02 お隣のJKは凄腕マッサージ師である…

 JKは台所でお湯を沸かすと、ティーバッグを入れた急須にそれを注いだ。途端に、心地よいニオイが部屋の中に広がる。同じ造りで、古さも変わらない部屋のはずなのに、ほのかにいいニオイがしていると思えば、そういうことだったらしい。


 そして、大智は先程からずっと部屋のなかを見回し続けていた。なにもかもが自分の部屋とは違っていたのだ。


 まず、簡単に大智の部屋を説明しよう。間取りは2DK、つまりダイニングキッチンと部屋が2つだ。平米数は35と、一人暮らしであることを考慮すると広さ的には申し分ないが、広い分だけ住心地が良いというワケではない。


 キッチンは昭和テイスト溢れる古いタイプだし、居間のフローリングは張り替えられているものの、そのせいで建築当時のままの柱や天井とのバランスがとれていない。畳の部屋は押入れの収納スペースがあるものの、『ドラえもん』に出てくるようなタイプのもの。広いだけで収納しやすいワケではまったくない。


 薄給なので家賃は安いほうがいい。そして狭いより広い部屋のほうがいい……という単純明快な理由からこの部屋を選んだ大智だったが、全体的に古くて利便性にも乏しいため、住み心地は良くなかったのだ。


 しかし、JKの部屋は正直、大智の部屋とは一線を、いや何線も画していた。


 たとえばダイニングキッチン、居間は床一面に様々なラグが敷かれていて鮮やか。もともとあるスライド式のドア、襖はぶち抜かれており、隣の部屋の景色が見通せることで体感的な広さがグンと増してあった。窓だけでなく、ドア部分にも赤っぽい透け感のあるカーテンが施されており、その他にも観葉植物やソファ、サイドテーブル、間接照明……などなど、色んなモノが冷蔵庫などが置かれたリビングダイニング、ソファや戸棚のある居間、施術ルームらしき和室の3室に無駄なく、センスよく配置されていた。


 全体的にアジアンテイストな色合い、柄であり、小型の冷蔵庫の横に置かれた小さなゾウの置物が、大智のその考えが間違いではないことを教えてくれる感じ。まあわかりやすく言うと、『アジアンテイストなマッサージ店の内装のよう』と形容すればいだろうか。


(まさか隣の部屋がこんなふうになってるとは……住む人間によってこうも変わるんだな……)


 そんなことを思っていると、JKはお茶を入れた急須と湯呑を2個、お盆に載せて居間へと持ってきた。


「もうちょっとだけ待ってくださいねー! まだ薄いんで」

「はい」

「ロータスティーって言うんですけど知ってますか?」

「たしかハスのお茶だったっけ??」

「正解です! 利尿作用とかリラックス効果とかあって、施術の前後に飲むといいらしいんですよー。美人茶って言われてるんで私も飲んでて」

「へえ」

「あ、ちなみに私の名前、葉豆(はずき)、戸山葉豆って言うんですけど、茶葉の葉が入ってて。だからお茶好きなのかなって」


 たしかに、居間にある戸棚には、何種類ものお茶が並んでいた。紅茶や日本茶はもちろんのこと、ハーブティーやジャスミンティー、ルイボスティーなどなど、様々なお茶があり、紙の四角い箱に入っているモノもあれば、銀色のアルミ缶に入っているモノもある。


 それだけ揃うともはやインテリアになっている感もあり、ありきたりなこの築30年の木造アパートを少し華やかにしてくれている感じ。少なくとも、殺風景な自分の部屋とは全然違うもんだ……と大智は思う。


「戸山葉豆さん、か」

「はい! お兄さんはなんてお名前ですー?」

「あ、ごめんまだだったね。俺は大久保大智」

「大久保さん! 了解です。なんて呼べばいいですか?」

「もう大久保さんって呼んでるくない?」

「あっ、ホントだ……ごめんなさい。私、整体した後は少しボーッとしちゃうんです……」


 そう言うと、葉豆は少し恥ずかしそうに首をかしげる。こころなしか、頬が少し赤くなっているように大智には見えた。清楚に見えて気さくな感じの子なのかなと思った矢先、意外と天然っぽい雰囲気をも出してきた。属性を盛るにはまだ早いぞお嬢ちゃん、と大智は脳内でひとりツッコミを入れた。


 そして、葉豆が小さく息を吐く。


「それで、どこかから話せばいいですか?」

「えっと、どういう経緯でこの部屋でマッサージ屋さんやってるのか。できたら詳しく」

「わかりました……あれは昔々、私がまだ7歳の頃でした」

「え、そこまで遡るの?」

「え、だって大久保さんが、詳しくって言ったので」

「それはそうだけど」

「そのとき、私の人生の転機が一応あって……まあでも今はいいか。さすがに長いですしね!」


 そう言うと、葉豆は大智のスーツの近くにかけた、自身の制服に視線を送る。


「まず私、この近くの高校に通ってて。それでお父さんが駒沢大学で整骨院的なのやってるんですよ。結構この辺だと有名で、テレビとかも出たりするんですけど」

「ごめん、俺あんまりテレビとか観なくて」

「なるほど。イマドキの若者ですね」

「君のほうが若者だけどね……ってことは、ここは修行的な?」

「はい。ホントはお父さんのお店で常連さん相手にやらせてもらってたんですけど、でもやっぱりおおっぴらにはできないじゃないですか! JKが働いてるとか、変な勘違いとかされちゃいそうだし」

