第24話 氷華に斜陽の射す
第二試合を終えてフレッドが観客席に戻ると、そこには手元に飲み物を抱えて座るヒューズの姿があった。観戦を十二分に満喫しているようだ。
「お疲れ。ちょっと危なかったんじゃないか?」
「バーカ、余裕だ余裕」
悪態をつくフレッドは飲み物を受け取ると、一席空けて腰掛けた。口ではそう言うものの、フレッドの額には未だ汗が滲んでおり、激戦の余韻が窺えた。側から見ていたヒューズの感想だが、あのまま戦いが続いていればセルヴィンが押し返したかもしれない。底の見えない人物だった。
セルヴィンの姿は見えない。ルークとはまた違った、それこそ難解な理由で離席しているのだろう。
「次はマリーとレインの試合か……」
呟いて、思わず口角を上げてしまう。
三つの中で一番注目しているのがこの試合だった。同級生二人のぶつかり合い……それも、本気の手合わせを見たことがない組み合わせだ。異能の特性上、マリーが訓練で全力を出すことは滅多にない。だからこそ、試合の場で何が起こるかが楽しみでならなかった。
「そういやマリーの調子は戻ったのか?」
「あぁ……確かまだ戻り切ってないはず。すっかり忘れてた、大丈夫かな」
「まァ調子がどうだろうと関係ねえ。アイツら二人揃ってんだ、地味な試合にはならねえよ」
それもそうだな、と相槌を打った辺りで、入場を告げるアナウンスが流れ始めた。
マリーとレインが同時に姿を現し、中央に向けて堂々と足を進める。マリーは客席に向けて愛想良く笑顔を振りまき、レインは粛々とした態度で臨んでいた。お互いの色がはっきりと現れる入場だった。
そうして向かい合う。時間は日没直前というところで外はかなり暗くなっており、場内は周囲のライトに照らされていた。
「ついに本番だね、レインちゃん!」
「そうだね。お互い全力を尽くそう」
二人の口調は平静そのものだ。しかし、言葉でなくその場に溢れる「気」とでもいうのだろうか、激しく火花を散らすそれが眼に見えるようだった。
「不要な配慮かもしれないけど、刃は落としておくよ。変に手加減するのも失礼だろうし。……まあ、当たったら痛いことに変わりはないけど」
「あはは、ありがとう。でも安心して、実戦でも勝てるように戦うつもりだから!」
「それは倒し甲斐があるね」と言うレインを最後に会話が止んだ。そして、三度目の静寂が訪れる。先の二試合とはまた違った、どこか爽やかな緊張感が走っていた。
そして——
『始め!』
アナウンスを合図に、試合が始まった。
先手を取ろうと体勢を屈めたレインは、真っ先に驚かされることになる。踏み込みの速さなど目ではない。マリーが、その場から一歩も動かずに両手を突き出しているのだ。
それが意味するところは、つまり。
「——はああーッ!!」
光の異能が瞬時に襲い来るということだった。
掛け声と同時に放たれた光線が、レインの体を掠める。細い光だっただけに回避は容易だが、初動を崩すには十分だ。
「く……」
「魅せてあげる。私だって強くなったんだ!」
マリーの手から零れた光が、球体になって浮き上がる。ふわふわと幻想的に舞うそれは、さながら蛍のようだった。一つや二つではなく、十は下らない群れを成している。
ノルノンドの一件後、マリーを襲った不調は「異能の出力が下がる」というものだった。なお凄まじい火力を秘めてはいるのだが、このままでは力任せの放出が成り立たない。
だが、マリーはあることにも気付いた。エネルギーの弁が狭まったおかげで、今まで難しかった精密動作……新たな戦法の可能性を見出したのだ。
彼女は早速カトレアに相談し、一つのメソッドを学んだ。過去在籍していた『水の退魔師』を参考にした、異能の技術である。
「"
光の群体が、一斉にレインに飛び掛かる。弾速は緩いが、ふわふわとした軌道も相まって動きが読み辛い。知られざる技に、レインは感嘆していた。
「けど、手数なら僕に分がある。"ローヌの矢"!」
たなびく冷気が体を成し、光球を遥かに凌ぐ数の氷矢を造り出す。レインは鋭い眼光で周囲を一瞥すると、銃撃開始と言わんばかりにそれらを射出した。
矢は光球を一つ一つ正確に撃ち抜いて行く。破裂の度に溢れる光が幾重にも重なり、場内を冷気と烈風で包み込んだ。派手な衝突に大きな歓声が上がっていた。
互いに無傷のままカードを一枚切った。ここからが勝負所だ。
レインは風の勢いに乗じ、氷剣を片手に走り込んでいた。マリーを相手にするには、間違いなく近距離戦が有利だと踏んだからだ。
「わっ!」
振り抜かれた剣を紙一重で躱す。素早い反応だ。このまま避け続けて距離を取る——そう考えたのも束の間、マリーの脚がぴたりと止まった。
どこからか伸びた氷が、マリーの足首に至るまでを絡め取り、頑強に固定しているのだ。さっと血の気の引いた顔を見ながら、レインは容赦なく剣を振った。
「"アドミールの剣"ッ!」
「っ……! 戻って来て!」
マリーがそう叫んだ途端、上空から光が舞い降りた。光の球だ。攻撃に参加しなかった"
