第26話 謎めく怪物娘
黒い怪物——正体も目的も、意思があるかさえもわからないこの生物は、最早ヒューズたちと因縁が結ばれたかのようだった。一年前、アルフェルグに初めて敗北したのとまるきり同じだ。そこから魔族の陰謀に巻き込まれたように、自分たちが巨大な何かの渦中にいることを感覚的に理解していた。
だからこそ奮起した。
運命を捩じ伏せんと立ち上がったのだ。
「——落ちろ、"
夜空を切り裂き、落雷が怪物を焼き焦がす。体が崩れはするものの、やはり傷を負わせられない。攻撃が効かないのではなく、与えたそばから再生しているのだ。
となると、考えられる討伐方法は二つ。「再生する前に消し飛ばす」か「なんらかの手段で再生を封じる」かだ。この場の戦力を鑑みるに、前者が最も理に適っているように思える。だが、
「攻撃に専念しろ! 防御は私が請け負う!」
カトレアの鋭い号令に、レインとフレッドも猛攻を仕掛ける。怪物は抵抗こそするが回避や防御を一切しない。攻撃を当てるのが簡単だからこそ、再生の絶望感が増していくようだった。
「"
「だあっ、キリがねえ!」
火傷、再生、感電、再生、凍傷、再生……押しているはずなのに先が見えない。反撃は防いでいるはずなのに、こちらが消耗していく。怪物が自発的に仕掛けてこない分、実力の底も知れない。
だが、彼らは希望を捨てなかった。
「……よし、行ける! みんな!」
ある一点に目をやったヒューズが、その場の全員に呼びかける。それを受けたレインたちは、皆一斉に怪物から距離を取った。この怪物を倒すのにうってつけな、賭けるに値する光が目に入ったからだ。
「——"
それは再起したマリーの、一層眩い輝きだった。
減退していた出力は完全に元に戻り、煌々とした光が怪物の体を一息に呑み込んでいく。足元には、医療科の補給剤が山のように積み重なっていた。
(俺たちの異能を重ねても再生される……でも、マリーの異能ならどうだ!)
真正面から極大のエネルギーを浴びた怪物は、半ば溶けたように不定形の体を晒して這いつくばる。また立ち上がるかというタイミングで、ヒューズは怪物の異変に気付いた。
再生の速度が遅い。明らかに鈍いのだ。光の異能の副次効果か、怪物の気まぐれか。奇しくも、マリーの攻撃は二つの条件を満たしていた。
「マリー、畳み掛けるぞ!」
「うん……! 私は、もう負けたりしないッ!」
マリーの体から溢れ出した光が、無数の球体となって飛び回る。一時的な興奮状態にあるのだろう、出力が戻った今も、精密な動作を必要とする『
「ハッ、ピンピンしてんな! それでこそだ!」
「無駄口はあと! 僕らも踏ん張りどころだよ!」
フレッドとレインも後に続き、四種の異能……それも互いを補い合うような猛攻が、怪物に次々と襲いかかる。怪物は抵抗を見せない。虹のような異能の波に晒され、徐々にその肉体を縮めていく。
一歩引いて万一の反撃に備えていたカトレアも、その様を見て感服していた。
「君たちは……本当に……!」
止めどない攻撃に、怪物がいよいよ沈黙する——その時だった。
「——やっほーっ!!」
いかにも幼年と言った具合の、甲高く、可愛らしい声。この場にそぐわない、底抜けに明るい声。それと同時に、会場の壁が叩き壊された。
「な……!?」
攻撃を止め、困惑するヒューズたちが見たのは、崩れた壁を軽やかに踏み越える、声に違わぬ少女の姿だった。黒に赤紫が差したような髪に、透き通った紅の瞳。ぼろ布を纏った上に、なぜか学園の上着を羽織った……そんな、ちぐはぐな人影だった。
ノルノンドの森でルークが遭遇した、『ノヴァ』と名乗る少女その人。しかし、その事実をヒューズたちが知るわけもない。
「——待って、君はやっぱり魔族なの!? だとしたらなんで……って、先輩!?」
「ルーク!?」
少女の後を追って現れたルークに、場は混沌とした。幸いなのは、怪物がそのまま硬直していることだ。混乱に乗じて暴れられればひとたまりもない。
少女に注目する。にこにこと屈託のない笑みを浮かべるそれからは、邪気や敵意を全く感じない。正門に現れた魔族ならもっと違う反応を示すはずだ。そもそも、件の魔族は他の退魔師が対処している。突破されようにも報告が入るはずだろう。
