不思議部ときどき雨

「おーい、リョウ」


 あくびを噛み殺し、うつうつとした気分で雨の降る通学路を歩いていると、珍しくカイト先輩が声をかけてきた。


「おひとりですか? 珍しいですね。おはようございます」

「そう! 一人なんだよ! おはよ」


 ちゃんと挨拶は返すんだなと、ぼんやりと考える。

 一人だということをずっと隣で騒がれるのも面倒なので、仕方なく話をふる。


「ソラに……嫌われたかもしれねぇ……」

「よかったですねー」


 からかい交じりに返せば、平手が降ってきた。いつもより手ひどい仕打ちに反撃しようと改めてカイト先輩へ向き合うと、キノコが生えてきそうなほどジメジメとした空気をまとい青い顔をしていた。

 ただでさえ雨で気分が下がっているのだ。こんなのが隣にいると、こっちまでキノコが生える……!


「と、とりあえず、話は昼休みに聞きますから、その鬱陶しい空気仕舞っといてください」

「あぁ、悪いな……」


 その後も重い雰囲気をまとい、明らかに周りが引いているカイト先輩と玄関で分かれ、ため息をつく。


「おはよ、リョウ……ってなんだ、その顔」

「ダイチ先輩。おはようございます。アレですよ、アレ」


「げっ」と顔をそらし、その場から急いで離れようとする。そんな先輩の腕を逃がすまいと、がっしりとつかむ。にこりと笑いかければ、降参を示すようにつかまれていないほうの手を挙げた。

 上機嫌で教室に向かうもお昼のことを思い出し、気分が下がる。ソラ先輩のほうはダイチ先輩に任せるとして、一番厄介なカイト先輩をどうするか、そう考えるだけでなんだか一気に疲れてしまった。



 嫌なことが待っているとき、残念なくらい時間が早く過ぎる気がする。にぎわう校舎から人気のない旧校舎へと向かう。その足取りはもちろん重い。

 ドアをノックすることもなく思い切りよく開けると、朝と同じ―いやもっとひどくなっているかもしれない―空気をまとったカイト先輩が定位置に座っていた。私も自分の定位置につき、お弁当を広げ、「いただきます」と食べ始める。お弁当が三分の一ほど減ったころ、カイト先輩がぼそぼそと話し出した。


「朝、いつもの時間通り迎えに行ったんだ。普段とかわらない様子で、機嫌もよくてさ。……でも、だんだん口数が減って、『頼まれたことがあるから、先に行くね』って。追いかけようとしたら、『ゆっくりくればいいよ』なんて言われて。明らかに不機嫌になったんだよ」


 突然だが、カイト先輩は鈍感である。故にそんな先輩の話だけを聞いたところで、当たり前だがなぜソラ先輩が怒ったのかわからない。けれど、こんな喧嘩は一、二か月に一度は起こる恒例行事のようなものである。毎回、仲直りのために手は貸しているが、そろそろ自分で解決する力をつけてもらいたい。こっちも飽きた。


「普段と違うところなかったですか? 髪型とか」

「なかった……と思う」

「身に着けているものは?」

「んー、覚えてない」


『めんどくさい女の子』を自称するソラ先輩である。まぁ、そうなった原因はカイト先輩にもあるのだが、本人は自覚なしだ。

 そんな二人の喧嘩の理由で最も多いのは『ソラ先輩の変化にカイト先輩が気づかないこと』だ。例えば、さっきも指摘した髪型を変えた、いつもと違う服装をしているだとか、そういう細かいところに気が付かない。付き合う前まで備わっていたはずのその力を、取り戻していただきたい。


