第27話 妖精たちの舞踏会

 訓練場を飛び出したヒューズ、レイン、フレッドの三人は、校内を駆け回る職員から情報を得ながら魔族の元へと向かっていた。

 一方は校内、もう一方は正門。三人揃って移動するのは途中までだ。行動の指針が決まり次第即座に切り替えるのが望ましい。そうして周囲に気を払っていると、突然懐からけたたましい音が鳴り響いた。通信端末だった。

 血の槍騒動の際、ロシェに勧められて帯電仕様のものを持ち歩くようにしていたのだが、使う機会はこれが初めてだ。壊れていなくてよかったと内心安堵しつつ、辿々しく通信を受け、音量を上げた。


『——あー、あー、ヒューズの端末で合ってる?』

「ロシェさん! 今どうなってますか!?」


 聞こえてきたのはロシェの声。ヒューズが二人に目配せをし、足並みを少し遅らせた。語調は少し早口になったかというくらいだが、止めどなく風切り音やノイズが混じっている。激しく動きながら通話しているのだろう。


『一対一で交戦中。セルヴィンにはもう言ったけど援軍はいらないわよ。多対一に適した異能を使う』


 援軍は不要——そう聞いて反射的に「でも」と遮りかけたが、ぐっと喉元に抑え込んだ。ロシェは無駄な強がりをするタイプではない。素直に指示を受けるのが最善だと考えた。


『よく聞いて。侵入したのは黒ローブの魔族一体だけど、セルヴィンが校内で"妙な音"をいくつも確認してる。二人一組を基本に幅広い防衛をすること』


 ロシェが淡々と言う。ヒューズは数秒思案すると、勢いよくフレッドに顔を向けた。


「フレッド、セルヴィン先輩との合流を目指せ! 校内の目標が複数いる可能性があるらしい!」

「なっ、俺かよ!?」

「現状彼について一番知ってるのは君だからね。合流前にやられたりしないでよ!」


『妙な音』について把握しているセルヴィンが単独で行動しているならば、誰か一人補佐に向かわせるべきだ。フレッドは露骨に嫌がる素振りを見せたが、しのごの言っている暇はない。二、三言葉を交わし、別棟の方へ走っていった。


『もう切る。話しながらだとちょっと辛い』

「わかりました。——俺たちも着いたところです」


 もうしばらく進んだ先……ロシェが通話を終えたタイミングで、ヒューズとレインは広い中庭に差し掛かり、それを見た。

 数人の退魔師と肉弾戦を繰り広げ、悉くを跳ね除ける黒ローブの巨漢。中庭の端にはすでに犠牲者が横たわり、庭園の風雅は失われていた。黒ローブはこちらに気付くと、異能を滾らせ臨戦態勢に入った姿を凝視し、ぽつりと呟いた。


「氷と……雷。なるほど、お前たちか……」


 覗く口元は、強硬な意志で圧し結ばれているようだった。


 * * *


 薄暗い正門を、不気味な筋が駆け回る。外灯に照らされて見えるのは、鋭い刃と化した血の軌道だ。纏わりつくように迫るそれを紙一重で避けながら、ロシェは手に持った端末を放り投げた。


「あは、余裕ですのね?」

「そうでもないでしょ」


 笑顔で語りかける吸血鬼——スピカに、無表情で言葉を返す。同時に振り抜かれた槍の柄を蹴って、ロシェは冷静に飛び退いた。


 敵前で通話を始めたロシェだったが、傷は少しも付いていない。疲労を息と同時に吐き捨てた彼女に、スピカは槍を下げ、昂るでもなく微笑んだ。互いの軸の強さが顕著に表れていた。


「天眼のロシェ。噂以上の実力ですね。その貧相な身体でよくもまあ、こうも人間離れした動きを」

「貧相じゃない。私はこれで完成されてるのよ」

「失礼しました。戦いとなるとつい……言葉が粗雑になってしまいます」


 拳銃を持ち直し、眼を黄金に光らせる。飄々とした態度とは裏腹に、ロシェはある理由で警戒を高めていた。目の前に立つ魔族、その身体が奇妙なのだ。体構造まで見透かすはずの天眼が、スピカを「人型」としか捉えられない。例えるなら、人体模型の中身が全てハリボテになっているような……そんな状態に見えていた。


「そんなに見つめられると……恥ずかしいです」

「……貴女、本当に生き物?」

「まあ。私は歴とした吸血鬼ですよ」


 くすくすと笑うスピカの顔は、どこか仮面じみている。そんなやり取りを切り捨てるように、先に動いたのはスピカだった。宙に浮かんだ血の雫が、奇怪に交差しながら飛び掛かる。


