08 JKは筋肉への愛を叫ぶ…

 ベッドに寝そべる姿勢を終えると、大智は葉豆に言われるがまま、両肘を立てた姿勢になった。ほふく前進の、頭を落とした版みたいな感じで、胸当てマットは外されていた。


 そして、その体勢で葉豆がなにをしているかと言うと、肘で大智の背中をぎゅうっと押しているのだった。


「へえ、ゴルフをやってたんですか」

「そう……親父が好きでさ。小学生のときからレッスンとか受けるようになって、高校はゴルフ部のある高校に入ったりして……まあ実力なくてプロなれなくて……」

「厳しい世界なんですね」

「その後は普通に大学入って、普通にサラリーマンになったんだけど……」

「でも、スポーツ歴あるの納得です。昨日押したときに思ったんですよ。『あ、この人絶対昔なんかやってた人だ』って。でも、なんの競技かわかんなかったんですよね」

「へえ……体触るだけでなにやってるかわかるものなの……?」

「全然わかりますよ! まず、短距離走の選手のような瞬発力を求められるスポーツ選手がつきやすい筋肉と、マラソンのような持久力を求められるスポーツ選手がつきやすい筋肉って全然違うんです」

「速筋と遅筋だよね……? それくらいはわかるや……」


 大智の言葉に、葉豆がニコッと笑う。


「正解です。速筋は糖分、遅筋は脂肪がエネルギーだったり、まあ色んな違いがあるんですけど、単純に見た目が全然違うんですよ。箱根駅伝走ってる人とか、服を着てると全然普通の大学生って感じなんですけど、脚の遅筋の発達がヤバいんです」

「へえ……」

「あと、競技ごとに使う筋肉が違うんで、たとえば水泳なら広背筋が発達しますし、自転車なら太ももが大きくなります。ロードバイク乗ってる人とか、ハムストリングスがわかりやすく発達してますから」

「うむ……」


 饒舌に解説する葉豆に対し、大智はうなずくしかできなかった。理由はふたつ。


 ひとつは彼女の語る単語が半分程度しかわからなかったこと。さすがにハムストリングスが太もも裏の筋肉群を指すことくらいはわかったが、速筋と遅筋のエネルギー源とかは知らなかった。前述したとおり、大智は子供~中高の青春時代をすべてゴルフに捧げた男なのだが、その手の知識には疎かったのだ。


 そしてもうひとつの理由は、葉豆の肘による施術が、想像以上に効いていたことだった。


「てか、葉豆ちゃん」

「なんですか?」

「……これめっちゃ効くんですけど……」

「ふふっ。痛かったら痛いって言ってくれていいんですよ?」

「でもそこは痛気持ちいいと言いますか。すっげえ効いてるから」

「効きますよね。ひじ打ちって言って、親指で押すより広範囲を刺激できるんです。あんまりやる人多くないみたいなんですけど強い凝りにはいいんですよ」

「みんなやったほうがいいのに」

「でも慣れない刺激だとこそばゆく感じる人もいて。大久保さんはかなり平気なほうですね」

「そうなんだ」

「たぶん、かなり我慢強い体なんだと思います。だからこそ刺激に強いけど、同時に疲れを溜め込んでしまう」


 なるほど、その通りかもしれないと大智は心の中で思う。というのも彼には、が高校時代にあったのだ。


「まあ、あの時もそうだったもんな……」

「なにか言いました? すみません、よく聞こえず」

「なんでもない。気持ちいいって言ってただけ」


 大智がそう言うと、葉豆はとくに疑う様子もなく微笑み、施術を続けたのだった。



   ○○○



 それから数十分が過ぎ、トータルで1時間が経過した頃、


「はい、起き上がれますかー?」


 葉豆の掛け声で、大智は自分が眠っていたことに気づいた。


「あ、ごめん俺寝るつもりは……」

「いいんですよ! むしろ、気持ちよくなってもらえてる証拠って感じで嬉しいです!!」


 大智が体を起こすと、葉豆は笑顔でそう答える。彼女がウソをついている感じはまったくなく、まあ隣人という関係性でウソをつく意味も意義もないのだから当然ではあるのだが、それでも年下の女の子がこうやって明るく接してくれるというのは、20代も後半に差し掛かり、自身のオッサン化を受け入れ始めている大智にとっては、シンプルに嬉しいことだった。


 そして、仕上げに入った葉豆が肩を軽く揉み始めると、大智はその部位がとても柔らかくなっていることに気づいた。さすがに昨日ほどの激変ではないものの、それでも十二分に差を感じることができる。


