7話目 後半 腐った部屋

「それはともかく、この子が何なのか知ってるか?なんだか懐かれちゃったんだけど……」


 俺の腕に絡み付いて離れようとしない青い少女のことを、相変わらず何か言いたげに睨んでくるララに聞いてみた。

 ララはジッと少女を見つめ、少女もまたその視線を返そうとララを見る。

 その黒目に驚いて肩が跳ねるララだが、それでも見つめ続けて首を横に振った。


「わからないか……そういえば――あ、いや、やっぱいいや……」


 言いかけた言葉を飲んだ俺に、ララが怪訝そうに眉を釣り上げる。

 いやだって、「この世界に他にも人間っぽい種族はいるんですか?」なんて聞けるわけないじゃないか。痛い奴だと思われたくないし……


「アゥ?」


 少女が俺を見上げながら声を漏らす。それはそうと、この少女のことはなんて呼べばいいんだろう?

 名前がもうあるってんならそれでいいんだけど……


「なぁ、お前に名前はあるのか?……って、言葉が話せなさそうだし、聞く意味はないか?」


 一応聞いてみたはいいが、その考えに辿り着き自問自答する。

 すると少女が自らの胸の谷間に手を突っ込み始めた。

 ……いきなり何をしてるんだろう?

 あまりにも突発的な行動に呆然として眺めていると、横からララに突き飛ばされてしまう。


「ぐえ」


 カエルが潰れたような声を出しながら、突き飛ばされた俺は気持ち悪い肉の地面を転がっていく。

 ムチャしやがって……ってまぁ、そういうのを見せたくないからってのはわかってるからいいんだけどね?

 なんて吹き飛ばされた先で転がったまま脱力状態になっていると、少女が駆け寄ってきてプレートのようなものを見せてくる。

 それは俺やフレディが持ってたような銅のプレートではなく、一回り大きめな銀色をしており、そこには「No.197」と書かれていた。

 これは……こいつは何かの実験の被検体だったってことか?


「No.197……『イクナ』って名前だったりしてな?なーんて……」


 適当に言ったつもりだったが、それを聞いた少女はパッと表情を輝かせて再び抱き着いてくる。


 「~~♪」


 猫のようなゴロゴロと音を出しながら頬擦りする少女。気に入ったのか?

 さっきからボディタッチが多いけど、この子なりの感情表情なのか?……と、またララが冷ややかな目で見てくる。

 なんだよ、この状況は……

 ここまで来た冒険のような道のりとは別に疲れを感じていると、この部屋の扉があることに気付いた。

 他にもそれらしいものがないから、あれが出入り口だと信じたい。

 ギギギと錆び付いた音を出しながら、扉を開く。

 その先からは――


「うっ……!?」

「ウァッ!」

「っ……!?」


 鼻が曲がってしまうほどの異臭。あまりの臭いに三人で顔を歪めてしまう。

 なんだこの臭いは……!?


「――――ッ!」


 俺はなんとか堪えたが、あまりの激臭にララがその場で吐いてしまった。

 イクナ……青い肌の少女のことはとりあえずイクナと呼ぶことにするが、彼女は臭そうにはしているが、彼女は俺たちほどの嫌悪感は感じてないようだ。

 しかしこの臭いはどこから……その疑問はすぐに晴れた。

 今までの部屋と同じ材質の通路が続き、その所々に人の死体が転がっていたのだ。

 しかも中途半端に腐食した状態で……だからその死臭がガスのように広がってたということになる。

 人間の死体……白衣を着てることから、こいつらはここの研究員だったのだろう。

 それがなんでこうなってるんだか……


「アゥア!ウッ!」


 するとイクナが一人の男の白衣を漁り、何かを持って俺のところに来て差し出される。

 これは……手帳?

 小さな持ち運べる程度の手帳をイクナから手渡され、中を開く。どうやら日記のようだ。


――――


 ○月✕日 天気曇り

 今日からNo.197の育成実験を開始する。

 始めるに伴ってこの記録日記を付けることにした。

 実験対象は十歳にも満たない一人の少女だ。今までは成人男性や女性だったから初の試みと言っていいだろう。

 研究員の何人かは自身の娘と影を重ねて躊躇する者が出てきたようだが、僕にその気持ちは理解できない。

 


 ○月✕日 天気晴れ

 実験二日目。

 昨日はNo.197にある薬液を注射で入れただけで終わった。ある液体というのは極秘であるから名称は明かさない。

 二日目だからか少女に変化は無い。強いて言うなら何も無い虚空を見つめることが多くなった。


 ○月△日

 実験三日目。

 今日も変化無し。No.197をそのまま呼ぶのも面倒になってきたので、そろそろ名前を付けようと思う。数字になぞって「イクナ」なんてどうだろう?


