第29話 師弟


「…………刻む」


「「!!」」


 一堂いちどうと名乗る男がそう言うと、周囲の景色が一変して明るくなる。いや、暗闇が、黒色が、その両目の刻印に吸い込まれているのだ。

 

 それはこの世の物理法則では考えられない現象。周囲の色を奪う能力なんてものは普通は存在しないし、考えられない。…………千堂の"奇跡"以外は。


 小竜とカインの二人は示し合わせたかのように後ろへ下がり、そして、すぐさまこの場からの撤退を始める。


「……いい判断だ。しかし、俺もこの場から逃がすつもりはない」


 突如、一堂の両目からどす黒い霧のようなものが二人に高速で襲い掛かる。無論、二人は一堂から背を向けて逃走しているため、その光景を見ることはできないが、本能レベルでの悪寒が、ヤバさが。その存在を、攻撃を察知する。


「……クソ!」


 小竜は弓矢を構える。つがえた矢は紫色の矢。それを後ろも見ずに、器用に黒い霧に向かって放つ。


 バシュ!      バン!


 それは見事に黒い霧に当たると、矢は破裂するように爆発し、紫色の煙を周囲に放つ。

 『毒煙』の矢。概念付与されたものではなく、夢幻が合成した毒を矢に塗りたくっただけの単純な矢。それを触れたら爆発するように加工したものである。


 しかし、その黒い霧にはなんの効果もなかったようで、黒い霧は依然として二人を追いかける。


「……僕がやるー」


 小竜の矢が効かないならと、今度はカインが握っている斧を地面に打ち付け、その"奇跡"を発動させる。


『千堂流黄式 ハンク直伝 土格子つちごうし


 カインが地面に衝撃を与えると、その地面から両サイドにいくつもの土の棒が飛び出し、その土の棒から横に何本もの土の棒が重なり合って、格子のような即席の巨大な壁が出来上がる。


 ようやく二人は木の枝にとまり、その黒い霧の方を向く。流石にこの壁を追っては来れないだろう。そう思っていたのだが、事態は全く変わっていなかった。

 

 ズズズズズゥ…………


「「!?」」


 黒い霧は土の壁で動きは鈍くなっているものの、その土の壁ごと浸食していき、ものの数秒で土の壁は闇に呑みこまれてしまった。黒い霧は尚も二人に襲い掛かってくる。

 二人は更に森の奥へと逃げ惑う。もはや、打つ手がない。何をしても追ってくるのであれば、この霧を引き連れてどこかに行くことはあまりにも危険すぎる。


「…………カイン。僕がここで足止めをする」

「!? だ、ダメだよー!だったら僕が……」


 確かに”奇跡”の能力上、破壊力はカインの方が圧倒に小竜より勝っている。足止めというのならカイン以外に適任はいない。しかし……


「……僕がこの小隊のリーダーだ。僕が残るべきだ」

「そ、それでもだよー!一番能力的には……」

「いい加減にしろ!」

「!」


 それはカインが初めて見る顔だった。いつもの冷静な小竜ではなく、怒りをあらわにし、激情のままに言い放つリーダーの顔がそこにはあった。


「…………お願いだ。頼む」

「小竜……」


 カインは小竜の顔を見る。確かに怒っているような顔をしているが、それと同時にその目はとても悲しそうな目をしていた。ごめん、すまない、でも仕方がないんだ、と言っているような目だとカインは感じた。それは付き合いの長さから特にわかることであり、あの四人の中では特に過ごす時間が長かった仲だからこそ通じ合えるものであった。


「……わかった。じゃあ、後は任せた」

「ありがとう、カイン。これより時間稼ぎを行う」


 シュタッ!と小竜は一際でかい木の枝にとまると、振り返って弓矢を構える。その隙にカインは脇目もふらずに全速力でその場を後にする。


ズズズズズズゥ…………


黒い霧は更に速度を上げ、小竜に迫って来ていた。もう逃げられないぞ、諦めろ、と。そう言っているように小竜には感じた。


「……君の正体がわからない以上、時間稼ぎになるかわからないけど……」


 小竜は"奇跡"を発動させる。


『風の一矢』


 それは矢で放たなくてはならないという制限があるわけではない。風向きと風速を操るその能力は矢を正確に当てることが可能になるというだけのもの。よって、小竜はその黒い霧に向けて持ちうる限りの最大風速の風をぶつける。



 ビュォぉォぉォぉォぉォぉォぉォ!



