21 社畜はアホ上司に振り回される…
大智のチームは何度も述べてるとおり、少数精鋭()の2人体制である。基本的にこの会社では新卒が3ヶ月の研修期間を終えると様々なチームに配属され、実際に業務を行ないながら会社員としてのスキルを身につけていくのだが、山岸が新卒を毎年のように壊し、退職に追いやった結果、新卒の補充もなくなり、大智と山岸だけのチームになってしまった。
そういう経緯で、大智と山岸はふたりでは到底抱えきれないような数の案件を持つことになったのだが、業務量的には大智のほうが圧倒的に多いのが実態だった。山岸はもともと広告代理店の営業マンなので、クライアントへのプレゼンなどは得意なのだが、細かい数値を読んだり分析するのは苦手なのだ。
ゆえに、定期レポート作成などはすべて大智が担当。その間、山岸は『新規顧客開拓』と言って、外に出ていることが多かった。
「おい、大久保帰ったぞ!!」
「お疲れ様です、山岸さん」
そういうワケで、ひとりで外回りに出ていた山岸が帰ってきた。
顔立ちそのものは特徴のない、薄い塩顔なのだが、スーツを着ていてもひと目でわかるガタイの良さをしており、身長は180センチオーバー。170センチ台後半で、それなりに筋肉質な大智よりも2回りほど大きい。広告代理店の営業畑を歩んできたのも納得の、いかにも体育会系の風貌だ。実際、大学時代までずっとアメフトをやっていたと飲み会の席で何十回も大智は聞いていた。
机のうえにカバンをバンと置くと、山岸はそのままイスにドガッと腰をおろす。彼の立てる音の大きさと反比例するように、それまで和やかに会話していた周囲の社員たちは静かになっていた。
「おい大久保、ちょっと休憩付き合えよ」
そう言うと、大智が「いいですよ」とも「嫌です」とも答える前に、背を向けて足早にオフィスの外へと向かっていく。スマホだけ持ってその後を追いかける大智を、周囲の社員は同情、あるいは哀れみにも近い目で見ていた。
(そんな目で見るなら代わりに行ってくれればいいんだけどな……)
大智は心の中でそんなふうに思ってみたりもするが、口に出したところで断られるのがオチだし、犠牲者を増やしたいとも思わないので何も言わなかった。
そして、廊下に出ると山岸はすでにエレベーターホールの前にいた。
「早くしろよ」
急かされるまま乗り込むが、山岸は忙しそうに誰かに電話していた。他の会社の人もいるなかでこれなのだから、かなり非常識な行為だが、直後、ある意味ではそれ以上に常識外れな行動をすることになる。地下一階に到着すると、山岸はガラス張りの部屋に入って行ったのだ。そう、喫煙ルームである。
ここで大事なのが、大智は非喫煙者であるということ、そしてそれを山岸が知ったうえで、ここに入るよう要求していることだった。
正直、大智はタバコが苦手である。幼い頃からゴルフ練習場、いわゆる打ちっ放しに通ってきたなかで、ヤニ臭いオッサンたちをたくさん見てきたことがその理由だ。
だが、同時に体育会系の中で生きてきた者として、ここで嫌な表情をして事を荒立てるのが、自分にとって得ではないことも大智は理解していた。
なので、ためらうことなく喫煙ルームに入った。大きなビルで唯一の喫煙所なので、それなりに広いスペースなのだが、目下喫煙休憩中の人々でそれなりに混み合っていた。換気機能がおいつかず、モクモクと白い煙が立ち込めている。
「ちっ、くっせえな……紙タバコなんか辞めろよな……」
加熱式タバコを吹かしながら、山岸が小さな声でぼやく。
「やっぱ加熱式に変えたらニオイ気になりますか?」
「気になるよ。臭くて仕方ねーもん」
「ははは。でも間違いないっす」
「カフェで仕事してっと、喫煙室に吸いに行って戻ってくるヤツいるだろ。あれもうマナー違反だよな。普通にくせーし、息するたびにこっちにニオイが流れてくる。腹立ってぶち殺したくなるもん」
「間違いないっす。でも、そう言いつつ小さな声にしてくださってる山岸さんに感謝です」
「当ったり前だろ。社長とかいるかもしれねえんだしな」
そんなことを言いながら、山岸は得意げに笑った。そもそも公共の場で悪口を言うべきではないとか、自分が臭いと思うなら同じように大智も思っているのではないかとか、そういったことに思考や想像をめぐらせることはできないらしい。
「それで、今日はどういった用件で?」
大智が切り出すと、山岸はニヤリと笑う。
「じつはさっき、イットメディア社の人から連絡あったんだけど、この2週間で収益めちゃめちゃ上がってるらしいな」
「あ、そうなんですか?」
「その言い方するってこたぁ、お前のとこにはまだ連絡来てないんだな?」
