第三話 おかしな依頼
「……暇ね」
翌日の午後三時。
石神市の中央、中巌区にある石神駅前の噴水広場。
噴水近くのベンチに尚紀と時雨は座り、何かが来るのを探し待っていた。
今日は休日のため、人通りが激しい。
「仕方ないよ。こういう依頼は結構多いから、忍耐力も必要になってくるかな」
時雨は大我に渡された資料に目を通しながら受け応える。
資料には今回の依頼について詳細が書かれていた。
依頼は基本電話か直接事務所に訪ねてくるのが大半だが、時折FAXやメールで来ることもある。今回は電話なのだが、意外にも彼の元に依頼が殺到するため、一つ一つ資料を作り、印刷して管理している。
依頼を待たせる形となっているが、実質無料で依頼を行ってくれるため、依頼主は待ってくれることが多い。当然、優先順位が高いと判断されれば、他の依頼を飛ばして行う。
資料作成に使ったデータはその場で削除。今の時代、パソコンに残しておく方が流出しやすいため、大我は手に取れる資料として形に残し、依頼を終え次第シュレッダーにかけた上で燃やしているのだ。
情報系を得意とし、依頼でも参謀役を務める良太がいる今でも、それを貫いている。
「……こういう依頼が多いって言うけれど、『女性のパンツを盗む犬』っていうのは、珍しくないのかしら?」
資料を覗き見した尚紀が尋ねると、時雨は苦笑いを浮かべる。
「いや……流石に珍しい――というか、おかしい…………」
今回の依頼は、犬に盗まれたパンツを取り返してほしいという、傍から見れば非常にくだらなく、いたずらの依頼かと思われるようなないようだった。
しかし、被害を受けているのは彼女だけではないらしい。
犬は主人の命令を受けて、女性のパンツを狙っている可能性が高いため、真相を突き止めて犯人がいれば捕まえてほしい――というのが、今回の依頼である。
「……良太、どんな感じ?」
時雨は左耳に付けたインカムを通じて、良太と連絡を取る――――。
※
「ウィーっす! こちら良太」
良太と海渡は、時雨たちと対照的な場所にある、ショッピングモール前の大広場にいた。
良太はタブレットを片手に情報を集め、海渡は周囲に目を配って怪しい犬を探している。
本来であれば、このような仕事は時雨、良太、海渡の三人が二人組となるか、大我が一人でサクッと解決するのが基本。しかし今回は尚紀の適性試験も兼ねているため、問題が生じても対処できるよう四人で行かせている。
大我もどこかで監視すると四人に言ってあるが、どこにいるかまでは伝えていない。
「言われた通り、パンツ泥棒犬についてサクッと調べた段階の情報を伝えるぜ。まず、犬は二匹一組で行動しているらしい。一匹が女性を驚かして倒した隙に、身につけてるパンツを脱がし奪っていくんだと…………羨ましいぜ」
『……変態ね』
通信に、尚紀が割り込んできた。当然、彼女にもインカムが渡されている。
「おっと失礼! 話を戻そう…………言うまでもないと思うが、狙われるのはスカートを着ている女性に限る。中に短パンを身につけてても、それを剥いだあとにきっちり、パンツだけ盗んでいく……確信犯だな」
『なるほどね……私が囮に――』
『ダメ!!』
尚紀の提案に、時雨が即答で否定した。
その勢いと声量に、良太が怯む。黙って聞いていた海渡も体をビクッとさせる。
『どうして? その方が――』
『絶対にダメ! 僕が犬を殺しかねない…………!!』
「……あー、なるほど。時雨の気持ちはご察ししました。尚紀、悪いがその作戦は取り下げで頼む」
『……時雨が言うなら、問題ないわ』
「まぁ、尚紀が狙われない可能性もないわけないから、向かって来たら逃げてくれ」
尚紀は今、薄紫のシャツワンピースを身に纏っている。
良太の言う通り、狙われる可能性はあった。
「本当は主人がいる場所へ行くところを尾行したいが、犬の首輪には爆弾が付けられている。過去にその犬を捕まえようとした警察官が首輪の爆発に巻き込まれた事例がある」
『その首輪は、時限式なのかな? それとも遠隔?』
「そこまではまだわからん。少なくとも、犬の行動を制御するのは、主人から離れていれば尚更難しいから、トリガー式ではないと思うぜ。ターゲットを見つけないといけないから、時限式もリスクがデカいだろうな」