 それは台風に匹敵するほどの風だった。嵐を再現したかのようなその風の塊は、黒い霧に容赦なく襲い掛かる。


「…………」


 しかし、案の定ではあったことだが、黒い霧の速度を落とすことに成功したものの、こちらに向けて迫ってくることには変わりはなかった。時間稼ぎにはなるが、根本的解決には至らない。しかし、このまま能力を発動しながら逃げ続ければいずれは……


 そう考えていた時だった。不意に背後から悪寒がした。



 ゴぉォぉォぉォぉおぉぉぉぉ!

 


「!」


 それはまたしても巨大な黒い霧だった。一つだと思っていた黒い霧だったが、もう一つが回り込んで小竜を挟み撃ちにするつもりだったようだ。そして、それは結果的に上手くいった。


「…………しつこい!」


 小竜はがむしゃらに連続で矢を黒い霧に向けて矢を放ち続ける。


 ドォォォン! バァァァン! 


 いくつもの爆音や破裂音が黒い霧に響き渡るが、その効果は全くと言っていいほど無駄なものだった。ほんの一瞬動きを止めるだけの黒い霧には物理攻撃は通用しない。わかっていたことではあるが、小竜には他にとる手段がない。


「…………ここまでか」


 小竜は弓を構えるのをやめ、最後に残された矢を見つめる。


 それは自決用の最期の矢。敵に捕まるくらいなら死を選ぶ。これは師匠から持たされた奥の手の中の奥の手。拷問されるくらいならこれで楽になりなさいと渡された、千堂のランクが決まった時に贈られた師から弟子への贈り物。中学生の子供になんて物騒なものを渡すんだと周りの千堂に苦笑されたものだが、今はその矢がありがたかった。ああ、これを首に一突きすれば終われると、苦しまずに死ぬことができると。


 小竜は迷わない。黒い霧がもうすぐそこまで迫っている。すぐさま矢じりを首に向け、そして、目を閉じて突き刺した。


「………………?」


 おかしい。痛みは一瞬で、それで死ねると思っていたのに。痛みはなく、なぜか温かいものに包まれているような錯覚さえおきている。もしやもう死んでいるのか?


 小竜は目をそっと開ける。

 そこにはここにはいる筈のない、最も信頼すべき人の。最も頼れる弓の名手の。最も青が似合う最強の"一"の位を持つ千堂の胸が目の前を覆いつくしていた。




「…………ダメじゃないですか。自決用の矢を使うとは。最後の最後まで諦めてはいけませんよ?」


「し、師匠……?なんでここに……」


 


 千堂水城。小竜の師匠であるその人が、まるで父親であるかのように小竜を目の前から優しく抱きしめていた。








 それは千堂小雪の家で仲良く食事をしていた頃にさかのぼる。


 ヒカリ、小雪、夢幻、水城は既に寝てしまったレインとジュリーを布団で寝かせ、少しの間雑談をしていた。


「でも本当に大丈夫なんですか?いくら千堂だとは言ってもまだ中学生なんですよね?」


 僕は千堂だとはいっても、やっぱり中学生に妖魔退治をさせるのは少し気が引けていたのだ。


「そうですねぇ……夢幻は下界でいう高校三年ですが、あの三人は中学生くらいですし……」


 水城さんが言う。ていうか下界って何さ下界って。まぁ山育ちからしたらそうなんだろうけど……。ってあれ?


「中学生くらいってなんであやふやなんです?何歳なんですか?あの三人」

「正確にはわかりません」

「!? どういうこと?」

「あのね、ヒカリ。あの三人ははぐれ千堂だったのよ」


 小雪さんが教えてくれる。はぐれ千堂?前に言ってたような気がするアレ?


「小竜、カイン、紅蓮、夢幻の四人は元は千の宮町で暮らしていたのです」

「あれ?でも夢幻君は里から出たことがないんだよね?」


 僕がそういうと水城さんが深刻そうな顔をして言う。


「……彼らはね、親から虐待を受けていたんですよ」

「!? で、でも四人は千堂なんですよね?だったら虐待なんか……」


 千堂はみんな優しくて、みんな強い筈だ。だったら親から捨てられるようなことはないし、虐待される程弱くはない筈。


「……千堂にはルールがありません。里を出て只人たちと生活をする千堂もいます。その中の千堂には、千堂の事を子供に黙ったまま亡くなる親もいるわけで……」

「千堂を知らない千堂の子供が出来上がるってわけ。そして、何も知らない千堂がまた子供を産んで、千堂を知らない千堂が知らぬ間に増えていったり養子に出されたりすると……」


