12 社畜リーマンはマッサージのお礼をJKにする…

 それから、ふたりは大智の部屋へと移動した。


「あんま綺麗じゃなくて悪いけど」

「はい、知ってます」

「えっ……」

「だってこのアパート古いじゃないですかー」

「あ、そういう意味ね……てっきり俺の部屋が散らかってるって意味かと」

「ん、なにか言いました?」

「いやなんでもー。はいどーぞ」


 そんなふうに会話しつつ、大智は葉豆を招き入れる。


 大智の部屋は、葉豆の部屋に比べると至って普通だ。居間にはテレビにテーブル、ソファーに服をかけるラック、本棚がある程度。畳の部屋は寝室にしており、大学時代から使っているベッドを置いてある。ダイニングには小さなテーブルを置き、そこに調味料などを置いていた。築30年のアパートなだけであって台所は古いタイプで、テーブルでも用意しないと収納スペースが足りなくなってしまうのだ。


 『ポパイ』の部屋特集に出てきそうなオサレ感は皆無の、かと言って『家、ついて行ってイイですか?』に出てきそうなカオス感もない、つまるところ特筆するところのない面白みに欠けた部屋なのだが、しかし、他者の部屋に入った経験が少ないのか、もしくは男性の部屋に入った経験がまだあまりないのか、葉豆は興味深そうに部屋の中を見渡していた。


「テキトーに座ってて」

「は、はい」


 恐る恐るという感じで葉豆は、居間のソファに腰を下ろす。学校の体操ジャージ姿のJKが自分の部屋にいる……その光景は、大智の脳にはなかなか飲み込めない。でも、飲み込まなくてもいいかと自分に言い聞かせて、ひとまず料理を作ることにした。


 大智の趣味は料理である。そのきっかけとなったのは、大学入学を機に一人暮らしを始めたことだ。子供の頃からスポーツに打ち込んできた大智は、人並み以上には食べるほうだった。朝昼晩の3食はもちろんのこと、おやつに練習前の完食、練習後の補給食……という感じ。


 しかし、一人暮らしするようになって母親から離れ、すべて自分で用意する必要が生まれると、程なくしてふたつのことに気づいた。自分がそれなりに食事にこだわる人間であることと、食べたいものを外食でまかなおうとすると、とんでもないお金がかかってしまうということだ。


 たとえば、オリジン弁当。一人暮らしの大学生なら一度はお世話になったことがあるだろうが、惣菜を購入する場合、少しずつよそったつもりでも、普通に弁当を買う以上の金額になってしまう。だが、きっちり計算するとそれも納得だ。


 このお店では多くのメニューが100グラムで170円(税込みで183.6円)なのだが、100グラムでどれくらいの量を入れられるかと言うと、人気メニューの『豚と大根と玉子の煮物』なら煮玉子1個(約70グラム)と大根2個(約30グラム)といったところ。つまり、100グラム限界なら豚(約50グラム)を諦めることになる。少しずつよそったとしても、トータルでは結構なグラム数、お値段になってしまうのだ。


 あるいは、デパ地下のサラダ。オリジンの量り売り惣菜に比べると見目麗しく、体にも優しそうだが、100グラムで300~400円程度とお財布には決して優しくない。一日に推奨される野菜の摂取量は350グラムくらいなので、もしデパ地下サラダで全部満たすと1000~1500円くらいかかってしまうのだ。まあそんな暴挙に出る人間はいないだろうし、この手のサラダは20品目とか30品目とか入っていて、家庭ではなかなか作れないメリットなどもあるのだが、そうだとしても簡単に購入できる代物ではない。


 そして、そんな経験を積み重ねるうちに、大智は悟る。自分のようにそれなりに食べ、内容にもこだわる人間は、自分で料理をするほうがいいということに。


 そこから大智は料理を始め、レシピ本やクックパッドを見て、少しずつ作ることができるメニューを増やしていった。料理の習慣は社会人になってからも、つまり社畜になってからも、料理の習慣は続いており、今でも週末に食材をまとめて買ってきては、作り置きを作っている。


 昨日、買ってきておいた野菜、肉、果物をテーブルに置くと、同時並行で料理を作っていく。料理は手際が重要だ。なにかを茹でたり、煮込んだりしているしている間に、野菜を切ったり、肉を炒めたりしていく。最初のほうはこの同時並行が難しいのだが、慣れてくると火加減さえ気にしておけばそう大失敗することはないことに気づく。


 途中、後ろを振り向くと葉豆がいることに気づく。


「スゴいですね……こんなにいっぱい」

「スゴくなんかないよ。若いサラリーマンが節約するにはこうするしかないってだけ。これ全部で材料費3000円くらいだよ?」

「えー! 安い! うちのお父さんなら20分くらいしか整体してもらえない金額です」

「逆にお父さんお高いんだね……」

「はい、カリスマ整体師なんで! 芸能人とかスポーツ選手も来るんですよ?」

「そ、そうなんだ……20分で3000円ってことは時給9000円……社畜の10倍以上だな」

「大久保さん、なにか言いました?」

「いやなんでもないよ」


 そして、30分もする頃には手羽元と半熟卵の甘辛煮、鶏むね肉の酒蒸し、キャベツナムル、果物のマチェドニア、切り干し大根とひじきのマヨサラダ、きのことベーコンのマリネ、豚バラとほうれん草のコクうま炒め……と言ったメニューが完成。そこから少しずつプレートによそって、居間へと運んだ。


