第39話 千堂蓮也


 道なき道。山を登り始めてはやニ十分。僕と蓮也さんは人の声が聞こえてくるのを頼りにその場所を目指す。


 千の宮と違って階段のようなものは無く。本当に山の中にあるみたいだった。人が手を入れている形跡はなく、草は伸び放題、木はこれでもかというほど生い茂っており、樹海という表現が正しいのではないかと思える程だった。


 千堂の足でニ十分くらいかかるのだから普通の人が登ればどのくらいの時間がかかるのかわからない。いや、千堂の足とは言ってもゆっくりめだったけどさ。


「……どうやら戦闘中みたいだな」


 声は金属音や何を射る音。それに怒鳴り声や叫び声なんかも聞こえる。急いだほうが良さそうだ。


「飛ばすぜ!」

「はい!」


 シュン!


「うそん……」


 飛ばすって瞬間移動ってこと!? 消えたようにしか見えなかったんだけど!!

 仕方ないので持ちうる限りの全力で残りの山を登る。そして、一分くらいの時間で登りきることができた。


 そこは確かにお寺というべき場所ではあった。あったのだが千の宮とは違いでかい本堂と呼べる大きな建物が一つあるだけのわびしいものだった。その代わりと言ってはなんだが、広大な敷地がそこには広がっており、地面には人の死体、血痕がおびただしいまでに茶色の地面を赤く染めていた。


「なんだよ……これ……」

「おう!やっと来たか!」


 目の前には巨大な白狼の口を槍でこじ開けている蓮也さんがこちらを見てニカっと笑いかけている。余裕ですね……


「どうやら祓い人はほとんどやられちまってるみたいだな! 残ったのはあれだけよ!」


 蓮也さんが顔を向ける。そこには、三人の巫女姿の祓い人が弓矢を持って数えきれないくらいの白狼に囲まれているところだった。


「ヒカリ!あいつら頼むわ!」

「り、了解!」


 そうだ。茫然としている場合じゃない。僕は助けに来たんであって、遊びに来たわけではないのだから。

 腰に備え付けた長い投擲用の針を両手で掴み、白狼に向けて投げ放つ。針は『T』の形をしており、とても投げやすい形になっていた。


 シュババババババ!


 『弱点に至る一撃』。ただの針であろうがそれは白狼にとっての弱点になりえる。足や胸、頭に針が当たった白狼はその箇所から盛大に血をぶちまけながら倒れていく。


「がおぉぉぉぉぉぉ!」

「ぎゃぃぃぃぃぃん!」

「うっさい!」


 僕は腰に装備している刀を居合抜きの要領で白狼共を蹴散らしていく。何十体もいた白狼も残るは二、三体になってしまった。


「た、助けに来たの……?」

「う、うぅぅぅうぅ……」

「あ、あなたは誰なんです……?」


 三人の巫女は力が抜けたようにその場に崩れ落ちる。よく見ると、年齢はヒカリと同じくらいだった。よくここまで生き残れたなと思いながら残りの白狼を針で投擲して全滅させる。


「よう! 終わったか!」


 そこへ槍を血まみれにさせた蓮也がヒカリの元へと歩いてくる。巫女の一人が蓮也の額にある刻印に気づいたのか。驚いたような声を上げる。


「え……刻印ってことは千堂?」

「せ、千堂様ですか!」

「た、助かったのね……」


 三人は呼吸を緩めながら目を細め、そのまま気絶しそうな勢いだった。しかし、今そんなことをされても困る。


「状況を聞きたいんだけど……」

「あなたも千堂?」

「はい、一応」

「? というかその恰好……"赤い死"?」


 赤い死? なんだそれ。


「ヒカリは知らねぇのか? 影道は里以外では"赤い死"っていう二つ名があるんだぜ。少しでも攻撃食らったら即死の攻撃放つんだから納得っちゃ納得だがな!」


 そんな恥ずかしい二つ名があるのか……


「すいません。確かに本人ではあるんですけれど、僕は彼ではないんですよ」

「??」


 そうなるよねー。もう説明するのだるいよ。


「とりあえず話はお寺で話しませんか? 案内してくれます?」

「は、はい……」


 僕と蓮也さんはお寺の中へと案内される。当然、お寺自体にも戦いの後が色濃く残っており、破れた障子、穴が空いた床、血まみれの死体がそこいらに転がっている。三人の巫女はそれをなるべく見ないように努めていたが、それがなんだか痛々しかった。


