第9話 新星の唄

 時は僅かに遡り、フレッドとカトレアは森の調査を進めていた。カトレアが森の植生を事細かに調べ、その概要を言われるがままにフレッドが書き留める……はずだったのだが、フレッドの文字があまりに乱雑だったため、やむなくカトレアの記憶を頼りにすることになった。机があるならまだしも、片腕ではメモを録るにも苦労する。

 レグルスも概ね協力的だ。環境の変化や生息する動物の情報を与え、質問があればはぐらかすことなく伝えてくれる。唯一気掛かりだったのは、彼が断続的に嘲るような半笑いを浮かべていることだった。


「そわそわしてんなァ」

「何?」

「そっちの坊主は言わずもがな。アンタも調査だのは不本意なんだろ。意外とドンパチのが好きだったりするのか?」


 植生の調査が一区切り付いた辺りで、唐突にレグルスが口を開いた。

 その言葉は正しかった。カトレアにとって異能戦闘を伴わない調査は専門外だ。対魔師としての戦闘欲求とでもいうのだろうか、そういった感情は彼女の心でも燻っている。むしろ、引退した身から現地に引き出されたことで高まっているとも言えた。


「……大層な観察眼だな」

「まあな。魔族ってのは高次文明で培われる能力以外は基本人間の上位互換だ。体力、適応力、感覚。特に人狼オレたちのような獣ベースの魔族は五感が極めて鋭い。それこそ見えねえものを感じ取れるほどに」


 自身の優位性をひけらかすように、顔を傾けながら言う。腹立たしいが、レグルスの表情を見るに自分たちをからかって楽しんでいるだけだ。挑発に乗るまいと、カトレアは無反応を貫いた。


「"琥珀嬢"。凡ゆる攻撃が効かず、心臓さえ固定する女。当時の魔族はみんなアンタを恐れたよ。けど片腕じゃ能力も半減だな」

「いくら煽ろうとこちらからは手を出さない」

「違う、忠告さ。今の対魔師はなんか弱そうだ。見た限りだと特に——」


 そうしてこれ見よがしにフレッドを見つめる。


「"白雷"、ヒューズ・シックザール。アレは今後通用しねえよ。意志も希望も宙吊り、飲み込んだフリ。成長の余地も丸潰れ。光の異能力者も同じだな」


 愉しそうに、しかし冷徹な口調で放たれる分析に、フレッドは露骨に顔を歪ませた。それを見てレグルスは宥めるような手振りで応じる。


「お前と氷の武器使いは結構評価してんだぜ? 我を貫き通す心構えっつーか——」

「うるせえんだよワンコロ。評論家気取りかよ」


 辺りに漂っていた剣呑な雰囲気が、焦げ付くような敵意に塗り替わる。まさしく活火激発、猛る熱気が放出されていたが、決して手は出さない。フレッドも分別は付けていた。カトレアもそれを信頼しているのだろう、潜む感情を漏出させず、涼しい顔を続けていた。


「てめえの穴ぼこな目ン玉で見抜けてたまるかよ。俺の仲間ダチ、バカにしてっと焼き殺すぞ」


 暴力は封じたが、怒りは別物だ。最低限の威嚇を済ませると、フレッドは不機嫌そうにそっぽを向いた。レグルスも「悪い悪い」と茶化すように言い、それきり対魔師に関する寸評は語らなくなった。


 一行が静かになって数十秒といったところで、遠くで強烈な轟音が鳴り響いた。来た道の方角からだ。霧で隠れているものの、空に淡い光が立ち昇るのも確認できた。


「この音は……マリーの異能だな」


 事は済んだのだろうかと案じていたその時、突如として木々が騒めき、微かに大地が震え出した。その騒めきが耳に届くや否や——


「レグルス……」

 

 枯れ木を連想させるしわがれた声が響いた。


「おわっ、なんだこの声!?」

「焦んな、後で説明してやる! どうした?」

「森に根付いていた邪気が、収束した。代わりに何か……我々にも得体の知れぬ邪悪な何かが、新たに現れたらしい」


 謎の声はレグルスと難なく対話している。何者かの能力か、第三者の介入かと考えたが、答えを出す暇もなく、対話の内容にカトレアは目を見開いた。


 置かれた状況、レグルスの表情からも分かる。果実に重大なイレギュラーが発生しているのだ。


「さて、オレはマズいと思うんだが、アンタは?」


「言われるまでもない」と鋭く返し、カトレアはフレッドを連れて走り出す。レグルスも謎の声に対して二、三言葉を放ると、後を追って駆けた。


(……やっぱ『卵』か。一体何が産まれた?)


