第25話 蝕日
時は少し遡り、ちょうど第三試合が始まるかという頃。日の落ちた空は濃藍に染まっていた。月明かりは雲に遮られ、いつにも増して照明が眩しく見える。そんな景色を、ロシェは正門前でぼんやりと眺めていた。
「暇っすね、ロシェさん」
彼女に声を掛けたのは、二十代ほどの男だった。正門で警備に着いているのはロシェと退魔師の男女一組だ。いかにも退屈そうに話を振った男だったが、当のロシェは視線を一切動かさず、無言のまま佇んでいた。
「無視かよ……一応先輩だぞ」
「やめなよ。第三世代、それもジンさんの愛弟子だよ? 私らみたいな第二とは格が違うの、格が」
「はあ、情けねー話だよホント。交代まだか?」
見張り、それも校内で祭りが開かれている状態というのは、否応なく担当のやる気を削ぐものだ。その点で男は普通と言えたし、非常事態さえ起こらなければ問題ない。
滅多に起こらないから『非常』なのだ。
平凡に甘んじる二人にとって、その夜は地獄そのものだった。
ふと足音が響いた。正門前に伸びる舗装された道を、かつん、かつんと踏み鳴らしている。その方向には、白と黒で正反対のローブを纏った、小柄と大柄のこれまた真逆の人影があった。
「そこで止まって」
無言だったロシェが冷たく言う。瞳は黄金に輝き、左手は腰——拳銃の位置に伸びている。呆気に取られる男たちをよそに、ロシェは淡々と続けた。
「魔族を入れる訳にはいかない。言葉が分かるなら今すぐに失せなさい」
足を止めた二人組のうち、白ローブは残念そうに溜息をつくと、フードを剥ぎ取って素顔を見せた。銀色の長髪に、夜闇でも際立つ白い肌、殊更強調するような赤い瞳が特徴的な、見るに美しい少女だった。
「……魔族だと判るのですね。それなりに人らしい顔だと思っていたのですけれど」
「そっちのはともかく、貴女はおかしい。どう考えても人間じゃない。それはどういう身体なの」
追及するロシェの言葉に、黒ローブがずいと身を乗り出す。
「我が君を愚弄するか、人間。万死に値するぞ」
「控えなさい。その怒りは取り置くべきです」
白ローブが諌めると、黒ローブは「失礼致しました」と詫びて一歩退いた。妙な空気に各々が硬直し、睨み合うような状況だった。退魔師の男女は、言い知れぬ疎外感と緊張感に見舞われながら固唾を呑んでいた。
「ああ、腑に落ちました。天眼の退魔師ですか」
白ローブが、ぽつりと零したのが始まりだった。
「——撤退」
「へ?」
「今すぐ撤退。校内に伝えて」
ロシェが拳銃を抜いた瞬間、白ローブの体から赤い液体が飛び出した。ロシェはすぐさま照準を合わせるも、同時に黒ローブの突進が襲い掛かる。僅か数秒の時間稼ぎだったが、凡庸なこの男を貶めるには十分な時間だった。
鋭利に延びた液体が、男の腹部を貫く。苦悶の表情を浮かべたのも束の間、彼の眼前には、静かに微笑む白ローブの少女が立っていた。
白ローブが男の傷口に躊躇なく手を突き入れると、男の身に明らかな異常が起こった。溢れた血は滴り落ちず、白ローブの手中で止まる。いや、まるで吸い出されるように、尋常でない量の血液が溜まり続けているのだ。
「あッ、あ! あが……」
男はみるみるうちに青褪め、細ばると、枝のようになって動かなくなった。
「事は任せます。時間稼ぎ……と言うのは少し違いますね。調べる価値があると判断しましたので」
ロシェと格闘戦を繰り広げていた黒ローブはその言葉を受けると、校内に警報を出そうとひた走る女退魔師に目も暮れず門へと走り出した。
なぜメッセンジャーを殺さないのか、と疑問が浮かんだが、単騎突入はむしろありがたい。実力を鑑みるに、二体を同時に相手取るのは無謀だ。門番としては不甲斐ないが、分断できるならそれに越したことはないだろう。
「御武運を、姫様。いつでもお呼び付け下さい」
「ええ、其方も。どうか無事で」
そう言葉を交わし、黒ローブは門を突破する。直後鳴り響いた警報音を聞き、ロシェは静かに白ローブへと向き直った。
白ローブが手に収めた血液を静かに撫でると、真紅に彩られ、飾られた、長大な槍の形になった。いつか飛来した血の槍だ。ロシェは、目の前の敵が何なのかをその瞬間に理解した。
「……せっかく可愛い後輩が楽しんでるのに。どうして今来るのかしら」
「やはり祭事に勤しんでいたのですね。でしたらもっと厚い警備を用意すれば良かったでしょうに」