 比較的綺麗なところへと僕らは誘導され、そこに僕らは座る。そして、年長者と思しき巫女が手と頭を地面を床につける。


「この度は私共祓い人を助けていただき……」

「挨拶はいいぜ?お嬢さん方。何があった?」

「はい、実は私達はまだ学生でして、月曜日なので当然学校へ行っていたのですが、祓い人の寺が襲われているとの知らせを受け、帰ってみたらこの有り様でして……」

「学校は何もなかったの?」

「はい。スマホのラインを見る限りは、まず祓い人の寺から襲われたみたいですね。町全体も襲われているようですが、おそらく入れ違いになったのかと……」


 一斉に襲撃と言っても誤差があったのか。


「ここの祓い人は何人ぐらいいんだ?」

「全部で五十人です。第八番隊と第九番隊です。祓い人の中では少ない部隊ですが」


 千の宮と比べても確かに少ない。でもそうか。だったら四十人近くが死んでいるのか。それはもう壊滅したといってもいいほどの損害だな。

 

「お、小夜から連絡だ。ええっと、町の方は小雪と夢幻が対処したみたいだな。早いなおい。それと、他の千堂が別の地域に向かっているみたいだから、もうオレらにできることはねぇ」

「え、でもまだ僕らにはやれることは……」

「……いや、無い。今から行っても手遅れだ。距離的に間に合わねぇからな。つまり……もうすでに全国的に壊滅してる」


 そ、そんな……僕のやったことは無駄だったのか……?


「まぁ落ちこむな、ヒカリ。助けられた地域もある。ここと千の宮。青原に大橋。金城と陸奥はなんとか……」

「え……織江はどうなんですか……?」


 巫女の一人の表情が青ざめる。


「……残念だが」

「な、なんでよ……なんでそんな力がありながら助けられないのよっ!」

「ちょ、安城っ!やめなさいっ!」

「千堂なんでしょうっ! 最強の種族なんでしょうっ! だったら……。異端狩りって名乗るんなら全員助けてみなさいよっ!」

「…………」


 そうだよな……僕らは一度は全員見捨てようとしたんだ……言い返せは……


 ドゴォォオ!


「「「えっ?」」」


 安城と呼ばれた巫女を蓮也は問答無用のグーパンで吹っ飛ばす。そして、そのまま床を回転しながら盛大に転げまわった巫女は壁に激突し、そのまま気絶してしまった。


「ふぅ……一件落着だなっ!」

「ちょっ!? 何してんですか!」

「あん? どうしたヒカリ」


 どうしたじゃないよ! あんたがどうしたんだよ!


「あのな、ヒカリ。助けられておきながら文句を言うような奴はクズだ」

「で、でも女性を殴るなんて」

「? 戦場に女だったらどうだってんだ?」

「そ、それはそうですけど……」


 蓮也はため息をついてヒカリに悟ったように話しかける。


「戦場にはな、生きるか死ぬかしかねぇんだ。女だったらとか子供だったらとか考えてる奴は死ぬだけだ」

「で、でも……」

「おかしいと思わねぇのか? こんなガキだけが生き残ってる事実を。死体の中にはこいつらより遥かに強い奴もいた。そいつらはオレたちが来る寸前まで生きていた奴もいたんだぜ? つまりな。こいつらは……」

「……守られてた? もしくは庇われた?」

「だろ? お前ら」


 二人の巫女は気まずそうに顔を伏せる。それが何よりの答えとなっていた。


「世話ねぇよな。助けに行ったつもりが守られて、助けられてもらいながら今度は助けた奴を罵倒する。なんで他の人を助けない。強いのになんでって」

「…………」

「呆れて物が言えねぇ。だから只人や祓い人は嫌なんだ」


 毎日平和に暮らしている人であろうとも、この世は弱肉強食。それは変わらない。いつ人が死ぬのか、いつ平穏が乱されるのか。そんなものは本来わかりきったことではない。だから、彼女たちの怒りや悲しみは、傲慢と呼べるものなのかもしれない。人が作り上げた偽りの平和。それを信じ切った彼女たち自身の業。


