第10話 死んでも助ける
ああ、死んだ。脳がそう
「——げ、ぁ」
あからさまに抉り取られた左腹から、塊のような血が落ちる。寸刻後に、ヒューズは口からも大量の血を吐き出した。
眼にも留まらぬ速さで繰り出した触手を今度は腹立たしいほどのんびりと引っ込めると、怪物はふにゃふにゃと身を捩りながら声を漏らした。
「び、りびり。おくち、びりびり。おいしいね」
追撃はない。
ヒューズの視界は、妙に透き通っていた。
これは腸。胃だろうか? 赤くて分からない。
いっそ頭を千切られたほうがマシだ。半端に意識を残したまま、苦しみ抜いて、仲間を喰われた無念を、敗北を味わいながら死んでいくのか。
怪物は雷の余韻を愉しみ尽くし、ヒューズに向けて不気味に首を傾けた。そうして歩き出すと、
「ウ?」
突如、怪物の腹から閃光が飛び出した。
「? ? ……??」
怪物の体が一瞬崩れ、即座に人型に戻る。黒塗りの外面と赤い相貌だけでは表情こそ読み取れないが、「何が起こったか分からない」と言った具合だ。当惑する怪物を前にして、ヒューズは一人眼を見開いていた。
「マ、リー……生きてるんだな……」
倒れかけた体をぐっと後ろに戻し、血を垂れ流しながら天を仰ぐ。そうして、折れていた心を何度も、何度も、言葉を噛み砕いて立て直した。"僅かでも可能性があるのなら、絶望してはならない"。
「絶対に、助ける。死んでも」
ばちん、と焼け付く音がする。ヒューズの腹からだ。掌の高圧電流で、自らの傷を焼いた。意識が飛びかけたが、すぐに立て直して眼を開けた。
正しい処置とは思えない。裂傷とは訳が違う。腹を大きく抉り取られているのだ。それを焼くということはつまり、内臓を傷付けることに他ならない。血こそ止まれど、後遺症は底知れない。
死の確率はさらに上がる。それでも、ヒューズが欲しいのは「今動ける力」だった。
「"
電流を体内で圧縮し、一気に巡らせる。シリウスと渡り合うほどの速度を体現する"
迫るヒューズに対し、怪物は後退しながらも触手を伸ばし、苛烈に迎撃を始めた。余波に巻き込まれた木々が次々に喰われ、葉が周囲に舞っていた。
(右、右、上右下上左右下下右上)
幾重にも織られた触手の猛攻を、紙一重で躱し続ける。戦いの中で何度か味わった感覚だ。体はどうしようもなく悲鳴を上げているのに、頭脳は、神経は冴え渡って指令を飛ばす。痛みを遮断し、生存本能が活路を強引に開こうとする。
付いて行けるのなら強力だ。しかし、ヒューズの受けたダメージは今までの何より重い。知覚した攻撃を避け切れず、触手が右の
「……っ」
ヒューズは止まらず、触手の連撃を掻い潜る。血塗れで歯を食いしばる様はまるで鬼のようだった。
正面から相対した怪物に向けて、猛然と両腕を突き出す。掌が白く光り、雷が不安定に昂ると、貯めた電気を前方に向けて一息に解放した。
「電荷拡散……"
フレッドの炎から着想を得た、分裂しながら連鎖爆発を繰り返す「拡散するプラズマ」。その全弾が無防備な怪物に命中し、体を駆け巡った。
余波で草木が焦げ、大地に亀裂が入る。しかし肝心の怪物は体液こそ派手に散らしたものの、わざとらしくふらつくだけで倒れようとはしなかった。
有効打にはなり得ない。いくら攻撃を加えようと、根本的な弱点を探さない限り討伐は不可能だ。
だが、今はそれでいい。
少しでも怪物に負荷をかけ、リズムを崩す。ヒューズにできる手はここまで、その先はマリー次第だ。
「あばば……しびれびれ……」
怪物はチカチカと光る電流に眼を奪われたように、軽く踊りながら幼げに呟いた。
赤子じみた言動に妙な胸騒ぎを覚えながらも、ヒューズは再び異能を展開し、攻撃を重ねようとする。しかし、右足がうまく動かず、その場に転んでしまった。先程受けた傷——掠ったとしか認識していなかった傷が、確実にヒューズを追い込んでいた。
「動かないから、なんだ。筋肉は……電気を流せば動くんだ……失血なんざ知ったことか、焼けば……焼いて塞げばいい……まだ戦える。俺の仲間を、こんな……」
無理やり体を持ち上げ、震えながら立つ。
「こんなところで……死なせて、たまるかッ!」
そう叫び、雷を全身に滾らせた。
まだ始まったばかりなのだ。ジンから、シリウスから、一年の全てから四人で"受け継いで"、ようやく歩き出したばかり。未来を潰すわけにはいかない。大切な仲間たちに、まだ生きていて欲しい。
その意思に呼応するように、怪物の体で閃光が再び爆ぜた。一層強い熱線が黒い肉を散らす。
(そうだ。頑張れ! マリー!)
マリーが必死に足掻いている。生きようと、光明を宿してもがいている。ヒューズは、それを救い上げようともう一度突撃した。
「"
体内の異変に茫然とする怪物に、プラズマが追い討ちをかける。怪物が疑問符の付いた呻きを上げると同時に内側から光が飛び出し、不定形の体を崩し続けた。
正しく、水を殴るような苦行。異能を使うたびにヒューズの体は痛めつけられ、触手の反撃に晒される。終わりのない応酬の中で、怪物は少しずつ——願望に過ぎないのかも知れないが、疲弊しているように見えた。
「う、う、ウッ! うえっ!」
光が暴れるたび、怪物が苦しげに声を漏らす。恐らくだが、命に関わるようなダメージを負わせている訳ではない。ただ、呑み込んだマリーの存在が「負担」であると認識し始めているのだ。
畳み掛けるならここしかない。
「"
力を振り絞り、電流を掌に伝わせる。
その瞬間、怪物の眼が、こちらを明確に捉えた。
「ア、ア、やめて」
嘆願の声。驚きはするが、今更惑わされることはない。迷わずプラズマを放とうとしたその時、視界の端に巨大な、灰茶色の物体が見えた。
不意打ちだ。死角に伸ばした触手が、あろうことか大樹を折り取り、武器として投げ飛ばしていた。
攻撃先を木に移せば、辛うじて防御はできる。だが、今すべきことではない。
今すべきことは、マリーを助けることだ。
「吐き出せえええッ!」
電撃が怪物に襲い掛かる。同時に、人の丈を遥かに超えた幹が、ヒューズの側頭部に直撃した。
体が横に倒れ、意識が薄れていく。狭まる視界に映ったのは、帯電する魔族と、立ち登る弱々しい光。そして——
「——う、おえっ」
怪物から分離した、マリーの姿だった。
「まだだ」と体に鞭を打つ。倒れている暇はない。ここで動かなければ、結局マリーを助けられない。最後に、仕上げをしなくてはならない。
幹の下を潜り、不恰好に体を起こし、投擲の体勢に入る。全身に残った「
「——"
流槍を超えた、全てを投げ打つ一撃。
もはや槍の体を成さない、ただ強大な電流を、まっすぐに解き放つ雷の極致。残された体力を余すことなく吸い尽くし、その技はようやく成立する。
それはマリーを吐き出した怪物の中心を捉えると、その体を一瞬で引き裂き、森の彼方へ消し去った。後に轟く雷鳴は、酷く遅れているようだった。
雷の彗星は、音さえ置き去りにした。
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