『つまり、遠隔の可能性が高いってことか……主人が近くで待機している可能性もあるね』
「そうだな。怪しい奴がいたら――」
「うぇぇぇぇぇぇぇん!!!」
「!?」
突然、後方から誰かの泣き声がし、良太と海渡は思わずその方を向く。
幼い少女が、その場で何かを探しながら泣いていた。
『良太?』
「あぁすまん! 幼女が泣いているだけだ。依頼のやつとは関係――」
『えっ、それマズくない!?』
「えっ、別に何も――はっ! そうだ!! ヤバいッ!!」
あることに気づいた良太は、海渡の方を向く。
しかし、遅かった――
「大丈夫? 何かあったのかな?」
海渡が幼女に話しかけていた。
普段の性格が嘘のように爽やかな笑顔を見せ、トーンの高い優しい声を出している。
紗桐海渡――イケメンでありながらも、ロリコンという大きな問題を抱えているのだ。
「うぅ……お母さんが……いないの…………!」
「お母さんと、はぐれちゃったんだね」
「うぅ……うぅ…………!」
泣き続ける幼女に、海渡は懐から小さな犬のぬいぐるみを取り出し、彼女に渡す。
「これを、君にあげるよ」
「えっ……いいの…………!?」
「もちろん。だから泣かないで」
海渡の優しさに幼女は涙をぬぐい、笑顔を見せる。
「ありがとう!! お兄ちゃん!!」
「良かった。それじゃ一緒にお母さん、探そうか」
「うん!」
海渡は幼女と手を繋ぎ、その場を離れて行ってしまう。
「…………」
良太を残して…………
※
「……良太、どう?」
視点が時雨の方に切り替わる。
海渡と幼女のやり取りが微かに聞こえていた時雨は、察しながらも良太に尋ねた。
『あー……海渡が離脱』
「は?」
良太の報告を耳にした尚紀が、困惑した声を出す。
『幼女の母親を探すために抜けました』
「……そのまま誘拐犯とでも間違われて、捕まればいいわ」
『過去に何回もそれで捕まってるぜ』
「ダメじゃない。その行動、大我さんは許してるの?」
「ボ、ボスは、『自分も目の前に困ってる人いたら放っておかないだろう』とおっしゃって許してるから、大目に見てあげて!」
「……大我さんと海渡じゃ、動機が違いそうだけれど?」
『まぁまぁ! 海渡がいなくても大丈夫だ! 引き続きそっちを頼むわ! 目を増やすからちょっと切るぜ!』
良太から通信が切れる。
「目を増やす……それが良太の【ヌス】なのかしら?」
「いや、ただの比喩かと……監視カメラにハッキングするんだと思う」
「そうなのね」
「今はしばらく、周囲を警戒しよう」
「わかったわ」
二人はしばらく、周囲の警戒に専念し始める。
数分後のこと。
(来ないな……有名になったし、捕まりやすい人の多い日は避けるようになったのか?)
そう思いながら、ベンチに座ってスマホを触っているだけの青年を装いつつ、周囲を警戒し続けている時雨。
「!?」
突然、左肩に何かを感じた。
時雨が左を向き、その正体を確認する。
「尚紀!?」
尚紀が時雨の体に寄りかかり、頭を肩につけていたのだ。
何もせず周囲を見ていたために眠気に負けてしまったのだ。
(起こさないと……でも…………)
寝息を立て、幸せそうな顔で寝ている尚紀を起こすことを、時雨は躊躇った。
(やっぱり可愛いなぁ…………髪も綺麗で、いい匂いがしてくる…………)
時雨は、良太や海渡に比べればマシな部類だろう。
しかし、マシなだけで、問題児なのに変わりはなかった。
紗桐時雨――――変態。極度のムッツリである。
以前話したように、時雨は尚紀に一目惚れをし、彼女を恋人にした。
言い換えれば、体目的。
もちろん、彼女を幸せにしたい気持ちは本当にある。しかし、気が緩むと頭の中がピンク色に支配されてしまうのだ。
(胸も……ちょっと膨らんでるだけっていうのが何か……そそるんだよね……海渡のロリコンも、ちょっと理解でき――)
時雨は周囲を見渡す。
視界の中に幼女や、小柄な少女がいたものの、何も感じることができなかった。
(ごめん、尚紀以外は無理みたい……恋人に発情する分には、問題ないよね?)
