第6話 狼の森再び
「こんな短期間で何度も来ることになるとはなァ」
「フレッドくんは嬉しいでしょ? だって……」
「フェリシアちゃんに会えるんだもんね!」
赤煉瓦の街並みに、
ノルノンドの街は人狼による建物の被害も比較的少なく、既に元の風景を取り戻していた。古式ゆかしくも鮮やかな街並みに、壮麗な噴水広場。頬に触れる微細な水飛沫が心地良い。「旅行気分」と言えば聞こえが悪いが、ヒューズたちにとってノルノンドは思わず気が緩んでしまうほどに馴染み深い場所なのだ。
「なんだ、そういう関係なのか?」
「違いますよ! こいつはともかくフェリシアはまだそこまで行ってないんで!」
「なんでお前が否定すんだよ! 間違ってねえけど!」
少し惚けた顔をしてカトレアが問うと、誰よりも先にヒューズが言葉を返した。フレッドとフェリシアの間には『色々』あったとはいえ、以降の進展は無に等しい。妹が首を縦に振らない限り、兄として関係を認めるわけにはいかないのだ。
「はぁ……んで、一年はまだかよ。今日はそいつも一緒って話だったろ」
「もう来ているよ。ほら、そこだ」
あっけらかんと言うカトレアに、四人が一斉に目を丸くする。指された方向に目をやると、確かに一人、一般人とは明らかに違う風体の人物が立っていた。
朱色を焦がしたような髪に、見るからに臆病そうに振れる藍色の眼、そして一部だけ褐色に変じた右頬の皮膚が特徴的な少年だった。女性陣と比べてもかなり小柄で華奢な体格で、一つ下とは思えない弱々しさが印象に残った。
少年は視線に気付くと口をもごもごと動かし、ゆっくりと頭を下げた。
「……すみません。その、挨拶するタイミング逃しちゃって」
その口調から、あからさまな警戒心や不安感が伝わってくる。四人の先輩からまじまじと顔を覗かれているのだから無理もないだろう。
「対魔科一年、ルーク・ガウサルです。よろしくお願いします……」
それぞれの顔色を矢継ぎ早に伺いながら言った少年……ルークに、マリーが真っ先に駆け寄って行く。他三人は様子見だ。
「ルークくんかぁー! 私はマリー、よろしくね! 分からないことがあったらなんでも聞いてくれていいからね!」
すぐさま両手を取って友好を結ぼうとするマリーに対し、ルークは頬を赤らめながら狼狽している。口元は引き
「はーん……こりゃ何とも腰の引けた……」
フレッドは鋭い目付きで品定めをしているが、心象は微妙なようだ。彼がそう思うのも当然だろう。ヒューズも、ルークからまるで『武力』というものを感じなかったのだ。マリーと初めて会った時と同じ具合に、危険極まりない対魔科に選出された理由が分からない……要は、特有の刺々しい雰囲気が微塵も感じられなかった。マリーと違って明るさがない分、不審さも増すというものだ。
「まあ、誰だって最初は緊張するものだからね」
「緊張なんて吹っ飛ばして喧嘩まっしぐらのやつもいたけどな。……フレッド、流石に後輩に因縁つけるのはどうかと思う」
「うっ、や、やらねえよ! 当たり前だろ!」
冷たい視線を向けられ、フレッドが携えていた火炎を慌てて引っ込める。今一番の興味は、ルークがどんな異能を宿しているかなのだ。気持ちは分かるが、先輩の態度としては落第点だった。
「その……僕は戦いとか、まるで素人なので。戦力には数えないでくれると嬉しいです」
そう言って、ルークが視線を下げる。明るく振る舞うマリーにも、ルークはどこか遠慮気味だ。関わらないでくれという意思表示にも見える。一方のカトレアはどこか思うところがあるのか、難しそうな顔をして静かに佇んでいた。
「前途多難だ」とヒューズは溜息をついた。
* * *
森の調査にあたって、一行はまずフェリシアと合流することになっていた。フェリシアは森との繋がりも太く、現地で指折りの情報源になり得る。待ち合わせに指定されたのは、ちょうど森へと続く道の中腹だった。
「フェリシア!」
「兄ちゃん! 久しぶり……でもないか」
フェリシアが見えるなり、ヒューズは稲妻の如く側に駆け寄り、妹の安否を確認した。どうやら変わりないようだ。ほっと胸を撫で下ろす兄を見てフェリシアは苦笑いしていたが、続いてマリーらに声を掛けられると、すっかり馴染んだ様子で挨拶を交わした。フレッドに対して少し遠慮がちだったのは言うまでもないだろう。恥ずかしいのだ。
「初めまして、フェリシア。私はカトレア。お兄さんたちの担任をやらせて貰っている」