「変な勘違いか……世の中には低俗なことを考えるやつがいるもんだ」


 大智自身も、そんな低俗なことを考えていたひとりだったが、葉豆の施術によって脳みそがスッキリしすぎたせいか、警察への通報すら真剣に考えていたことはすっかり頭の中から消え失せていた。


「でも私、凄腕の整体師になるって決めてるんで、今のうちから少しでも色んな人の体に触れておきたくて。で、そしたらここの大家さん」

「あ、あのおばあさん?」

「がお父さんのお店のお客さんで、『うちのアパート、ボロすぎて全然人入らないから安く貸すよ』って言われて」

「たしかにこの部屋ずっと空いてたけど」

「それで学校の友達とかに練習台になってもらってて。うち部活動盛んでやってる子多くて、女子サッカーとか全国大会で優勝しちゃうようなチームで」

「お客さん、女の子もいるんだ?」

「そりゃいますよー! まあ帰り遅くなるとアレなんで早い時間限定にしてますけど」


 なるほど、それで大智が見かけるのは男ばかりだったワケだ。


「ちなみになんだけど、おじさんのお客さんっている?」

「あ、いますよ! おじさんというか、リアルおじさんです」

「あ、お父さんお母さんの、ってこと?」

「はい、お母さんの弟さんです。ホントはもっと年上のお客さん欲しいんですけど、口コミ広がるのはどうしても学校の子で」


 そりゃそうだ、と大智は思う。そして、外聞的にはそのほうがいいな、とも思う。


 もっとも、こうやって色々と聞いたおかげで、彼女への猜疑心のようなモノはすっかりなくなっていた。年頃の異性と部屋のなかでふたりっきりになるってのはやっぱりどうなのかと思いはするものの、学校の体操ジャージのまま、体育座りで声を立てて笑う葉豆は、どこからどう見ても年相応の女子高校生だった。


(見た目が華やかな分、てっきりイケイケな子なのかと思ってたけどそうでもないのか……? 少なくとも中身は普通、というか天然寄りかも……)


 酷い肩凝りが体から消えた結果、心地よい疲労感が体を包んでぼんやりしてしまっているせいか、なんとなく今の異質なシチュエーションを受け入れてしまっている大智だった。


 そして、そんな彼に向かって、葉豆はどこか誇らしげにこう続ける。


「でも、私これでも結構人気なんですよ。まあタダだからってだけかもですけど」

「え、タダなんだ。お金取らないの?」

「んー、ほんとは整体って無資格でもできるんでお金とって営業していいんですけど。あくまで修行なんで」

「あー、資格とかあるんだ」

「はい。あん摩マッサージ指圧師って国家資格があって、それがないと屋号に『マッサージ』とか『整骨』みたいな単語使えないんですけど、整体とかリラクゼーションならいいんです。ま、民間資格持ってる人も多いですけど」

「へえ」

「だからさっきマッサージ屋さんって言いましたけど、正確には整体屋さんもどき、ですかね」

「そういうモノなんだね」

「あ、もちろん、大久保さんもタダでいいですよ!」

「いや、それはさすがに悪いよ。こんなに楽になって仕事も捗りそうなのにタダなんて」


 と、そこで大智は自分の言葉で我に返る。


「あ、そうだ今日、会社行くつもりだったんだった」

「えっ、ホントですか? もしかして約束とか??」

「いやそれはないけど。ただタスクが多くて今週中に片付けないと月曜困るから行こうとしてたってだけで」

「なら良かったです……土日でも働くんですね、サラリーマンって」

「サラリーマンだからじゃなくて、社畜だからだけどな」


 そういうワケでなんとなく話は終了。大智は隣の部屋に行き、スーツに着替えることにした。いつも身につけているはずの服なのに、肩周りがよく動くせいかスムーズに着ることができた気がした。むくみが取れたのか、首周りまでスッキリした気がしてくる。


「はい、これどうぞ」

「あ、うん……ありがとう」


 居間へと戻ると、葉豆がカバンを持って待っていてくれた。それを大智に向かって差し出してくれる。甲斐甲斐しい姿に、大智は不覚にも動揺しかける。女の子のこういう行動にドキッとしてしまうのは、もはや男のDNAに刷り込まれた本能なのかもしれない。それが、たとえ、女子高校生相手だったとしても。


 しかし、葉豆はカバンを渡したあとも、大智を見たままだった。じっと目を見つめてきていて、明らかになにか言いたそうな様子である。


「あ、あの、大久保さん……」

「なに?」

 

 しかし、数秒間真面目な表情で凝視したのち、葉豆はニコッとあどけない笑顔を浮かべる。つまり、元の表情に戻った。


「いえ、なんでもないです! お仕事、頑張ってくださいねっ!」

「……うん、ありがとう」

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