「あっ、やっと見つけた!」
少女が嬉々として言う。視線の先にあったのは、人型からコールタールのように崩れ去った怪物の姿だ。少女はあろうことかそれに歩み寄ると、周囲の牽制を無視して怪物を抱き寄せた。
「おい、一体何を……!」
すると、黒い怪物はまるで溶け込むように、素肌に吸い込まれるように、すっと消えてなくなった。
「ふーっ、これで一安心。……ねえルーク、そういえばこの人たちはだあれ? ずうっとあたしのこと、怖い顔で見てるけど……」
なにか知っているのか、と一斉に向けられた視線に、ルークが思わず後退る。彼はたじろぎながらも少女に向けて「ちょっとだけ待っててね」と告げると、困り切った様子で話し始めた。
「えと……話しても意味不明だと思うんですけど、僕は屋上にいたんです。それで、非常ベルがなった直後にこの子が落ちてきて……」
「お、落ちてきたぁ? 空から?」
「はい。この子とはあの森で話したことがあって……あ、だからといってこの子が何者かは全然わからないんですけど……とにかく少し話した後、急に訓練場に向けて駆け出して、後はこの通りです」
言った通り、訳の分からない話だった。
現れた過程は置いておくとして、問題はこの少女が怪物と『同化』したことだ。即ち、マリーから現れた怪物はヒューズの考察通りの分離体ということになる。本体がそれを回収しに現れたとすれば辻褄が合うが、やはり目的がわからない。
当の少女はルークの言葉を素直に聞き入れ、ちょこんと腰を下ろしてこちらを見つめている。一様に困惑していたヒューズたちの中で、意を決したようにカトレアが歩み出ると、少女に問いかけた。
「……君は、誰だ?」
「あたし? ええとね、ノヴァっていうの」
「君は、我々に危害を……傷を付けに来たのか?」
「ううん、そんなことしないよ」
受け答えの端々から、少女……ノヴァの無垢さが伝わってくる。状況証拠からこれが黒い果実と同一の存在だと予想はできるものの、あまりにも不一致な要素が多すぎた。
「ここを攻めに来た魔族との関係は?」
「んん……? よくわかんない。ねえねえ、あなたたちってルークのお友達でしょ? あたし、色んなお話聞きたいなあ」
そう言って笑うノヴァに、思わず緊急事態だということまで忘れてしまいそうになる。カトレアは軽く相槌を打ってから、生徒たちに向き直った。
「……状況を整理しよう。まず、怪物の脅威はひとまず去った。この少女への警戒は必要だとして、問題は襲撃者……未確認の魔族だ」
「俺たちも対応に向かった方がいい、ですかね」
「ああ。……私はここで監視を続ける。ルークも残ってくれ、できる限り情報を得よう。加えてあと一人は見張りに欲しい」
異様に異質が重なり、謎だけが膨らんでいく。こんな状況だからこそ、見えるものを順番に治めて行かなければならない。その点で、現れた魔族の問題はわかりやすい対象だ。
正門のロシェや姿の見えないセルヴィンが戦っているとしても、ヒューズたちが戦力の大きなウェイトを占めるのは間違いない。敵が未知数な分、事態収束のために彼らを派遣するのは妥当だった。
「私も見張りに付きます。その子については……知っておくべきだと思うから」
「よし。ではヒューズ、レイン、フレッドはそれぞれ襲撃者の下に向かってくれ。……こんな状態だ、何かあればすぐ連絡するように」
カトレアの言葉には、森のような失敗——カトレアの責任かはともかく、生徒が重症を負うような事態を悔やむ気持ちが滲んでいる。怪物との繋がりを匂わせるノヴァに付いたのも、いざという時自分が対応できるようにするためだろう。
その意志を呑み込み、皆は静かに頷くと、脳内に渦巻く疑問を押し殺すようにして行動を再開した。
「あれ、行っちゃうの……? お話……」
謎の中心に位置するとも知らず、ノヴァは眉を下げ、少し不満げに呟くのだった。
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