されど暗闇に光あれ

 過去の断片を語る。


 これは追想ではない。なぜなら、記憶を持つ者が存在しないからだ。ただ過去として「ある」だけの、誰も知らない魔族たちの話である。


 光を歩む"彼ら"とは、まだ関わりがない。




「ア〜ル兄っ! なにしてるのー?」


 もう何十年も人の寄り付いていないようなどこかの暗がりに、快活な声が響いた。半ば洞窟じみた構造のそこで鳴らす高音はそれなりのもので、脳が「くわん」と揺れる心地を覚えつつも、仮面の魔族……アルフェルグは手元から視線を外し、声の主に向き直った。


 その先には、青い翼をふわりと揺らしてしなだれかかろうとする少女の姿があった。シャウラだ。暗闇の中でも、その鮮やかな羽色が眩しかった。


「シャウラか。人の童話とやらを読んでいる」

「どうわ?」


 愛らしく首を傾げるシャウラに向けて、表紙を見せてやる。影のローブとは不釣り合いな青空と花々、そして笑顔の溢れた絵を見て、シャウラはぱっと眼を輝かせた。アルフェルグとしても、シャウラのこの反応が見たかった節があった。


「人の子が読まされるという詩だ。一見清廉だが、深層心理に刻み込む洗脳教育が散見される。人間とはこうも美しい物語の中に残酷な思想を織り込むのだから恐ろしい」

「んー……? あたし、難しいことはよくわかんないや。文字も読めないし。アル兄は読めるの?」

「……吸血鬼ヴァンパイアの文化の多くは人の猿真似だからな。私も所詮、それに影響されているという訳だ」


 その語調には、少なからず彼の苦悩が込められていた。魔族と人間の関係というのは大方「そういうもの」だ。いくら人間を憎もうと魔族が後塵を拝していることに変わりはない。


 戯れながらも神妙に語っていると、唐突に「面白い話をしてますね!」と底無しに明るい、それでいて聞くだけで肌が粟立つような声が響いた。

 振り返ると案の定と言うべきか、白衣を身に纏ったオリオンがいやに嬉しそうに笑いながら、ひたひたと歩み寄るのが見えた。


「あれ、オリオンじゃん。珍しいね?」

「はは、相変わらずの呼び捨てですね! 純粋なシャウラさんからも敬意ゼロとは!」

「尊敬はしてるんだよ? でもなんか、『さん』って付けるのもあれだし、あだ名も思いつかないし」

「ん〜なんと薄い仲間意識! 悲しいですね!」


 オリオンとシャウラの仲は良くも悪くも「仲間の仲間」といった具合だ。オリオンに課されている仕事からしても、特段関係性が築かれる要素がない。まず顔を合わせること自体が珍しいのである。

 加えて、シャウラが慕うシリウスがオリオンに対して冷たい態度を取ることも相まって、その影響を大きく受けているのだろう。


「さておき! 童話の話でしたよね!」


 ぱんぱん、と手を打ち合わせると、オリオンは満面の笑みで顔を突き出し、アルフェルグに迎合、あるいは挑発するように舌を回し始めた。


「私は好きですよ、童話! 人の愚かさと美しさを描く中で『書き手』の薄汚れた内情が透ける。その中に人生が透ける。環境が透ける。世界が透ける。これほど愉快なマトリョーシカは他に無いです!」

「まとりょ……? なにそれ?」


 再び首を傾げるシャウラの肩に、大きな手が乗せられる。いつの間にか顔を出していたシリウスが、彼女を守るように引き寄せているのだ。彼はオリオンに眼を向けると、露骨に嫌悪感を露わにした。


「不愉快な音だと思えば、オリオンが居るのか。議題には心惹かれるが、此奴と論を交わしたくはないのう。特にシャウラ、お前には毒だろうよ」

「あっ! シリウスのじいさま!」

「酷い! あまりの酷さに私泣いちゃいそうです! 脱水して消えちゃうかもですよ、スライムですからね!」


「何なら手ずから消してやるさ」と口にするシリウスから数歩距離を取ると、オリオンはなだめるようなジェスチャーをしてから「ま、消えても私は不滅なんですけどね」とおどけてみせた。