 小さなテーブルに向き合い、座る大智と葉豆。葉豆はなぜか正座で、背筋がぴしっと伸びている。だが、緊張はしていないようで、とても嬉しそうな笑顔を浮かべていた。


「それでは……いただいちゃいます」

「はい、いただいちゃってください」


 葉豆が最初に手を、箸を伸ばしたのは……鶏むね肉の酒蒸しだった。この日食卓に並んだメニューのなかで一番タンパク質含有量が多いのは、きっと偶然ではないだろう。これは鶏のむね肉を日本酒で蒸し焼きにするというシンプルなメニューで、少し内側が赤いくらいで火を止めるのが調理の際のポイント。加熱しすぎると硬くなってしまうので、予熱で火を通すのだ。


 プルンと光沢感のある鶏むねが一旦、小皿のポン酢につけられたのち、葉豆の口の中に運ばれると、


「んっ!」


 行儀よく左手で口元を隠しながら、両の瞳を大きく驚いたように見開きつつ、コクコクとうなずく。


「とっても美味しいです!」

「そっか。なら良かった」

「お肉プリプリで柔らかくて……良質なタンパク質が体に摂取されて、細胞が喜んでます!!」

「なんか一風変わった食レポになってるけど、まあそれはいいや」

「これ、本当に永遠いけますね」


 そう言うと、葉豆は鶏むね肉に箸を伸ばす。この短時間ですでに3切れほど食べており、本当に気に入ったことが大智にも伝わってきた。


「気に入ってくれてよかった。つけダレ、ポン酢以外にもあるから味変したかったら言ってね」

「味変! んー……悩みますね。ごまダレとかもいいけどポン酢が美味しすぎて……」

「まあ、ごまダレは今度でもいいけど。こういうのならいつでも作るからさ」

「本当ですか?」

「うん。言ったでしょ? マッサージ受けるならなんかお返しをしたいって言ってたでしょ?」

「はいっ! そーですねっ♪」


 なにかお返しさせてもらうというのは、マッサージを受けるにあたって、大智が葉豆に提示した条件だった。ビジネスでも人間関係でもギブアンドテイクは重要。ギブだけでは、やがて人間は好意を当然のモノと思ってしまうからだ。女子高生に、いい年したオッサンが一方的になにかを享受するワケにはいかない。


「でも大久保さん、偉いですよね。こうやって自炊して、健康的なメニューで」

「それは母親の影響かな。もともと部活してたから、栄養とか結構気にして作ってくれてたみたいで。気づけばこういう食事が体に合うようになってたんだよ」

「でも、いーことだと思います! スポーツしてなくても、栄養は大事ですしね」


 と、そこで大智の頭にはひとつの疑問が浮かんだ。


「そう言えば聞いたことなかったけど、葉豆ちゃんはなんかスポーツやってた人なの?」

「はい、色々やってましたよ! 体操に水泳にソフトボールに、中学は陸上部とバトミントン部の兼部で、週末はテニスのサークルに顔出したり、最近はクライミングに……」

「JKのスポーツ遍歴とは思えないな……てか運動部兼部とか物理的に可能なのか?」

「メンバーが足りないから大会だけ参加ってやつですね」

「あ、そういうアレか」

「あ、あと少林寺拳法は今も続けてます!」

「少林寺拳法?」


 いかにも清楚な美少女の葉豆には、正直、イメージと違う印象だ。


「はい! お父さんがもともと先生の資格持っててそこの教室に」

「へえ」

「うちのお父さん、スキンヘッドなのもあってめっちゃ強面で。地元で結構有名人なんで、同級生の男子とか結構ビビってるんですよね~」

「な、なるほど……」


 ここで大智は納得する。彼女が警戒心なく、クラスの友人に整体を施せるのも、スキンヘッドで強面の父親がいるからなのだろう……。変なことをして殺される可能性があるのなら、死ぬ覚悟がないと変なことはできない。


 もちろん、大智にはまだ死ぬ覚悟はないし、そして変なことをするつもりもないので、自分の部屋で一緒にいて大丈夫なのか不安になるのだった。


「ごちそうさまです! お腹いっぱい~!」


 そんな大智の不安な気持ちはつゆ知らず、葉豆は満足そうな顔で背伸びをする。部屋に入ったときは少しぎこちなかった彼女だが、胃袋が満たされたこともあってかリラックスしたようだ。まあ、部屋の構造が同じなのだから、他の部屋より落ち着きやすいというのもあったのだろうが。


「あの、大久保さん」


 そして、気づくと葉豆は覗き込むようにして大智のことを見ていた。大きくて黒く澄んだ、濁りのない瞳が大智をじっと見つめる。


「なにかな?」

「もし良ければ今から私と汗かきませんか?」

「汗をかく……それってまさか……」

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