第2話
急な突風に
スマホは先ほどまで書きかけていた謝罪文を下にして地面へ落下する。
舌打ちをしながらそれを拾い上げる森田の耳を劈くよう、轟音と共に新幹線がホームへ侵入して来た。
車両には目もくれず、森田は画面が割れていないのを確認し、汚れを服の裾で拭った。
片足のつま先を地面にコツコツと叩きつけながら彼はため息を吐く。
新大阪の駅は休日最終日とあって賑わいを見せていたが、彼の心にはどんよりとした雲がずっとかかっていた。
週刊誌の記者を初めて十余年。森田は数多くのスキャンダルを取り上げて来た。人々は彼や、彼の雑誌を下衆だと罵ったが、金さえ入ればそんな批判は屁でもなかった。人間と言う生き物は得てして他人の汚い部分に興味がある物なのだと森田は思っていた。
彼には自分もこの仕事が向いているという実感すらあった。文章力や表現力さえないが天性の“何かを嗅ぎ付ける能力”が根拠も無く彼をスキャンダルへと導くのである。
そしてこの週末もその能力が導くまま、新大阪へ巨大なキャリーケースとカメラを抱えやって来たのだ。
勿論、あてずっぽうで来たわけではない。
目星は付けてあった。とある女優が度々大阪を訪れているという噂が前々からあったのだ。加えて今回の直感。何かあると確信した彼は会社の経費を使い、予定に入っていた別の取材も断り、意気揚々とやって来たのだ。
そしてこの有様である。
やった事と言えば二日間、ほぼ一睡もせず大阪のホテル街を歩き回っただけで、何の収穫も無かった。
東京へ帰れば、編集長の怒号は必至。
再びため息を吐くとそれに呼応して新幹線が止まった。
停車した新幹線のドアが開く。
これに乗ればどう抵抗しようとも東京へ行くしかない。
本州を横断中の台風で帰りが伸びたらどれだけ楽だろうかと思った。
経費で落としたグリーン車も罪悪感しか湧かない。
自分の席を確認すると、森田は重いキャリーケースを荷物棚へ持ち上げる。
その時、何かを感じた。
彼の記者としての異様な嗅覚が何か異変を察知していた。
次の瞬間には、彼の視線は二つ斜め前の席を捉えて離さなかった。
赤いアルミボディと縦横一本ずつ入った白いライン。
取っ手の部分は合皮でコーティングされており、手に負担を駆けない構造になっている。
そこにあったキャリーケースのことを彼は良く知っていた。
なぜなら自分も全く同じものを今両腕の中へ持っていたからだ。
異変とはこれのことか― 彼は思った。
確かに自分の持っているキャリーケースはそこら辺の量販店で購入できる安物ではない。
キャリーケースが被るのは珍しいかもしれないが、彼の嗅覚が反応する様なことではない。
彼の嗅覚が反応したのはそのキャリーケースの置かれ方だった。
サイズ的には一番大型となるそのバカでかいケースは通路側の座席上に置かれ、シートから四分の一ほどが飛び出していた。
まるで壁だな、森田はそう思いながらケースと窓側、つまり壁の向こう側に座っている人物へ視線を移した。
背筋がゾゾッと寒気が走る。
我ながら自分の直感が恐ろしくなった。
そこには深々と帽子をかぶり、眼鏡とマスクで顔を覆った男がストール包まる様にして眠りこけている。
それが、尾藤悠馬であることを見抜くなど、森田には朝飯前だった。
これはラッキーだぞ、と言わんばかりにケースを棚へ上げると手荷物を整えるふりをして立ったまま彼を観察した。
身を隠す様にして眠りこけている彼に別段奇妙な点はない。話しかけられるのを避ける為にグリーン車の座席を二つ予約するとはいいご身分だと森田は目を細める。
今を時めく若手俳優、束の間の休息といったところか。
観察しながら彼は頭の中で無意識に見出しのタイトルを考えていた。
その癖はもはや職業病のようになっていた。
『若手俳優、尾藤悠馬グリーン車で爆睡』『たまの休暇は新幹線でお出かけ』
と、そこまで考えて自分の徒労に気づき、座席へ深々と座り込んだ。
彼はネタに飢えるあまり、尾藤の事務所のことをすっかり忘れていたのだ。
ダイアスパーエンターテイメント。業界内ではお堅いことで有名な事務所だ。
浮気や熱愛のスキャンダルだけでなく、所属する芸能人のプライベートですら徹底して門外不出にする。
無論、記者魂が燃えないわけではない。森田も何度かこの事務所のスキャンダルを取り上げたが、その代償はあまりにも大きかった。
たかが一芸能人のプライベートを取り上げるだけに、高い代償を払うほど馬鹿ではない。
夢心地の悠馬を一瞥し、会社への言い訳を考え始めた森田だったが、新大阪駅を出発してしばらくすると、ドッと疲れが顔を見せ始めた。
眠る前に一服やっておこう、そう思った森田は前の座席に手を掛けて立ち上がる。
強い衝撃が起こったのはその時だった。
つづく
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