 彼の顔には、期待の色が滲んでいた。


 * * *


 ダメだ。落ち着け。触れちゃダメだ。 

 やめろヒューズ、冷静になれ!


「うぁあああああッ!」


 絶叫と共に、ヒューズの右腕が不定形の黒塊——果実だったモノに差し込まれる。マリーがこの怪物に「呑み込まれた」のなら、無理矢理にでも引っ張り出さなければならない。冷静さを欠いた、衝動的な判断だった。


 乱雑に中身を掻き回しても、手に触れる感触はない。それどころか、次の瞬間に感じたのは明らかに右腕を侵蝕されるような激痛だ。このままだと確実に喰い千切られる。ヒューズは咄嗟に腕を引き抜いた。


「ぐっ、ぅうう……!」


 案の定と言うべきか、右腕は血塗れだった。裂傷、融解、咬傷……一目ではどのような傷なのか見当も付かない。もしマリーの身にも同じことが起きていたら? そう絶望しようにも、怪物は慈悲を知らない。


 アメーバのような身体を人型に再形成しながらヒューズを軽々と跳び越えると、怪物はぐにゃりと体勢を沈め、一点に狙いを定めた。

 フェリシアの方向。ヒューズは息を呑んだ。


「逃げろ! フェリシア——!」


 声と同時に、怪物が凄まじいスピードで飛び掛かる。フェリシアに避ける術はない。その状況で、一体の人狼が割って入った。人狼は迫る怪物を柔術じみた動きで抑え込もうとしたが、恐るべきは怪物の容赦の無さだ。


 人狼の技を力尽くで外すと、怪物は体を大きくうねらせ、鞭のように人狼の頭を薙いだ。触れただけに見えた。


 瞬きの間に、"ぱん"と、人狼の頭は消えていた。


「ウェズンさんっ!」

「娘! 退くぞ!」


 親しかったであろう人狼が、首から血飛沫を散らして倒れていく。その光景に悲痛な声を上げるフェリシアを、もう一体の人狼は強引に抱えて逃げ出した。


 怪物は遠ざかるフェリシアたちを一瞥すると、人狼の死体に触れ、ぺろり、と取り込んだ。跡に残ったのは血溜まりだけだった。


「"流槍エンテルトリア"!」


 隙だらけの怪物に向け、すかさず雷撃を放つ。怪物は音に反応して即座に雷を注視したが、今度は一向に動く気配がない。ヒューズの攻撃は怪物の頭部——あくまで人型として捉えれば——に直撃し、後方へと吹き飛ばした。


 確かな手応え。出力も勿論最大だ。

 だというのに、怪物はあっけらかんと立ち上がった。その様子に面食らうのも束の間、付根から沸き立つように部位が再生し、ヒューズの精神をより追い込んだ。


「なんだよその再生能力……!」


 やはり、この生物は不定形が基本なのだ。でなければそもそも身体に腕を突き入れることなどできない。形成物質も謎だらけだ。


 今の姿は、あの赤黒いアメーバが年少の人間をシルエットだけ模したような中に、赤く輝く双眸だけが頭部に存在する、といった風体だ。なぜその形を取ったのかは分からない。意思が介在するのかも定かではない。唯一分かるのは、これが人の世を脅かす存在だということだけだった。


 雷を迸らせながら敵の動きを観察する。その間怪物は雛鳥のように辺りを見回していたが、途端、信じ難い行動に出た。


「ア、ウ、ああー、あ、い、うえお」


 人間の発音で、声を発し始めたのだ。


「らら、ららら……るるる……」


 禍々しい姿からは想像できない、高く、うら若い少女のような声。怪物は邪気のない透き通った声で一頻り発音すると、次は明確なメロディに乗せて歌い出した。


(う、歌ってる? 何なんだコイツは)


 何が何だか分からない。ヒューズの胸中は、絡れた毛糸玉のように乱れていた。

 ぴしゃり、と頬を叩く。やるべきことは決まっているのだ。この怪物を倒す。マリーはもう死んでいるかもしれない。それでも確かめなければならないのだ。僅かでも可能性があるのなら、絶望してはならない。


 細胞から電力を吸い上げ、高め、全身に還元する。一人の対魔師として、ヒューズは怪物に向けて脚を進めた。


「"万雷レイジス"」という自分の一声が、酷く遠い。

 当たり前の話だろう。勝負はすでに決した。


「おなか、すいたよ?」


 美しく朗らかな声がした。


 ヒューズの左腹が、綺麗に喰い千切られている。

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