「どのみち、答えを知ることはありません」


 一滴の細かさ、密度、速度、そして視界の悪さ。普通なら到底躱せない。しかしロシェにとっては別だった。接地を最小限に、くるくると体を捻りながら雫を掻い潜る。理不尽な切り返しも、先を潰す打ち込みも、全てが紙一重で当たらない。外灯にぼんやりと照らされ、凛と体を動かす様は、優雅に舞い踊る妖精のようだ。

 数秒回避に専念し、天眼をスピカに向ける。動きをそのままにゆっくりと拳銃を構えると、ロシェはてんでばらばらの方向へ三発撃ち込んだ。


 一発は真っ直ぐにスピカの元へ飛び——血の槍に弾かれる。そして二発目。大きく逸れた銃弾は、思いもよらぬ動きを見せた。


「……!?」

「うん。オッケー」


 槍に弾かれた初撃の弾。二発目はそれに当たり、スピカへと跳ね返ったのだ。不意を突かれたスピカの右腕に銃弾が突き刺さる。そしてその隙に、三発目が飛び交う雫の間を跳ね回り、その大半を撃ち落としていた。


 怯んだスピカと、回避を終えたロシェ。絶好のチャンスに、ロシェは鋭く懐へ飛び込んだ。槍の「痛点」に発砲し、腹部に貫手を叩き込む。討伐まで連撃で押し切ろうとするが、スピカも黙ってはいなかった。


「"沸血"」


 突如として赤い蒸気が噴き出したかと思うと、軸足を整え、スピカが凄まじい速度で前方を蹴り払った。間一髪、拳銃を盾に受け流す。何とか無傷を維持するが、凌いだ銃は粉々に砕け散ってしまった。


「跳弾ですか。確かにその眼との相性は抜群ですね。……私にも、多少みくびる気持ちが残っていたようです」

「結構なことね。姫って言うから回りくどい戦法を想像してたけど、泥臭いこともできるじゃない」

「姫だからこそ、とも言えるでしょう?」


 攻撃を加えたにも関わらず、スピカは消耗した様子を微塵も見せなかった。


 素早く銃を取り換え、再び態勢を整える。

 血を操る異能。それは何も、体外だけを対象にとるのではない。体内を流れる血液も操れる。血流を瞬間的に加速させることで、相応の身体能力を得ることも当然できるのだ。

 だが、ロシェの見立てでは、真髄は他にある。


「それにしても、徹底して手傷を避けますね。流石と言うべきか」

「…………」


 ロシェは未だに無傷だ。

 戦いの中で被弾を避けるのは当たり前だが、今回は特に徹底していた。なぜなら、相手が血を操るという情報を持っていたからだ。


(血を操る異能なんて……字面だけで、いくらでも悪い想像ができる)


 観察するに、スピカの攻撃——特に血の雫には、ある方向性が窺える。広範囲かつ微細、多重の連撃で、殺傷よりも軽い接触を狙う傾向があるのだ。つまり重要なのは「当てること」。加えて、見張りの男は傷口に接触され、血液を抜き取られた。

 それらを元に、ロシェはある仮説を立てた。


 スピカの前で血液ないし傷口を晒すこと自体が、自分の血を支配下に置かれるリスクになりうるということだ。

 それだけに、蹴りを受け流した際は肝が冷えた。


 そしてこの仮説が正しければ、スピカに集団で挑むこと、スピカが不特定多数と接敵することで恐ろしい事態を招きかねない。アステリアで最も回避能力に優れ、初見の敵への対応力が高いロシェが正門にいたのは、思えばこれ以上ない幸運だった。


「本当に、貴女がここに残ってくれてよかった」

「ふふ、それはどうでしょう。私も決して退魔師を舐めているわけではありませんからね」

「……ああ、そういう」


 互いに見透かしたような口調で、静かに威嚇し合う。ロシェは脳裏によぎった確信に鼓動を早めつつ、校内の様子を案じていた。


「さて、続けましょうか。実のところ私は心躍っているのです。今まで会った人間の中で、間違いなくあなたが一番強いでしょう」

「強い人に会ってないだけでしょ。会っていれば前から認知されてるはずだしね……ああ、でも」


 ロシェは言葉を濁らせてから、口の端を少しだけ上げて続けた。


「だとしたら、ジンが見逃すはずがないか。彼が死んだから出てきたってことかしら」


 その言葉を聞き、貼り付けたようなスピカの顔が、初めて感情的に歪んだ。

 白く清純なローブが、さらりと揺れた。

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