 アルフェルグはそれを静かに眺めている。

 二人の会話に区切りがつくと、シリウスはシャウラを一頻り撫でまわしてから向き直った。


「で、どうだアル坊。何か読み取れたか? 傷は付けるなよ、わしの森では貴重なものだからな」

「正直なところ、よく分からない。好意半分、嫌悪半分。読んだ価値はあったと思うが」


 アルフェルグはそう言って本を閉じると、丁重に手渡した。元々シリウスに借りたものだ。人間の文化に寛容な彼は、そういった収集も趣味の一つとしていた。


 一息ついて、アルフェルグは仮面を着け直すと、ゆっくりとシリウスの顔を見た。影と仮面の奥底から、吸血鬼らしい赤い双眸そうぼうが覗いていた。


「私は時々分からなくなる。この戦いが……いや、私の行き着く先はどこなのだろう、と」


 一瞬、暗がりが静まり返った。シャウラとオリオンも一様に口をつぐんでいた。オリオンだけは今にも口を開きそうな顔をしていたが。


「魔族は人間に虐げられ、いつしか誇りを失った。それを取り戻し、人の世を覆すことが私の望みであり、使命だと考えている。だが……」


 次の言葉を吐き出そうとして、アルフェルグが止まる。言うまいかと考えているのか、単に言語化しがたいのかは分からなかった。

 結局、それを口にしたのは二十秒ほど後だった。


「恐らく、私自身に『誇り』が欠けているのだ」

「……あえて聞くが、お前の思う誇りとは?」

「敵を認め、己を高め、正々堂々と人間を討ち破り、魔族の力を示すこと。……シリウス。貴方のような在り方を私は誇り高いと思う」


 人間を好意的に捉えたがるシリウスの在り方は、ある意味アルフェルグの意思と矛盾している。それでも彼が盟主の一人としてあるのは、シリウス自身が協力を受け入れたこともあるが、こういった「憧れ」の要因が強かった。


「だが私は敵を認められない。人の世を覆すためならどんな手を使っても構わないと脳裏によぎる」

「だから童話から『人間』を学ぼうとした訳か。はは、かの剣聖に追い詰められている割には冷静ではないか! わしはお前のそういうところが好きだ!」


 真剣に語るアルフェルグを解きほぐすようにして、シリウスは大いに笑った。その繊細な豪快さが救いではあったが、「またはぐらかされた」とも思った。


「『目的』を達成した後、己に誇りは残るのか、ということだろう? なるほどな、実にお前らしい」

「誇りなんて無意味ですよー! 目的第一で」

「お前は儂を誇り高いと言ったが、必ずしもそれが正道とは限らん。結局のところ、価値観ひとつよ」


 途中で割って入ろうとしたオリオンは拗ねたように口を曲げると、そこらの岩に頬杖をついた。わざと遮ったシリウスは少しだけ満足そうにすると、ご機嫌に虚空を指差し、腰に打ち付けるように手を置いた。まさしく威厳ある鋼だった。


「納得できる結末を目指せ。重視すべきは成否より心のあり様だ! 笑って終わるなら万事良し!」

「あはは、あたしも賛成! 死ぬなら笑って死にたいもんね! 納得できなきゃ化けて出ちゃうよ!」


 そのポーズを真似し、シャウラも高らかに笑い声を上げた。それを追ってシリウスが笑い、シャウラも負けじと声量を増し、さらにシリウスが……


 結果として、暗がりには耳が痛くなるほどの明るい笑い声が響き渡っていた。それが王の在り方であり、翼の少女が焦がれた笑顔であり、不定のものが疎んだ声であり、影が目を眩ませた光だった。


「あ、アル兄が笑ったの久しぶりに見たかも?」

「何? 仮面と影の下だぞ。何故判別できる?」

「ほう、確かに微笑んでおるな! わはは!」


 人に仇なす怪物。厭世の魔物。人殺し。そんな彼らも、心から笑うことがある。等身大の幸せを感じることもある。——ごく稀なことだ。


「笑って終わる」ことができたのは、一体どの程度のものか。語るべくもないことだろう。


 それでも、彼らが結束した仲間であり、友であり、暗闇に走った流星であったことは、紛れもない真実なのだ。光を放ってただ塵と消えたのか、それとも落ちた先に「何か」を落としたのか——


 それは、いずれ分かる話である。








——————

今回で番外編は終了です。

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