「やるね、マリー……!」
「へへ、驚いたでしょ! まだ終わらないよっ!」
刀身を即座に修復し、レインが再び攻撃に移る。その刹那、マリーは手のひらに瞬間的に力を込め、激しく閃光を放った。熱の伴わない、明るさに特化した光だ。レインが予期せぬ目潰しに怯んだ隙に、マリーは拘束を抜け出すと、流れるようにレインと組み合った。
「せえっ!」
軽やかに、最低限の力で投げ飛ばす。視界の戻ったレインは空中で体を捻り、反撃の構えを取った。しかし、マリーの追撃はそれ以上に危険で、膨大な力を込めたものだった。
何度も見た光。両手に光を溜め、橙色の熱が太陽のように滾っている。規模こそ縮小していたが、なお勝負を決め得る熱量を保っていた。
「"
放たれた光の束が、無防備なレインを撃ち抜こうとする。この時ばかりは、レインも血相を変えていた。握ったままの剣を膨張させ、形を整える。極大の盾を構え、真正面から光線に立ち向かった。
「"ヴァーダンの盾"!」
激突した直後、強靭な盾にヒビが入った。場が空中ということもあり、踏ん張りも効かない。このままでは盾ごと場外まで吹き飛ばされる。レインは歯を食いしばりながら両手を押し上げ、半ば放り投げるように光を逸らし上げた。打ち上げられた盾が光と共に砕け散り、きらきらと麗しい結晶が降り注いでいた。
「威力を落としてなお……恐ろしいね」
着地したレインが汗を拭いながら呟く。ここまで激しい戦いをして、未だに互いの有効打が通っていないのだから驚きだ。
「不調どころか……絶好調だね。威力が戻ったときもこれを保てれば、間違いなく指折りの退魔師になれる。兄さんのことを思い出したよ」
「はあ、はあ……ありがとう。そう言ってもらえると……嬉しいな……」
賞賛の言葉に、マリーは息を乱して返す。エネルギー切れだろうか。出力が落ちた分体力にも余裕ができたはずだが、彼女は眼に見えて疲弊していた。
ここまで拮抗した戦いを続けてきただけに、レインは茶化すように笑って言った。
「ちょっと、バテてる暇なんてないよ。ここからが盛り上がるところなんだからさ」
「う、うん……おかしいな、まだまだ余裕のはずなんだけど……急に、か、体が……」
様子がおかしいと気付くのと、マリーが崩れ落ちるのはほぼ同時だった。マリーは両手を体に回し、激しく息をしながらもがいている。先程までの元気な姿とはまるで別人だ。客席や審査員からも動揺と心配の声が聞こえてきた。
「う、あ……熱いっ、い……!」
異変はここからだった。
地に伏せたマリーの体が一瞬発光したかと思うと、じわりと、不気味に立ち上がるように、黒い蒸気が溢れ出したのだ。マリーの光とは真逆の、見ているだけで怖気が立つようなオーラだった。
レインも顔色を変え、彼女の元へと駆け寄った。試合を気にしている暇はない。客席からそれを見ていたヒューズとフレッドも、焦燥の色を浮かべながら舞台に飛び降りていた。
「レ、イン……ちゃん」
「待ってて、今助けるっ!」
「来ちゃ、ダメ……!」
予想外の言葉に、一瞬レインの思考が止まる。マリーの潤んだ瞳が、何かを必死に訴えかけているのが分かった。
「閉じ込めてッ、早く!」
その絶叫に突き動かされ、レインは直感的に異能を解放した。マリーの周囲に冷気を集め、彼女を囲う箱を作り出す。側から見れば理解不能かもしれないが、そうしなければならない確信めいた閃きがあったのだ。
氷の中に、マリーから溢れる瘴気が溜まっていく。それは不可解に勢いを増すと、透明な氷を真っ黒に染め上げて埋まった。残された黒い箱に駆け寄るもの、固唾を呑んで見守るもの……混乱に包まれたその場を裂くように、唐突に『それ』は現れた。
「——うやーっ!」
ばきばきと氷を砕き、流体のように出現した黒い何か。不定形から人型になり、体色にどす黒い赤を織り交ぜる。瞳だけがぼんやりと浮かぶその生物に、レインたちは見覚えがあった。
「黒い、怪物……!?」
ノルノンドの森に現れた、怪物そのものだった。
それに追い討ちを掛けるように、場内にブザーが鳴り響く。いかにも『緊急』を伝える騒がしい音に続いて、アナウンスとは違った、平静を装いきれない女性の声が発された。
『緊急連絡。正門に未確認の魔族が出現。うち一体が門内に侵入。非常マニュアルに従い迅速に避難してください。校内の対魔族能力科生徒並びに退魔師は直ちに対処にあたってください。繰り返します……』
正門。この怪物とは別件だ。狙い澄ましたようなタイミングで、異なる魔族が襲撃してきたのだ。
「どうなってるんだ……!?」
ヒューズたちは目の前に現れた怪物と、その側にぐったりと倒れ込むマリーを見つめながら、不安に駆られた汗を滲ませた。
最高潮の盛り上がりを見せた祭りは、日没を経て、未だかつてない脅威を孕んだ『夜宴』に変じようとしていた。
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