09 社畜リーマンは昼に嘆く…

 葉豆の提案を受け入れた翌日。


 『富川』という名のちゃんこ屋の座敷席で、大智は高田と昼飯を食っていた。会社から歩いて5分ほどの場所にあるここは、ここは元力士の亭主が妻とふたりで切り盛りしているこじんまりとしたお店で、雑居ビルの3階に入っていることもあり、何も知らずに前を通りかかると見過ごしてしまう可能性が高い。


 しかし、この辺のサラリーマンには結構有名な店だ。理由はそのコスパ。ランチタイムは野菜たっぷりのちゃんこに小鉢2つと白ごはんがついた『ちゃんこ定食』が600円、そこにさらに唐揚げ3個がついた『ちゃんから定食』が750円と、ここいらの店では抜群のクオリティを誇る店なのだ。


 以前は夜営業に限って喫煙OKとされており、店内にかなりタバコのニオイが染み付いているのが、スポーツマンでありながら神経質な面もある大智にとってはマイナスポイントだったが、それも条例が改正されたおかげで段々とニオイもしなくなった。ので、最近は週2回はここに来ている。


 基本的に高田に連れられてやって来る感じで、彼は最大週7のペースで来ているらしい。休日出勤していれば話は別だが、一応、会社が完全週休二日制であることを考えると、最低でも2回は夜営業に来ている計算だ。


「マジでこの店美味いな」

「俺はさすがに飽きてきたけど。高田って本当に同じモンばっか食うよな?」

「そんなことないよ。だってこの店、毎日ちゃんこの味変わるし。塩、味噌、醤油、キムチ、コンソメ、鶏ガラ、あとなんだ……チーズ?」

「へー、変わり種」

「リゾットみたいで美味かったよ」

「まあ満腹になれば何でもいいんだけどさ」

「そんなこと言いつつ、結構ちゃんと選んでるだろ?」

「まあな」


 高田の言葉に、大きく開いた口に白菜を放り込みながら、大智はうなずく。


「なるだけ野菜摂るようにしてるよ」

「へえ、偉いじゃん」

「昼飯だけだよ。それに、新卒とか2年目のときはそんなことなかったし」

「あー、たしかにそういやいっつもランチパック食べながら仕事してたな」

「まあな。でも気づいたんだ。ちゃんと食うモン食わねえと体壊すってことと、昼飯抜いたところで終電は変わらないってことに」

「悲しい気付きだな」

「でも、サラリーマンは体が資本ってのは事実だろ」

「だな。家族を食わせるために自分は昼飯も食う暇なく働く、的なのは間違ってるよな」

「あとはまあ、会社にいると気が滅入るってのもある」

「だいだいの場合はそっちがメインだろうな。で、理由の大半が山岸さん」

「正解」


 苦笑を浮かべながら言う高田に、大智は片側の眉を軽くひくつかせながら答える。


 中高生の中には「休み時間に教室にいると気が詰まる。だから、図書館とか屋上とかトイレに行ってる」という人もいるだろう。ところが残念なことに、大人になってもそういう居心地の悪さを感じている人もいる。たとえば大智はそんな人間だ。


 そして、その理由は上司の山岸圭佑にあった。


 山岸は30代中盤の中堅社員で、3年ほど前に親会社から出向してきた。というのは表向きの話で、実際はパワハラによる左遷である。親会社の広告代理店で営業チームを率いていた山岸はこれまでに十数人を精神科送りにしてきたという。


 実際、その部下になってみると酷さがよーくわかった。


 たとえば、山岸はとんでもない気分屋である。機嫌のいいときはニコニコとしており、チームのメンバーが和気あいあいと喋っているのを見て「うちのチームは本当に仲がいいな。いいことだ!」とか言ったりするのだが、その30分後には「気が散るっ!! 無駄話してんじゃねえっ!! 黙って働けっ!!!」と叫んできたりする。他にもパソコンがフリーズしたときに「あーっっっ、この野郎っっっ!!」と言って叩いたり、ロッカーを蹴って八つ当たりすることもある。


