第66話 我、忍ぶ
幼い羅刹にとって、里の外というのは何をしてもいい場所であり、仲間に迷惑をかける心配のない、伸び伸びとした世界だった。
『形の無い千毒』。それが羅刹の"奇跡"。どんな相手であろうともその毒に侵されれば『毒』としての性質が相手を苦しめる。
強力といえば強力な"奇跡"ではあるものの、その『毒』の威力は相手によって様々。紫色の禍々しい毒がゆっくりと体を腐食していくこともあれば、触れた相手の『機能』、例えば、喉なら『声』。皮膚なら『感覚』。目なら『視覚』というように、その物体が持つ機能の一部を不能にする効果があったりと、マチマチなのである。要は制御不能ということだ。
一応、解毒、というか、"奇跡"の解除はできなくはない。しかし、侵された毒としての効果は相手に残るし、回復させることは勿論できない。あくまで能力の解除に限定されるのである。よって、里の仲間を実験台にすることなんてご法度だし、当時の一の毒にも釘を刺された事案だった。
だから、里の近くの森にいる妖魔は"奇跡"のいい練習台だった。普通の動物、鹿や熊なんかは殺しすぎると良くないし、狩って食べるにしても毒に汚染された肉は当然食べる事はできない。だが、妖魔はその存在自体が害悪そのもの。いくら狩っても際限なく湧いてくる奴らを殺しても咎められることはない。妖魔だけが唯一、気兼ねなく殺せる羅刹の心の拠り所だった。
しかし、里の近くの妖魔は大抵他の千堂に狩られる。里には多種多様な結界があるとはいえ、里の近くをうろついている妖魔がいれば、千堂は軽く体を動かすテンションで狩ってしまう。里の半径十キロ圏内は妖魔たちにとってキルゾーンであり、妖魔たち自身もその近辺で行方不明になる仲間が多数いるため、なかなか近づいてこない。よって、羅刹が里を出て、遠くの妖魔を狩りに出かける事はごく自然な事だった。
里の人たちは「誰かと一緒に行った方がいいのではないか?」と、アドバイスをする人もいたが、一人の方が気が楽だった羅刹はそれを丁重に断り、最低限の荷物を背負って山から山へと散歩をするように旅立っていった。
肉を食べたいときは動物を千武で殺し、"奇跡"の熟練度を上げたい時には毒で妖魔を殺す。相手によって殺し方を変えながら、羅刹は狩りとしての能力を高めていった。そして、里を旅立ってから二年が経ったある夏の出来事。羅刹は森で自分と同い年くらいの少女に出会った。
その少女は只人にしては服装が一昔前の着物を見に纏っており、着物とはいっても、動きやすいように素肌を大胆に出していることから、一見すると奇抜なファッションに見えなくもなかった。
少女が足を膝まで川につけ、涼んでいる所を羅刹は木の上からしばらく観察していたのだが、人に会うのも久しぶりだったので、気まぐれに声をかけることにしたのが始まりだ。
「ねぇ」
「う、うわぁっと!! だ、誰!?」
少女は完全に油断していたところに声を掛けられたので物凄く驚いていた。それがちょっとおかしかった羅刹は木から降り、正体を隠しながら会話をすることにした。
「初めまして。俺は羅刹。君はなんて言うの?」
「…………」
少女は羅刹を警戒しているのか、疑り深い目でこちらの様子を伺っていた。基本的に仁の里の服装は統一されておらず、各々が好きな恰好で里で暮らす。統一感のない様々な風貌は個性の表れともいえるほど奇抜なものばかりではあるが、その中でも羅刹の服は特にこれといって特徴のない、紫と黒の地味目な服だった。
一応、その服も千武の部類ではあったため、長年使用したとしても特に劣化はしていないので、羅刹はこの服を二年間ずっと使い続けている。お気に入り、というほどではないが、程々愛着のあるものだった。
敵意が無いと判断したのか、少女はおもむろに羅刹に返答する。
「……私は
羅刹にとって、どんな険しい山であろうとも、山であれば自分の庭のようなもの。しかし、只人にとって山は数多くの危険が伴う場所だ。そんなところに子供が一人だけというのは考えづらい。白菊の言いたいことを察した羅刹は少し考え込んだあと、適当に答えることにした。
