11 社畜リーマンは慢性的な肩凝りと立ち向かう

 忙しい平日も終わり、週末を迎えた。

 

 ここ最近、休日出勤が多かった大智だが、今週末は幸いにも金曜までにタスクをすべて消化。葉豆のマッサージのおかげで頭が冴え、体の疲労も少なくなっていたことが要因だろう。


「おはようございます! 葉豆ですっ!!」


 そして、朝10時。チャイムが鳴ったあと、扉の向こうから元気な声が聞こえてくる。開けると、そこには体操ジャージ姿の葉豆の姿があった。すでに身支度を終えているようで、今日は長い黒髪を後ろにまとめている。


「おはようございます!」

「おはよう」


 2回目の挨拶も、彼女の場合は爽やかだった。土曜のこの時間帯というのは、忙しい社会人はまだ眠い時間帯。宅配便に起こされた日などは、軽く数時間は不機嫌になってしまうものだ。それが、自分が依頼した宅配便だったとしても。


 しかし、葉豆の明るい笑顔と声は、大智にそんなネガティブな感情を沸き起こさせなかった。むしろ、自然に笑顔になってしまう。


「もう準備できてますか?」

「うん、ばっちり。と言っても着替えて、さっき軽くストレッチしたくらいだけど」

「上出来です! 朝からストレッチって偉いです!!」


 そんな話をしつつ、ふたりは隣の部屋へと移動する。言うまでもなく、葉豆が大家から格安で借りている部屋だ。先週に続き、入るのはこれで3度目だが、女子高生の部屋ということもあり、まだ完全には慣れきってない。大智の部屋では決して感じない、心地のいいニオイが鼻腔の中に流れ込んでくるのを感じる。


 そして、大智は奥の部屋へと向かう。施術スペースだ。


 しかし、前回のようにマッサージ台に寝転ぼうとすると、


「あ、ちょっと待ってもらってもいいですか。今日は座りからやりたくて」


 葉豆が遮ってきた。


「座り?」

「はい! 大久保さん、ハードなの好きそうなので」

「ハードなの……は好きだけど……」


 言われるがまま、大智はマッサージ台に腰掛けたままでいる。すると、葉豆は後ろに立ち、肩を触って状態をチェックし始めた。


「うはっ♡ これが一週間分の疲れですかそうですかっ♡」


 そんな言葉が漏れた。悦び方、じゃなくて喜び方がとてもわかりやすい。


「葉豆ちゃん、なんかテンション上がってない?」

「上がるに決まってるじゃないですか! 最初から凝りがなかったら私の出番なくなるんですから」

「それはそうだけど」

「お医者さんとかでも注射打つときに興奮するって言うじゃないですかー」

「そんなこと言うか?」

「言わないですかねえ?」

「言わないと思うけど」

「そうですかあ……ま、じゃあ少なくとも私は『肩凝りに興奮する女』ってことでお願いします」

「酷いまとめ方だ」

「じゃ、今から凝ってるとこを親指で押さえるので、反対側に首をゆーっくり倒してもらえますか?」


 そう言うと、葉豆は右の肩の真ん中付近をギュッと押さえた。片方の手の親指でツボを押し、そのうえからもう一方の手を添え、体重をかけている。さすがに肩なので、腰や背中をマッサージするときほど力を加えてはいないようだが、それでもグッと筋肉の中に沈んでいる感じ。


(こっから首を傾けて……平気なのか?)


 不安を抱きながら、大智は恐る恐る反対側に首を傾けていく。すると、それまで弛緩していた肩の筋肉がピッと張り、結果的に、葉豆の指の圧が強く感じられるようになった。前回に比べてそこまで力が入ってないと感じた、さっきの感覚を取り下げたいほど効いてくる。


