ふんころがしは忙しい
諸星モヨヨ
第1話
古代エジプトにおいてその虫は、神秘的な生き物として扱われていた。
自分の体長よりも遥かに巨大な糞塊を転がす姿を人々は、太陽の運行を司る神と同一視した。
太陽は復活と再生の象徴。
糞を転がす彼らは
神聖な生き物であったのだ。
神聖で奇妙な虫。
スカラベ。またの名をふんころがしと言う。
極上の
話の衝撃と内容を頭の中に置きとめるのに必死でその状況は殆ど覚えていないが、共通の趣味を通じて知り合った人物が彼にそれを教えた。
世の中には様々な愛好家がいる。
鉄道愛好家、ウィスキー愛好家。
悠馬もある意味では愛好家だったが、彼のような『異常な物』を好む場合、この“症”の字が使われる。
それが彼のフェチズムだった。
一口に糞尿愛好症といっても様々な種類があるのは知っての通り。
野外で失禁することを好む者もいれば、他人にそれを強要し眺めて楽しむ者もいる。
その中でも特に変わったものが飲尿・食糞の類だ。
文字通り、排せつ物を食す、または食させることに興奮を覚えるというものである。
悠馬のフェチズムはこの食糞にあった。それも他人に食べさせるのではなく、自身で召し上がることに興奮を覚えるのだ。
自分でも、なぜこのようなフェチズムに目覚めてしまったのか完全に理解することは出来なかった。
しかし、このことを考えると、決まって彼の脳裏には小学生の頃の記憶が浮かんだ。
砂場で一人遊んでいた彼は、掴み上げた砂の中に奇妙な塊を見つけた。塊は、粘土にしては柔らかすぎ、泥にしては固すぎる。
独特の粘り気を持ったそれを顔に近づけた瞬間、香ばしい悪臭が彼の鼻を突いた。
犬か猫の糞だったのだろうが、特にそれで興奮したという覚えはない。
だが、原始の記憶は必ずここから始まっている。
初めて糞を食したのは十九の時だ。その時には既に食べたいという衝動もあり、食べた時は勃起し、そのまま果てた。
それから二十四の現在に至るまで幾人もの糞を食して来た。なかには嘔吐するほど不快な物もあったが、往々にして素晴らしい体験だった。
最初は食べるだけで興奮し射精していたが、今や彼の舌は肥え、その味や形、触感までを吟味し査定できるような知見さえも手に入れていた。
そんな彼が『極上の糞を出す女』と聞けば黙っている訳にはいかない。
すぐさまアポを取り、舌に全神経を集中しながら食したかったが、一つ難点があった。
女は福岡に住んでいたのだ。
一般人であれば暇を見つけて出かけることも可能なのであろうが、彼の仕事柄そう簡単にはいかない
尾藤 悠馬― 若手超イケメン俳優という如何にもなキャッチコピーで宣伝されても何ら疑問もわかない程の有名俳優だ。
そう、彼はイケメン俳優、つまりは有名人である。
彼のスケジュールは超過密で取れる休みも月に一日あるかないか、その休みでさえ、インタビューやCMの撮影で直ぐに潰れてしまうこともあった。
無理にでも休みを作ることは彼ほどのビッグネームであれば出来たが、プロとして仕事に穴を開けたくはない。
女を東京へ呼ぶことも考えたが、東京はいつ、どこで、誰が、何を見ているか分からない。万が一、バレでもすれば芸の人生は一瞬でおじゃんだ。
福岡であればその危険性も少なくなる。彼にとっても福岡まで合いに行くことが最もリスクが低い、最善策だった。
そんなこともあり、その女に出会うまで半年もかかった。
たまたま空いたスケジュール。それも接近する巨大な台風の為に撮影が前倒しになったことによって空いた休みだ。
スケジュールが抑えられたその瞬間に女性へコンタクトを取り、予約を取り付けた。
「食事の指定とありますか?」
電話口で応える女性に悠馬はすぐさま彼女がプロだと確信した。この食糞において摂食内容は最も重要だ。
無論、悠馬にも指定すべき食事内容があった。
一週間前からは基本的に炭水化物を抜いた、野菜と果物を中心とした食生活を送ってもらう。水分は全て水。それもクリスタルガイザーのみ。
二日前からはバナナとオレンジ、加えてナッツを粉砕し粉末状にしたものをミルクとまぜたスムージを飲んでもらう。
悠馬がこれまでの経験と知識から得た最良の糞の作り方だった。
心配されていた台風が上陸する直前、滑り込むようにして飛行機で彼は福岡へ降り立った。
暴風雨の中での一夜は、それはそれは素晴らしい物だった。
悠馬が食すプロならば女はひり出すプロ。
出したてのそれの美味さは悠馬に涙を出させたし、女性も彼のその姿に一つ仕事をやり遂げた充足感を感じた。
女は相手が超有名人であり、絶対にばれてはいけないことも承知していた。
彼女自身、大便を出すことによって莫大な富を築いている。
今更、有名人の性癖を暴露したところで何の意味も無い。
心の何処かにあった不安もそれによって一気にほぐれていた。
そして今、尾藤 悠馬は博多駅に居た。
列車の運休が不安だったが、何とか東京までは動いている様だった。
飛行機で帰ることが出来れば何も問題は無かったが、飛行機を使えない理由が彼にはあった。
別れの朝、女は特大サイズのタッパーを取り出した。
タッパーは完全に冷凍されており、取り出したことによって周りから白い冷気が立ち上っている。なかに詰まった茶色のなにかにもしや、と思った悠馬の勘は当たっていた。
「またしばらく来れないみたいだから。お土産」
お土産。それはタッパーにぎっしりと詰まった彼女の大便だ。
飛び跳ねて喜びそうになったが、自制して礼を言うとそれを受け取った。
「博多から東京まで六時間ぐらいでしょ? フリーザーパックに入れてるからまあ大丈夫なはず」
彼女の配慮にも感動したし、軽く一㎏以上あるお土産を家に持ち帰られることに、彼は震えた。
お土産は彼の赤いキャリーケースの中、確かな重みとなって存在している。
彼は実際持ち込んだことはないが、恐らく糞は機内に持ち込めないはずである。その為、多少時間が掛かったとしても新幹線を使わざるをえなかった。
東京行き、山陽新幹線のぞみは定刻通り、ホームへやって来る。
彼は他人に正体が決してばれぬ様、ストールを巻いて帽子を深く被り、眼鏡をかけ、マスクをした。
こうしておけば、たとえ気づかれたとしてもそれなりのプライベート感を出すことが出来る。それでも話しかけて来る人間がいるのは事実だったが、その場合は適当にあしらっておけばよい。必要以上に拒めばそのような人種はなにをしでかすか分からない。
彼は辺りを確認するとそそくさと予約していたグリーン車へ乗り込んだ。
つづく
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