16 社畜はJKマッサージ師の恋愛相談に乗る…

「じつは昨日、友達に告白されたんです」


 葉豆の声は、穏やかな公園の中で、驚くほどクリアに大智の耳に入ってきた。社会人になって恋愛のことなど考えなくなり、はや数年。久しぶりに聞いた、しかも年齢の大きく離れた女子高校生から聞いた『告白』という2文字に、胸が大きく鼓動するのを感じる。


 しかし、一方でどこか納得する自分もいた。きっと葉豆はこの話をしたくて、誰かに相談をしたくて、両親の話を持ち出したのだろう。まあでもそりゃそうだ。風変わりな父親の教育についての話が本題であるはずがない。


「中学のときの同級生で、陸上部で一緒だったんです。高校は別なんですけど、家が近いからたまにすれ違うこととかあって……」

「で、昨日、告白されたと」

「はい」

「葉豆ちゃん的には、好きとかではないんだ?」

「そうなんです。正直、男の人として認識したこともなかったって言うか」


 友人としては好きだけど、異性としては認識できない。よくある話だろう。


「でも、私の周りの子ってさっき言ったみたいに、『好きになれるかわからないけど、とりあえず付き合ってみる』ってタイプの女の子が多いんです。だから、相談してもきっと『いいヤツだし付き合ってみなよ』って言われるなって」

「となると、相談できないよなあ……」

「はい……でも、そういうの積み重ねると、だんだん自分に問題がある気がしてきて」

「自分に問題? どうして?」

「だって、実際に付き合ってみたら好きになれる可能性だってあるワケじゃないですか。でも、私はそれが嫌。他の子は好きになれる理由を探そうとしてるのに、私だけは付き合わない理由を探してる……なんか、人のアラ探ししてるみたいだなって」


 葉豆の話を聞いて、大智は考える。


 良く言えば、葉豆は「自分を持った女の子」なのだろう。別の言い方をすれば「芯がある」とか「流されない」とか、そういう感じの表現がふさわしい。高校生にして、整体の道を極めようと努力していることにも、その面は出ていると言える。


 しかし、長所と短所は表裏一体だ。悪く言えば、葉豆の性格は「思い込みが激しい」とか「こだわりが強い」と形容されてしまうワケで、彼女自身が今、そんなふうに感じているらしかった。


(なんか……色々考えてんだな……)


 しかし、である。大智としては、この話を聞いたことで、葉豆という存在がクリアになってくる感覚があった。


 これまで、年齢差もあって、どこか距離感の遠い、言ってしまえば記号的な『女子高校生』として捉えていた葉豆という存在が、ひとりの生身の人間である……そんな当たり前のことが、初めてたしかな手触りを持って感じられた気がしたのだ。


 そして、同時にこんなふうにも思った。


(俺も遠い昔、似たようなこと悩んだ気がする……)


 言っておくが、大智には葉豆が抱える悩みを「たかが女子高校生の~」などと切り捨てるつもりは一切なかった。分析的に捉えているからと言って、決して上から目線なのではなく……例えるなら、「先から目線」という感じなのだ。


 人生というマラソンコースをそれなりの時間進んできた分、後から走り始めた人がぶつかる障がい物の中には、自分自身がかつて戸惑ったり悩んだりしたモノも含まれている。だからこそ、乗り越え方にも心当たりがある。


 例えるならそんな感じであり、だからこそ、大智は葉豆の背中を押してあげたいなと思った。


 まっすぐ、葉豆を見る。彼女の美しく、大きな黒い瞳が、不安げにまたたく。


「大智さんはどう思いますか?」

「……正直、正解はないと思う。友達の言うことも正しいし、葉豆ちゃんの考えも正しい。価値観ってそういうモノだから」

「ま、それはそうですよね」


 自分自身でも納得、という感じの、あっさりした口調。


「でもさ、自分で選んだ選択肢と、誰かに勧められて仕方なく選んだ選択肢では、もし失敗したときの後悔が変わってくるなとは思う」

「後悔……ですか?」


 問いかけるような、聞き直すような口調だった。


「うん。俺は後悔って、じつはそんなに悪いことじゃないと思ってて。だって自分のことを見つめ直すきっかけになるでしょ?」


 葉豆は黙ってうなずく。


「でも、もし心の奥底で誰かのせいにしてたら、失敗しても本気で後悔することってできない気がしてて。『あの人のせいだ』って思っちゃうというかさ」

「大智さんにもそういうの、あるんですか?」

「……あるよ。恋愛じゃないけどね」


 葉豆は真面目なトーンで尋ねる。ので、大智も真面目なトーンで返した。


「ゴルフなんだけどさ。もともと父親が大のゴルフ好きで、俺をプロゴルファーにしようと英才教育してたんだ。自分で言うのもアレだけど、結構センス良くて、プロテスト受けられるくらいになって」

