28 社畜はJKに告白される…

 東急田園都市線、三軒茶屋駅。通称・三茶。


 渋谷から2駅とアクセスが良く、テレビではオシャレタウン扱いされることも多い。その一方で住宅地としても人気で、下北沢が徒歩圏内(バスが出ているので歩く人は少ないが)ということもあって芸能人や文化人も多く住んでいる。


 国道246号線と世田谷通りの間に存在する三角地帯には、数多くの飲食店、バーが混在し、昭和の風情を残した雑多な飲み屋街を形成している。


 人がふたり並んで歩けば塞いでしまうような狭い道であり、すれ違う人の吐息が顔に当たって酒臭い。酒臭く感じないようにするためには、自分も酔って呼気を臭くするしかない。


 そこから世田谷通りを渡った先にある茶沢通り付近は、打って変わって雰囲気が変わる。


 三角地帯と同じように多数の酔客を確認できるものの、ビストロやイタリアン、バルなど軒を連ねているのがオシャレ感のある店だからか、まだ上品な酔い方の人が多い。


 とはいえ、三角地帯も茶沢通り沿いも、場所柄浮かれている人が多いのは共通しており、今日は金曜の夜ということもあって、やかましい笑い声を上げている集団も少なくなかった。


 そんな浮かれ人が集う街で、大智はひとり、神妙な面持ちで待ち合わせ場所へと向かっていた。


 改札を出ると階段を登って地上に出て、吉野家やカルディの前を通って信号を渡り、西友の前を経由してキャロットタワーへと向かう。三茶のシンボルと言える建物であり、芸能人の目撃率が異様に高いTSUTAYAとカルディがある以外は、とくにいい感じのショップもない、近隣住民にとっては良くも悪くも印象的な建物だ。


『だいちさん、もし良かったらこれから少し会えませんか……?』


 今日は金曜日。葉豆に整体をしてもらうことになっている日曜日までは、あと2日あるワケで、しかも時刻はすでに20時を回っている。


 葉豆がこの近くに住んでいることを考えても、落ち合うにしては遅い時間帯なのは間違いなかった。


『その、伝えたいことがあって……』


 続いた文言に大智が返信し、ラリーが生まれた。


『日曜日じゃダメなのかな?』

『ダメ……じゃないんですけど』

『でも、どうしても言いたくて』

『時間は取らせないので』

『ダメ……ですか?』


 それらの文言は、湿っぽい声で、勝手に脳内再生された。


 LINEを受けてから20分近く経ち、待ち合わせ場所に早足で向かっている今でも、大智はどうすべきか悩んでいた。


(これってあれだよな……つまり、そういうことだよな……??)


(でも普通に考えれば俺の勘違いだよな……そんなラノベとかアニメみたいな展開起きないはずだし……)


 ここにきて、真逆のふたつの感情の間で心が振れる。少しでも頭を冷やそうと、普段あがる階段ではないほうを使って、夜風に当たる時間を増やしたが、三茶はそこまで大きな街ではない。すでにキャロットタワーは近くにある。


 大智が葉豆と待ち合わせたのは、そのキャロットタワーの裏手の通りだった。


 地元住民やカフェ好きの間では人気のオシャレカフェ『マメヒコ』や、数年前に出来た高級食パンの店『銀座に志かわ』の並びにある、すでに閉店時間を過ぎて暗くなっている雑貨屋の前に葉豆は佇んでいた。


 キャロットタワーの方向からかすかに漏れる灯りの中、葉豆の姿が浮かび上がる。


 制服でも、見慣れた学校ジャージでもなく、白のワンピースだった。首周りと袖がレースになっており、スカート部分はクシュッとしてアクセントになっている。


 透明感、清潔感、女の子感……そのどれを取っても申し分のない出で立ちであり、近所を軽く歩くための格好じゃない。


(オッサンのキモい勘違い……ではなかったらしい)


 心の中でつぶやく、大智は覚悟を決めて、一度止めた歩みを進めた。表通りではないため人通りが少ないせいか、足音が響く気がする。程なくして、大智に気づいた葉豆が、胸元で小さく手を振った。なんだか、いつもよりしおらしい仕草だった。


