24 社畜はJKに「かわいい」と言われて言葉を失う…

 その後、大智は葉豆とともに世田谷公園へと向かった。ここ最近、すっかり整体後の習慣と化している過ごし方だ。


 世田谷公園は、緑あふれるとてもいい公園だ。初夏に差し掛かっていることもあり、木々は青々と茂っていて、美しい木漏れ日が地面に揺れながら落ちている。小鳥のさえずりや虫の音が程よいBGMとなり、そこで過ごす人々に聴覚的な彩りを加える。


 公園の中央にある噴水広場付近はとくに時間の流れが緩やかに感じられ、東京にいると嫌でも聞こえてくる自動車のエンジン音なども消えている感じ。


 まあ、中心部に行くとエンジン音どころか、雑音という雑音が聞こえなくなる新宿御苑ほどではないのだが、でも都市生活者にとってはもはや非日常にすら感じられる御苑と違い(実際に足を運んだことがない人でも、新海誠監督の『言の葉の庭』を観ていたらなんとなく通じるのではないだろうか)、世田谷公園は日常の地続き、その少し先の離れた場所にいるような感じなのだ。一言で言うと、慌ただしい生活の中にあるオアシスという感じだろうか。


 そんな公園のベンチに、今日も大智と葉豆は並んで腰掛けた。近くのコーヒースタンドで購入したコーヒーをそれぞれ手に持っており、葉豆はすでに私服に着替えている。無地の白Tシャツに紺色のスカートという組み合わせで、シンプルだからこそ、彼女の素材の良さが引き立っていた。


「……」

「……」

「平和ですねえ……」

「そうだねえ」


 何気ない言葉がふたりの口からこぼれる。噴水で遊ぶ子供、じゃれあう子犬たち、芝生の坂に川の字で寝転ぶ若親子とその子供……目の前に流れる空気の緩やかさが乗り移ったかのように、葉豆はゆっくりとした口調だった。整体で体が軽くなっていることもあり、大智もこの空気一体を包む緩やかな空気感に、自分の体が溶け込んでいくような感覚を覚える。


 すると、不意に葉豆が大智のほうを向く。


「平和と言えばなんですけど」

「うん」

「大智さんって今おいくつでしたっけ?」

「……どうやったら『と言えば』になるのか謎だけど、26だよ」

「26歳!」

「で、今年27になる」

「27歳! ってことは私より、いち、に、さん……」

「9歳じゃない?」

「あ、9歳。そっか、9つも年上なんですね」

「9つ”も”って……」


 葉豆的には深い意味なく発した言葉なのだろうが、相対的に自分がオッサンになったような気がして、大智は思わず苦笑。


「自分的にはまだまだ若者のつもりだけど、そりゃ身体にガタも出始めるワケだ」

「そんなことないですよ!」

「えっ」

「ガタが出始めるって言いますけど、大智さんが今感じてる凝りなんてまだまだ序の口です!」

「……フォローしてくれると思いきや、怖いこと言うんだね?」


 葉豆の口調が少しだけ強くなったので、大智としては「まだまだ若者ですよ!」とでも言ってくれるのかと思ったが、実際はその逆。現実を突きつけてきた。


 しかし、葉豆はどこかほこらしげに、まるで先生でもあるかのような口調で続ける。


「骨が神経に当たって炎症したり、軟骨がすり減って歩くだけで痛くなったり、それをかばおうとしてさらに骨格が歪んだり……みたいなのはやっぱり中高年以降で出てくるモノなので」

「……」


 でも、実際そうなのかもしれない。葉豆に週イチで整体してもらうようになり、会話を重ねるうちに、大智はいつしか街中や会社ですれ違う人の姿勢や歩き方を見るようになっていた。会社には猫背の人や肩が前に入って丸くなっている人をたくさん見かけるし、お年寄りになると体がすっかり歪んでしまって、左右の足の長さが全然違っているような人も少なくない。


 ある意味、それは長く人生を生きてきた証であり、生きるうえで誰もが大なり小なり味わうことになるモノであるとも言えるワケだが、そうは言っても『炎症』とか『痛み』のような単語を耳にすると、思わず胸の奥がギュンとなってしまう。それがまだ20代の大智の感覚だった。


「でも、整体を続けていれば大丈夫です!」


 大智が不安げな顔をしていたからだろうか、葉豆が威勢よくそう述べる。青空が背景に似合う彼女の爽やかな笑顔は、大智の心に生まれる漠然とした不安を晴らしてくれる。


「整体を続けてれば、か。そうなればいいな」

「私も頑張ってもっと技術身につけるので!」

「頼もしいな」

「ぜひともご贔屓に、です!」

「うん、むしろお金早く払いたいからね……仕事が忙しい分、俺自身も気をつけないとだね」

「それはそうかもですね」


 ニコッと微笑み、葉豆は豆乳ラテを口に含む。その綺麗な首筋が小さく動いたのち、彼女は漏らすようにこう続けた。


「でも今日お話してて思いました。大智さんみたいにオトナな男性でも、悩むことってあるんですね」

「そりゃあるよ、人間だもの……って俺べつにオトナな男性でもないけどね?」

「そうなんですか?」

「そうだよ」


 大智としては当然のことを言ったつもりだった。気がつけば20代後半になっているとはいえ、自分が内面的に成熟しているとは思えず、むしろ些細なことで腹を立てたり、精神的に落ちたり、子供っぽい面が多分に残っている。他者に対してそれをさらけ出さない術を少しは身に着けただけで、だからこそ、子供っぽさは昔以上に感じてしまう……という感じ。


