22 社畜は新しいスポーツを始めようと考える…
その日の帰りの電車。電車の座席に腰掛けず、あえて背伸び運動をして脚の筋トレに精を出しながら、大智は山岸とのやり取りを思い出していた。
(そういや、あれはなんだったんだろう……)
あの後、大智は山岸と一緒にオフィスに戻った。のだが、途中から山岸はどこかぎこちなくなっていた。そして、オフィスに入る直前に山岸が、
「大久保、お前はこの会社でどうなりたいんだ?」
と聞いてきたのだ。
基本的になんでも「オレガオレガ」な山岸が、上司らしいことを言うのは非常に珍しいことだ。ゆえに、大智は意図を汲めず、キョトンとしてしまったのだが、すると山岸はどこか照れたような感じで、
「お前は仕事ができるだろ? だから出世とか考えてんのかなって」
と続けたのである。これに対し、「出世は考えてないっすね。俺たちの世代はみんなそうじゃないですか?」と返した結果、山岸は「そうか。そうだよな」とだけつぶやき、自席へと先に戻っていった。
(俺が昇進するように部長に掛け合ってくれるとか? ……いや、まさかな。そうなると、必然的に自分のチームから俺が外れることになるもんな)
そして、大智は山岸という人間について改めて考える。
もともとスポーツマンで、社会人になるまで体育会系の環境にいた大智にとって、山岸のような人間はある程度見慣れた存在だ。だから、新卒の過半数が抱く嫌悪感や敵意を山岸に抱くこともないし、最近は笑顔で接しこそすれ、話はわりと聞いていなかったりする。
それに、人間としてではなく上司という観点でみても、山岸はある意味ではやりやすい存在でもある。仕事にまだ慣れておらず、サポートが必要な新卒~2年目と違い、ひとりで仕事を回すことができる今は、手柄さえ与えておけば口を挟んでこない山岸は逆に楽だったりするのだ。
(……でも、あの人とずっと一緒にいるのは余裕でゴメンだな)
もっとも、大智はとっくの昔に山岸に愛想を尽かしていた。周りの人間が心配するほどのストレスは自分では感じていなかったが、だからと言って接していて気持ちのいい人間ではないのは間違いないし、山岸といると他の社員との間に壁ができてしまう、というのも理由だった。
(とは言え、俺が高田のチームに移動するとか、絶対なさそうなんだけどな)
多くの人間が集う以上、企業には必ず割を食う人間が発生する。同情こそすれ、火傷を負いたくないので周囲の人間は遠巻きに見ているだけ。対岸の火事とはよく言ったものだ。そして、その燃えやすい場所にたまたま住むことになったのが自分だっただけ……と大智は思う。
「ふわああ……」
深いあくびが出た。まるで、山岸とのアレコレを他人事であるかのように思っていそうな、そんな気の抜けたあくびだった。
(なんかちょっと疲れたな。週明けは元気たっぷりだったはずなのに……山岸さんのこと考えるのはよそう)
と、そんなふうに思ったところで、ちょうどポケットの中のスマホが振動する。開くと、葉豆からLINEが来ていた。
「え……」
昼にやり取りしてからチェックしていなかったのだが、葉豆はその後もLINEしてきていたようで、通知は10件近くになっていた。内容はこんな感じ。
『お疲れ様です! 大智さんまだお仕事ですか??』
『ってまだ17時なんだし仕事ですよね(笑)』
『私は学校終わって、バスケ部の子の整体してました!!』
『ちなみに女の子ですよ!!』
『いいお尻でした!!(笑)』
『そうだ、今週末の整体、まだやったことのないヤツ試していいですか??』
『すごく腰に効くんですよ!!』
『今から家に帰りまーす!!』
『帰りました!!』
『晩ごはんはチキン南蛮でした!!』
非常にとりとめもない感じであり、とくに最後に送信されていたチキン南蛮の写真がダメ押ししていた。