 □月✕日 天気晴れ

 実験六日目。

 四日目と五日目の変化は見られなかったが、今日は明らかな変化があったので書き記す。

 イクナの肌色が青く変色し、記憶と言語に障害の兆候が見られた。

 急な変化に喜ぶ者と同時に、思い詰める者も同時にいたのを覚えている。後者のほとんどが既婚者や子持ちだというのも……


 追記

 深夜にイクナらしき叫び声が聞こえてきた。俺抜きで実験でもしてるのか?


 ○月○日 天気雨

 実験十日目。

 今のイクナはもはや、人間だった頃の面影は無い。

 肌はすっかり青くなり、肩までだった茶髪も青黒く地面を引きずるまでに長くなってしまった。

 目も片方だけ魔物のようになってしまい、残ってるもう片方の人間らしい目の視力も低下してしまってるようだ。

 言語機能も著しく低下し、今となっては「あー」とか「うー」しか口にしなくなってしまった。

 元々非力な人間でも戦えるようにするのがこの実験の目的なのに、これではただの獣ではないか……


 ✕月✕日 天気雨

 緊急事態が発生した。イクナが暴走し、至る所で暴れてるらしい。

 いくつかの研究対象も檻やカプセルから出てしまい、もう滅茶苦茶だ。

 僕はなんとか生きてるが、他の職員はもう……

 なんでこんな時まで記録を付けているかはわからないが、もしかしたらこれが正気を保とうとする自己防衛本能なのかもしれない。できる限りこのまま書記を続けようと思う。


 ?月?日

 あれから何日が経った?

 緊急用のシャッターが全て閉じてしまい、排気口にも変な奴が徘徊していて脱出の糸が見えない。

 生きていた数名の職員と共に食料庫に篭城しているが、それも時間の問題だろう。

 様子を見に行った職員が戻って来ないのは脱出に成功したのか、もしくは食われたか……前者は希望が薄い。

 そういえばイクナはどうしているのだろか?……などと、こんな時まであの子の考えてしまう。


 ?月?日

 全員限界だった。

 望みは薄いが、ここから脱出しようと満場一致した。ここで生きるも死ぬも今日が最後だ。

 念のために脱出に必要な通路とパスワードをここに書き記しておこう。もし僕が死に、誰かがここに迷い込んでこの手帳を手にした時のために――


――――


 ……そして彼らは脱出に失敗して道端で死んでしまった、と。

 最後にパスワードらしき数字と事細かに記された丁寧な地図の描かれた手帳を閉じ、俺は大きく溜息を吐いた。

 というか、ネーミングがこいつとだだ被りじゃねーか。

 そしていつの間にか俺の肩に顎を乗せて覗き込んできていたララとイクナ。近い……


「あの、もう少し離れてもらってもいいですかね?」


 俺がそう言うとララはハッとしてすぐに離れるが、イクナは逆に密着してくる。

 本当ならここは強引にでも突き放すのだが、この手帳を見たらそれができなくなってしまった。

 こいつも元々は人間だったという事実が、どうしようもなく彼女に哀れみを向けてしまう。

 慰めになるかはわからないが、そんな彼女の頭を優しく撫でた。

 するとイクナはもっとやれと言わんばかりに頭を差し出してきて、されるがままになっていた。


「……俺たちと一緒に来るか?」

「アゥッ!」


 動物みたいな鳴き方で吠え、嬉しそうに返事をしてくる。


「いい返事だ。じゃ、行こうぜララ……って、なんて顔してんだよ?」


 ララの方を見ると、蔑む目を向けてきていた。

 さっきからなんなんだろうか、この子は……そんなに俺の心を折りたいのか?

 だったらその目で睨んでくれればそのうちポッキリ折れるぞ。折れて泣くぞ。

 しかしララは睨むだけ睨むと呆れたような表情に崩し、俺の先を行こうとする。


「……先に行こうとするのはいいけど、道はわかるのか?」


 そう聞くとララの足が止まり、振り返る。

 俺は少しいやらしい感じに笑い、地図が描かれた手帳をヒラヒラ見せ付けた。


「俺たちは『パーティ』なんだ、一緒に助け合いながら行動しようぜ」

「ウァウッ!」


 俺がララの肩を叩いて先を越すと、続いてイクナも真似して彼女の肩を叩いて俺の後に続く。

 そのララも頬を膨らませて俺をジッと睨んで立ち止まっていた。


「おいララ、いつまでも拗ねてないで――」


 追ってこないララを見かねて振り返ると、彼女の背後に立つ影が……


「アァァアアァァァァ……」

「……?」


 低い唸り声を上げるソレの方にララが振り向くと、そこには肉の削がれ落ちて骨や内臓が丸出しとなっていた死体が動き出していたのだ。

 所謂ゾンビ。そのゾンビがゆっくりながらも、ララに襲いかかっていった。


「っ!?」


 突然のことで武器を抜くことすらできない様子のララ。

 俺は心配する言葉を口にするよりも先に足が動き、彼女とゾンビの間に割って入った。

 その結果――ぐじゅり


「ぐあぁぁぁぁぁっ!?」


 俺はそのゾンビに噛まれてしまった。

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