「うん。俺の家族が山が好きでさ。山が家みたいなもんなんだよ。ちょっと前に家族が病気で死んじゃったから、これを機に旅に出ようと思って」
「へぇ。山が家かぁ……。私と一緒ね!」
「え?」
でっち上げた事実に共感されるとは思っていなかった羅刹は流石に動揺してしまった。
「なんで驚いてるの?」
「い、いや、山が家ってどういう事?」
「そのまんまだけど……。山で暮らしてるってだけよ。あなたと同じでしょ?」
「そうだね……。そっか、そういう事もあるか」
「?」
これまで遠出をしてこなかった羅刹にとって、只人は山には住み着かないという思い込みがあったのだが、よく考えたらそんな確証はどこにもなかったと考えを改めることにした。
「じゃあ、君の住んでるところはどこにあるの?」
「それは……言えないわ」
「ああ、掟か」
「!! どうしてわかったの!?」
「憶測だよ。俺のとこにもあったからさ。仲間以外は基本的に教えちゃいけないんだ」
教えたところで部外者が軽く入って来れる場所じゃないんだけどね。と、心の中で呟く。たとえ、入って来られたとしても敵なら悪夢だろう。一騎当千の強者がわんさかいるのだ。生きて帰ることはまず不可能と言わざるを得ない。
「へぇー……。私達、似てるわね」
「そうだね。だからさ、お互いに言えない事はあるだろうけど、言える範囲でおしゃべりしようよ」
「いいけど……。旅をしているんでしょう? 用事とか、目的とかあるんじゃない?」
「用事はないさ。目的はあるけど。でも、それは急いでしなければならないって事じゃないしね。ゆっくりでいいのさ」
「そう、それならいいわ。で、何から話す?」
そうして、二人は他愛のない話をしていった。羅刹は里を出てからの山での出来事を。白菊はこのあたりの生態系や家での愚痴などの事を。
最初の方はあまり盛り上がらなかったが、羅刹が素手で熊を背負い投げして川にぶん投げたあたりの話から白菊が大笑いし始め、それから二人は長年の親友のように砕けた言い方になり、仲良くなっていった。
「あはははは! 嘘でしょ? 野犬の軍勢から逃げるどころか全滅させたって」
「ほんとだって! こう、一体一体首をドッ!ドッ!ドッ!ってチョップしていって……」
「それこそあり得ないわ! 野犬っていっぺんに飛び掛かってくるのよ? どうやって一体一体相手するのよ」
「だからー。それを一体一体……」
「あなたの手刀って機関銃並みに速いっていうの? おっかしー」
「……本当なのに」
羅刹の話は白菊にとってどれも現実離れしすぎていて、とてもじゃないが信じられるものではなかった。男の子特有の誇張表現だと思っているのだろう。しかし、羅刹の話は誇張表現どころか、寧ろ謙虚に話した部類のものだった。熊の背負い投げは正しくは背負い投げたら熊が衝撃で破裂したし、野犬の軍勢は正しくは狼の軍勢で、一体一体ではなく一瞬で全滅。それすら信じてもらえない羅刹はやや不満げだった。
「ごめんごめん。そうよね、男の子だもんね」
「わかってないじゃんか……。というか、君こそまだ子供でしょ?」
「あなたよりは大人だもん。あなたいくつなの?」
「それは……」
「「掟で言えない」」
二人の声が重なる。顔を見合わせた二人はプッと吹き出して笑いあった。
「あー、楽しかったわ。ねぇ、あなた今日はどこで寝るの?」
「うーん、決めてないかな。この辺なら川もあるし、この木の上で寝ようかなー」
「え……嘘でしょ?」
白菊は話を聞いているうちに、本当は羅刹がどこで寝て、何を食べているのかが凄く気にはなっていたのだ。どう見ても自分と同じくらいの子供が山一人で住むなんておかしい。保護者がどこかにいるのだろうと高を括っていたのだが、そうでは無いことが段々とわかってき始めた。
「今まで俺の話を何だと思ってたのさ」
「い、いやぁ……。だってねぇ……。普通にあり得ないし……」
「ここにあり得てるんだけど」
「そうみたいね……。しょうがない、今から家族にあなたを誘ってもいいか相談してくるわね!」
