29 ひとりで抱えきれなくなった社畜は友人に相談する…

 社会人にとって、土曜日はある意味、飲みに行くのに一番適した日だ。


 まず、月曜から木曜までは普通に仕事で、翌日のことを考えると遅くまで飲みに行くのは難しい。昭和の時代には毎晩飲み歩き、会社では二日酔いでボーッとしている、みたいな仕事もあったかもしれないが、今の時代なかなかそんなポジションはないし、大智が所属する会社ではあり得ない。二日酔いをすれば、自分がその分だけ苦労する、ただそれだけである。


 金曜日は金曜日で一週間の疲れが溜まっているので、飲みに行けたとしてもコンディション的に万全ではないことも多い。どうでもいい世間話や愚痴を話すだけならそれで十分だが、冷静な思考が求められ、盛り上がり次第では長丁場になる可能性もある真面目な話の場合、曜日を改めるべきだ。


 日曜日は翌日が月曜日である時点で論外だ。遅くまで飲むことは当然できないし、18時開始21時解散という、高校生みたいな過ごし方になる。深い話はもう少し夜も深まってからするべきだ。


 というワケで、真面目な話は土曜日に限る。次の日が日曜日であるというのが最大の長所で、満足ゆくまで飲み、話をすることができる。金曜日が終電帰宅になったとしても、昼過ぎまで眠ればさすがに疲労も回復しているし、掃除や洗濯など平日にできなかった家事をしているうちにちょうどいい時間になる。無駄な過ごし方をせずに済み、漫然の状態で飲みに向かうことができる。


 だからこそ、土曜日は日曜日以上に価値が高いワケだが、そんな日の昼過ぎ、大智は高田にLINEを送っていた。大智はこの日、休日出勤ではなく、昨日の様子を見る限り、高田も会社に出なさそうな感じだった。


『あのさ、今日の夜空いてたりしない?』


 すぐに既読がつき、そこから十秒後くらいに返信がくる。


『おかけになった番号はただいま電波の届かないところに……』

『これ電話じゃねーからLINEだから』


 大智がそう返したことで、ラリーとなった。


『なんの用?』

『内容と、予約する店次第では予定空くかもしれない』

『例の件で』

『例の件?』

『わからんけど、青山一丁目のはまぐりの店がいいな』

『美味い飯なら予定も胃袋も空く気がする』

『その、女の子関係の話で……』

『予定空いてた、今空いた』

『店も居酒屋でいい。鳥貴でもいい。なんならコンビニでチューハイ缶買って立ちながらでも』

『俺が嫌だよそれは……はまぐりの店、予約しとくわ』

『わかった。19時でよろしく』

『オッケー。こちらこそよろしく頼む』


 高田との約束を取り付け、大智は小さくため息をついた。


(これで、少なくともひとりで抱え込まなくて済む……)


 葉豆に告白されてから一夜。大智は今も、自分の身に起きたこと、起きていることを受け止めきれずにいた。


 2日後に会う予定だったタイミングで急に呼び出されたことに違和感はあった。が、まさかあんなにすぐに、ストレートに想いを告げられるとは思わなかった。


 そりゃそうだ。自分はどこにでもいる、たいして冴えない26歳の男なのだ。顔がいいワケでもなく、愛想があまりないせいか、黙っていれば怖い人間だと勘違いされることもある。


 身長は高く、筋肉もあるほうだがべつにモデル体型ってワケでもないし、葉豆にマッサージしてもらうようになるまでは、正直ガタを感じ始めることもある。年齢的に加齢臭はしていないはずだが、いいニオイな、デオドラントな男子だとは思わない。見た目で言えば、高田のほうがずっと今風だろうし、まあ料理は喜んでくれたりしたが、でも土井善晴ほど上手なワケでもない。


(……デオドラントな男子ってなんだよ……)


 自分を冷静に捉えようとするあまり、へんてこな日本語を使ってしまう。昨夜からずっと、そんな思考の堂々巡りを繰り返していた。


 だからこそ、高田に会って話を聞いてもらおうと思ったのだ。頭がおかしくなりそうなときは、頭がおかしいヤツに会うのが一番なのだ。


「……」


 自然と壁のほう――言うまでもなく、葉豆の部屋のある壁のほうだ――を見てしまう。土曜日は来ないことが多く、今日も声や物音は聞こえていない。土曜日の昼過ぎにふさわしい、静かな空気が流れている。


 そして、視線を落とすと、今度はテーブルの上にある封筒が視界に入った。葉豆が渡してきたラブレ……手紙で、結局、開けることができず、そのままの状態にしてある。


 そこから視線を逸らすように顔をあげると、タンスの上の置き時計が視界に入った。時刻はまだ14時。高田との待ち合わせまであと5時間もある。


「高田にはやく会いたいって思う日が来るとはな……」



   ○○○



 大智と高田が待ち合わせることになった青山一丁目駅は、簡単に言えば「名前のわりにパッとしない駅」である。場所的には青山なのだが、北半分が赤坂御用地のためなにげに歩ける範囲が限られていることや、近くに表参道や外苑前、赤坂といった飲食店が多いエリアがある影響で、いい飯屋が少ないのだ。