その問いかけに、大智は黙ってうなずく。すると、山岸の瞳に安堵の色がちらついた。
「安心したわ。ほらお前、プレゼンのときにすげー無理目な数字出してただろ? だから予算達成できないんじゃねーかと思ってたんだけど案外イケるかもって今なってて」
「おー、それは嬉しいですね!」
「まあクライアントにはテキトーに合わせておいたけど……お前、ぶっちゃけ何か新しい施策でもやったのか?」
そこで一段、山岸の声のトーンが落ちた。
(なるほど、そういうアレで俺を呼び出したんだな……)
山岸の言っているのは、彼がメインで請け負っている案件のことだった。3ヶ月ほど前に走り始めたモノなのだが、山岸がプレゼンのときにほぼ不可能な数字を「ウチなら余裕です!」とか言って受注が決まった経緯があった。つまり、無理目な数字を出したのは山岸であって、大智は言われるがまま資料を作った感じだったのだが、彼の脳内ではすでに記憶が改ざんされていたらしい。
というのはさておき、大智は頭の中でこう思う。
(このオッサン、マジで自分の案件全然チェックしてないんだな……)
山岸チームは山岸、大智がそれぞれ半々程度の分担でクライアントへの提案、連絡などを受け持っているが、資料作りや制作会社やフリーランスエンジニア・デザイナーへの指示などは大智が100%受け持っている。
これを簡単に言うと「上司(山岸)が部下(大智)をこき使いながら、自分はその成果だけを享受している」ということになるのだが、仕事である以上、大智も山岸に日々色んな書類・資料をチェックに回している。
山岸が言っているのも、当然彼の承認を経て、広告枠の大規模な変化が行なわれ、それが成功して大幅な収益増に成功した……という案件だった。
つまり、山岸はそれを、すっかり忘れているのである。というか、そもそも忘れる前に覚えていない可能性が高かった。
(魔法の小槌でも使えると思ってんのか、この人は……)
(あと当然、俺のところにも連絡来てるんだよ……自分より先に部下に連絡来てたって知ったらあんたのプライド傷つくと思って合わせたけど)
そんなことを思う大智だったが、当然ながら山岸が忘れていたことを指摘するワケにもいかず、笑顔でごまかすことに決めた。
「いやー、べつに大したことはやってないですけどねー! ただ、制作会社とのコミュニケーションが取れてきた感はありますね!」
「そうか。コミュニケーションは大事だもんな」
「間違いないっす。コミュニケーションはやっぱ一番大事っす」
「俺と大久保がうまくやれてるのも、こうやってコミュニケーション取れてるからだもんな!!」
「間違いないっす。ほんとそれです」
「まあ、上司には監督責任ってもんがあるワケだし、それにお前は俺が育てたようなもんだから、俺も責任感持って接してやりたいってだけなんだけどな」
「それもわかってますよ。山岸さんにはいつも感謝してるんで」
嬉しそうに、照れ混じりで語る山岸に、大智は笑顔でテキトーに合わせていた。
体育会系の、と言ってしまうとそうでない人たちに失礼が及ぶ可能性があるが、少なくとも大智の経験上では、体育会系の先輩には、一定割合で山岸のような人間が存在していた。ノリ(勢いとも)と根性で生きている、頭の悪い人間だ。
頭が悪いので先輩後輩・上司部下の上下関係を絶対だと信じて疑わず(どれくらい疑って無いかと言うと、コペルニクス以前の天動説信者くらい疑っていない)、部下を「なんでも言うことの聞く存在」だと考えている。
そのうえ頭が悪いので、部下のほうが優秀である可能性など1ミリも想像できず、常に自分が指導する側だと思っており、さらにやっぱり頭が悪いので部下のお世辞をお世辞だと疑わない。
だけども、そうやって普段から「部下・年下・出身校の後輩は全員俺より格下」と思っている分、自分がないがしろにされることには異常に敏感だ。自分なんかよりずっと優秀な人がたくさんいることに気づいていないので、部下が優秀な一面を出すと、勝手に下剋上されたような気持ちになるのだ。
大智は、そういうことを人生の中で学んできたため、山岸にはとにかくテキトーに合わせていた。とにかく笑顔で接し、山岸の言うことにはすべて「間違いないっす」と返し、成果を奪い取られても腹を立てない……心を無にして褒め称えていれば、単細胞な分、大智にとって山岸は扱いやすいくらいだった。
でも、である。何事にも限度があるのも事実だ。表情筋が攣りそうになりながら、大智は心の中でシンプルにこう思っていた。
(このオッサン、本当に痛いな……正直、限界が近づきつつあるわ……)
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