「そ、そんなの……最初から強いあなた達にはわかりませんよ!」

「家族を……友達を……失う辛さがあなたにわかるんですか……!」


 二人の巫女は涙ぐみながら反抗してくる。そんな風に言われると確かにそうなんだけど……


「……オレは刻印が出たのは二十歳だった……」

「「「えっ」」」


 刻印って幼少期にでるものなんじゃ……


「それまで必死に頑張って稽古に励んだ。"奇跡"が使えねぇ。身体能力も只人と変わらねぇ。オレは本当に千堂なのかっていつも思ってた。里の子供に力で負ける。病気にもすぐかかる。情けねぇ、情けねぇ、情けねぇ。いつもオレは自分を責めてばかりいた……」

「蓮也さん……」

「親は千堂だったが、刻印がでなけりゃ千堂とは呼べねぇ。オレは千堂の里を出て、一人で暮らした。金も自分で稼いだ。修行も一人山の中でやった。毎日がきつかった。地獄だった。それでも……千堂に……なりたかった……」


 千堂の里は桃源郷。みんな優しくてなんでもある。それが蓮也を苦しめた。夢のような場所で、自分だけが異質の存在。そこに居場所はあっても、心のどこかには孤独を感じざるを得なかったのだろう。


「誰かに認められたいわけじゃなかった。自分に誇れる千堂になりたかった。だから頑張れた。この力はオレが掴んだオレだけのもの。お前らに罵倒されなけりゃならねぇもんでもねぇ。勘違いすんな。祓い人を本当に助けたいのはオレじゃなくそこのヒカリだ。言いがかりはよしてくれ」


 そう言うと蓮也は立ち上がり、外の方へと歩き出す。


「ど、どこに行くんですか?」

「残党がいないか確認してくる。ヒカリはここでこいつらを頼む」


 そう言うと蓮也さんは本当に外へ出かけてしまった。おそるおそるといった感じで巫女の一人がヒカリに話しかける。


「あの人……槍使いなんですか?」

「うん」

「ランクは……」

「一の槍だよ」

「「えっ!?」」


 そうだろうね。僕もビックリだよ。ホント。


「僕もあの人の過去を初めて聞いたんだけどさ。並大抵の努力じゃなかったと思うな。実は僕も粛清隊に記憶操作を受けててね。最近千堂の事を知ったぐらいなんだ」

「「…………」」

「君達がこの状況に絶望してるのもわかる。でも、君達だけが絶望を味わったわけではないこともわかってほしい」

「……はい」

「……失礼……しました……」


 それから、僕たちは死体の処理と清掃作業を行った。血がたくさんついたけれど、元から赤い鎧はそれを上手く隠してくれた。でも、彼女たちは袴は赤だったけど、終わる頃には上着も真っ赤に染まっており、全身赤に染まってお揃いのような服装になってしまった。赤くて紅い、血の色が、夕日に照らされて生々しく光輝いて、僕らを鈍く彩る。








 殴られた安城を起こし、三人の巫女は風呂に入ってジャージ姿に着替えてきた。僕は鎧の下は学校の制服だったので、そのまま制服で過ごすことに。今は居間でくつろいでいる最中。僕はテーブルの椅子に座っていて、二人は目の前に、横にもう一人がいる感じだ。


