19 社畜は一気に有能な社員に変貌する…

 週末、大智が葉豆に整体をしてもらうようになって1ヶ月が過ぎた。


 日曜日の朝10時に葉豆が大智の部屋を訪れ、ふたりで隣室に移動。1時間かけて疲労のたまった身体に、じっくりとメンテナンスを施していく。


 そして、整体を終えると大智が料理を作り、お腹を空かせて(普段以上に)天然になった、というかボケボケした葉豆にふるまう。もちろん大智も食べる。


 その後、ふたりで一緒に公園に散歩に行く。初回こそ張り切ってバトミントンをしていが、その後はどちらともなくベンチに座って、近くのコーヒーショップで買った飲み物ーープロテイン的観点から、葉豆はソイラテしか注文しなかったーーを飲みつつ、お喋りに花を咲かせるようになった。お喋りと言うだけあって、他愛のない世間話が中心で、恋愛相談的なイベントは発生しなかった。


 そんな時間を重ねるなかで、大智は少しずつ、葉豆のことに詳しくなっていった。


 小さい頃から父親の姿を見ていたことが、今の夢に繋がっているということ。


 スポーツ経験は「痛みや凝りがわかったほうが、整体師は上達する」という教えから、いろんなスポーツに挑戦してきたこと。


 スポーツ全般が得意だが、勉強もそれなりに得意だということ。


 テレビよりもYouTubeのほうがよく観るということ。


 友達は多いが、ひとりでいるのが楽な性格だということ。


 遊びに誘われても断ることが多いが、誘われないとさみしい気持ちになるので「誘われて断る」のが一番いいということ。


 ……とか、そんなことを大智は色々と聞いた。葉豆の話は、年相応の女子高生らしいエピソードなこともあれば、もういいオッサンの大智が驚くほどしっかりしたエピソードなこともあった。


 そして、次第にそうやって葉豆と過ごす週末が、大智にとっていいリフレッシュになっていった。


 でも、それは至極当たり前の話だろう。かわいい女子高生に無償でマッサージしてもらい、誰にも褒められてこなかった手料理に「美味しいです!!」と感激してもらい、おまけに公園で過ごしてもらう……そんな過ごし方をして、リフレッシュしない社畜などいるはずがない。これがもし仮にレンタル彼女だったなら、1日で数万円はかかってしまうことだろう。



   ○○○



 そんな週末を重ねるうちに、仕事面でも変化が生まれた。ますます調子が良くなったのだ。


 以前は、朝起きた時点ですでに疲れていた。そもそも4~5時間程度の睡眠で消える程度の累積疲労ではなかったことや、一日中液晶画面を見ていたことで、身体は疲弊しきっているにも関わらず夜中でも頭が冴え、寝付きが悪く、浅くて質の悪い睡眠になっていたことが原因だった。夜は眠れないのに昼は眠い……社会人になって以降、大智はずっとそんな感じだった。



 そして、そんな状態で朝飯をなんとか胃袋の中に押し込み、急ぎ足で駅に向かって満員電車に乗り込む。都会の電車なので当然激混みで、会社に着く頃にはすっかり疲れてしまっていた。


 だから、始業は10時ではあるが、すぐに着手することなどできない。コーヒーを飲んで脳と体を起こしつつ、メール返信というそこまで頭の使わない作業を1時間から1時間半かけて行なうとやっと頭が働いてきて、事実上の始業を迎える……のだが、少しずつエンジンがかかってきた頃に、会社の指定する昼休みの時間になる。ルールとして、昼休み終了時には着席していないといけないので、必然的に仕事は中断することになる。


 そして、昼休み後に午後の業務が開始するワケだが昼休み後なので当然眠いし、夕方になると早くも身体の疲労が限界に達してきた。


 夜前に晩飯とエナジードリンクを飲んで身体と心をごまかすのだが、もはや効いている感覚は皆無。終電ギリギリになるまで働くも、業務は終わらず、月曜や火曜の時点で休日出勤を考えていた。


 と、そんなふうにここ数年過ごしていた大智だったが、葉豆と出会ってから、彼女の整体を受けるようになってからすべてが一変した。


 まず、目覚めが段違いに良くなった。睡眠が深くなったおかげで疲労回復スピードも上がったのか、朝起きた時点で疲れているというこよはなくなった。胃腸の調子がいいので朝から朝食を食べることができ、咀嚼することで眠気も覚めていく。