「葉豆ちゃん、すごいな。めちゃくちゃ楽になったよ」

「ふふっ。褒めてもらえて嬉しいですー!」

「本当に上手だね。俺、整体とかマッサージとか正直そんなに詳しくないけど、でももう十分プロとしてやってける腕前なんじゃない?」

「んー、それはさすがに褒め過ぎ、いや言い過ぎです」

「そうなの?」

「はい。少なくともお父さんには『まだまだ』って言われてるので」


 そこで、葉豆の表情が少し暗くなる。決して深刻そうな雰囲気ではないものの、現実的に師匠であるお父さんに認められていないのが伝わってきた。


 しかし、すぐに表情を明るくすると、葉豆は元気にこう言った。


「でも、だからこそ腕を磨きたいんです!」




   ○○○



 そして、あらかじめ入れておいたお茶を楽しんだのち、大智は葉豆の部屋を出ることにした。と言っても隣室なので、出てすぐに入るワケだが。


 お互いの部屋と部屋の前。大智と葉豆は、向き合うことになった。気づけば太陽はすっかり昇り、春の心地よい陽気が外を支配していた。


「今日はどうもありがとう。おかげさまですごく楽になりました」

「私のほうこそありがとうございました。大久保さん、やっぱり筋肉が独特で、揉んでいてすごく楽しかったです。テンション上がりました!」

「テンション上がってるなって思ってました」


 冷静に考えて、なかなか女子高生が言いそうなセリフではなかったが、大智はもはや慣れてしまっていた。のでツッコむことはせず、オウム返しのように返した。


「じゃあ、そういうワケで」

「はい」


 そして、別れの時間がやって来た……と思いきや。


「あの、大久保さん!!」


 大智がドアノブに手を触れようとした瞬間、葉豆が呼び止める。結果、大智の手は止まる。振り向くと、葉豆はじっと大智のことを見ていた。


「なに……かな?」


 見栄えのいい女子高校生に見つめられ、しかも気づけば頬も赤らんでいて……大智は思わずつばを飲み込んだ。


 そして数秒の間ののち、葉豆の形のいい口が開いた。


「あのっ! もし良ければまた体揉ませてもらえませんかっ!?」


 言われた瞬間、大智の脳はフリーズした……と言いたいところだが、正直、ある程度予想していた文言だった。ただ、そうじゃないかと思って葉豆と接したり、自ら提案するほど大智はサービス精神に富んではいない。それだけの話だった。


 でも、一方で大智は冷静に考えていた。果たしてこの提案を受け入れていいのか、ということを。


 たしかに、今日も彼女にマッサージしてもらった。でも、それはあくまで昨日のアフターケアとしてであり、つまり昨日の延長線上だった。で、昨日のイベントは大智の中ではアクシデントだったのだ。


 しかし、葉豆はそれを恒常的な、日常的なモノにしようと言っているのだ。いくらこの取引がお互いにとってウィンウィンであろうと、自分はただの隣人である。学校の友人や、リアルなおじさんとは話が違う。タダというのも、いくら彼女がそれでいいと言っても、お金の大事さを知る社会人としては気が引ける部分がある。


「えっと……」


 そんなふうに色々考えたからこそ、口から出た言葉は3文字が限界だった。大智がそういう反応になるのは、ある意味自然と言っていい。


 しかし、である。そんな彼の気持ちは知らず、葉豆はこう続ける。


「こんなこと言うの恥ずかしいんですけど……じつは私、前から大久保さんの『筋肉』のことが気になってたんです……たまにすれ違ってたじゃないですか? そのとき、ダメってわかってるのに大久保さんの『筋肉』を見ちゃって。先週とか、階段ですれ違うときに軽く腕にぶつかって、そのときの感触とか『あ、これめっちゃいい筋肉だ』って感じで、なんかもう寝る前とかにまで思い出しちゃって大久保さんの『筋肉』のこと……」


 葉豆は本気だった。その提案が一般的な感性からはかなりズレたものだったのはさておき、彼女にとっては紛れもなく愛の告白だったのだ。相手が大智ではなく、大智の筋肉だったことは彼にとっては少々残念なことなのだが。


「スーツ越しでも筋肉質なのわかるし、歩き方とか後ろ姿とか見ても左右のバランスがすごくいいなとか」

「人が歩く姿見てそんなこと思うJKいるんだ……」

「それで昨日と今日、この手で確かめることができたワケですけど……やっぱり私の目に狂いはありませんでした。頭の中でお宝鑑定団のあの音が鳴ったくらいで」

「え、俺の筋肉ってお金に換算できんの?」

「それくらい、やばかったってことなんです」

「左様ですか」

「……え、もしかして気づいてない感じですか? そんなにいいモノ持ってるのに」

「いや気づくワケないでしょ」

「あ、それもしかしてアレですか! ハリーがホグワーツへの入学案内来るまで自分の才能に気付いてなかった的なやつですか! 大久保さんの筋肉はまだ9と4分の3番線越えてないって感じですか!!」

「ごめん、意味がよく」

「大丈夫です、私も自分が何言ってるのかわかってないんで」

「ダメじゃん」

「でも、わかってることもあります。それは、大久保さんの超いいカラダってことです!!」


 葉豆のテンションはここにきて、毎秒ごとに上がっている感じだった。見た目が清楚な分、そのとち狂い方が際立っている感じだ。


 しかし、正直なところ、そんな葉豆の変わり者具合に大智はもうすっかり慣れつつあったた。マッサージ中、何十分も筋肉トークをされていたこともクッションになっていたと言える。


 だからこそ、熱いラブコール(※筋肉への)を送る彼女に対し、大智はこう思っていた。


(この子、スゴいエネルギーだな……なんか、若いっていいな……)


 そう思ってしまう自分のオッサン具合に少々萎えるのもまた事実ではあったが、でもそんなこともどうでも良くなるほど、葉豆は真っ直ぐな目をしていたのだ。


「わかった。葉豆ちゃんの熱意に感謝して、その提案、ありがたく受けさせてもらうよ」

「……本当ですかっ!?」

「その代わり、ひとつだけお願いがある。マッサージしてもらった分、俺にもなんかさせてもらえないかな?」

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