「「「…………」」」


 気まずい。すっごく気まずい。何でこんなことになったかなぁー。巫女会より気まずいよ……


「そ、そういえば自己紹介してませんでしたね」

「そ、そうだね……」

「まず私が第九番隊 妖魔殲滅部隊 八番 九寺魅音くでらみおんです」

「私は第九番隊 妖魔殲滅部隊 十六番 観月花江みづきはなえです」


 目の前の二人はそう挨拶をする。そして……


「……第九番隊 妖魔殲滅部隊 十二番 安城あんじょうあかり」


 横にいるのが彼女ですか……気まずい。蓮也さんに殴られた痕がちょうど見えるから余計気まずいよ……ここ狭いよ……。


「ぼ、僕は千堂ヒカリ。千の宮高校の二年生だよ。ランクはまだ無くてね」

「へぇ。あなた"赤い死"の恰好をしたコスプレ野郎ってわけね」

「あ、安城さん……それは……言わないで……」


 僕の心にユーのワードがブレイクしてボンバーです。


「ちょ、安城! あなたいい加減にしなさい!」

「そうよ! ちゃんと強かったでしょう!」


 ちゃんとって言うとなんか違うみたいに聞こえるからやめてくれませんかね……というか触れないで……


「ぼ、僕も事情があるのさ。でもこれから君たちは……どうするの?」

「そうですね……私はこの二人の姉みたいなところがありますから……守っていければそれでもいいんですけど……」


 九寺さんは確かにお姉さん肌だった。話してる雰囲気からもそれがわかる。


「……全国的に祓い人も只人も壊滅気味だからね。僕もどうなるかわからないんだけどさ……」

「ふん、あなたには里があるじゃない」

「安城! やめなさい!」

「なんで九寺はこいつの肩を持つんだよ! こいつらは祓い人を……」

「死んだのは私達が弱かったから!」

「え……」

「私達は弱かった! ここの支部自体もそうだけど、私達は特に弱いっ! 序列は無駄に高いけど、そもそも人が少ないんだから当たり前よ!」

「で、でも私達は必死に……」

「勇真さんが言ってたじゃない!」


 勇真!? それって五条のお父さんの……


「この支部は根本的に弱体化してるって! このままだとその辺の妖魔に徒党を組まれたら簡単に潰れるって!」

「そ、そんなのあの人が自分の支部が強いってアピールがしたいだけの……」

「そんなわけないじゃない! そうですよね? ヒカリさんは千の宮高校だったら勇真さんを知ってるんじゃないですか?」

「…………んだ」

「え?」

「死んだよ。勇真さんは」

「ど、どうして……」


 どうして……か……。それを話すのは思い出してしまうから嫌なんだけど……


「……粛清隊にやられたんだ」

「ほら見なさい! 粛清隊なんかに祓い人の隊長が……」

「敵は十二人。司教クラス。一人は男を魅了する能力を持ってて、多分、その人に動きを止められてそのまま」

「え……」

「死体は……僕たち千堂が見つけたんだ……。頭だけだった。何とか残ってたのは。あとは体に穴が空いてたり、ぐちゃぐちゃになってたりして……」

「「「…………」」」


 三人の巫女は黙ってしまう。そうだよね……誰だよ、こんな空気にしたのは……。俺だよ……。


 そこへ偵察から戻ってきた蓮也さんが帰ってきた。


「ちぃーす! 戻ったぜぃ! おろ? まぁーだ落ち込んでんのか……」

「蓮也さん……うん?その手にあるのはなんです?」


 見るとその手には何かが大量に入ったビニール袋が二つある。そういえばこの流れって……


「おう! 酒飲むぞ!」

「僕ら未成年ですよ!?」

「千堂にそんなの関係ねぇよ! そこの巫女……じゃねぇな。ヘボ只人は飲めねぇだろうがな!」


 そんな挑発したらアカンですよ……彼女たちプルプル震えてますから……


「い、いいわよ! 飲んでやろうじゃない!」

「いいって、いいって。無理すんなって。女は無理すんなよな! 守られるだけのお姫様は黙ってジュースでも飲んでろよ!」


 蓮也さん楽しそうだな……活き活きしてらっしゃる。


「そこまで言われたら黙ってられないわよ! 飲むわよ! 観月! 安城!」

「当然!」

「当たり前よ!」


 いいのかなぁ。でもお神酒みたいなものか。これは弔いのお酒だからいいのかも。いや、いいに決まってる!


「じゃあ僕も飲むよ!」

「お、いいねぇ! いい漢だ! じゃあオレは料理するからお前らは先に始めてな!」

「え、料理できるんですか?」

「? 自分の食うもんが作れないやつなんかいるのか?」


 それを世の料理できない発言する只人たちに聞かせてあげたい。届け、この思い。


 有言実行。蓮也さんは勝手の知らない台所だというのに調理をし始める。三人の巫女はその鮮やかすぎる動きに止めるタイミングを失ってしまっていた。後ろからでもわかるその無駄のない動きに僕らは釘付けになる。そして、どんどん運ばれていく料理たち。


「ほらよ!」

 

「うそ……私のよりおいしい……」

「なにこれ……箸がとまらないんですけど……!」

「…………」


 めっちゃおいしい! 只人時代に自炊していたんだろうか。もしくは料亭で働いていたとか?