これがもしオシャレなカフェのスイーツ的なサムシングなら、オッサンリーマンの大智としても「インスタ映えってやつだね」とか「俺には甘くてしんどいかな?」とか、オッサンならではのポジショントークをとりあえずすることができるのだが、本当に普通のチキン南蛮だったのだ。日常感のあふれる、フツーの晩ごはん。
強いて言えば衣少なめで、おそらく母親、つまりあの有名ランナーの富久南帆子の手料理っぽいってことがツッツキポイントなのかもだが、残念ながら大智は世代的に『南帆ちゃん』のファンではない。(彼女は昔、アイドル的な人気を誇っていたのだ)
ゆえにどう返信していいのか早速わからないし、リアルタイムで見ていたら困ったであろうことは容易に想像できただろうが、大智が一番強く思ったのはこういうことだった。
「……この子、なんで俺に自分の行動を逐一報告してくるんだ??」
思わず声に出てしまった。隣に座っていた、同年代くらいのOLがビクッとしてこちらを見た。大智は軽く頭を下げ、視線を逸しながら、こんなふうに返してみた。
『お疲れさま。俺は今帰宅中』
『ちなみにここLINEだけど、ツイッターと間違えてる?』
すると、十数秒と経たないうちに既読がつき、返信がくる。
『お仕事、遅くまでお疲れ様です!!』
『今日は20時だから全然早いけどね』
『そうなんですね!!』
『ここがLINEなのわかってますよ?』
『大智さん、ツイッターやってるんですか??』
(……ダメだ。話が全っ然噛み合っていない……)
なんとなく予想していたことではあったが、葉豆は大智のジョークの意図を理解していないようだった。そして、それだけでなく、ツイッターに話を持っていく豪腕。
(これ、アカウント教え合う流れか……?)
なお、大智は本当はツイッターのアカウントを持っているが、仕事で役立ちそうなビジネスパーソンをフォローしてるだけなので、あと気まぐれで何人か美人な女優さん的な人をフォローしていた気もするので、教えられるようなモノでもなかった。
『ツイッターはやってないんだ』
『そうなんですね!!』
『てかSNSはやってない。あんま肌に合わなくて』
そもそも、現役女子高校生の葉豆と違い、大智はごく普通のどこにでもいる社畜である。家と会社の往復の毎日であり、SNSに投稿するような刺激的な出来事も皆無だ。
ゆえに、大智は話を変えることにする。
『葉豆ちゃんに教わったとおり、電車の中で立ったままつま先立ち運動してるんだよ』
『お!』
『なんとなく足の筋肉が柔らかくなった気がする』
すかさず、葉豆が話に乗ってきた。
『それはすごくいいですね!!』
『太もも揉むの今から楽しみです♡』
『楽しみって……』
『運動は大事ですからね!!』
『楽しめるとなお良いですね!!』
葉豆らしい返信だったが、ふと、その文言を見ていて大智は思った。自分の生活から運動習慣が失われたのはいつだったのだろう、ということを。
高校時代までは例のごとく、ずっとゴルフをしていた。プロテスト直前に腰を痛め、プロになる夢を断念。大学時代にジムでバイトをしていたのも、腰を労りつつ、適度にトレーニングをして腰を治したいという想いからだった。だからこそ、当時はバイト終わりにそのままマシンでトレーニングしたり、ランニングマシンで走ったりもしていた。
趣味が高じて、ハーフマラソンに出場したこともあった。葛西臨海公園で行なわれた、ナイトハーフマラソンだ。この大会は本来マラソンのオフシーズンである、夏から秋にかけて開催され、その名の通り、日が沈んだ後にハーフを走る。ロッカーなどは駅付近にしかないため、ひとりで参加するとリュックなどの類いは、ビニールシートが敷かれた簡易な荷物置き場に置くことになるのだが、そのことを彼女に話したところ、「じゃあ荷物番するよ」と言ってくれたのだ。
彼女……と言うのはもちろん、紗英のことだ。
ジムで出会い、恋愛関係に発展した1歳年上の元恋人・神楽紗英。