普通の人が聞けばドン引きするようなことを思っていると、彼のインカムだけに通信が入る。
『――あー……お楽しみのところ申し訳ないが……彼女を起こしてやってくれ』
「もうちょっとだけ寝かせても――って、ボスぅ!?」
通話主は、大我だった。
時雨は焦って周囲を見渡すも、大我の姿は確認できなかった。
時雨の声に、尚紀が目を覚ます。
「……あれ? 私は…………」
「あっ、尚紀。起きた?」
「!? ごめんなさい、そんなつもりは……!」
「大丈夫。まだ何も起こってないから」
落ち込む尚紀に、時雨は優しく励ました。
『時雨、お前から見て十時の方向から怪しい犬がいる。それだけ伝えておく』
大我が通信を切った。
「十時の方……」
時雨は左斜め前の方向を確認する。
リードで繋がれていない犬が走っているのが見えた。
尚紀も時雨の視線を辿り、犬を見つける。
「あの茶色の犬ね……!」
「うん……でも、まだ動かないで……」
すると、ターゲットを決めた犬が、休日ながら制服を身に纏った女子高生のスカートに噛みつく。
「!? なんなのこの犬!?」
女子はスカートが下がらないよう抑える。
しかし、別方向からもう一匹の犬が突進してくる。
「えっ――きゃ!?」
女子は犬のタックルを直に受ける。
彼女は驚きつつも、倒れることはなかった。
犬が何度もタックルを仕掛けてくる。
「まだダメですよ……まだ――って、なにやってるんですか!?」
時雨が注意をかけているにも関わらず、彩葉がなんとワンピースの下からパンツを脱ぎ、手に持つ。
(あっ、ピンクなんだ…………可愛い)
止める時間が充分あったにも関わらず、パンツの色に思考が取られてしまう。
「やっぱり、この方が早いわ!」
尚紀はパンツを勢いよく投げる。
すると、それに気づいた茶色の犬が、スカートから口を放し、それに噛みつこうとする。
「――――おい」
尚紀の横で突風が巻き起こる。
時雨が目にも留まらぬ速さで犬を捕まえ、パンツを手にしていた。
「尚紀のパンツを噛もうとするとは……いい度胸だな……」
彼の声に優しさが消え、威圧的な低い声で犬に話しかけた。
もう一匹の犬が、捕まった犬を助けようと突進する。しかし、何度も時雨の体にぶつかっても、彼はビクともしなかった。
すると、捕まっている方の犬の首輪が赤く光り始め、タイマーのような電子音が鳴り出す。
「時雨!! 離れて!!」
首に爆弾が仕掛けられていることを思い出した尚紀が声を上げる。
「!?」
その声に反応した時雨は、何重にもロックされた犬の首輪を素早い手際で取り外し、空高く投げ飛ばした。
首輪は宙で爆発を起こし、周囲から悲鳴が湧き上がってくる。
「間に合――しまった!」
捕まえていた犬が抜け出し、もう一匹の犬とともに道路の方へ走っていく。
その先には黒い車があり、それに乗り込むと同時に猛スピードで出発してしまう。
「良太!」
時雨は空かさず良太と通信を取る。
『わかってるぜ! 車は確認できた! しばらくこっちで追跡して、主人の隠れ家を特定してやる!』
「ありがとう」
時雨は通信を切った。
「助けてくださり、ありがとうございます!」
犬に襲われていた女子高生が、頭を下げて時雨に礼を言った。
「大丈夫ですよ! もし何かあれば、こちらに連絡をお願いします!」
時雨は、懐から名刺を取り出し彼女に渡した。
その名刺には、事務所の連絡先が書かれている。
「すみません! 急いでいるので!」
「いえ、ありがとうございました!」
時雨は女子高生と別れ、尚紀と合流する。
「ごめんなさい……また迷惑を……!」
「大丈夫、尚紀は間違ったことしてないから! むしろ自分が、無我夢中になっていたのが悪いから……」
「……次はどうするの?」
「一度良太と合流して、主人の居場所を特定できたら、そこに向かうことになる。ここからが本番だ。もしかしたら、戦闘になる……」
時雨の声にやさしさが戻っているものの、尚紀に警告を投げるよう強気な口調になる。
尚紀は動じることなく、首を縦に振る。
「大丈夫。覚悟はとっくの昔にできてるもの。行きましょう」
「あぁ!」
二人は、良太がいる場所へ走り出した。
「…………」
一連の流れを、大我は駅を一望できる高層ビルの屋上で、肉眼で見ていた。
「あの二人を見ていると、昔を思い出すな…………」
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