第4話

 その後しばらく、アンバーは屋敷に姿を見せなかった。人間と鉢合わせるのを嫌ったのかもしれないが、元より気まぐれな人である。毎日訪れると約束していたわけでもないし気にすることもない。そう思っていたオニキスだったが、流石に十日も顔を出さないとなると落ち着かなくなっていた。

「いない、か」

 二階のテラスに居間のソファ、埃だらけの地下室も探して、最後に行き着いたのは荒れ放題の前庭だった。高く背を伸ばした雑草の隙間にもアンバーは見当たらず、オニキスは肩を落とした。これまでは間があいても精々二、三日だったのに、どうしたのだろうか。まさか彼女の身に何かあったのでは、と不吉な考えが浮かぶが、すぐにそれを否定する。仮に何かあったとしても魔女の力で身を隠すだろうし、敵対した人間を蹴散らすのも容易いはずだ。単にオニキスに構うのに飽きたのかもしれない――やけに森が騒がしいと気付いたのは、そう結論付けた時だった。

 蹄の音がする。馬が踏み固めた土を蹴って、馬車の車輪が枯れ枝を砕いた。時々人の怒鳴るような声が混ざり、不協和音となって森の静寂を揺らす。波のように押し寄せるそれは、間違いなくこの屋敷に向かっていた。

 異常だった。王都からの使いにしては、前回からの間隔が短すぎる。それに明らかに人数が追い。元々人の寄り付かない地だから、通りがかりの隊商ということもないだろう。いったい何事かと身を強張らせたオニキスの耳に、聞きなれない声が響いた。

「――お前が名無しの王子か」

 その呼び名が自分を指しているのだと、オニキスは一拍遅れて気が付いた。声を発したのは門前にいた馬上の男で、鎧をまとい腰には剣をいていた。傍らには似たような格好の男がもう一人控えている。音の元となっている一行に違いないだろう。先んじて様子を見に来た、といったところだろうか。馬の装飾には、見覚えのある紋章があしらわれていた。あれは、ヴェール王国の、ひいては王の紋章だ。

 男は呆然とするオニキスに許可すら求めず、門扉を押し通った。更には腰の剣を抜き放ち、オニキスにつきつける。

「口もきけないのか。答えよ」

 でなければこの場で切る、と言外に告げられ、オニキスは息を呑んだ。身体中から汗が吹き出し、心臓が不自然に脈を打つ。硬直していると剣先が頬を掠め、薄く血が滲んだ。答えなければ、殺される。悲鳴を上げるのをどうにか堪え、オニキスは震える唇で答えた。

「……王子の身分は王にお返ししました。今の僕は、ただの身寄りのない子供です」

 まともに名乗ることも出来ず、ひたすらに事実だけを述べる。名無しの王子、という呼称には少なからず侮蔑の響きが含まれていて、オニキスという名を言っても彼らが口にすることはなかっただろう。王子、と呼ぶわりに男の態度は横柄で、こちらに喋らせたかと思えば自分はもう一人の男と話し込んでいた。会話が途切れたかと思うと、不意に剣先が離れていく。そのことに安堵を覚えた瞬間、今度は腹部に重い衝撃が走った。殴られたのだ、認識できるほどの間さえなく、地面に倒れこむ。

「馬車に突っ込んでおけ」

「かしこまりました」

 頭上で無慈悲なやり取りが交わされる。自分を連れ去ろうというのか。いったい、どこへ。

「なに、を……」

 掠れる声で、ようやく言葉を絞り出す。オニキスを拘束しようと傍に屈んだ男は、それに対して全く意味の分からない答えを寄越した。

「名無しの王子。お前を反逆罪で連行する」

 同時に側頭部を剣の柄で打ち付けられ、オニキスの意識は闇に沈んだ。

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