「いや、いいって……」
「待っててね! この場から動いちゃダメよ!」
羅刹の返事を待たずに白菊は山の奥深くへと消えていった。後を追うのは簡単だが、それをするのは無粋なのかもしれないと思い直した羅刹は大人しく待つことにした。さっきも言ったように、この旅に急ぎの用事などない。人と人との出会いを大事にするのも一興だろうと、大人のような余裕で泰然と構えることにしたのだ。
そして、今現在。白菊と羅刹は木の上に作ったハンモックで仲良くごろ寝をしている最中である。
「うぅ……ぐすっ……」
「泣くなよ……。というか、なんでここにいるんだよ……」
一時間くらい待った後に、茂みの中から出てきた白菊は目を腫らして泣きながら羅刹に飛びついてきた。この行為で全てを察した羅刹は気にしなくていい、と言ったのだが、白菊はこのままでは夜を一人寂しく過ごすのではないかと考えたらしく、一緒に寝泊まりすることになってしまったのだ。
正直、羅刹にとっては邪魔以外の何ものでもなかった。食料調達の為に狩りに出かけようとすればついて来るとか言い出すし、設置型の千武を使えば安眠できる快適な寝床も確保できるのだが、それをすれば一発で自分が千堂だとわかってしまうため使用できない。仕方なく、食事は非常食の干し肉を、寝床は木の蔓で作ったハンモックで我慢することにした。
「ごめんなさい……私のせいで期待させちゃって……」
「いいよ、別にいつもの事だし」
「もう……。この辺はいいけど、少し遠出をすると妖魔っていう危ない化け物だってたくさんいるのよ?」
「知ってるさ。この辺のは大したことないから気にすることでもないよ」
「強がっちゃって……」
全てを信じられても困るが、全く信じられないのも考えものだな、と羅刹は大きくため息をついた。
「俺はともかく、白菊はいいの? 家を飛び出してきちゃったんでしょ?」
「いいのよ。お父様もお母様も頭が固いのが悪いのよ。掟は絶対だから子供であろうとも招くことはできないなんて、おかしいでしょ?」
「いいや、おかしくはないさ。子供だからって舐めちゃいけないよ」
「え……?」
途端、白菊の目に涙が出てきそうになったため、慌てて羅刹は話題を変えることにした。
「あ、えっと、実はさ。この辺に一週間くらい寝泊まりすることにしたんだよ」
「そ、そうなの? もっといればいいのに……」
「長居するのもなんだからね。だから、一週間は君と話ができるよ」
「一週間しか、でしょ?」
「一週間も、だよ。だから、それまでは友達でいて欲しいな」
「……私の家の掟では男女が一緒に寝たら家族って事になるから、それによると……」
「俺あっちで寝るわ」
「あーー、もーー、嘘ウソー! 向こうにいかないでーー!」
羅刹は再度大きくため息をついてハンモックに戻る。いくら大きく作ったとはいえ、ハンモックはハンモック。並んで寝たらそれはもうギュウギュウになって寝ることになる。本来、ハンモックなんてなくとも木の上で腰掛けれれば充分休息を取ることができるのだ。これにこだわる必要なんか最初からない。
「仕方ないなぁ……。じゃあもう遅いし、寝ようか」
「……そうね、明日もあるもんね」
しばらくすると、横から白菊の寝息が聞こえてき始めた。羅刹は気配を極限まで消して、森の息遣いを注意して聞く。
ゴガガァァァァァァ……
そう、確かに昼間は妖魔はこの辺には出ない。昼間には。明かりのある時に開けた場所で奴らは過ごさない。しかし、夜は違う。夜は全ての山が彼らのテリトリー。そして、その中に人間の。それも子供の匂いや痕跡があれば奴らはこれ幸いと遠慮なしに襲い掛かってくるだろう。
ハンモックから抜け出し、木から降りる。そこには、暗闇に光るおびただしい数の赤い光源が埋め尽くしていた。羅刹はにやりと笑うと懐に忍ばせておいた小刀を構える。
「……ああ、今日はなんだか気分がいいや。じゃあ張り切っていこうかな」
小刀に紫色のオーラがまとわりつく。羅刹は舌をペロっと出し、その逆十字を異形の怪物たちに見えるようにアピールする。
ご、ごがぁぁ!?