「……」

「でもプロテスト直前に、腰を痛めちゃって。コーチとか周りの人は『1年先にしたほうがいい』って言ってたんだけど、親父が『次のチャンスがあるとは限らない』って言って。で、受けたら落ちて、腰も悪くした。今はもう良くなってるけど、当時はスイングするたびに激痛が走るような感じでさ」


 以前一度、実力がなくてプロにはなれなかったと、大智は葉豆に語っていた。だからこそ、葉豆は驚いたような表情で、しかし静かに話を聞く。


「正直、親父を突っぱねられなかった俺が悪いのは間違いないんだけど、でも心の奥底で思うんだ。焦った親父の責任もあるよなって……まあこんなこと思う時点で、スポーツマン精神が俺にないって感じなんだろうけど」


 大智が恥ずかしそうに言うと、葉豆は黙って顔を横に振る。その顔には笑顔が戻り始めていた。シリアスな話の中でも、大智がユーモアを入れてくれる、その配慮が嬉しかったのだ。


「だからさ、思うんだ。もし自分が選んだ選択肢でダメだったら、今はちゃんと後悔できてたんじゃないかって」

「……」

「後悔できないことが後悔、って言い方もできるかもしれないね」

「後悔できないことが後悔……」

「うん。そんな感じ」

「……なんかすいません。私のくだらない話から、大智さんに色々と喋らせてしまって」


 葉豆が申し訳なさそうに言うので、今度は大智が顔を横に振る。


「いや、いいんだ。べつに隠してるワケじゃないし、親父とも今は……まあいい関係とも言い切れないかもしれないけど、普通に仲良くやれてるし」

「……そっか」

「それに、なにか言うときは自分の人生の引き出しからエピソードのひとつやふたつ引き出してこないと、説得力もないでしょ?」

「でも、たしかに大智さんの話、すごく響きました」


 噛みしめるように、葉豆が言う。


 そして、少し真面目なトーンで、こう続けた。


「……私、告白は断ることにします。大智さんの話を聞きながら考えたんですけど、やっぱり中途半端な気持ちでは付き合えないなって」

「そうか」

「それに、もしこの決断を後悔することがあっても、女友達のせいにもしたくないなって」

「ま、関係悪くなる可能性もあるからね。俺と親父のように」

「さっき仲良くやれてるって言いませんでした?」

「それは大人だからさ。色々あるってことだよ」


 おどけた口調で大智が告げると、葉豆はさらに表情を柔らかくする。


「でも、変な話ですよね。こうやってお隣さんに恋愛相談してるなんて」

「まあ整体よりは変でもないと思うけどね」

「そして、私に彼氏いたことないのがバレちゃいましたね!!」

「いや、そこは恥ずかしがる必要ないと思うけ……ど……」


 反射的に大智はそう答えようとする。いや、答えようとしたのだが、言葉が途切れてしまった。顔をあげてみた葉豆が、面白いほど顔を真っ赤にしていたのだ。


「すいません……相談してる最中は普通に言えたんですけど、こう改まって振り返ると私、結構色々ぶっちゃけてたなって……」

「いや、でもそれは俺も同じだし……」

「大智さん聞き上手? で大人の余裕? みたいなのあるので……」

「いや余裕なんか全然……それに、彼氏いたことがないとか、全然恥ずかしいことでは……」


 結果、恥ずかしくなんかないと伝えようとしたはずが、本当に恥ずかしくなってしまっていた。大智は自分の顔が熱くなり、つまり赤くなっていくのを感じた。


「……」

「……」


 そのせいで、よくわからない沈黙がふたりの間に流れる。


「……ぎゃ、逆に聞きますけど」

「なにかな?」


 そして、葉豆が沈黙を破った。すぐに大智も反応する。


「大智さんは昔彼女いたんですか?」

「ん、聞き方が気になる。今いますか、の間違いじゃなくて? 過去形?」

「はい。今いないのはわかります。だって声とか全然聞こえてこないですし」

「あ、部屋隣だもんね」

 

 内心、大智は安堵する。パソコンであんな動画やこんな動画を観る際に、必ずイヤホンを着用していた過去の自分に。


 そして、この日一番おどけた口調でこう告げた。


「……どうだろ。昔のことだから、忘れちゃったな??」

「えー、ひどい!! ここにきて答えてくれないんですか!?」

「だって忘れたんだもん。仕方ないだろ?」


 大智の答えに、葉豆は言葉ではなじりつつも、楽しそうに笑っていた。


 ……もちろん、彼女は知らない。忘れたどころか、『忘れられない存在』が大智にはいるということを。

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