「人手不足なの。言い訳だけどね」
二人の語り口はどちらも穏やかで、起伏に欠けている。その分、染み入るような緊迫感が辺りを支配していた。
「自己紹介をさせていただいても?」
「お好きに。無意味なことが好きなのね」
「ええ、王族ですもの。——私の名はスピカ。
そう言って、少女は妖しく笑った。
* * *
一方、混乱に包まれた訓練場。突如マリーの体から現れた『黒い怪物』に、ヒューズは心底から困惑していた。
「ありえない、だってあの時……!」
森で交戦した際、ヒューズはマリーを引き剥がした直後に『
心当たりがあるとすれば、マリーの不調とエネルギー循環の件だ。それぞれがどう繋がるのかまるで検討が付かないが、今は怪物を対処する他ない。
「ヒューズくん、まずマリーの保護だ! 僕とフレッドくんで引き付ける!」
「っ、分かった!」
レインの指示を受け、ヒューズは素早く飛び出した。同時に、フレッドとレインの攻撃が怪物を捉える。炎が全身を焼き焦がし、氷剣が首を刎ねた。無防備に佇む怪物に攻撃を当てるのは至極簡単なことだ。しかし——
「——ウソだろ!?」
「話には聞いてたけど……!」
右腕も頭部も、損壊した部位が瞬く間に生え変わる。人型を取ってはいるが、不定形のバケモノという本質は変わらない。驚愕する二人に対し、怪物もまた驚いたように、反射的に触手を伸ばした。
「"ヴァーダンの盾"!」
構えた盾に触手が迫る。倒れたマリーを担ぎ上げていたヒューズは、その光景を目にし、目を剥きながら叫んだ。
「防御しちゃダメだ! 避けろッ!」
忠告虚しく、触手と氷盾が接触する。次の瞬間には、盾に亀裂が入っていた。打撃に耐えられなかったのではない。触手の喰らう力が、触れたそばから氷を消化しているのだ。
そして盾が貫かれ、二人に直撃する……その時。
「"
ひらりと割って入った大布が、触手の攻撃を受け止めた。
「カトレアさん!」
「よし、私の『固定』は通じるな。好転はせずとも大きな進歩だ……!」
間一髪で二人を救ったカトレアが、冷や汗を拭って呟いた。怪物は壊せない物体に苛立ったのか、更に触手の勢いを強めている。それを好機と見て、カトレアは素早く布に触れると、ぐい、と押し出すような仕草をした。
「"
すると空中で止まっていた布は一瞬のうちにバラバラに引き裂かれ、同時に怪物の体を吹き飛ばし、引き裂いた。
カトレアの異能で固定された物体は、いかなる衝撃を受けても動かない。加えて、受けた衝撃をその身に蓄積し続ける。過剰な力を溜め、解き放った時、その物体は周囲を巻き込みながら自壊するのだ。カトレアが操れるのはその「タイミング」と「ベクトル」の二つである。
「恐ろしいな……これほどの力とは」
ひとまずの危機を凌いだ一同だったが、まだ脅威は去っていない。細かく千切れ飛んだ怪物だったが、その破片がより集まり、また何事もなかったかのように再生した。人を無差別に襲う様子はないのが救いだが、瞬きの後にどうなっているかさえ分からないのだ。
「……う、う……」
膠着した状態で、マリーが呻きながら目を覚ます。顔色は悪いが、命に別状はないようだ。ヒューズはほっと胸を撫で下ろすと、優しく語りかけるように言った。
「大丈夫だ、マリー。すぐ医療科に——」
「……補給剤を、ちょうだい」
「え?」
「私は、戦える……! エネルギーさえ補給できれば、すぐにだって異能を撃てる! もう足手纏いにはなりたくない……!」
ヒューズの腕の中で訴えるマリーからは、悲痛にも思える決意と奮起が滲んでいた。きっと、森での戦いを相当な負い目に感じていたのだろう。だからこそ努力を重ね、ここまでの異能精度を身につけたに違いない。
そして今、再び怪物と相対し、自分は戦う前に倒れている。どんなに悔しく、苦しいことだろうか。
「……ああ。戦おう。今度こそ勝つんだ」
「ヒューズ……」
「マリーの努力を無駄になんてしない。……補給剤さえあればいいんだな!」
ヒューズは急いで周囲の医療科の元へ走ると、あり合わせの薬剤を持って戻ってきた。そうしてマリーに選ばせ、補給の手伝いをする。マリーが居れば何かが変わる。仲間への信頼が、ヒューズを突き動かしていた。
(もう負けやしない。止まったりしない!)
夜宴は、まだ始まったばかり。
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