第3話

 初めて出会った夜以来、魔女――アンバーは毎日のようにに屋敷を訪れた。普通の客人のように玄関から入ってくることもあれば、最初と同じようにテラスに現れたりした。いつの間にかソファで寛いでいたこともある。顔を合わせれば、彼女はなにくれとなくオニキスの世話を焼いた。森でとれる野草や果実を分け与え、時には手ずから料理する。他にも服を繕ったり部屋を整えたりと、その様子は恐ろしい魔女とは程遠いものだった。初めこそ、どこぞの童話にあったように肥えさせてから食べる気では、と戦々恐々していたオニキスだったが、どんな状況でも人は適応していくものらしい。ひと月も経てばすっかりアンバーの存在にも慣れ、好意的に受け入れてさえいた。むしろ、森の中の孤独に気が狂わなかったのは彼女のお蔭と言っていい。

「アンバーの他にも、魔女はいるんですか?」

 そんな疑問を口にしたのは、森の屋敷に移って四、五年は経っただろうかという頃のことである。オニキスは十三の歳を数えていた。この歳になれば身の回りのことは大抵一人でこなせるようになっていて、代わりにアンバーからは勉強を見てもらうことが多くなっていた。彼女は非常に博識で、特に歴史などは自分の目で見て来たかのように語ることも多かった。魔女というからには、普通と違って多くの時間を生きてきたのかもしれない。実際、アンバーの容姿は初対面の時から驚くほど変わっていなかった。当時のオニキスにとって魔女は既に恐怖というよりは好奇の対象で、もっと彼女のことが知りたい、という欲が強くなっていたのだと思う。

「なんだ、オニキス。もう写し終わったのか?」

「いえ、でも書きながら聞きますので」

 この時オニキスは薬草の図鑑をを夕暮れまでに書き写すという課題を与えられていて、アンバーは机に向かうオニキスを尻目に窓辺で煙管キセルをふかしていた。煙たいからテラスに出てはどうか、と訊ねると、怠けていないか監視だ、と返された。ぞんざいなようで意外としっかり見ているのである。しかし手を止めなければ雑談くらいには乗ってくれた。

「終わらなかったら口に毒キノコ突っ込むぞ。そうだな、昔は大勢いたと思ったが、今は随分少なくなった」

 案の定、アンバーは暴言を交えつつも答えてくれた。ただ気を抜くと本当に毒キノコを食わされかねないので、ペンを止めないよう意識する。あと少しで終わるのだからへまをするわけにはいかない。

「他の魔女はどこにいるんですか?」

「さあ。あちこちふらふらしてるやつもいるし、街に紛れてる奴もいる。私はたまたまこの森が気に入って住み着いてるが、人それぞれだな。ま、精霊がいればどこでもいい」

「精霊、ですか」

 耳に残った単語を繰り返しながら、新月の夜を思い出す。幻想的に輝く森。無数に飛び交う小さな光。アンバーはそれを精霊だと言った。森全体が光るほどの光景が見られるのは新月の晩だけだが、それ以外でもふとした瞬間に光を見つけることがある。目立たないだけで精霊は常に存在しているのだ、と聞いた。あんなものがそこらの町や村にもいるというのは、俄かには信じ難い。

 オニキスの表情がら言いたいことを察したのか、アンバーは更に続けた。

「あれが見える人間は多くないからな。いても気付かないんだろう。いるところにはいるもんだ」

 そう言いながら、彼女は窓の外に目をやった。オニキスの位置からでは見えないが、彼女の視線の先には小さな光が浮かんでいるのかもしれない。

「この森は精霊が多いんですか? 僕もちらほら見かけますけど」

「私が知る中では多い方だな」

「それって、魔女の力にも関係があったりします?」

 話の流れで立てた推論だったが、魔女が精霊のいる場所を好むというなら相応の理由があるのだろう。普通に暮らす分には精霊など意識もしないのだから、彼女たちが扱う不思議な力と関係するのではないだろうか。

「ほう、それくらいは考えられるようになったか。誉めてやろう」

 自身の考えを伝えると、アンバーは心なしか上機嫌にぱちん、と指を鳴らした。すると、どこからともなく愛らしい包装の飴玉が一つ手元に落ちてくる。この包み紙みは彼女の趣味だろうか、などと考えつつ、素直に礼を言って口に含んだ。飢えるほどの生活をしてはいないが、甘味は貴重なのである。

