第16話 日常の橙陽華

 吸血鬼からの通信が途切れた中庭には、息の詰まるような静寂が漂っていた。その場に居合わせた退魔師や職員たちの「また戦いが始まるのか」とでも言いたげな雰囲気が重なり合っているのだ。一度本拠地を壊滅させられた……ある種の敗北を喫した後では無理もない。

 それでも、ヒューズはその大人たちの空気を頼り難いと思ってしまっていた。


「貴方たちが遭遇した怪物、首領を新たに据えた人狼。そして吸血鬼の宣戦布告。忙しくなりそうね」


 無表情のまま、ロシェがぽつりと零す。その瞳には、顔には表れない闘志が確かに宿っていた。


「気を引き締めて。貴方はもう二年生。上級生になるほど『戦力』としての側面は増していく。……それで何人も死んだ」

「……分かってます。もう油断はしない」


 ヒューズの言葉に「なら安心」と相槌を打つと、ロシェはすぐそばで身体を縮めるフェリシアを穏やかに一瞥してから口調を緩めた。ロシェは不器用に見えて気遣いのできる人物だ。


「私はこれから上層部の会議に出席するの。強化委員の話も兼ねてね。カトレアさんもいるけど、貴方も見学してみる?」

「いえ、やめておきます。今は……会いたい奴らがいるので」


 強化委員。カトレアの言っていた、対魔科の生徒を重点的に育成するための機構だ。ロシェは既に卒業生、となると委員に招集されることもあるだろう。また稽古をつけて貰えるかもしれないと思うと、俄然やる気が湧いてくる気がした。


 見学に興味はあったが、やらなければならないことがある。まだ彼女らの顔を見ていない。


「そうだ。マリーの様子がおかしかったらすぐに教えてね」

「マリーの?」

「ええ。気になることがあったから」


 そう言われて心配そうに顔を曇らせたヒューズに少し眉を下げると、ロシェはゆっくりと踵を返し、廊下の方へと歩き始める。そして、その合間に囁くようにこう言った。


「……元気そうで嬉しい。またね、頑張る二年生。それと可愛い妹さん」


 いつもと変わらないはずのロシェの小さい後ろ姿が、どことなくジンに重なって見えるようだった。




 それを見送った後、ヒューズとフェリシアは穏やかな面持ちで向き合う。


「フェリシア、あいつらがどこか分かるか?」

「ええと、第二訓練場だったと思うよ。リハビリするって」

「そっか、ありがとう。一緒に来るか?」

「うん。兄ちゃんを見張らなきゃいけないしね」


 腰に手を当てて言うフェリシアは、以前より勝気が増したように思える。彼女も精神的に成長し続けているのだ。その変化にどこか寂しいような心地を覚えつつ、ヒューズはゆっくりと目的の場所へと歩き出した。


 * * *


 新校舎の訓練場は、旧校舎のものを再現している。とはいえ十個全てを地上に作るには土地が足りず、無駄を省いた五つの訓練場に留まった。半数になってもその巨大さは変わらず、むしろ外観が明らかになったことで威圧感を増しているようだった。


 そんな訓練場の鉄扉に手を掛け、開く。

 瞬間、ヒューズの視界に飛び込んできたのは、橙色に煌めく光の束だった。


「"弩級砲フレア"——っ!」


 張りのある声と共に熱線が放たれ、訓練場の土が抉れる。相対するのは赤髪の男……フレッドだ。フレッドは迫る弩級砲フレアを間一髪で躱すと、光の発生源へと駆け出した。


 言うまでもなく、発生源はマリーだった。


「むうう、やっぱり出力が落ちてる……?」

「ボサッとすんな! 近接行くぞ、受け身取れ!」

「うえっ!? ちょ、待——」


 視線を下げたマリーに容赦なく掴みかかり、荒々しく持ち上げるフレッド。マリーは慌てながら抵抗しようとしたが、あえなく投げ飛ばされ、「ぐえ」と間の抜けた声を上げて地に伏した。


「痛ぁ……あっ!? ヒューズ!」


 苦悶の色を浮かべたのも束の間、マリーは入り口に立つヒューズの姿を認識すると、太陽のような笑顔で飛び上がった。いつも通りのマリーだった。


「……はは、ピンピンしてる。よかった……」


 全身の力を抜いてふにゃりと笑ったヒューズの元に、マリーが抱き付かんばかりの勢いで突撃する。続くフレッドは「遅えんだよ」と悪態をついていたが、表情には安堵の念が滲んでいた。


 はしゃぐ面々の中で、ただ一人押し止めるような声が上がる。フェリシアの必死な声だ。マリーの裾を掴んで、遠慮混じりに上下していた。


「マリーさん……リハビリだって言ったじゃないですか! 激しすぎです! お、怒りますよ!」

「ご、ごめん。でも平気だよ? 体も動くし。異能は……なんだか調子が上がらないんだけど」


 あっけらかんと言うマリーに、フェリシアが愕然とする。医学知識はともかく、今の彼女は専任の主治医のようなものだ。生来の責任感も相まって必死なのだろう。マリー本人は「怒るフェリシアちゃんも可愛いね」と呑気そのものだったが。


「それより! やっと起きたんだね、よかったあ」

「こっちの台詞だよ。あぁ……安心した」

「ヒューズが助けてくれたんだよね。なんとなく覚えてる。……本当にありがとう。命の恩人だよ」


 互いに安心し合いながら言葉を交わす。ノルノンドでの一件は命を落としても何ら不思議ではないものだった。生きて会えたことが何より幸せなのだ。

 そうしている間に、鉄扉を開けて再び誰かが入ってきた。振り返ると、そこに立っていたのは大きな袋を両手に下げたレインだった。


「あれ、ヒューズくん! もう動いて平気なの?」

「ああ、大丈夫。……って、すごい荷物だな」


 回復への反応は最小限に、しかし安堵を全面に匂わせるレイン。三人三色の対応に「戻ってきたんだ」と実感していると、レインは袋を丁寧に下ろして中身を取り出した。パックに詰められたパンや惣菜にスープ……山のような量の食事だった。


「食堂で昼食を作って貰ったんだ。マリーの分は特に多めに。二人の分も分けられるだろうから、ここでゆっくり食べよう」

「わーい、ありがとうレインちゃん! もうお腹ペコペコだよ!」

「……朝にとんでもねえ量食ってなかったか?」


 訓練場の端にシートを広げ、ピクニックさながらの様相で座り込む。五人それぞれが楽しげで、傷のことも忘れてしまいそうになる。一瞬顔が曇ったが、ヒューズは今の食事を素直に楽しむことにした。


「フェリシアちゃんは久しぶりのアステリアご飯だよね。おいしい?」

「はい、とっても。皆さんと一緒だと特に」

「へへっ、そりゃ良かった」


 話の合間に、マリーが凄まじい勢いでパックを空にしていく。レインが持ってきた量はどう少なく見積もっても二十人前はあったが、その程度なら何の苦にもならないらしい。決して噛みながら喋ることをしない辺りに彼女のポリシーを感じた。


 和やかな雰囲気のまま早々に昼食を平らげて一息つくと、マリーが後片付けを済ませながら目を輝かせ、意気揚々と号令を掛けた。


「よーし、そろそろ始めよっか!」


「何を?」と聞き返すと、マリーはヒューズの両肩に手を当て、ずいと顔を近づけて言った。


「私たちがもっとずっと強くなるための、超スペシャルな作戦会議!」


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