「ええと、フェリシア・シックザールです。今日はよろしくお願いします」
軽く言葉を交わし、「よく出来た妹さんだ」と頭を撫でる。案外子供好きなのだろうか、カトレアもフェリシアのことを気に入ったらしい。続いてルークも会釈していたが、先程と比べると態度が柔らかいようだった。あくまで先輩に対する恐怖心が強かったのだろうか。
「今日は状況の報告と森の案内をやってくれるということだったが、間違いないかな?」
「はい。わたしにできることなら」
フェリシアが、迷うそぶりもなく頷く。ヒューズとしては危険な森に同行させたくはなかったが、調査となれば森への知識が必要だ。長年森で暮らして来た彼女は、その点で非常に貴重な人材と言える。意思を確認してから、カトレアの先導の元、一同は森へと歩きながら話を進めた。
「——最初の失踪は一月前でした。森林整備のお仕事に行った三人が、森に入ったきり帰って来なくなって。それから山菜採りに行った奥さんが消えたり、森林浴に行った人が戻らなかったり……」
少しずつ、事件の概要が語られていく。
「どのくらいの人数が行方不明に?」
「確か、17人です。誰も森に入らないようになって、今は落ち着いてますけど」
「17人も!?」
人数を聞いて、マリーは堪らず声を上げた。故郷の人間がそこまで失踪していれば、そこに知り合いが含まれる可能性も増す。友好的なマリーにとっては事態はより深刻だろう。青ざめる彼女の背に、レインがそっと手を置いていた。
「人狼からの接触はどのようにして?」
「少し前、わたし一人で森に入ろうとしたんです。そうしたら——」
「ち、ちょっと待った。フェリシア、お前なあ……」
「だって……なんとかしなきゃって」
ヒューズが呆れたような口調で横槍を入れる。兄譲りの責任感なのだろうが、自衛手段に乏しいフェリシアにとっては、現在の森は間違いなく死地だ。今回は退魔師が付いているが、一人で突入するなど考えられない。そう諫めると、フェリシアはほんの少しだけ不満そうに頬を膨らませた。
それでも無傷で帰っているということは、と続けて森の様子を聞いたところで、フェリシアは「見ていないんです」と告げた。
「人狼さんに止められたんです。『やめとけ』って」
いざ森に入ろうとしたところ、踏み込んだ時点で"今まで見たことのない人狼"に声を掛けられたという。人狼はフェリシアと森の繋がりを看破した上で、アステリアに送った文面通りに話し、仲介人となるよう頼み込んできた……というのが、一連の流れとのことだった。
「じゃあ、人狼側には全く敵意が無い……?」
「断定するにはまだ早いよ。見たことがないっていうのが肝心だ。得体が知れないってことだからね」
互いの考察を交わし、「考えていても仕方ない」と言わんばかりに森を見上げる。木々は相変わらず鬱蒼と茂っており、中の様子は確認できない。森に入るための許可証は、フェリシアが持っていた。
「……突入する。フェリシアとルークを中央へ。レインは殿、ヒューズは私と前に立て」
カトレアの指示で隊列を組み、気を引き締めて森へと足を踏み出す。全員が敷地内に入り、数歩進んだその時だった。
突如として周囲に濃霧が立ち込め、森の雰囲気が激変する。ヒューズが初めて森に入った時と同じ現象だ。各々が戦闘態勢に入ったところで、緊張の糸を断ち切るような、呑気な声が響いた。
「——よう。思ってたより少ないな。信用されてるってことでいいのかねえ? それとも街の方に大勢待機してるとか?」
声の方向は定まっている。その先に見える影は、ゆらゆらと揺れながら近付いて来る。
皆が息を呑む中、大儀そうに濃霧を払って現れたのは、白い体毛を携えた一体の人狼だった。
「……おっと、刺々しいメンツだな。前言撤回」
肩を竦めて戯けて見せる人狼。その姿からはまるで敵意が感じられないが、眼の奥で揺らぐ眼光が、その存在が『尋常ではない』と伝えている。
剣呑な雰囲気の中、ヒューズが口を開いた。
「お前は、森の門番か?」
「ああ、そう見えるのか。貫禄ないもんなぁ」
人狼はわざとらしく、がっくりと肩を落とすと、如何にも軽薄そうに伸びをしてから答えた。
「オレの名はレグルス。あんたらがブッ殺した狼王の——シリウスの後釜だよ」
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