 が、葉豆は逆質問だった。しかも、彼女のキョトン顔を見ると、本気で不思議だと感じていることがわかる。


「少なくとも高校生のときは、今くらいの年齢になったときはもっとちゃんとしたオトナになってるはずだった」

「ちゃんとしたオトナ、ですか」

「うん」

「どういう人を言います?」


 葉豆が尋ねてくる。


「えっと……ちゃんと仕事してて……」

「してるじゃないですか」

「経済的に自立してて……」

「それもしてますよね」

「ヒモ男とかでもなく……」

「ヒモもなにも、彼女いないじゃないですか」

「……」


 葉豆の指摘に、思わず黙る大智。とくに最後はこたえた。事実を告げられただけなのに、いや事実を事実として告げられたからこそ、胸にクルものがあると言うか。


 だが、そんなふうにやり取りしているうちに、大智は葉豆の指摘に納得し始めていた。と同時に、漠然と自分自身に対して疑いなく抱いていた『ちゃんとしたオトナになれていない』という感覚が、じつは根拠に乏しいモノなので、自分で勝手に思い込んでいたのではないかと思えてくる。


「……でもそうやって聞くとたしかに俺、意外とちゃんとオトナやれてるかも」

「そうですよ!」

「きちんと仕事してるし、料理してるし納税もしてるし、ゴミの日とか間違えないし、ポストも毎日見てるし」

「それだけやってたらもう十分です! 少なくともクラスの男子にそういう人はいません」

「そりゃ高校生はそうでしょ」

「でも、ちゃんとオトナしてる大智さんが偉いのは間違いないです! よしよしーです!!」

「はは、ありがと」


 軽く感謝の言葉を述べたところ、葉豆はさらにニコリと微笑を強くする。一瞬なにか言いたげな様子に見えたが、言葉は続いて出てこなかった。なので、まとめるように大智はこう述べる。


「とりあえずまあ、ありがとね。正直、自分で仕事のストレスを自覚できてない時点で、まだまだオトナになれてる感はないんだけど」

「でも、弱い部分とか不器用な部分が見えたほうが、年下としては親しみが持てます」

「そうなんだ。それは悪いことじゃないかな?」

「……し、最近はなんかそれを飛び越えて”かわいいな”って」

「……え。かわいい?」

「はい。かわいいですよ?」

「え、お、俺が?」

「はい、そーです」


 反射的に二度聞き返した大智に対し、葉豆は笑顔のままコクンとうなずく。それも、丁寧に二度。


「今話してるの大智さんしかいませんし、そりゃ大智さんのことで……あ、もしかして女の子には『格好いい』って言われたい派、ですか……?」

「いやそういう意味じゃなく……」


 上目遣いで尋ねる葉豆を見て、大智はすぐに否定。そして、言葉に詰まる。


 かわいいという言葉を女性から投げかけられた経験自体数えるほどしかないのに、その相手が9つも下の女子高校生となると、もうどう反応していいのかわからなかった……が、男としてのなにかが働いたのか、


「ちなみに……なにゆえに?」


 口が自然と動いた。出た言葉は少し自然じゃない堅苦しい感じになったところで、口が自然に動いたことがわかるだろう。すると、葉豆は「んー」と言いつつ、


「大智さんって、なんだか顔がちょっとアライグマっぽいじゃないですか?」


 などと続ける。


「え、アライグマ?」

「はい!」

「顔の話?」

「顔とか、笑ったときの顔とか」

「ってことは顔か」

「顔ですね。あ、でもちょっと犬っぽくもあるかも……?」

「犬っぽいはたまに言われるかも……」

「そーゆーのが背景ん? にあるのかもです!」

「な、なるほど……なるほどなのか?」


 大智としては、拍子抜けしつつ、さらに困惑する一連の返答だった。


「あとは、なんかオトナだけどたまに無邪気な感じとか。今お喋りしてても『ゴミの日とか間違えない』とか『ポスト毎日見てる』とか言うでしょう? 言葉のチョイスがかわいいですし、それに、そういう何気ないとこ想像すると、かわいいなあ……って」


 葉豆は、まるで独り言でも言うかのような口調で語った。それに対し、大智が思ったのはこうだった。


(やばい……なにが無邪気なのか、一切理解できん……)


 無理もない。だって大智は望んでアライグマっぽい、犬っぽくもある顔で生まれてきたワケではないし、普段鏡を見て意識することもないし、ゴミ捨てやポストチェックをしつつ「俺って無邪気だな」などとは思っていないのだから。もしそんなふうに思っていたら、自意識過剰でヤバい人間だと言える。


「鬼ごっこしてる……あっ、転んだ。大丈夫かな……ふふっ」


 しかし、当の本人は今、少し離れたところで遊んでいる小さな子供たちを見て微笑んでおり、これ以上会話を続ける予定はないようだった。結果、葉豆の気持ちがますますわからなくなり、大智は急に放り出されたような宙ぶらりんな気持ちになってしまう。


(困った、本当に何を考えてるのかわからない……9歳年上のオッサンリーマンが普通に生活してるだけなのになぜにかわいく思えるんだ? JKってこういう生き物なのか? 普通にこの子が変わってるってだけ??)


 あまりにも掴みどころのない態度に、心のなかでそんなふうに思ってしまう大智だったが、不意に葉豆がつぶやく。


「大智さん。じつは私も今、その、悩んでることがあって……」

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