 ……なるほど。そうしていくと千堂ではない親が千堂を育てることもあるのか。


「で、でも千堂なら虐待されても力で勝てるんじゃ……」


 僕の言い分に頷いた水城さんが説明してくれる。


「ええ。確かにそうです。

「え?」

「千堂の刻印は生まれてすぐに出てくるものではありません。ある日突然、浮かんでくるものなのです。人によって様々ですが、多くは幼少期に現れます」

「じゃあつまり……」

「それまでの間、はぐれ千堂は何の力も持ちえません。いえ、力を得たとしても何もできないでしょう。急に力を得ても、これまでされてきた仕打ちに対抗できる精神は持てないでしょうから」


 ……虐待される人にとって、それは精神的に耐えるものだと認識してしまうのかもしれない。力があっても、ある日突然反抗するなんてことは不可能なことなのだろう。


「四人は偶然、他の千堂に見つけられたのです。夢幻の年齢はわかっていましたが、他の三人は教育という教育を受けされてもらえない程の虐待を受けていました。今ではあんなに元気ですが、昔はそれはもう夢幻より無口な子供でしたよ」


 夢幻君はそれを聞いて不愉快そうな顔をする。だから、一応夢幻君は里から出たことが無いことになっているのか。昔の事なんかなかったことにしたいもんね……。しかし、そうなのか……あの三人が虐待を受けていたとは……


「そういえば影道さんもそうでしたよ?」

「僕?いや、正確には昔の僕が?」

「はい。なんでも孤児院で発見されたのだとか。粛清隊の管轄でしたので、千堂の名で脅して引き取ったと英治さんが言っていました」

「あ~、英治さんならやりかねないわね」


 水城さんと小雪さんで盛り上がってる。英治さんって誰よ?


「ああ、ヒカリは知らないんだったわね。千堂英治えいじ。昔は"一の剣"だったけど、影道さんがいた頃は"二の剣"だった人よ。でも影道さんが行方不明になってからはまた"一の剣"になったから実質、剣の扱いが最強の千堂ね」

「じゃあ僕の師匠ってこと?」

「ええ。そうなるわね。会いたい?」


 気にはなるけどどうだろうか。ぶっちゃけ記憶ないから知らない人だし。よくわかんないね。


「でも、里にはいるんでしょ?だったらいずれ会えるし、今はどうでもいいかな」

「確かにそうね。ヒカリに会ったらビックリするわよ~。『お、お前ちっちゃくなったんか!?』って。ふふふ……」


 なんかツボられた。


「夢幻も小夜に会いたいのではないですか?」

「小夜?夢幻君の親代わりの人?」


 水城さんが夢幻を見ながら答える。


「ええ。千堂小夜さよ。夢幻の師匠でもあり、親代わりでもある人です。ですが身長が夢幻より少し大きいくらいの女性なので見た目はほぼ中学生なんですよ」

「小夜。我の子分」

「ふふふ、そうですね」


 仲良さそうだなー。


「年齢は二十八なんですがね。中身は良くて高校生なんですよ。自由奔放で引きこもり。ネットやゲームが大好きなロリっ子ですよ」


 千堂でもロリという言葉は浸透しているらしい。てか自由奔放なのに引きこもりって矛盾してない?


「その小夜さんって強いんですか?」

「"一の毒"ですからね、彼女は。毒に関しては最強です。ですが彼女は他の千堂に比べてなかなか戦わないタイプですから。実際の戦闘を見た人は少ないですよ」


 引きこもりだもんなぁ?


「彼女も口は悪いですがかなりの世話焼きです。『む、夢幻は大丈夫かしら……、あの子に何かあったら私……』ってこのツアーの前に私に相談してきましたから」

「……不愉快」


 夢幻の顔が赤く染まる。

 これが師弟愛というものなのだろうか。微笑ましいね……


「……まぁ小夜が気にするのもわかりますがね。夢幻を見つけたのは小夜自身ですから」

「そうなんですか?」

「はい。ちょっと下界の様子を見たいと、不定期で千の宮に行くことがあるのですが、その時にボロボロの夢幻を見つけたそうです。夢幻は頬に逆十字の刻印がありますからすぐにわかったそうですよ」

「へぇー」


 そういえば夢幻君の刻印は凄くわかりやすい。顔に刻印がついているなんて見つけてくれと言っているようなものだ。


「まぁそのせいで義両親から罵倒を浴びせられていたみたいですが。夢幻、どうですか?今なら奴らを殺せますよ?」


 とっっつぜんの殺人教唆!?