先ほどまでとは違い、怪物たちはうろたえるような声を出す。話が違う、相手は子供、久しぶりにいい肉が食える、なのにどういう事だ!? と言っているかのようだった。羅刹は相手が怯んだのを確認しながらも、捕食者と被食者が入れ替わったのを肌で感じながら宣誓をする。
「千の道は毒の道。"異端狩りの千堂"。"十五の毒"。千堂羅刹。後片付けもしないといけないからね。
鋭い音と鈍い音。悲鳴と嗚咽。生物が肉塊に変わる音がしばらく続いた後、事は終わった。
羅刹は川の近くにしておいてよかったと心の底から思った。なにせ、透明な水の色が暗闇でもわかるほど赤く、濁っているのが月の光でよく見えていたのだから……。
朝になった。
羅刹が朝食の確保に出かけようと木から降りようとすると、目覚めたばかりの白菊が気だるそうに眼をこすりながら声をかけてきた。
「ふわぁ……、おはよう。どこに行くの?」
「朝食の準備だよ。白菊はまだ寝てていいよ」
「そんなわけにはいかないわ。子供を一人で行動させられないし」
そっちも子供じゃんか、という言葉が喉から出かかっていたが、羅刹はもう相手にするのがめんどくさくなってスルーすることにした。
この調子だとこの先ずっとついてきそうな気配がしたので、色々と諦めた羅刹は狩りに同行させることにした。
「……ついて来るのは構わないけどさ。邪魔だけはしないでよ?」
「へっへーん! 私、見た目よりは強いから大丈夫ですー!」
「まぁ……それは最初からわかってるよ」
「?」
想定外の反応をされた白菊は不思議そうな顔をしている。そう、最初からわかってはいたのだ。山に女の子一人でいる事、掟がある事、羅刹ほどでないにしろある程度の強さを秘めている事。これらの事を踏まえると、この子の正体は……。
「まぁいいや。で、どこに行くのかしら?」
「そうだなー。北西に三百メートルくらい行けば鹿がいるし、一頭丸ごとあれば何日かはモツでしょ」
「え……なんでそんなことがわかるの……?」
「最初に会った時も言ったでしょ? 山は家みたいなものなんだ」
白菊はどうして獲物の位置が正確にわかったのかを聞いたつもりだったのだが、羅刹の返答は要領を得ない回答だった。しかし、羅刹は素早く支度を整え、森の中へと滑らかな動きで進んで行っている。多くの疑問を残しながらも、白菊は羅刹の後を見失わないようにするだけで精いっぱいだった。
そして、数分後。子供とは思えない速度で行軍していった二人は、羅刹が言ったとおりの場所に着き、そこにいる二頭の鹿を発見することに成功した。
「はぁ……はぁ……。なんであの速さで息切れしないのよ……」
「山はい……」
「はいはい。家なんでしょ。もうそれでいいわよ……」
自分が羅刹の保護者代わりになろうと画策していた手前、圧倒的な山への順応力を見せつけられた白菊は自信を失った。基礎体力が根底からおかしい。同じ人とは思えないレベルだった。
「向こうはこちらに気が付いていないようだな。白菊、君ならどう仕留める?」
羅刹は白菊の狩りとしての能力を試すために、あえて質問してみることにした。
「そうねぇ……。私なら罠を仕掛けるかな。落とし穴を作ってそこに誘導してもいいし、崖に誘導して突き落とすのも悪くはないかもね」
「ふーん……。まぁ、白菊ぐらいなら真正面からいってもいいと思うけどね。その懐に隠してるワイヤーとか小刀とか。上手く使えば出来ると思うよ?」
「な、なんで私の武器の事知ってるのよっ!」
白菊は動揺が隠せなかった。隠していた武器を把握される。それは、自分の攻撃手段を相手に気取られるという事。見せてもいない武器の事をなぜこの少年が知っているのか。白菊は動揺して倒れこみそうになった。
「俺にわからない事なんてないさ」
「いやいや、答えになってないわよ」
「君の種族の事もだいたい目星はついてる」
「え……?」
それってどういう……、と白菊が言おうとしたところで羅刹は隠れる事を止め、二頭の鹿にゆっくりとした歩みで近づいていってしまった。
「ちょ、ちょっと……!!」
小声で制止を促したが羅刹は止まらない。このままでは獲物に逃げられる。そう思っていたのだが、不思議なことに鹿は逃げる素振りを見せない。それどころか、羅刹の存在自体に気づいていないようだった。
「うそ……」
目の前の光景が信じられなかった。いくらなんでも何者かが近づけば鹿だって警戒はする。しかし、明らかに鹿の視界に入っている筈なのに、羅刹の存在に気づいていないような感じだった。そしてそのまま鹿の目の前までたどり着いて……鹿の首が取れた。
「なんで!?」
横にいたもう一頭の鹿が白菊の声に驚いたのか、それとも、仲間の首が落ちたことにビックリしたのかはわからないが、一目散に森の奥へと爆走していった。羅刹は一頭で充分だと考えたのか、追おうともせずに仕留めた鹿を引きずって来る。
「いやぁ、いい肉が手に入ったよ」
「い、今の一体どうやったの!?」
「どうやったって……見てたでしょ? 一部始終」
首を傾げる羅刹。説明するも何もそのまんまです、といった顔がイラっとした白菊だったが、これ以上聞いても答えてくれそうにないので諦めることにした。
「はぁ……もういいわよ。で、あなた狩りは得意みたいだけど、調理はできるんでしょうね」
羅刹はそれを聞くと今まで見たことのない、満面の笑みでそれに応えた。
「ああ、こう見えても俺はグルメでね。味の方は保証するよ?」
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