ダイチ先輩の誕生日
夏休みも終わりに近づく、すごくすごく暑い日であるにも関わらず、私は玄関の前に立っている。
垂れてくる汗をハンカチで拭い、面倒そうな表情を繕う。
「行くか」
ダイチ先輩の声に従い歩き出す。
誕生日プレゼントが思いつかず直接聞いてみたところ、「一日付き合え」とのことだったのである。
相変わらず付かず離れずの距離を保つ歩幅は、わかりにくい優しさだ。
「今日はどこ行くんですか? 」
ダイチ先輩は私がプランを立てようとしたら、それを止めてきたのだ。もう決めてある、だそうだ。釈然としないが誕生日なのだ。好きなようにしてもらおう。
「水族館」
「本当ですか!! 」
「嘘ついたって仕方ないだろ。前に行きたいって言ってたじゃん、リョウ」
食いつく私とそれを見て柔らかに笑うダイチ先輩。こんな表情もするんだ、なんて柄にもないことを考える。
「っていうか、今日は先輩の誕生日で、別に私の行きたいとこに行く日じゃないでしょ」
「俺も行きたいんだよ。いいだろ? 」
「いいです、けど……」
少し不安の色を湛えた瞳。そんな瞳、知らない。咄嗟にそっぽを向きながら、ちらりと横目でダイチ先輩をうかがう。いつもと変わらぬ瞳で、さっきのは気のせいだったのかと錯覚してしまうほどだ。
一階から四階まで続く大きな水槽。その中にはたくさんの魚が一緒に暮らしている。
「綺麗……!」
水族館なんていつぶりだろうか。小学校に上がってすぐの頃おばあちゃんに連れてきてもらった時以来かもしれない。その時はダイチ先輩も一緒に居たんだっけ。無言で魚たちを見上げるダイチ先輩はどこか遠くへ行ってしまいそうで、思わず声をかける。
「ダイチ先輩が水族館好きだなんて知りませんでした」
「昔、リョウとリョウのおばあちゃんと来て以来だけどな」
見上げたまま、何故か辛そうに哀しげにそう言った。それでも覚えていてくれたことが嬉しくてにやけそうになる顔を必死に耐える。そんなへんな表情が気づかれてしまったようで、ジト目を向けてくる。
「あ、先輩。あっち見に行きましょう。色々いますよ」
追求されないよう私は隣のスペースへ向かった。何か言いたげな視線はスルーに限る。
ある水槽の前で立ち止まりうっとりする私。それを怪訝な表情で見つめる大地先輩。
「リョウ……これのどこがいいんだ? そもそもコイツはなんだ」
「失礼ですね、ダイチ先輩。この子可愛いじゃないですか。面白いじゃないですか。見ていて落ち着きます。それとこの子は『オニダルマオコゼ』ですよ」
あからさまにコイツ大丈夫か? みたいな視線を送ってくる先輩を横目で睨みすぐに視線を正面のオニダルマオコゼに戻す。この子の良さがわからないなんてダイチ先輩はやっぱりダメダメです。
オニダルマオコゼをたっぷりと堪能した後、人の波に乗りながらゆっくりと水槽を眺める。自由気ままな魚たちを見て、ポロリと言葉がこぼれる。
「幸せなんですかね、この子達……。一生この中に閉じ込められて、飼い殺されて、見世物にされて……」
「……っ。リョウは、どう思う?」
先輩の雰囲気が少し変わる。何か言いかけて言葉を飲み込んだことが分かった。気を遣わせてしまったといまさら気づく。そんなつもりはなかったのだと、わざとらしく明るい調子で答える。
「幸せだと思いますよ! 食べるものに困りませんし、外敵に襲われることもないですから」
「俺も、そう思うよ」
ぎこちない表情で先輩は笑った。苦しい。こんな表情をしてほしいわけではなかったのに。せっかくの誕生日なのに。いろんな感情が渦巻いて、頭が真っ白になる。少し強引に先輩は立ち尽くす私の手を引く。
「そんなことより、ペンギンの散歩が始まるぞ!」
「うわっ! 先輩、いきなり引っ張らないでくださいよ」
ケラケラと笑う先輩につられて私も自然と笑みが浮かんだ。
テトテトと歩くペンギンを眺め、イルカショーを見て子供のようにはしゃぎ、見慣れぬセイウチやトドにぎょっとしつつも、久しぶりの水族館を心から楽しんだ。
「ダイチ先輩、アキちゃんと先輩たちにお土産買っていきましょ!」
「あぁ、そうだな。お菓子とかいいんじゃないか?」
三人の好みはよくわかっているため、お土産はそれほど悩むことなく買い終えた。けれどその後も、お土産を見つつ唸っている私のところに、家族分のお土産を買い終えた先輩が戻ってきた。どうした、と不思議そうに首をかしげ、手元を見る。
「お姉ちゃんに、何かお土産買おうかな……と。今度の週末帰って来るらしいので」
二人であーだこーだといいつつ、結局実用性のあるハンカチにすることにした。ペンギンやイルカなど可愛らしい刺繍の入ったそれを、お姉ちゃんは喜んでくれるだろうか。
「先輩は外で待っていてください。すぐ終わると思うので」
レジへ向かうふりをして、他の陳列棚へ向かう。スマホの画面に表示されたソラ先輩とのメッセージに目を落とす。先輩に返信を打ちながら、二人で相談して決めたものを手に取り、改めてレジへと向かった。
「姉さん、喜んでくれるといいな」
家までの道のりをゆっくりと歩く。もう六時前になっているが空はまだ明るい。夏だなぁと思う。青かった空がオレンジに染まりつつあった。
自宅前、ダイチ先輩にお礼を言い、世間話を交わす。まだ合図が来ない。どうやって引き留めようかと頭をフル回転させる。正直もう限界である。お願いだから、早く! と祈っていればようやく、アキちゃんがダイチ先輩の家から顔を見せた。
「あれ、ダイチくん帰ってたんだ。おばさんに頼まれてたからご飯作っておいたよ。リョウも一緒に食べてく? 私も食べて帰ろうかなと思ってたんだけど」
「やったー、アキちゃんの手料理! 食べる! ほらほらダイチ先輩早く。全部食べちゃいますよー」
全く……とでも言いたげに、ため息をつく。その先輩の表情はどこか嬉し気で私も思わず頬を緩めた。
そして先輩が後ろの私に話しかけながら家に足を踏み入れる。するとパンパンとクラッカーが鳴り響いた。目を見開き固まる先輩と、クラッカーを持ちニコニコと笑みを浮かべるソラ先輩、ソラ先輩とは違いニヤニヤと笑みを浮かべるカイト先輩。そしてダイチ先輩の表情にケラケラと笑い声をあげる私とアキちゃん。実に和やかな光景だろう。
「誕生日おめでとう、ダイチくん」
「おめでとーさん、ダイチ」
「ダイチ君、おめでとう」
「改めて、誕生日おめでとうございます。ダイチ先輩」
こっそりと買った私たち四人からの誕生日プレゼントを手渡す。恥ずかし気に少しぶっきらぼうにそれを受け取るも、表情は緩んでいる。とても可愛らしいと言えよう。
「ありがとう、ございます! ……ほら、そんなに俺のこと見つめてないで、アキちゃんが料理作ってくれてるんでしょ? 冷めないうちにみんなで食べましょ」
にやけた顔を見られまいと先輩は私たちをせかし、今日ばかりはそんな先輩の思い通りになってやろう。私たちはダイチ先輩に押され、アキちゃんの料理の待っているリビングへ向かった。
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