「……いい、僕の親は小夜だけだ」

「む、夢幻君が喋った!?」


 明日はお赤飯かしら……


「ふふふ……夢幻も小夜にゾッコンですね」

「……否定。我は孤独。十の毒」


 あーあ、戻っちゃった。夢幻君の保護者にして師匠か。影道……というか僕もそうだったのだろうか?


「水城さんは小竜君のことどう思ってるんですか?」

「勿論、かわいい弟子ですよ」

「やっぱり不安じゃないですか?今頃数多くの妖魔と戦っているかもしれませんよ?」

「かもですねー」


 水城さんは淡泊な反応しかしない。興味が無いというよりは余程信頼しているのだろう。


「……ヒカリのいう事もわかりますよ。千堂とはいえまだ子供。妖魔の群れに向かわせるのは普通であれば危険な行為です」

「だと思いますけど……」

「だから私はもし万が一、自分が死ぬことがあるようならと、自決用の矢を彼に渡しました」

「……え?今なんか安心できるワードが一つも出てこなかったんですが……」


 死ぬ時は潔く死ねと?敵に捕まるぐらいならって?そんな優しさある?


「……ふふふ、まぁ聞いてください。その矢は自決用の矢ではなく、私の転送装置になってるんです」

「て、転送?」

「はい。矢の真ん中を強く握りしめることでその効果は発動します。"一の黒"である修栄。小雪の師匠ですね。彼が作ってくれたのです。『転送』の概念付与された矢を」


 そこでガタっと小雪がテーブルに手をついて身を乗り出す。


「は、はぁ!? 修栄さんそんなものまで付与できるの!?」

「ええ。まぁなんか偶然できたから二度目はもうないだろうと言ってましたが……さすがは"一の黒"といったところでしょうか。たまたまでしょうがとんでもないものを作ったものです」


 ほんとにとんでもねぇなぁ!?


「まぁ私がその場にいたので私しか送れませんが。だからちょうどいいので小竜に渡したのです。もし何かあればこれを使えと。小竜をリーダーにしたのも私の弟子だからという意味の他にもこういう意図があったのです。彼がリーダーなら何かあれば絶対に自分を囮にしますから」


 ……そうか。だからこんなにも余裕そうなのか。これはこれで違った師弟愛を感じれる。なんかいいね、こういうの。


「だからもし小竜がその矢を使う時は私はフッと消える筈です。フッと。ふふ……」


 シュン!


「「「!?」」」


 ふ、という最後の言葉は聞こえなかった。それはもう見事なまでのタイミングで千堂水城はその場から姿を消した。


「ね、ねぇ、小雪さん。これって……」

「そ、そうね、ヒカリ。水城さん……」

「……瞬間移動」


 おそらく小竜君がその矢を使ったのだろう。今頃は水城さんが小竜君の前に現れているに違いない。でも大丈夫だろうか。今ピンチの小竜君の前に現れるんでしょ?二人とも即死する可能性あるよ?


「…………まぁ水城さんだしね」

「……そうね。水城さんなら安心ね」

「……一の弓。伊達じゃない」


 三人は意見が一致し、就寝準備に入る。一人最強の千堂が欠けてしまったがこちらの用事は既に済んでいるのだ。もう心配なんかいらないだろう。


 僕たちは仲良く川の字で布団を敷く。レインとジュリーは一つの布団で二人寝ているからいいとして、僕らは三人で一つの布団を使うことになる。ということは……?


「小雪さんや」

「なにかしら」

「一緒に寝ましょうか?」

「…………夢幻。一緒に寝ましょう?」


 夢幻は頷くと小雪に抱かれながら一緒の布団に入る。僕は黙ってそれを見ていた。


「……ヒカリ」

「……はい」

「……電気消すわよ?」

「………………はい」


 僕は諦めてレインとジュリーの二人の布団に入り込む。君たちは知らないんだ。この二人の寝相の悪さを……。


 こうして今日も一日が終わる。思えば今日は色々あった。神父とシスターを殺し、レインとジュリーを開放した。言葉にしたらやっぱりただ事じゃなかったけれど、それでも後悔だけはしてない。今日この日。僕は改めて千堂になったのかもしれない。でも、なんか忘れているような……


「あ、明日月曜日じゃん」

「あ」


 小雪さんも気づいたようだ。明日は祓い人の寺で集合予定なのに……まぁいいか。学校終わってからでもいいし。気楽にいきますかねー。







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