第2話

 上座に腰掛けた王にこうべを垂れ、跪く。ここへ来て目にしたのは、部屋の前のやたら装飾の多い扉と、床に敷かれた臙脂の絨毯くらいだろうか。王宮において、オニキスは顔を上げて歩くことを許されない。脇には監視の兵士が常に張り付いている。ほとんど罪人のような扱いである。ここまでして行う謁見に何の意味があるのかというのは、ここ数年で未だに解決されない疑問の一つであった。

「お前も今年で十六であったか。変わりはないか」

「はい。つつがなく過ごしております」

 頭上から掛けられる声に、定型文で短く答える。問われたこと以外、口を聞いてはならない。これも決まりだ。といっても自分から話すようなこともないので、特に困ったことはない。

「ならよい。また来年に参れ」

 その言葉に続いて、衣擦れの音が聞こえた。次いで物々しい金属音が響く。これは護衛の兵士の鎧と剣だろう。扉が開かれ、そして閉じる音が王の退出を告げた。時間にして幾度か呼吸を数えた程度。年に一度の対面は、ほんの一瞬で終了した。

 立て、と傍らの兵士に急き立てられて、オニキスはのろのろと立ち上がる。極力顔を伏せて、先導する兵士に続いた。用件は済んだ。後は馬車に押し込まれて森の屋敷へ帰るだけだ。

 扉を潜って廊下に出る。周囲は妙に静まり返っていた。人払いもしているのだろうが、王は謁見に普段使用しないような小部屋を用意することが多かった。オニキスを衆目に晒したくないのだろう。それでも部屋から遠ざかるにつれ人の気配は増えていき、周りの声も耳に入るようになる。そのほとんどがオニキスに対する噂だった。王宮でくたびれた簡素なシャツにズボンという恰好では、否応なしに注目を浴びる。

「あれが、名無しの王子?」

「違うわよ、不吉の王子でしょ。近付く人間を不幸にするんですって」

 たとえば、女中たちが囁きあっているのはどちらもオニキスの渾名あだなだった。ここでは正しくオニキスの名を呼ぶ者はもういなかったし、そもそも真っ当な人間とすら思っていないだろう。良くて珍獣、悪いと不吉をもたらす化け物だ。なのに王子、という呼称なのもおかしな話だ。

 不意に前を歩く兵士の足が止まった。危うく鼻の頭をぶつけそうだったところに、顔を上げろ、と声が掛かる。つらつらと考え事をしているうちに、王宮を出ていたらしい。用意されていた小さな馬車に乗り込んで扉を閉めると、噎せ込みそうなほどの黴臭さが鼻についた。顔をしかめつつ体勢を整えようとするが、馬車はそれを待たずして走り出した。頭やら肘やらあちこちをぶつけながらどうにか安定した姿勢をとると、オニキスは深く息を吐いた。時折車輪が小石を弾くせいで、馬車がひどく揺れる。この悪路を二日かけて進み、屋敷まで帰らなければならない。天候が崩れれば更にかかる可能性もある。その間は馬車の中が自分の部屋だ。外に出られるのは限られた時間だけ。窓にあたる部分には板がはめられて景色を眺めることも出来ないから、必然として王都の謁見について思い返すこととなった。

 ――放っておいてくれればいいのに。

 胸の中で、一人ごちる。同じようなことをもう何度考えただろう。オニキス自身は何の意義も感じないが、王やその真価達には重要な儀式であるらしい。

 聞きかじった話を繋ぎ合わせると。主な理由は二つあるようだった。一つは、オニキスの血筋がはっきりしないということ。妃は王も含めて複数の相手と通じていた。父親が誰か分からないということは、逆に王の子ではないと完全に否定も出来ないということになる。追放した後から何故そんな話が出てきたかというと、一部の貴族たちの覇権争いのためらしい。こんな王子でも王に立てようという輩がいるのだから驚きだ。そしてもう一つは、王宮で噂される渾名に関係していた。不吉の王子――関わる者は、必ず不幸に見舞われる。しかしこの話は、少しばかり尾ひれがついたものだった。

 始まりは、オニキスが王宮から追放された時のことだったそうだ。口だけは助けてやると言っても、王にとってオニキスは邪魔なだけの存在であり、早々に始末する心づもりだったらしい。しかし、そのことごとくは失敗に終わっていた。刺客を差し向ければ、その者は例外なく怪我をしたり大病を患ったりして計画が立ち行かなくなった。時には王自身が危険なこともあったという。一度は原因を排除したと宣言したが、結局その後も同じことは続いた。それを境にオニキスが狙われる機会は徐々に減っていき、王はとうとうオニキスを王宮に呼び出して告げたのだ。王子としての身分を回復し、年に一度の登城を許す、と。それが三年ほど前のことだ。オニキスを殺すより、自らの保身が第一とした苦渋の選択だったらしい。不吉の、という渾名は、一連の話が歪んで伝わったお蔭で生まれたものだった。

 再度、溜息を吐く。いずれにしてもオニキスは煩わしさしか感じられなった。前者の理由については今更どうでもいいことであったし、後者に至っては自身に何の心当たりもない話だ。登城するからといって待遇が改善されたわけでもないし、再び排除の動きがないと決まったわけでもない。

「……帰りたい」

 無意識に呟いてから、どこへだろう、と首を捻る。王宮での記憶はろくなものがなく、あそこに戻りたいとは思わない。ならやはり、森の屋敷だろうか。何もない場所ではあるが、少なくとも静かに過ごせる――そう、すっかり静かになってしまった。帰りたい、と願うのはきっとそうなる前に過ごした僅かな時間。

「アンバー……」

 胸元に手を伸ばすと硬くひやりとした感触が触れる。首にかけた細い鎖の先にあるのは、不透明な黒い石だった。その存在を確かめながら、オニキスは固く目を閉じた。

 アンバー。唯一名前を呼んでくれた人。彼女と過ごす時間はもう二度と戻らない。森の魔女は、愚か者の手で殺されてしまったのだから。

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