ジムでバイトするだけあって、紗英もスポーツ好きだった。中高大とソフトテニスをずっとやっていて、大智とはよく一緒にスカッシュで遊んでいた。コートが狭いことや、壁を目印とすることができるなどの理由で、未経験者の大智とでも普通にプレイすることができたのだ。当時の大智はまだ腰に痛みを感じることがあったため、そこを配慮しつつのプレイではあったが、恋人とのスポーツは格別の楽しさがあり、今でも大智のなかでは鮮明な記憶として残っている。
その後、お互いに若さゆえの嫉妬をつのらせ、破局。紗英がバイト先を辞めると、大智も後を追うようにして辞めた。
結果、ジムで体を動かす機会が減り、ランニングからも遠ざかり、気づけば就職活動が忙しくなり、社会人になり、社畜と化し、今に至る……なんだか情けないが、振り返ればそんな感じだった。
(女の子と別れて運動しなくなるって、我ながらダサいな……)
大智は、ひとり苦笑を浮かべる。と同時に、胸の奥が今でも小さくうずくのを感じた。
(でもそれ以上に、紗英のことを今も……いや、それはやめよう)
大智は自分に言い聞かせた。
(ちょっと早く帰れるようになったからって、昔のこと思い出してたら意味ないよな……)
そして、スマホに視線を落とすと、当然ながら葉豆からのメッセージが目に入る。
『運動は大事ですからね!!』
『楽しめるとなお良いですね!!』
(……なんかスポーツ始めよっかな。ゴルフとスカッシュとランニング以外で)
『あのさ、葉豆ちゃん』
『はいなんでしょう!?』
『仕事に少し余裕出てきたからまたなんかスポーツしたいなって思うんだけど、オススメとかないかな?』
『なるほど!! ちなみにどんなのがイイとかあります??』
『ないから聞いてるんだけど、でもマシントレーニングはもういいかな。昔やったから。あとゴルフ、ランニング、スカッシュも』
『ランニングとスカッシュがどうしてなのか気になりますが、一旦了解です!!』
そして、そこで葉豆から一旦LINEが途絶える。なにかいいスポーツを考えているのだろう……と思っていると、十数秒ほど経って、
『ボルダリングなんてどうでしょう?』
と来る。ボルダリングか、その考えはなかった、と大智は思った。
『楽しみながらやれますし、大智さんの場合、体幹の筋肉がしっかりしてるんで合うと思うんです!』
『なるほど』
『あと、肩凝り予防になります!!』
『結局そこなのね』
『いえ、大事なことですよ!!』
そしてその後、URLも届いた。タップしてみると、それは都内にあるクライミングジムがまとめられたページであった。順番に最寄り駅を確認していくと……
(あ、会社から近いじゃんここ……ボルダリングか。いいかもな……)
『ボルダリング、一回予約してみるよ』
『ホントですか?? 楽しめること願ってます!!』
『まあ仕事終わりだから来週だけど。だから感想は少し先かな?』
『そうですね!』
『その前に整体ですね!!』
『大智さんの進化したふくらはぎに会えるの、今から楽しみです!!』
『うん』
『ボルダリング始めたら、腕とか体幹も進化しますね!!』
『保証はできないけどね。とりあえず今週末もよろしく』
苦笑しつつ、何度かスタンプを送り合ううちに、自然とLINEは終わった。
そして、大事は先程見つけたボルダリングジムを予約する。初めての人は予約しないといけないシステムのようで、一応定員の枠もあったようだが、21時と遅めの時間帯だったこともあってか、問題なく予約することができた。
(なんか久しぶりだな、この感じ……あとは急な残業が入らないように願うだけだな)
しばらく消えていた、体を動かすことへのワクワク感を胸に感じて、大智はひとりほくそ笑んだ。
しかし、このときの大智は知る由もなかったのだった。このボルダリング挑戦が、思わぬ再会に繋がることなど。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます