03 JKのマッサージで仕事がめちゃ捗る…

 電車を乗り継ぎ、会社の最寄り駅に到着したのは15時頃だった。休日出勤するにしても遅い時間であり、明日日曜日にまたがらないことを考えると、終電コースになるのはほぼ確定事項だった。


 でも、それでも大智の気持ちは明るかった。


(びっくりするほど肩が軽い……)


 そう、葉豆が丹念なマッサージをしてくれたおかげで、肩がかなり軽くなっていたのだ。何年にもおよぶ社畜生活で蓄積された疲労がウソのようになくなっており、手で軽くつまんでみても、ガチガチだった肩や首の筋肉が柔らかくなっている。


(一体どんなことしたんだよ……)


 少し恐ろしくなりつつ、大智はビルの20階にある勤め先のオフィスに到着した。カードキーをタッチしてロックを解除。ドアを開けると、中から蛍光灯の光が漏れてきた。完全週休二日制の会社だと、そもそも土日に蛍光灯の光が漏れてくることがまずないはずだが、中では10人以上の同僚たちが普通に働いていた。働き方改革が進むなか、とんだ不良企業である。


「大久保、おはよう」

「おっす、おはよう」

「大智、えらく遅い出勤だな? 重役出勤か?」

「バーカ、土曜に会社来てんのに重役なワケないだろ」


 大智の姿を確認すると、同僚たちがすかさず声をかけてくる。休日出勤を繰り返す人間、というか繰り返すことになっても会社を辞めない人間というのは、どこか頭のネジが外れているものだ。だから、休みの日なのに会社にいる自分たちにどこか酔い、だからこそこうやってやって来た大智に対しても、仲間意識を感じているかのような笑顔を見せてくる。


(俺はそんなつもりじゃないんだけどな……上司が変わればすぐにでも定時退社にするよ)


 世の中には一定数、仕事が大好きで四六時中そのことばかり考えている人がいる。しかし、大智はそういうワケではない。ただ、どうしようもない事情があって、忙しくならざるを得ないのだ。


(ま、愚痴言っても仕方ないし、今は仕事しよう) 


 そんなことを思い、ノートパソコンの電源をつける。


 大智が働いているのは、ネット広告会社だ。スマホ世代ならどれがどんなものか、なんとなく想像できるかもしれないが、一口にネット広告と言ってもその業務内容は多岐にわたっている。たとえばYouTubeを観ていたら途中で差し込まれたりするCMもネット広告だし、Googleでなにかしらの単語を検索したときに一番上に出てくるサイトもネット広告にカウントされる。


 で、営業である大智がやっているのは、クライアントに対して最適な広告を提案することだ。ネット広告には様々な種類があり、まあここで説明すると読者の離脱が加速しそうなのでカットしておくけど、要は「一番儲かる広告の種類を提案する」という感じ。


 しかし、ネット広告の営業は単純に提案して終わりではない。どの枠でどれだけ儲けたかが簡単にわかってしまうので、その数値を常に計測。より効果的な広告を出すために運用していくことが求められ、それができないと競合他者に契約を取られてしまうことになるのだ。


 そのため資料の作成、プレゼン、収益レポートの作成、改善策の提案……などなど、仕事はとにかく多い。大学生などは、営業マンのことを「ノリと勢いだけでやってる職種」と思っている場合があるが、実際は多くの営業マンはこういう地道な作業をコツコツ積み重ねているのだ。プレゼンや外回りの時間は、業務の一部に過ぎない。


 細かい数字を見ることで、目を酷使する。

 クライアントへの資料を作ることで、肩を酷使する。


 安っすい会社のイスに長時間座るせいで、腰を酷使する。


 革靴という本来歩くのに向いていない靴でクライアント先を回り、脚を酷使する。


 そんな生活を新卒から丸4年続けた結果、大智の体はあり得ないほどの疲労を溜め込んでいたのだ……昨日までは。


(おかしい……今週毎日終電だったのに、頭がすっげえ働くんだけど……)


 自分でも驚くほど頭が回転し、大智は正直少し戸惑うほどだった。いつもはどこか脳みそにぼんやりと薄い膜が張ったような感覚があり、なかなか作業が進まないのだ。


 しかし、今日は数字がすぐに頭に入ってくるし、資料作りの手も物凄いスピードで進んでいく。休日出勤した社員特有の、良く言えばどこかのんびりした、正確に言えばダラッとし空気感のなか、気づけば深い集中のなかで作業を進めていた。



   ○○○



 そして、作業開始から3時間後。


「おい、マジかよ……」


 大智はひとりつぶやいていた。


 終電を覚悟していたはずなのに、もう積み上がっていたタスクがすべて終了してしまったのだ。時計を見ると18時。今はまだ4月の第2週だ。季節的にさすがに陽は沈みかけているが、それでもまだ十分早い時間帯である。


「だいだい、もしかしてもう仕事終わったの?」


 背後から、気の抜けた声が聞こえてくる。そこにいるのは高田寿明。今では半分ほどになった同期のひとりだ。知的なウェリントン眼鏡に頭はクルクルのパーマ。一応シャツは着ているものの、それはストライプ柄で、しかも腕まくりしている。フニャッとした喋り口も納得するような、そんな気の抜けた風貌をしている。


 しかし、営業マンが半数以上を占める我社においてこんなふざけた格好でいられると言うのは、逆に言えばそれだけ仕事ができるという証拠だったりする。実際、高田は同期の中で一番最初にチームリーダーに抜擢され、すでに10名近いチームをまとめている。ヒラ社員の地位を大事に守って5年目になる大智とは、おそらく給与のランクも2~3ほど違うだろう。


 もっとも、そんな出世頭であるにも関わらず、高田には偉そうにするところはなく、ふざけた外見とは裏腹に性格面も意外と真面目できちんとしていた。だからこそ、大智は入社してからずっと仲良くしていたのだ。


 ちなみに、『だいだい』というのは高田だけが使うあだ名で、大久保大智という名前の『大』の2文字を重ねた感じ。安易なネーミングだし、子供っぽくもあるので正直、大智は止めてほしかったが、高田は気に入っているようでずっとこの呼び方で通していた。


「ああ。今日はもう帰るよ」

「え、マジか。どうせ遅いだろうから飯でも誘って、タク代割り勘しようと思ってたのに」

「残念だったな。デキる男の帰宅は早いんだ」

「デキる男ねえ……キャバクラでキャバ嬢のおっぱいずっと見てた奴がよく言うようになったもんだ」

「それもう4年も前の話だろ……何回言えば気が済むんだよ……」

「そうだな。次のオリンピックが来る頃には飽きるかな……東京の」

「死ぬまでに開催される気がしないんだが」

「安心しろ。永遠にこすり倒すつもりだから」


 大智のクレームに、高田は黒い笑みを浮かべる。大智の会社では以前、新卒男子を先輩社員が夜のお店に強制連行するという悪しき伝統があり、そこで女性慣れしていない大智は、胸をチラチラ見続けるという失態を犯してしまったのだ。女性経験に乏しく、また夜のお店も初めてだったことが原因である。


「でもどうせ、山岸さん来てないから仕事に集中できたとかだろ?」

「まあそれはあるな……あのクソ上司、できることなら毎日来ないでほしいわ」

「おい、どこにいるかわかんないんだから気をつけろよ」

「わかった。飯はまた今度な」

「おう。じゃあな」

「お先」


 軽く別れの言葉を交わし、大智はオフィスから出ていった。足取りはいつもと違って軽快で、高田は内心ちょっとした違和感を感じていた。


「……あいつ、なんか元気だったよな、いつも疲れてるのに。パソコン打ちながら自分で肩押したり、いきなり立ち上がって背筋伸ばしてんのに」

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