 「女心と秋の空」ということわざがあるが、大智は山岸のそのような機嫌の急変を見るたびに「パワハラ上司と秋の空」のほうがよっぽど適切なのではないかと思うのだった。


 他にも、仕事の電話を休日や深夜問わずしてくるし、メッセに返信しないと「おーい」「至急確認を」「生きてる?」「じゃなかった舐めてる?」……などと延々とグチグチ言ってきたりとか、まあそういうパワハラ上司がしそうな行動は一通り押さえている。


 普通に考えて彼の言動はパワハラでしかなく、営業マンとしてそれなりに優秀であることを差し引いても問題視されるべき行為なのだが、そうはいかないのがサラリーマンの世界だ。これでいて山岸は上とのコミュニケーションが上手で「マネージャーとしてはアレだけどプレイヤーとしては優秀だし、人間としても嫌いじゃない」という見方をされている。


 と同時に親会社からの出向というのも大きい。山岸の社員としての籍は親会社にあるので、問題行動を見ても大智の会社では注意したりすることができないのだ。そして、当然ながら山岸は本社でも、お偉いさん限定で良好な関係性を築いている。


 ……とまあ、説明が少々長くなったが、大智がいるのはそんなチームなのだ。そして、山岸の度重なるパワハラにより、ついに新しいメンバーが配置されなくなり、ここ1年は山岸と大智のふたりチームになっていた。チームというより、もはやタッグである。


「大智、お前が周りからなんて呼ばれてるか知ってるか?」

「え、なにクイズ? んーと……」

「正解は『人柱』」

「まだ答えてないんだけど。あとなんだよその不吉なあだ名は」

「でも、いいじゃん、なんか鬼滅みたいだし」

「え、嫌だよ。『人の呼吸壱ノ型生贄』とか言うんだろ? ……ちょっと響き格好いいじゃねーか」

「やってることは自己犠牲だけどな」

 

 そして、そんなふうに言いつつ、人柱というのは言い得て妙な表現だなと大智は思う。実際、大智が山岸チームに留まることでなんとかチームとしての形を残しており、小規模の案件ながらもこなすことができている。


 もし大智が抜ければ、運の悪い若手社員に白羽の矢が立ってその穴を埋めることになり、結果的にその人が生贄になるのだ。こうなるともう穴を埋めてるのか、運の悪い若手社員が人柱としれ穴に埋められているのかわからない。


 そして、高田の話は続く。


「でもよくあんな人と一緒にやれるよな。我慢強いよマジで」

「我慢強いか。なんか最近よく言われるな……」

「ん、言われるってのは?」

「いやなんでもない」


 思い出したのは、昨日の葉豆の発言だった。なので話を逸らす。


「まー、体育会系にはわりといるタイプだから。ああいう人って、本質的に自分に自信がないから人を振り回して忠誠心とか愛情を試すんだよ。要するに構ってちゃんだな」

「あんなヒゲ面の構ってちゃん嫌だけどな……」

「それにさすがに殴ったりはしないだろ? きっとあの人、30年前にリーマンやってたら部下殴って蹴ってたと思う。そしたら俺が『暴力は絶対NGっす』って、この拳で教えてたとこだわ」

「この拳でな。良かったわ、友達が傷害事件起こさなくて」

「ホントにな」

「……まったく、サラリーマンって辛い仕事だよなほんとに」


 そして、高田の口調が飄々としたモノから、深刻さを帯びたモノへと変わる。


「だいだいくらい仕事できる奴なんてそういないのに、他より丈夫だからって猛獣の世話係押し付けるんだから」


 高田は悔しそうにそう漏らした。見た目も考え方も今風な彼は、令和の時代にあって昭和のサラリーマンを体現している山岸のことが本気で嫌いなのだ。


 そんな友人の言葉に、大智はありがたさを感じつつも、優しく言い聞かせる。


「高田、その辺にしとけ。どこで誰が聞いてるかわかんないんだし」

「でもさ、納得いかないんだよ。チームリーダーになればだいだいのこと、自分のところに入れられると思ってたのに……部長も山岸に気を遣ってるんだ」

「話変えようぜ。美味い昼ちゃんこが山岸さんのせいで台無しになる。それは高田も嫌だろ? 週7で来るくらいここ好きなんだろ?」

「……そうだな。だいだいの言う通りだ」


 大智がわざと明るい声を出すと、高田が同調。


 そして、眼鏡の奥をキラキラさせてこう続けた。


「話を変えよう。だいだい、最近、女関係はどうなんだ?」

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