 軽やかな足取りで駅までたどり着くと、まあ満員電車が辛いのはさすがに変わらないのだが、それでも葉豆にオススメされた「背伸び運動」を取り入れたことで、いくらか有意義な時間になった。文字通り、立ったまま背伸びするだけなのだが、これが意外といい運動になるのだ。


 そして、疲労を感じないまま会社に到着。頭がクリアなので、始業と同時に猛スピードで作業を開始することができる。以前はメール返信などをゆっくりやっていた時間帯だが、今では一日の中で一番頭が働くので、頭の回転や緻密さを要求される仕事を優先的にこなすようになった。


 そんなふうに濃密な午前を過ごした結果、昼休み前には重い仕事をそれなりに消化。高田とのランチで栄養を補給すると、とくに眠気を感じることなく午後の部に突入する。


 途中、コーヒーや羊羹等の甘いお菓子を間食として摂取しつつ、休むことなく仕事を消化していく。以前であれば夕方になると、心身ともにヘロヘロになっていたが、今では作業ペースが落ちないままだった。


 すると、どうなるか。19時の定時を迎える頃には、大量にあったはずのタスクがすべてなくなっているのだ。


 正直、最初のうちは「今日はたまたまタスクが少なかっただけだろう」と思っていた大智だったが、そんな状況が続くようになると、偶然ではないことに気づく。当然、大智だけ他の社員と比べて業務量が少ないワケでもなく、むしろチームが2人という超少数精鋭()のため実際は多い部類なのだが、仕事を終える時間は……という状況だった。


「あのさ、だいだい……一週間でいいから俺のチームの手伝いしてくれないか?」

「うん、いいよ」


 だからこそ、ある日の昼、高田にそう頼まれたときも、大智はすんなりと即答したのだった。


 しかし、断られると思っていたのか、高田は大智の顔を見ないまま続ける。


「うん、そうだよな。だいだいは忙しいよな。ただでさえ上司がヤバいヤツで後輩がひとりもチームにいなくて、本来なら新卒が受け持つような雑務までやらなくちゃいけないのに、他のチームの手伝いまでするとか、北朝鮮が他国に経済支援するくらい無茶な……え、今、いいよって言った?」

「うん、言った」

「今、いいよって言った?」

「言ったって。反応遅すぎて、もはや今言った感なくなってるけどな」


 例のごとく、ふたりは昼休みに、例のちゃんこ屋『富川』に来ていた。塩、醤油、味噌、キムチ等のオーソドックスな味に飽き足らず、コンソメなど、ちゃんこらしくない味にも挑戦するこのお店だが、この日はトマト味だった。しかも、なかなか濃い色合いで、まるで血の海に鶏だんごが沈んでいるようで若干グロテスクだったが、食べてみるとなかなかに美味だった。


 そんなことはさておき、大智は高田にこう告げる。


「むしろ今、余裕あるくらいなんだわ」

「余裕って……たしかにお前、最近妙に帰るの早いけど」

「あのオッサンのいない日限定だけどな」

「え、もしかしてタスク減ったとか? あのクソ上司がやらかして取引先が減ったとか?」

「残念ながら……ん、残念ながら? いや残念に思っちゃいけない気もするけど変わってないよその辺は」


 そこで、高田がアゴに手を添える。なにやら真剣に考える表情だ。


「チーム人員増えてないし業務量も減ってないのに帰るのだけ早くなる……もしかしてお前………………働き方改革か?」

「タメにタメたわりにはボケないんだな?」

「いや、普通に秘訣を聞きたくて」


 俺たちひょうきん族ならぬ、俺だけひょうきん族な高田ですら、ひょうきんさを忘れてしまうくらいには、大智の変化は驚きだったようだ。


(言えるワケないよなあ……)


 とは言え、大智としてはその理由を語れるはずもなかった。だってその理由は「お隣の女子高校生に毎週末整体してもらって、そのうえ一緒にごはんを食べて、お散歩に行っている」というものだから。


 事実をありのままに、誤解のないよう表現した場合でもこんな文字列であり、もしあえて誤解を招きかねない表現にすれば「お隣のJKに毎週末、ふたりっきりで1時間にわたってマッサージをしてもらって超絶気持ちよくなり、そのあとは違うお楽しみ方をしている」とかになるのだ。


 まあ実際問題、あえて誤解を招きかねない表現を大智がする必要性も意義もないのでしないのだが。


 と、そこで大智は、高田が自分のことをじーっと見ていることに気づく。

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