 しかし、逆に言えばそれだけ穴場というのも事実で、オトナの相談事にはもってこいの店はそこかしこに点在している。


 大智が高田に要求され、予約した『焼きはまぐり 青山八番』もそんな店のひとつで、店員にストップと告げるまで永遠に出てくる、ちょっと狂ったシステムの焼きはまぐりが人気だ。(大智や高田は営業マンとしてクライアントと会食することが定期的にあるため、こういういい感じのお店を知っているのだ)


「おうおう、おっつおっつー」


 約束の18時を少し過ぎて、高田がやって来た。大智が通路側の席に座っていたため、奥側の座席にどかっと腰掛ける。


「悪いな、急に呼び出して」


 大智が言うと、高田は「いいんだ」と笑顔で顔を横に振る。


「気にするな。俺なんか土日は息するくらいしか予定ないし」

「否が応でも気になってくる言い方だな??」

「彼女もいないし趣味らしい趣味もないから、暇で暇で。暇すぎて、最近は週末になるたびバナナケーキ焼いてるよ」

「暇で趣味もなくてバナナケーキ……もうそれ趣味では?」

「いやいや、趣味って言えるレベルじゃないよ。べつにこだわってもいないし」

「そっか」

「バニラビーンズを隠し味で入れたり、紅茶を隠し味で入れたりとかその程度だから」

「結構こだわってるな……今度くれない?」

「いいよ」


 そこで店員のお兄さんがやって来て、ふたりはビールと食事メニューを何点か注文。エンドレス焼きはまぐりを開始してもらう。


「まあ今日は相談事あるらしいけど」

「うん」

「まあでもいきなりその話からするのも芸がないからさ、ちょっと世間話しようと思うけど、相手誰?」

「うん。絶対そうくると思った」

「あ、待った。先に言わせて。当ててみせるから」

「いいよ」


 そして、高田は姿勢を低くするようにして、顔を少しだけ大智に近づける。小声で喋っても聞こえるように……という配慮であることに気づき、大智も同じように姿勢を低くする。


「俺の予想ではさ、たぶん年上だと思うんだ」

「ほう」

「だいだい、学生のとき年上の子と付き合ってたって言うだろ? 俺、今まで年上全然興味なかったんだけど、最近になって良さわかってきてさ。あのなんていうか、程よく熟れた、体つきのちょっとだらしなくなってる感じの……」

「おい、話逸れてるぞ」

「年上。それで、たぶん社内だろうな。新しい習い事始めた的な話聞いてないし」

「なるほどな……どっちも違う」

「違ったかーっ!!」


 ガクッと高田がうなだれる。うなだれるようなことではない……と大智は思うが、話しながら、徐々に安心する気持ちが出てきていた。


 正直、ここに来るまでは不安な気持ちもあった。いくら高田と言えど、今自分の身に起きている事象は少々込み入りすぎているからだ……が、こんなテンションの高田を見ていると、本題に入る前から「こいつで良かったな」と思えてくるし、「意外と大丈夫なのかも……?」とも思えてくる。


(やっぱ、持つべきものは友だな……)


 そして、高田は大智ににこやかな笑顔を向ける。


「で、どんな子? 年下ってことは、だいだいが今26だから…25?」

「違う」

「24だな」

「違う」

「23か!」

「違う」

「……え、女子大生??」


 高田は笑顔を爆発させ、肘を大智にウリウリと押し当ててきた。


「おいおーいっ!! 26歳で女子大生の彼女ってお前なんやねーんっ!! 真面目な顔して結構ちゃっかりしてるやないかーいっ!!」

「ははは」

「……ん?」


 しかし、大智が肯定しなかったことで、高田の肘ウリウリが停止。声のトーンが下がり、少しだけ神妙な面持ちになる。


「……え、あれ」

「ははは」

「……だいだい、もしかして……」

「うん、相手の子、女子高生」


 そう言った瞬間、高田から笑顔が消えた。と同時に、大智は自分の予想がここにきて外れたことに気づく。そう思わざるを得ないほど、高田の顔は表情は凍りついていた。


「だいだい、今お前、女子高生って……」

「ちょっと待ってくれ高田。ちゃんと経緯とか話すから」

「経緯? 家出女子を拾った経緯? それともツイッターでナンパした経緯?」

「いやそういうのじゃなくてですね」


 予想外の反応に焦る大智だったが、間が悪いときはとことん間が悪いもの。そのタイミングで、店員のお兄さんがビールを持ってやって来た。


「ナマふたつでーす!」

「あ、どうもどうも」

「あの、お兄さん……瓶も追加でもらえます?」

「え、でも今持ってきたばっかで……」

「違います。飲むんじゃなくて殴る用です、こいつを」

「おい、殴るって」

「あと警察もお願いできます?」

「枝豆追加するみたいなノリで警察追加するな……あの、すいませんこいつ酔ってるみたいで」


 大智が必死にごまかすと、店員のお兄さんは「はぁ……」と若干困惑しつつも、笑顔で去っていった。仕事柄、ウザい客の絡みには慣れているのだろう。


 そして、大智は高田に向き合う。ついさっきまでの軽いノリはどこへやら、高田は真面目な表情を大智に向けていた。


「おい、できるだけ詳しく話せ」

「ああ……」


 高田の要請を受ける形で、大智はここ1ヶ月半の間に起こったことを話し始めた。

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