第28話 遺された者

「どうした? 元気ないな」


 ロシェがアステリアに入学して半年ともう少し経った辺りだろうか。屋上でたそがれる彼女に、ジンがひょっこりと顔を見せた。

 当時のロシェは、現在より幾分か退きがちな気質であった。ジンと出会って少しずつ成長しているものの、まだ積み上げた卑屈さを覆すには至らない。


「なんだよ、また上に嫌味でも言われたか?」

「…………」

「もっと自信持てよ。お前の実力は十分理解されてるだろ? なんたってNo.4! 超新星ってレベルじゃない」

「……超新星ならノエルさんがいるじゃない。しかも彼はNo.2」


 当然内輪のお遊び程度だが、実力を示した退魔師は「誰が一番強いか?」という議論に上げられる。ロシェの位置は、右腕を失う前のカトレアに次ぐ四番目……一年生としては破格の順位だった。順位通りの実力を本当に持っているかはともかく、周囲はそう期待していた。


「私の異能には伸び代がないし……体の成長も止まっちゃった。今はたまたま通じてるけど、この先いつボロが出るか」

「いいや、たまたまなんかじゃない。お前は強いさ。それも、他人が持ち得ない特別な強さを持っている」


「むしろちびっ子のままのがいいかもな」と冗談めかして言うジンに、ぷいとそっぽを向く。するとジンはいつも通りの朗らかな顔で笑い、ロシェの小さな肩を叩いて続けた。


「俺は、対魔科に入れて正解だったと思ってるぜ? 諜報科にやるには勿体ない。前に言ったろ、お前は"戦闘の天才"なんだ。誇りを持って、胸を張って、どんどん突き進め!」

「……どこに向かって?」

「そりゃ俺に向かってだよ。お前も弟子やら生徒やら子供やら、守るべきものを持てばわかる!」


 それは、温かな時間だった。血の繋がりこそないが、それは確かに親と子のやり取りだった。ロシェも柔らかに微笑んでいた。

 バトンを受け継いだ者の一人として、未だ生き残る"天才"の一人として……ロシェは重く大きい勲章を背負っている。だが、苦しいとは思わない。

 覚悟は決まっていた。


 ***


 ジンが死んだから。そう突きつけられたスピカは、静かに表情を歪ませていた。怒りと、深い後悔が入り混じった顔だ。彼女はすぐに感情を鎮めると、微かに俯きながら言葉を返した。


「——ごもっともですね。私はあの戦いに踏み入れなかった。どうあれ、決着がついた後に動き始めた。臆病者です」


 スピカという吸血鬼は、一年前の事件では姿を現さなかった。これほどの力をもつ魔族が戦いに参入していれば、戦局は傾いたかもしれない。


「ですが、だからこそ……我が義兄、アルフェルグが散った後だからこそ……私には、成さねばならぬことがあるのです!」


 そう力強く言うスピカは、並々ならぬ気迫を帯びていた。アルフェルグの関係者だということに「やはり」といった具合に皺を寄せると、構えたスピカに呼応するように身を屈めた。


「……そんなの、私だって同じよ」


 それを皮切りに、状況が動いた。

 スピカが血の槍を振り上げると同時に、その形状が解けるように霧散する。再び液体となった血は上空でぬるりと細ばり、静止した。


「"憂いの雨"」


 まさしく「雨」。それも一粒一粒が得体の知れない異能の影響下にある。ここに来ても命中第一という攻撃の姿勢は変わらなかったが——これだけの刃に撃たれれば、"その後"を憂う必要すらない。


 ここで決める。ロシェは走り出した。


 その瞳で、視界に映る全てを捕捉する。風は吹いているか? 体積はどれくらいか? 相互干渉はあるか? スピカの素振りは? 機械的に、淡々と分析し続ける。


『ラプラスの悪魔』という概念がある。もし、その瞬間全ての物質の状態を知ることができ、かつそのデータを解析できる知性があるならば、未来すら過去同様に見えることだろう……そんな内容だ。

 ロシェは、その眼を持っている。

 ロシェは、その知性を持っている。

 それが彼女の真骨頂。己の体が追い付く限り、例え降り注ぐ雨であろうと、ロシェを捉えることは叶わない。ロシェが「戦闘の天才」と称される所以は、理論上最適かつ可能な動きならば、それがどんなに複雑だろうと実行できる分析力と柔軟な身体能力にあった。