「私はまだソラ先輩を見かけてないので、何とも言えませんね。とりあえず、放課後までに思い当たる節がないか、よく考えてみてください」

「死んじまう……」

「死にません」



 購買のパン売り場の激戦を勝ち抜き、焼きそばパンを手にいれる。けれど、他のパンを買うことができず少々物足りない。


「買いすぎちゃったから、これあげる」


 突然差し出され戸惑うも、くれるというのなら遠慮なく頂こうと思う。お礼はイチゴオレがいいだろうか。


「ソラ先輩、購買って珍しいですね」

「お弁当もあるんだけどね、ちょっとやけ食い」


 照れたように笑う先輩をお昼に誘い中庭のベンチに移動する。


「喧嘩の原因はそれですか?」


 髪型は同じだ。けれど腰ほどまであった髪が二十センチほど短くなっていた。


「やっぱり、ダイチくんは気づいてくれた! そうなの。ちょっと思いきって切ってみたの」


 毛先をいじり、頭が軽くなったと笑うソラ先輩はどこか寂しげだ。共に過ごす時間がカイト先輩よりも短い俺が指摘するのだ。気づいてもらえると期待していたのだろう。

 けれど、やはりカイト先輩の察知能力は明らかに低下しているらしい。ソラ先輩はその事にご立腹のご様子だ。


「どうせ気づかないって、わかってたんだけどね。今回はって期待しちゃってたみたい。きっとまた、カイくんがリョウちゃんに迷惑かけてるんでしょ? ごめんね、毎回毎回」


 やはり、伏し目がちで寂しげにほほ笑む表情はソラ先輩には似合わない。早急にカイト先輩には気づいてもらわなければ。

 他愛もない会話を交わし、お昼を食べていたら、あっという間に昼休みが終わるチャイムが響いた。



 珍しく睡眠欲と戦わない午後の授業を終え、足取り重く旧校舎へと向かう。

 アキちゃんが居てくれればなと考えるが、残念ながらアキちゃんは正式な不思議部の部員ではなく、陸上部に所属している。そして今日は陸上部の活動日である。

 どんより気分を振り払うように頬を叩く。少し赤くなった頬をさすり、叩くんじゃなかったとちょっとだけ後悔した。

 ドアの向こうにいたのはダイチ先輩だけで、二人の先輩はまだ来ていなかった。


「なーんだ、ダイチ先輩だけか~」

「なんだとはなんだよ……」

「いやぁ、せっかく気合い入れてドア開けたのに、ソラ先輩たちがいなかったので―」


 自分の定位置につき、グダリと机に倒れこむ。気が抜けてしまい、どうにも体に力が入らない。そんな体制のままダイチ先輩にお昼の愚痴をこぼしていると、ドアが開く音がした。


「ごめんね、また迷惑かけちゃって」


 声が部室の外まで聞こえていたのか、それとも私の雰囲気を見て話題を察したのかリョウ先輩が申し訳なさそうに顔を見せた。


「ソラ先輩は悪くないですよ~。それよりも、髪切ったんですね!」


 勢い良く立ち上がり、ソラ先輩に抱き着く。髪型はいつもと同じだが、毎日触っていた髪が明らかに短くなっている。まさかとは思うがカイト先輩はこれに気づかなかったんだろうか。気づいていたら、こんなことにはなっていないか……。幼き頃のカイト先輩は本当に消えてしまったようだ。

 しばらく、ソラ先輩の短くなった髪を触らせてもらっていると、もう一人の重要人物がようやく姿を現した。お昼と同様に暗くジメジメとした雰囲気のカイト先輩にげんなりとした視線を向ける。ソラ先輩をちらりと一瞥するも特にリアクションをすることなく、自分の定位置につく。

 今日はもう何度目になるかもわからないため息を噛み殺し、わざとらしい口調でソラ先輩に話しかける。


「ソラ先輩。やっぱり髪綺麗ですよね~。何か特別にお手入れしているんですか?」

「うーん、美容院でトリートメントしてもらうくらいかな。あ、でも一応洗い流さないトリートメントは使っているの。そのおかげなのかもしれない」


 突然、カイト先輩が雑誌から顔を上げた。普段読まない部類の雑誌を手に持っていたことからわかるように、意識は完全にソラ先輩へ向いていた。


「髪、髪切ったんだな! 二つくくりなのは普段とかわらないから、気づかなかった。でも、たしかに短くなってるな。なんだ、そんなことだったのか……。俺はてっきり、リップの色を変えたんだとばかり思って―」


 カイト先輩の言葉に、私たちは固まる。お互いに顔を見合わせて、失礼ながらソラ先輩の顔をまじまじと見てしまう。


「え!? 変えたんですか? ……そういわれればそんな気がしないでもないような」

「おい、お前ら見すぎだ。変えてるだろ、昨日まではピンクっぽかったけど、今日はオレンジ系だろ」


 私とダイチ先輩は同時に頭を抱えた。なぜ、なぜそれに気づいておきながら、二十センチ短くなった髪に気づかないのだろう。本当に不思議でならない。それにしても、お昼は何も変わったところがないと言っていたはずである。


「リップの色が変わったとか、どこ見てんだってひかれるだろ‼ だから、その、言えなかったんだよ……。すぐには」


 こんなところで発動したピュワピュワなカイト先輩に向け、先ほどまでとは意味合いの違うため息がこぼれた。私たちより長い間固まっていたソラ先輩は、嬉しそうに立ち上がり、部室の奥に設置されたキッチンスペースへと姿を消したかと思うと、いつもより少しお高めの紅茶を入れてきた。


「あ、たしかお菓子きれてましたよね? 俺とリョウで買ってきますね」


 ダイチ先輩の意図を汲み、私たちは購買へ向かった。

 いつもよりもゆっくりとしたペースで、いつものように他愛もない会話をしながら。

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