子、別に軽い感じの子じゃないんでしょ? クラスの男子の告白断ったんだし、昔にもそういう感じのことあったっぽいし。てか友達に『とりあえず付き合っちゃいなよ』って言われてるのにクラスの男子を振っちゃうんだから、かなーり自分で考えられる子だと思うけど」

「……」


 高田の言葉が、電撃のように大智の身体を通った。


 大智としては、葉豆のことを思って行動しようとしていたし、今までもそうしてきたつもりだった。一時的な勘違いのせいで、取るべきではない行動を取ってはいけない。気の迷いで、自分みたいな冴えないオッサンと付き合う必要なんかない……そんなふうに思っていた。


 しかし、高田にそうやって言われると、たしかに自分が、葉豆がまだ若いという理由だけで「勘違いに過ぎない」と考えていたことに気づく。葉豆ではなく、自分のほうが思い込んでいる可能性もあったのだ。当たり前の話だが、彼女より年上であること、多少はオトナであることに慢心したのか、頭の中から消えてしまっていたのだ。


「てかさ、だいだいは本当の自分を彼女は見てない的に言うけど、逆に本当の自分見てほしいと思う?」

「いや、そんな思春期みたいなことはもう……」

「でもそんな思春期みたいなこと言ってるようにしか俺には思えないけど」

「……」

 

 そして、またしても言葉に詰まる。そんな友人の姿を見て、高田は小さくはぁ……とため息を吐きつつ、優しい目で続けた。


「正直、彼女も勘違いしてると思う。だいだいのこと、過大評価してるとは思う。でもさ、思うんだよ。勘違いだとしても、今、本心ってのが大事なんじゃないか?」

「……」

「何年か経ってもっと大人になったときに『あいつ、じつは大したこと言ってなかったな』って思う可能性もある。でも、そもそも恋愛なんて勘違いから始まるもんだろ。10代もそうだし、大人になっても、オッサンになっても変わらない。むしろ、都合のいい勘違いができなくなったら恋の終わりだとすら俺は思うけど」


 恋愛なんて勘違いから始まる……少なくとも自分よりは恋愛経験の多そうな、見た目も今風の高田に言われると、大智はどこか納得してしまう感じがあった……し、思い返せば初めてできた彼女もそうだった。悪酔いして絡んでくる先輩から助けてくれたと、紗英が勘違いしたことから、ふたりの距離は縮まったのだ。


(忘れてたけど……あのときもそうだったんだよな……)


 大智にとって、今でも紗英は大きな存在だ。深く知る唯一の女性であり、ある意味では、女性を判断するひとつの軸でもあるワケで……。


「まあでもさ」


 思考が、紗英との想い出や、その深い領域にたどり着く前に、高田の声で我に返る。


「俺は好きだよ、だいだいのそういう真面目なとこ」

「高田……」

「これでもし、『JKと付き合える!! ひゃっふぅ!!』『若いカラダをグヘヘヘへ』とか言い出したら、どんな子なのか写真見せてもらった後に絶交するもん」

「お前、ホントにゲスだな……」


 そう言いつつ、大智はそれが冗談に過ぎないことを当然わかっている。大智のツッコミに、高田は満足げに笑ったあと、こう続けた。


「だからだよ。だいだいだからこそ、俺はその子とのこと、真面目に考えてみてほしい。お前なら、もしその子と付き合ったとしても、テキトーな付き合い方はしないだろうし、今抱えてる気持ちにも、折り合いをつけられると思う」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る