「精霊っていうのは妙な生き物でな。なぜ存在するのか、いつからそこにいるのか誰も知らないんだ。けど分かってる特徴もいくつかある。気に入ったものに取り憑くんだ」

「取り憑くって……なんだか物騒ですね」

 いつかその対象を殺してしまうのではないか、と不安になるような言葉だった。そう考えると、美しいと思っていた光も恐ろしいものに思えてくる。しかしアンバーは、オニキスを見ておかしそうに喉を鳴らした。

「そんなに怯えるな。精霊自身が対象を殺してしまうことはない。あいつらは居心地のいい家を探しているだけだ。精霊が宿ったものは、少しだけ他と違った力が使えるようになったりする。家賃みたいなものなんだろうな。これも様々だが、共通するのはあいつらの放つ光が見えるようになることだ」

 説明しながらアンバーはオニキスに歩み寄り、煙管で頭を小突いた。手が止まっている、と言いたいらしい。慌ててオニキスがペンのインクを付け足したのを見て、彼女は再び窓辺に戻る。

「魔女の力もそれを利用してるってことですね。でも、僕はアンバーみたいな芸当は出来ませんよ」

 視線は手先に集中したまま、オニキスは言った。彼女の説明の通りなら、オニキスの身体にも精霊が宿っていることになる。初対面で興味を持たれたのもそのせいか、と納得すると同時に疑問も浮かんだのだ。

「誰でもこんな力が使えるってわけじゃない。契約と触媒が必要だ」

そう言って、アンバーは左耳に手をやった。そこには大粒の琥珀が揺れている。窓からの陽光を反射して、耳飾りは黄金色こがねいろの光をアンバーの頬に落としていた。常に身に着けているようだったから思い入れのある品なのだろうと思っていたが、魔女ならではの理由だったようだ。

「……それがあれば僕も力が使えますか?」

 ほんの好奇心からの質問だったが、アンバーが微かに息を呑んだのが分かった。珍しい反応に思わずその顔を見つめていると、彼女はあからさまに目を逸らした。

「アンバー?」

「……いや、なんでもない。そろそろお喋りが過ぎると思ってな。その話はまた今度だ。それとも、毒キノコの準備をしておくか?」

「いえ、やります」

 即答したのち作業に戻ると、アンバーは満足そうに微笑み視線を外に戻した。その後は必死に手を動かしたおかげで、程なくしてオニキスは課題は終えた。アンバーに手渡し、彼女が頷いたところで、ようやく安堵の息を吐く。どうやら命の危機は免れたようだ。ほぼ時を同じくして、微かに馬の嘶きが聞こえた。恐らく王都からの使いだろう。生存確認なのか、不定期にやってきては僅かな食料と日用品を置いていく。

「少し、長居しすぎたか」

 同じ音を聞いていたアンバーが、微かに眉を顰めた。人々が魔女を悪く言うように、彼女もあまり人を好まないらしい。そのわりにオニキスには構うのだから不思議である。

「中までは上がって来ないですよ。声を掛けてきたことすらないですから」

「今日もそうとは限らんぞ。まぁ、どちらにしても戻ろうと思っていたところだ。またな」

 オニキスの言葉には耳を貸さず、アンバーは窓を開け放ってテラスに出ると柵を乗り越え飛び降りた。慌てて追いかけ下を覗き込むが、落ち葉に埋もれた地面が見えるばかりで彼女の姿は見当たらなった。来るときも帰る時も神出鬼没な人である。一瞬でも心配したのが馬鹿馬鹿しくなって、オニキスは脱力した。

「……食事にしようかな」

 ちょうどよく食料も支給されたことだし、と気を取り直し、オニキスは門前まで下りていくことにした。そこにはやはりいくつかの革袋だけが残されていて、人の気配は無かった。アンバーはああ言っていたが、今日も使者はオニキスと顔を合わせることもなく退散したようだった。

 だからオニキスは知らなかったのだ。荷物を運んでいた男が、窓から飛び降りる魔女を見て青ざめていたことなど。

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