「うめぇだろ! というか酒はどうした? やっぱり飲めねぇか?」


「の、飲むわよ!」


 そう言うと九寺はビール瓶を一気飲みし始める。それを見た観月と安城も負けじとそれに続く。あーあ……それお酒飲んだことない人の飲み方だよ……


「くぁぁ!」

「喉に! 喉に来る!」

「こ、こんなの余裕よ!」


 三人は顔を真っ赤にしながら強がる。それを満足そうに見た蓮也は焼酎の入ったパックを薄めもせずにそのまま直で口をつけ始める。


「ゴクっ… ゴクっ… ゴクっ… ゴクっ… っぷはぁ! うめぇなぁ!おい!」

「に、人間じゃないよ、蓮也さん……」

「お前も飲め!」

「ごはぁ!」


 蓮也はヒカリの口にも焼酎を流し込む。


「ゴクっ… ゴクっ… ゴクっ… ゴクっ… っぷはぁ! っておいしい!」

「だろぉ? お前の『弱点に至る一撃』は酒にも効果あるらしいからな! 酔わずに永遠に飲んでられるぞ!」

「僕にこんな特技があったなんて……未成年でなければ宴会芸に使えそうですね」

「只人の社会なんてクソだからやめとけよ! というか……寝ちまったな」

「へ? ……そうですね」


 見ると、三人仲良くテーブルの上に頭が沈んでいる。一気飲みなんかするから……


「仕方ねぇ。こいつら寝かせるか」

「ですね。蓮也さんもなんだかんだいって優しいですよね」

「あん?」

「無理に慰めなかったり、元気づけたり、前を向かせたり。やってることは一見酷いですが、ちゃんと理に適ってますから」

 

 蓮也はそれを聞くと手で鼻をこすると照れ臭そうにこう言った。


「当然。オレっていい漢だろ?」











「うぅん……」


 ヤバい。頭がガンガンする。そういえば私、なんでこんなところに?

 周りを見てみると、暗くなった部屋には九寺と観月が私の隣ですやすやと眠っていた。そうか、そうだったわね……


 今日起こったことを思い出す。妖魔に食い殺されていく仲間。自分を庇って死んでいく仲間。そして何もできずに怯えているだけの……私……。

 

 それが全て現実の事だと気づかされる。このお寺には普段、安城である私しか住んでいない。安城は苅田町の祓い人の家系。家族は祓い人の用事で織江に行っており、その織江は……


「うぅ……」


 ヤバい。吐き気がする。お酒の残りなのか、嫌なことを思い出したからなのか、わからないがとりあえず、台所へと水を飲みに向かう。寝室をでて、廊下を進み、そして……あれ?


 お寺の縁側。そこに槍持った白い男がいる。その男は槍についた何やら赤黒いものを布で拭きとっているようだった。


「何……してんの……?」

「あん? 見てわかるだろ? 槍の手入れだ。 お前どうせ水飲みに来たんだろ? ほらよ」


 そう言うと槍の男。蓮也は横に置いてあったオレンジジュースのペットボトルを渡してくる。正直受け取りたくなかったが、喉が渇いているのは事実。業腹だけどもらっておくことにする。