「全て、避けて……!?」


 進むべき道だけを見据え、血の雨を抜い、踊るように妖精が走る。攻撃から抜け出す直前で、眼前のスピカがぱん、と両手を握り込むのが見えた。その体からは再び赤い蒸気が噴出し、尋常でない力を放っていた。

 そして、すぐに手を開く。そこには、赤く煌めく一粒の鉱石があった。


「沸血、"紅晶こうしょう"」


 極限まで圧し、躍動を抑えた紅い宝石が、轟音と共に爆裂する。凶器と化した衝撃波と血の塊が前方を薙ぎ、軌道上の鉄門が一瞬で蜂の巣となる……しかし、そこにロシェの姿はなかった。

 下だ。一切の躊躇なく、速度をそのままに背後に倒れ込んだロシェは、滑り込むように破片の網を掻い潜った。


 両手で照準を合わせた拳銃。黄金の瞳がその先を指し示す。スピカの頭に向けて、ロシェは一発の銃弾を撃ち込んだ。


「——"つぼみ"」


 ばちゃり、と水音が鳴り響いた。

 銃弾が真っ直ぐにスピカの「点穴」を撃ち抜くと、頭部は一瞬のうちに弾け、赤い花弁を散らした。倒れた肉体は痙攣すらせずに動きを止め、自らの血で汚れていく。凄惨な幕引き——ここに誰かが居れば、そう形容しただろう。


「…………」


 ロシェが大きく息を吐く。銃は下ろしていない。

 静寂を取り戻した正門で、そのまま数秒経った。



 刹那。


 倒れた体がどろりと赤く溶け、同時に湧くように盛り上がる。勢いよく飛び出した血はそのまま先端を尖らせ、槍となって突き上げた。


「——っ!」


 耳の先をひやりと掠め、髪の毛が僅かに散る。出血の有無を確認する暇もなく、飛翔した槍は何者かに掴まれた。その影は空中で槍を構え直し、即座に突き下ろす。抉れた地面を尻目に飛び退き、ロシェは前方をぎろりと睨みつけた。


「これも躱せるのですね。自信を失くしてしまいます」


 そこには、スピカが立っていた。


「ああ……腑に落ちた。貴女が本体ね」

「視えますか?」

「ええ、内臓まではっきりと」


 苛立ちを隠さず言うロシェに、スピカがくすくすと笑いを漏らす。ロシェの天眼で見るその姿は、先程までのハリボテとはまるで違う、歴とした生物としての構造だ。

 つまり、倒したスピカは異能による分身体……「血の人形」だったと理解できる。


「……なんて能力。分身であの強さ?」

「こちらの台詞ですよ。これは私が直接操っていましたから、私本体と遜色ない強さでしたのに」

「はあ、その口振りだと『格は落ちるが自律駆動する人形』も作れるってことね。うんざりって感じ」


 スピカはその言葉を笑顔で肯定し、こう続けた。


「だから、私をここで止める意味はないのです。もう何体か持ち込ませましたので」


 恐らく、最初に黒ローブが飛び込んだ時、彼は既にスピカの人形を持ち込んでいたのだろう。圧縮した核を持っていたか、黒ローブ自身がそれを隠せる力を持っていたか、ともかく正門が襲撃された時点で、どちらか一方が侵入できれば万々歳と計画していたのだ。


「徒労でしたね、ロシェ・ライラック」

「そう? そんなことないと思うけど」


 あっけらかんと言い放つロシェに、スピカが眉を顰める。それを見てロシェは自信気に手を組んだ。


「血の人形って高コストなんじゃない? 恐らく維持数や出力に限界がある。本体の能力も含めてね」

「お得意の分析ですか?」

「ええ。これまでの様子を加味すれば、こう考えられる。私が貴女と戦っていれば、ある程度そのコストを使わせられる」


 ロシェが言い終わると、スピカはやれやれと首を振ってから「本当に恐ろしい方ですね」と零した。

 そうは言ったものの、ロシェの発言は半分強がりだった。血の異能の真骨頂が彼女の予想するもので、校内に送った分身もその力を備えているならば、これほど恐ろしいことはない。戦いを優位に進められたのはロシェの力がスピカに抗するものだったからこそだ。校内の被害は確実に増える。


 ロシェは密かに冷や汗を拭うと、不安を断ち切って息を吐いた。今は、自分の役目を果たすだけだ。


(……がんばってね、みんな)


 静かに拳銃を持ち直したロシェは、そうして顛末を校内に託し、戦いを続けた。恐ろしい血の姫君を抑え込み、希望を先に繋ぐために。

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