「おまたせ。待った?」

「いえ、さっき来たとこです! 私のほうこそ、急にお呼びしてすいません」

「いや、いいんだ。今日は仕事早めに終わったし、予定もなかったし」

「そうですか……なら良かったです」


 恥じらうようにして、葉豆が微笑む。どう考えても、そういう微笑み方をするタイミングではなかった。


「じゃ、マメヒコ入ろうか?」

「マメヒコ……?」

「そこの店。知らない?」

「……あ、ああ」

「べつにマックでもいいんだけど、ここで立ち話するのもアレだしさ。ご両親には伝えた?」

「あ、あの!!」


 と、そこで葉豆が少しばかり大きな声を出した。


「……だい、じょうぶ、です……すぐに終わるので……」


 暗がりでもわかるほど、彼女は頬を赤く染めていた。


 と同時に、大智は無理やりにでもどこかの店に連れて入るべきだと後悔した……し、そもそも待ち合わせ場所を違うところにするべきだったとも思った。


 葉豆に指定されたときに、こうなる可能性を少しでも考えるべきだったのだ。



 ……だけど、もう遅かった。



「大智さん……」



 大智の中の、冷静なオトナの部分が、警告音を鳴らす。今からでも間に合う。すぐにでも話を遮って、うやむやにすれば間に合う……。



「私、大智さんのこと、好き……に、なっちゃって……」



 だけど、身体が動かなかった。筋肉が脳の司令を無視するうちに、脳も司令を出すのをやめた。


 考え、言い聞かせ、言葉を発し、四肢を動かす……葉豆の潤んだ瞳が、大智からあらゆる自由を奪った。


 非現実的な刺激のなか、大智は自分が呆然と立ち尽くす、棒のような存在へと化していくのを感じた。



「もし、よろしければ、なんですけど……その、私と……」



 熱を帯びた、甘ったるい声が大智の鼓膜に届く。



「付き合ってもらえませんか……?」



 消え入りそうな声で、葉豆は言い切った。


 声は震え、手も震え、それを隠そうとしてなのか両手同士がぎゅっと重ねられ、でも、それでも震えは隠しきれず……月明かりの下で、葉豆自身が小刻みに震えていた。



   ○○○



「私と……付き合ってもらえませんか……?」



 その言葉を聞いたとき。


 大智の胸の中に浮かんだのは、こんな感情だった。


(告白……させてしまった……)


 繰り返すが、大智としては、彼女の2度にわたる相談でーー1度目は恋愛相談で、2度目は進路に関する相談だったーーなにか大きなことをしたつもりはなかった。


 むしろ、オトナとしては非常にオーソドックスな、普通の行動を取ったまでだった。


 それが、どういうワケか葉豆の心の琴線に触れてしまった結果、告白に至った。


 なにをどう勘違いしたのかわからないが、自分のどこかを好きになってしまい、それが過大評価であることに気づくことなく、こうやって行動に移してしまった。


 そして、自分はそれを未然に防ぐことができなかった。自分みたいな、なんの取り柄も特徴もない人間のことを、好きになるはずなどないのに。


(おいおい、こんなオッサンに女子高生が告白だなんて……)


 あり得ない。それ以上に、あってはいけない……そう思った。


 かわいい女子高生に告白されて喜ぶなんて、アニメとかラノベの中の話で十分だし、そういうのの中の話だからこそ、なんにも考えずに喜べる……そんなふうにも思った。


「あの、大智さん?」


 名前を呼ばれ、大智は我に返る。目が合うと、葉豆はニッコリと微笑み、時間差でその頬に恥じらいの色に染まる。


「すいません。きっと、いや絶対、驚かせちゃいましたよね……?」


 一瞬、会話を盛り上げるためのジョークで言っているのかと思ったが、そんなことはなさそうだった。葉豆は、大智が今初めて自分の気持ちを知ったと思っているようだった。


(やっぱ……この子、天然だよな……)


 こんなときにも関わらず、いやこんなときだからか妙に冷静になり、大智はそんなことを思う。


 葉豆の予想とは裏腹に、大智は先週の時点で、その好意を察していた。


 オトナとしての理性や、自分が勘違いしているだけの可能性もある……と考えた結果、顔にもLINEにもそういう感じは出さなかったが、正直、今日なんじゃないかという予感も、電車の中から生まれていた。じゃないと、急な呼び出しの説明がつかないから。


「そう……だね。ある意味驚いたかも」


 とは言え、まさかこんなふうに、ストレートに想いを告げられるとは思っていなかった。


「えっと、今の子ってほら、そういうのはLINEとかで伝えるって聞いたことあったから」

「あ、そういうの……」

「た、たしかにそうかもしれません」

「だよね」


 大智が話をスライドさせると、葉豆は余裕のない笑みのまま、うなずく。頬の筋肉が引きつり、ぎこちない笑い方になっているのがわかった。


 だが、そんな余裕のない表情とは裏腹に、葉豆の言葉は力を取り戻していく。


「でも、私は直接言いたくて……冗談だと思われるのも嫌ですし……」

「葉豆ちゃん……」

「あと、これ」


 そう言うと、葉豆は肩にかけた小さなポシェットから、1枚の封筒を取り出した。猫の絵柄のかわいらしい封筒で、それが何であるか、大智は当然気づく。


 裏を見ると……非常にベタで自分までこっ恥ずかしい気持ちになるのだが……『♡』の形のテープで綴じられていた。


 表と裏を見た大智が顔をあげると、葉豆はもう彼の顔を見なくなっていた。つま先に向かって喋るかのように、うつむいたままの体勢で、口が動く。


「あの、返事はその、べつに焦ってないので……」

「返事……」

「こ、告白の、です……」

「あ、うん、そう、だね……」

「で、でも、聞かせてもらえると、嬉しい、です……」

「……うん。わかった」

「よ、よろしくお願いします……そ、それじゃあ、また日曜日に!!」


 そして、妙に元気な声でそう言うと、葉豆は逃げるようにして早足で駆けて行った。キャロットタワーの方向に進み、中に入る直前で振り向いた。後ろからの光で表情は見えないが、肩の位置で片方の手を振り、そして中へと入っていく。


 その姿が完全に見えなくなってからも、しばらくの間、大智はその場から動くことができなかった。


 自分の身に起こったことを、脳が処理するのを拒んでいるかのようだった。




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