「あ、ありがと……」

「横に座れよ」


 蓮也はポンポンと自分の横のスペースを叩く。私は仕方がないけど、ジュースのお礼に座ってあげることにする。


「いい月だな」

「そうね。雲で半分隠れてるけどね」


 欠けた月は雲で更に隠れてしまっている。そんな僅かな月の光は地面を照らし、惨劇があったことを証明するように血で染まった敷地を私にまざまざと見せつける。


「安城だったか?」

「安城あかりよ。覚えなくていいけど」


 名前を間違えられても困るので、しょうがないから教えてやった。


「この槍はな。オレが十二になる頃に作ってもらったものなんだ」

「へぇ。それはさぞ強い武器なんでしょうね」

「いや、この武器には概念付与は全くされてねぇ。お前らが使う千武の失敗作と同じだ」

「はぁ? なんでそんなもの使ってんのよ」

「そんなもの……か……。オレにとってはかけがえのない大切なもんなんだよ」

「ただ丈夫なだけの槍でしょ?」

「そんなことはねぇ。オレは十二になっても刻印が出なくてな。めちゃくちゃ苦労した時にもらったのがこの槍なんだよ」


 それは蓮也の過去の話。まだ、刻印もなく、力もなかった千堂でありながら、千堂でなかった時の辛い記憶。


「親は黒の刻印でな。専用の千武を俺が刻印が出たら作ってくれるっていう約束をしてたんだ。でも、いつまで経っても刻印は出やしねぇ。だから、千武ではなく、千武の失敗作をオレはもらうことにした」


 安城はそれを黙って聞く。今はどんな話でもいいから現実から目を背けられるような話が聞きたかった。家族や友を失うという現実から。


「それで気づいちまったんだよ。オレは千堂なのかって。そこからはもう迷わなかった。置手紙をして里を抜け出し、町に降りて生活をした。暇があれば山で修行をし、強くなったと思ったら妖魔を倒す。その繰り返しだ」


 簡単に言ってのけるがそこには壮絶な苦労があったのだろう。十二の子供が町で暮らすだけでも難しいのに、それに加えて命がけの修行をするなんて正気の沙汰ではない。それも、刻印が出てない千堂なら尚の事。


「気づいたら二十歳になってた。二十歳になって、もう大丈夫。オレはオレだ。刻印がなくても胸を張って千堂だと言える。そう思ったとき。やっと刻印が出やがった。遅いっつーの」


 へらへらと蓮也は笑うが、そこに至るまでに八年かけるとは、その執念は半端なかったのだろうと感じられた。


「そこで思っちまったんだよな。なんの為に千堂になりたかったんだろうって。最初から千堂だったのに、千堂を否定して、千堂になりたくて、悟ったら千堂になってた。わけわかんねぇよな」

「そうね……」

「千堂は自由。何をしてもいいし、何もしなくていい。だったらオレはとりあえず極めてみることにした。一の槍になって、千堂を極めてみることにした」

「バッカじゃない? なんとなく強くなることにしたの?」


 バカか、そうかもな、と蓮也は月を見ながら呟く。


「当時の一の槍に教えを請い。それ以外のランクの教えも受けた。学べるところはなんでも学んだ。一日一日が惜しかった。少しでも早く強くなる。それがオレの願いだった」

「ふぅん。で、それは叶ったの?」


 蓮也は磨ききった槍を持ち、頭上に掲げながら高らかに叫ぶ。


「千の道は槍の道!”異端狩りの千堂”!"一の槍"!千堂蓮也!ついに槍使い最強の千堂になったぜ!」

「ちょ、ちょっと声大きい! ってええ!? 一の槍!?」

「おう! 結構前に"一の槍"の称号は受け継いだ。いまじゃオレがものを教える立場だな」


 安城はその事実に驚愕する。気絶していたので蓮也が一の槍だというのは知らなかったのだ。


「もうオレは迷わねぇ。オレは千堂最強の槍使いなんだ。この力でオレはオレの好きなように生きていく。だから、誰にもこの力の使い道を決めさせねぇ」

「悪かったわよ……」

「あん?」

「助けてもらったのに酷いこと言っちゃって……」

「ちげぇだろ」

「え?」

「ありがとうだろ?」

「あ、ありがとう……」


 蓮也はニカっと笑うと安城の肩に手を回す。


「えっ! な、何よっ!」

「辛かったんだろう。泣きたかったんだろう。自分の無力さが。安心しな。ちょうど月が雲で隠れた。お前が何をしようが誰も見ちゃいねぇ」

「……グス」


 安城は蓮也の胸に飛びつき、すすり泣く。蓮也はそれを受け止め、頭を優しく撫でる。


「……今夜は無礼講だ。多少の不敬は許してやるさ」


 安城はそれを聞くと堰を切ったように泣き叫び、蓮也の胸でくぐもった音を漏らす。一つ大きなため息をついて、蓮也は蓮也で思い出す。二十歳になって里に帰ってきたときの、両親の心配そうな声音と、嬉しそうな表情の事を。



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