「強さどうですか? 痛かったら言ってくださいね」

「うん、なんとか大丈夫……あ、でもそこちょっと痛いかも」

「え、痛いですか?」

「うんちょっとだけ……いやまあまあかな? いやかなり痛いかも……」

「……んー、でもまだ全然力入れてないのでこのまま続けますね」

「えっ? じゃあなんで聞いた?」

「ウソです、ジョーダンです」

「良かった。てっきり緩めてくれないのかと……」

「私、そんなドSじゃないんで大丈夫ですよ。それに、あんまり強くしすぎると筋肉に力入っちゃってダメなんで」


 そう言うと、葉豆はふふっと笑って指の圧を弱める。先週話すようになったばかりだが、大智はすでに手玉に取られているような感覚だった。だけど、それが心地よくもあった。


 そして、葉豆はひょいっとマッサージ台のうえに乗ると、先程までとは少し違う角度から、具体的に言うと上ではなく斜めから押してきた。その塩梅がちょうどよく、大智は思わず目をつむった。


「あ~それも……いい……」


 思わず声が漏れる。葉豆がふふっと笑う声が聞こえる。


「肩のマッサージって言うと筋肉をモミモミするの思い浮かべる人多いと思うんですけど、じつはやり方色々あるんですよ」

「へえ」

「人によって合うのって違うので、自分に合ったメニューを見つけるのも大事ですね。まあ、あんまり同じすぎて慣れるのも良くないんで、たまに普段と違うやり方入れてあげるのも大事ですけど」

「こんなふうにね。なんか筋トレみたいな感じだね」

「と言いますと?」

「筋トレってさ、同じメニューばっかやってるとその動きに体が慣れるでしょ? で、いつの間にか力を入れないでいいようになっちゃう」

「あー、たしかに」

「だから、色んなやり方をやったほうがいい。マシンでのトレーニングに慣れてる人でも、意外と自重トレーニングで筋肉痛になることもある。それって、今思うと筋肉に違う刺激を与えてたのかなって」

「なるほど。たしかに整体と同じかもですね。さすが大久保さん、納得です」


 葉豆がそんなふうに言ってきた。おだてているだけなのかもしれないが、その口調に嫌味がなさすぎるせいで、大智は本気に受け取ってしまいそうになるのだった。



   ○○○



 約1時間の施術を終えると、この日もすっかり体がほぐれていた。大智が肩を触ってみると、施術前とは別人のように思える。それくらい、柔らかくなっていた。


「ありがとう。スッキリしたよ」

「喜んでもらえて私もハッピーです!」

「葉豆ちゃん、本当に上手だね」

「自分ではまだまだって思ってますけどね」


 そんな話をしつつ、葉豆は先程入れたハーブティーをすすっていた。猫舌なのか、ふうふうしつつ、すぼめた口先で掬うようにして飲んでいる。施術の際は張り切っていて元気だった葉豆だが、自分の仕事が終わったからなのか落ち着いている感じだった。


 そして、そんなふうに見ていると……


「……ふわああっ」


 葉豆があくびをした。自分で自分のあくびの音にビックリしたのか、小さく肩がビクッと持ち上がっている。以前、ツイッターで観た、犬が自分の寝言にビクッとして起きる動画を大智は思い出した。葉豆の様子は、それに似たかわいらしさがあったのだ。


 そして、数秒遅れ――たった数秒だが、ふたりしかいない空間なので、大智にはかなり長く感じられた――で葉豆は、ハッとしたように大智のほうを振り向いた。黒く澄んだ瞳が、大きく見開かれており、形のいい唇が小さく動いて、言葉を発した。


「もしかして、今、見ました?」

「うん、見たけど。あくびして、自分のあくび音にビクッとしてた」

「……恥ずかしいです」


 葉豆が苦笑を浮かべつつ、頬を赤らめる。


「すいません、整体するとお腹がすごく減っちゃうんですよ」

「そうなんだ」

「一説によると、1時間の整体でマラソン10キロ走ったくらいのカロリー消費があるとかで」

「え、そんなに疲れるんだ」


 そう言えば、葉豆は以前も整体後に少しボーッとしている印象があった。目覚めたあとに自己紹介した際、「大久保さんですね。なんて呼べばいいですか?」的な返しをしていたのだ。


 あのときはちょっと天然なところがあるのかなと思った大智だったが……まあ少しは天然なところもあるのは事実だが、お腹が空いていたのも、あの返事の要因だったようだ。


「今日、朝時間がなくてあんまり食べてなかったのもあるかもです」

「そうなんだ」


 そして、大智は一計を思いつく。


「あのさ、このあとって時間ある?」

「時間ですか? ありますけど」

「もしよかったら、ごはん食べていかない? 作るから」

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